ブログ記事48件
1899年、シナ大陸で義和団なる怪しげな宗教結社が清国で暴挙を働きます。どれくらい怪しげかというと、神を敬い修行をすれば、弾丸に当たっても死なない身体になると教えています。その神とは、諸葛孔明や孫悟空です。現代日本でたとえると、竹中平蔵と仮面ライダーを神として崇めるようなものでしょうか。架空のキャラが混じっていても気にしないのは、チャイナクォリティーです。この連中が、『扶清滅洋』などと絶叫しながら、宣教師を殺し、在外公館に攻め寄せてきたのです。日本人も殺されています。さらに何を血迷ったのか、清
時に頭の悪いことは強みになります。いかなる強者も震え上がらせる、武器にもなります。特に自分が脅迫されていることに気づかないことは、本人にとって幸せでさえあります。1887年、フランスがブーランジェ事件で揺れているのを横目に、ビスマルクは独露同盟を更新します。繰り返しますが、ビスマルクの狙いは、フランスの復讐を回避すること。その絶対条件は、ロシアをつかまえておき、フランスと組ませないことです。そのために、ヨーロッパ中に複雑極まりない同盟網を張り巡らし、あらゆる手段で紛争を回避しました。どこかで火
6月4日が命日・忌日の有名人・著名人756年(天平勝宝8年5月2日)崩御(病?)聖武天皇陛下第45代天皇文武天皇の第一皇子1135年(紹興5年4月21日)54歳没(?)徽宗さん北宋第8代皇帝第6代皇帝神宗の六男1615年(元和元年5月8日)22歳没(自害)豊臣秀頼さん大名豊臣秀吉の三男1615年(元和元年5月8日)46歳没(自害)淀殿さん豊臣秀吉の側室織田信長の姪1941年満82歳没(肺栓塞)ヴィルヘルム2世さん第9代プロイセン王国国王、第3代ト
日露戦争後、ロシアはアジア進出を断念し、ヨーロッパに目を向けるようになりました。ヨーロッパではバルカン半島がバルカンの火薬庫と言われるほど、あちこちでいざこざが絶えないおかしな時代になっていました。バルカン問題はヨーロッパの5大国にとっては悩みのタネで、よく言われる、大国が小国を振り回すということはウソで、小国が暴走して、大国を巻き込み、大国としては抑え込むしかなくて、よい迷惑をしているという感じです。小国に振り回される大国というのが当時のバルカン情勢をわかっている人にとっては定説になっていま
こんにちは最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。◇◇◇◇◇伯林宮殿の怪談大正3年8月27日/佐賀新聞鉄と血が国是となっているドイツにこんなロマンチックな話があるから可笑しい。ドイツ人
前回、日清戦争直前の日本、清、朝鮮半島の情勢の経緯をお話ししました。そして最後に、この3国間の情勢に陰謀が加担したという話で終わっていますが、その陰謀とは何なのか?そこで、今回はヨーロッパのお話をします。最後にどういう陰謀があったのかをお話ししますが…で、不思議に思ったことはなかったでしょうか?日清戦争終了後に、下関条約が締結されますが、そこに待った!をかけて、ロシア、フランス、ドイツが干渉してくる、いわゆる三国干渉ですが、ロシアは隣接しているので、わかりますが、なぜ、フランス、ドイツがくっつ
ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)生年月日1859年1月27日(木)日干支乙丑同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)1503年12月14日(木)いて座・足利義輝1536年3月31日(金)おひつじ座・前田利家1539年1月15日(水)やぎ座・小笠原忠真1596年3月26日(火)おひつじ座・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト1756年1月27日(火)みずがめ座・渡辺三郎1880年12月2日(木)いて座
国名:ドイツ(プロイセン)発行年:1914年(大正3年)発行枚数:1,587,000枚銀品位:0.900重さ:27.78gこちらは8月のオークションラッシュ、銀座コインの入札誌でゲットしたドイツの大型銀貨です。ドイツの大型銀貨の価値はピンキリで、大雑把に17・18世紀モノは大変高価となり19世紀モノもプルーフ貨が超高いです。お買い得だった流通貨の19世紀モノも以前鑑定品で2万円前後の入手が可能でした。しかしそろそろ5万円ぐらいの価格帯?2万円前後で買えるのはもう20世紀前半の流通貨
【送料無料】Kingsman:TheSecretService輸入盤【CD】楽天市場2,621円前作が少しセンセーショナルだったのですが、今作は正統派の感じです。三人の従兄弟がそれぞれ王位に就いているって結構すごい話だなぁ…と思いつつ。ジョージ五世とニコライ二世が似ているのは知っていたのですが、そこにヴィルヘルム二世まで入ってくるとは。さらにラスプーチンは出てくるわ、レーニンは出てくるわ。スパイといえばのマタ・ハリも出てきます。もちろんハニートラップ付き。
1916年2月1日、ドイツは正式に無制限潜水艦作戦を宣言します。『まだ、宣言してなかったのか?』と疑問を持ちたくなりますが、これを理由にアメリカが因縁をつけてきます。4月6日、アメリカが連合国側に立って参戦しました。ウッドロー・ウイルソンの思考回路は『俺はキリストとして、人類を救うのだ!』です。この言葉は本人が自らの口で言ってます…ウイルソンはいかれているのですが、れっきとしたアメリカ大統領です。全人類がこいつ一人のせいで不幸に叩き落されます。アメリカ軍、元気なだけで実はあまり大して役に立って
数多くのブログの中からご訪問いただきましてありがとうございます。11月9日はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(WilhelmⅡ/1859年1月27日~1941年6月4日/皇帝在位1888年6月15日~1918年11月9日/11月25日正式署名)が帝国の崩壊とともに退位した日です。(三国干渉を起こし、黄禍論者でもあるので日本では人気がない人物です)そこで、8月の京都「第44回貨幣切手大収集まつり」で見つけた貨幣のもう一つを紹介します。ドイツ帝国3マルク銀
知己の仲である友人からケルンについてリクエストがありましたので今回はケルン語源は「コロニア」でローマ植民都市の意味(そのままで良かったんだ)コロナが急激に広がりつつあった2020年2月に訪れた時の画像雨が続いた後でずいぶんライン川の水位が高い▼ライン川▲左から四角い塔は聖マルティン教会その右の低い塔は市庁舎右からホーエンツォレルン橋▲その左がケルン大聖堂ドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世はホーエンツォレルン家の出身その橋の歩道脇のガード部分モザイクに見
日露戦争はドイツには関係ないような感じがしますが、そもそも、ロシアを東アジアの利権に向けさせたのはヴィルヘルム2世ですし、実際に三国干渉を仕掛けて、日本が煮え湯を飲まされています。ロシアの南下政策が東アジアに向いたところで、日本と激突するのは当然のことです。日本にとって良かったことは、これもヴィルヘルム2世が仕掛けたことですが、結果的に日英同盟が結べました。一体、何をしたいんだ、ヴェルフェルム2世!この人、本当に大迷惑な存在です。日本としては、朝鮮半島に敵対的な大陸勢力が来ては安全が
1899年、イギリスは植民地である、南アフリカの反乱に手を焼いていました。ボーア戦争です。これに、ヴィルヘルム2世は拍手喝采をしています。他人の不幸が三度の飯より好きな性格の人はいるものです。1900年、清国で義和団というカルト宗教集団が暴動を起こします。暴動は波のように広がり、革命前夜の様相になりました。このカルト集団は外国人排斥を掲げ、首都北京に集まります。北清事変です。清朝政府は取り締まるどころか、義和団の尻馬に乗り外国に対して宣戦布告をするような有様です。日英米仏露独墺伊の八か国の外交
ドイツでは、1888年を『三皇帝の年』と呼びます。3月9日、皇帝ヴィルヘルム1世が崩御しました。継いだ、フリードリッヒ3世も6月15日、在位わずか99日で崩御します。56歳の若さでした。そして、その皇太子である、ヴィルヘルム2世が即位します。時に29歳です。一年に三人の皇帝がいるので、『三皇帝の年』です。1862年にプロイセンの首相に就いてから26年。長すぎるビスマルクの時代に倦怠感も漂い始めています。ビスマルクは長男を外相に任じていました。後継首相に育てるつもりか?これではホーエンツォレルン
2021(96)/2021/8/22観:GYAO!配信『TheException─例外』2016年イギリス×アメリカ合作107分監督/デヴィッド・ルポー脚本/サイモン・バーク原作/アラン・ジャド「TheKaiser'sLastKiss」製作/ルー・ピット×ジュディ・トッセル音楽/イラン・エシュケリ撮影/ロマン・オーシン編集/ニコラス・ガスター【キャスト】ミーカ/リリー・ジェームズブラント大尉/ジェイ・コートニーヴィルヘルム2世/クリストファー・
リリー・ジェームズ主演他。彼らが選ぶのは、祖国か、愛か―。ナチスドイツの将校ステファン(ジェイ・コートニー)はレジスタンスのスパイを探すため、オランダに亡命した元ドイツ皇帝(クリストファー・プラマー)の屋敷へ護衛という名目で向かう。しかし、屋敷でメイドとして働くミステリアスな美女ミーケ(リリー・ジェームズと恋に落ちてしまい・・・。ナチス政権下、イギリスの女スパイとドイツ軍将校による許されぬ恋と、陰謀の応酬。リリー・ジェームズはじめ豪華キャスト共演で贈る極上のヒストリカル・サスペンス!6
ザクセン地方の飛び地の公国で、マイニンゲン、アルテンブルグともう一つがザクセン=コーブルグ=ゴータです。残念ながら、まだ軍事用メダルは入手出来てません。代わりに、変わったメダルを入手しました。紋章の構成にザクセンの紋章と立ち獅子がいる。中央のザクセンの紋章で、確かにドイツのものだと分かるけど、獅子はどう見てもイギリス風。ザクセンの盾の中央にイギリス王族の紋章。裏調べてみると、カール・エドゥアルド公爵は、ビクトリア女王とアルバート王子の孫にあたるそうです。
おはようございます😃最近すっかり着物から遠のいていますが他人様の着物の話題はとても好きで読ませて頂いてばかりでちょっと申し訳ないなと思っていたのですがこんなものが舞い込んできました。着やすそうな色。スカラップのような柄もちょっと洋風味があって素敵。着物屋さんからのパンフレットを見てこんな風に思ったのもしかして初めてかも。久留米絣には紺ベースのイメージがありましたが今は色々あるんですね。『楽ふわ帯』通常の袋帯の1/3の重さというのが重いのか軽いのかよくわかりませ
今回は、時計の針を少し戻してイギリスで産業革命が起きた後の頃のドイツに目を向けてみます。19世紀のドイツは、というよりドイツ連邦はその域内にオーストリア帝国を筆頭に、ザクセン王国、プロイセン王国といった小国家(ラント)の連合でした。そして、ドイツ連邦内の国家間でも関税を掛け合うなど経済面においても非常に非効率な構造をしており、イギリスが産業革命によって世界の綿工場となってからは、一方的に綿製品を輸入して、代わりに小麦などを輸出するといった農業国というのが実態でした。このままではイギ
ドーモ、皆=サン。タダノコレクターです。『今回のオクで私が落としたコインは何か?』というクイズを出そうと思ったが、あまり面白味がなさそうなので、素直に紹介することにする!もしもこのブログのタイトルだけでこのアンティークコインを当てた人がいたなら、タツジン!落としたうちの一枚は、ドイツ、プロイセン、ヴィルヘルム2世、1904A、20マルクのプルーフ金貨だ!※うまく撮れなかったのでフラッシュをたいたら銅色が強めに写ったが、実際は黄色寄りの金色だ!状態は、わ
アクリル画。完成です。全体を見直し、修正、加筆しました。イメージしたベルリンの姿です。現在の姿と少し前の姿が重なった感じでしょうか。ありどんは、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデン(UnterdenLinden)に再び来ています。ベルリン大聖堂が見えます。後ろはブランデンブルグ門です。プロイセンの首都であった面影があります。ウィーンは、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ゆかりの地であれば、ベルリンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世でしょうか。シュトラウス
アクリル画。終盤です。道路、木々を塗っていきます。構図の歪みも修正していきます。建築物、空を塗っていきます。重厚な建築物がくすんだ感じになりすぎないよう注意します。次回は仕上げです。細かな修正と、色合いの補筆です。ありどんは、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデン(UnterdenLinden)に再び来ています。ウィーンは、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ゆかりの地であれば、ベルリンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世でしょうか。
アクリル画。中盤です。建築物、空を塗っていきます。人物を塗ります。色合いを今までと変えてみます。次回は、道路、木々を塗っていきます。構図の歪みも修正していきます。ありどんは、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデン(UnterdenLinden)に再び来ています。ウィーンは、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ゆかりの地であれば、ベルリンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世でしょうか。シュトラウス2世が作曲した、独墺両国の親善を祝う意味でつけられた曲名皇帝円舞
アクリル画。下塗りです。色のバランスを決めるため、全体を塗ってしまします。重要なポイントを塗ってみます。路が斜めに横切る構図としたため、デッサンの狂いが出やすいです。次回は、構図の歪みをし修正しつつ、塗り込んでいきます。ありどんは、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデン(UnterdenLinden)に再び来ています。ウィーンは、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ゆかりの地であれば、ベルリンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世でしょうか。シュトラウス2世が作曲し
ありどんは、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデン(UnterdenLinden)に再び来ています。ウィーンは、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ゆかりの地であれば、ベルリンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世でしょうか。シュトラウス2世が作曲した、独墺両国の親善を祝う意味でつけられた曲名皇帝円舞曲もありますし。アクリル画。ラフです。ベルリンの街並みは、ウィーンと比べ重厚なイメージです。さて、どのように描いていきましょうか。
このメダルは、軍人、民間人適用なので、どちら側かわからない。特にリボンによる区分けも無かったようである。1912年1月27日ヴィルヘルム2世によって制定。プロイセン王国に対し功績のあった人に授与。金と銀の2種あります。発行枚数が不明なので、なんとも言えませんが、市場の価格から考えると、そこそこの枚数がある気がします。ネット上の資料も大してないので、一般的なメダルなのかもしれません。十字がマルタ十字で、これは奉仕の象徴なので、軍人よりも民間人が多く授与さ
絵柄がかっこいいと思い購入。しかし、残念ながら今回も非戦闘員用でした。1901年5月10日ヴィルヘルム2世によって制定。いわゆる義和団の乱で知られている動乱で、別名北清事変とか清国事変とか言われているが、この事変の際、参加した軍、海軍の兵士が戦闘員用、非戦闘員用は、ドイツ本国にて戦争支援をした人、軍隊及び軍需品の輸送を行った船員となっています。軍人用のメダルは、真鍮または金箔銅で製作され、非戦闘員用は、銀色の真鍮もしくは銀で製作されました。また碑文に違いがあり、
ケンペのこの演奏を聴くと、シェーンベルク宮殿などが目に浮かび、ウィーンの風を感じます。なにか懐かしい響き。シンフォニックなのに甘いロマン的な感じがします。ウィーンの風景が懐かしく思います。『皇帝円舞曲』(Kaiser-Walzer)作品437は、ヨハン・シュトラウス2世(JohannStraussII.(Sohn),1825年10月25日-1899年6月3日)が1889年に作曲した演奏会用のウィンナ・ワルツ。原題のまま『カイザー・ワルツ』と呼ばれることもある。1889年10月