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ルネッサンス期にフィレンツェを中心に活躍した画家、ドメニコ・ギルランダイオの作品「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」のテンペラ画模写をはじめました。オリジナル作品は腰から上の姿ですが、わたしは顔だけアップで。▲完成までの道のりはまだまだ長い。ギルランダイオの作品は、フィレンツェの教会や美術館で、またローマのヴァチカン美術館でも観ることができますが、いわゆる「すごい人気作家」ではありません。今回模写に使っている画集はフィレンツェの美術専門古書店で2018年に買いました。
芸術新潮2023年9月号【雑誌】【1000円以上送料無料】楽天市場少し、涼しくなってきて秋の気配を感じます。芸術の秋と言いますが、今年はあまり美術館に行けていないです。大都会の展覧会に興味はありますが、コロナ禍以後、なんとなく足が向かない…。雨が降ると新幹線が止まるし、ダイヤの乱れも多くて…。単純に体力が無くなってきたので、泊まりで計画しないと難しいお年頃です。そんな中、本で旅するイタリア🇮🇹と言いますか、ルネサンス期の特集。権力者の欲した芸術の素晴らしさ。欲
◇マニエリスムの美術まとめをマニエリスムは盛期ルネサンスの後イタリアで展開した美術様式(後期ルネサンス)16世紀の初めから17世紀初めにかけてヨーロッパの宮廷を中心に広まる語源は「マニエラ」イタリア語で手法や様式を指す言葉細長く伸ばされた人体ねじれたポーズ大胆な構図冷たく鮮やかな色調ミケランジェロやラファエロの後期作品に現れる複雑な人体表現や画面構成がもととなる初期(1520~40)・ルネサンス的な調和や均衡を崩し誇張や変形を
企画展の後は、常設展へ。外光を取り入れた、この空間が大好き。企画展では印象派以降の作品が並んでいたので、常設展の中からはオールドマスターの作品を少しご紹介。ヴァザーリ「ゲツセマネの祈り」。逃亡中のイエスを守るために、見張っているはずの弟子達が、眠ってしまったところを描いた作品。宗教画なのにとても人間的。スルバラン「聖ドミニクス」。恍惚としてる修道士の表情がたまらない。ラ・トゥール「聖トマス」。猜疑心に満ちた表情が秀逸。新しく展示された作品の中で2つご紹介
2019年のイタリア旅行、今回はその第9弾になります。実は…このイタリア旅行で、旅のお仲間としてご一緒しましたのが、yoihaさんご夫妻でした。yoihaさんは、海外旅行経験が…何と49ヶ国という海外旅行の達人でありまして、その豊富なご経験を活かしてこの旅行後に、ブログを始められました。(これは、もしかして私の影響)旅とにゃんことetc.yoiha8020さんのブログです。最近の記事は「あれ、部屋が分からない!(バルカン半島5ヵ国の旅⑦)(画像あり)」です。
ルネサンスが花開いた町、イタリアのフィレンツェ。今なおこの町には、その華やかな香りが残っている。旧市街の入り口、シニョリーア広場に立つ、ヴェッキオ宮殿もその1つ。[ヴェッキオ宮殿]要塞を思わせるこの宮殿は、フィレンツェ共和国の政府の建物として造られた。宮殿に入ると、2階にあるのが500人の議員を収容する大会議場、五百人広間。[五百人広間]広間の両側には、ミケランジェロの弟子ヴァザーリによる、見事なフレスコ画が描かれている。その1つ、『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』に、謎め
本人はイタリア・マニエリスム期の画家、建築家。ミケランジェロの弟子。13世紀後半のチマブーエから一・二版あわせて163名の芸術家の作品と生涯を綴る。この日旅立つ…画家・彫刻家・建築家列伝GiorgioVasari1511.7.30-1574.6.27
シニョーリア広場を見下ろす、94mの塔を抱く力強く優美なゴシック建築は、かつてのフィレンツェ共和国政庁舎・ヴェッキオ宮殿です。1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまで、ここを住居としていました。現在もフィレンツェ市庁舎として使われています。ここを一躍有名にしたのが、トム・ハンクス主演ダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」。私も、たまたま今年の9月に観たばかりだったので新鮮でした。
奈良県大和郡山市リラクゼーションサロンナチュラリーユウお知らせ※只今、ライン@にご登録いただきますと、素敵な特典がついてきます。ぜひご登録ください。https://line.me/R/ti/p/%40foc9832yみなさんこんばんはアロマセラピスト辻本です前回に引き続き、ヨーロッパの旅「フィレンツェ編」!!第4回目の今日は・・・今
こんばんは!ひのははです。寒さもいよいよ厳しくなってきましたね。日が落ちてからは近所のドラッグストアへ買い物に行っただけでも、顔が痛いようでした。さて、ルネサンスは誰でも知っていますが、説明しようとするとなかなか難しいですよね。ルネサンス期の活躍した画家たちのエピソードをまとめたヴァザーリの『芸術家列伝』を読めばいいとは思いつつ、行動に移していませんでした。ところが、この『芸術家列伝』をかわいいイラストでまとめてくれた本に出合ったんです。それが『イラストで読むルネサンスの巨匠た
こんばんは!ひのははです。昨日、上野の森美術館で開催されている「世界を変えた書物」展という巡回展を見てきました。呼び込み文句は「コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン・・・、偉大な知性との出逢い!」となっています。今回展示されている貴重な書物群は、金沢工業大学ライブラリーセンターに設置されている「工学の曙文庫」が所蔵しているそうです。だから、理工系の本が中心なのですね。その中で、アートファンとしてときめいた本がありました。ヴァザーリの『最も優れた画家、彫刻家、建築家
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会について何度かに分けて書いています。今回は側廊装飾についてウィキペディアも参考右側廊第1祭壇:ジローラモ・マッキエッティ≪聖ラウレンティウスの殉教≫(1573年)第2祭壇:ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ≪キリストの生誕≫(1577年)第3祭壇:ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ≪神殿奉献≫第4祭壇:ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ≪キリスト降架≫第5祭壇:ヤコポ・コッピ通称イル・デル・メーリオ≪サン・ヴィンチェンツォ
3月27日(火)日本を出発して1週間になろうとしています。ここまで、スリに遭ったり、検札で高額罰金の現場を見て恐怖に慄(おのの)いたり、バスにやっとの思いで駆け込み乗車したりとドタバタていますが、旅行の行程に支障を来たしたことは全く起きていません。そればかりか、現地の状況を観察し、情報を収集し、日程を柔軟に変更して、当初の予定よりもたくさんの場所を訪れることができています。自由旅行はこうでなくっちゃ。これらの一部始終を娘にも観察してもらっています。さすがに自分で経験するのと比べて学び
ヴェッキオ宮殿には「ヴァザーリの回廊」と呼ばれる秘密の通路があるのですが、こちらはウフィッツィ美術館からアルノ川に架かるヴェッキオ橋の2階部分、そして川向うの「ピッティ宮殿」までの1kmにも及ぶ長い通路です。今回は工事中で参加できませんでしたが、ヴェッキオ宮殿内は素晴らしかったです!!ヴェッキオはイタリア語で「古い」です。メディチ家がピッティ宮殿に引っ越した後、古い宮殿という意味でヴェッキオ宮殿と呼ばれてるようになりました。最初コジモ一世は片側にミケランジェロ、もう片面にレオナルドダヴィ
フィレンツェでは毎年1月と6月にピッティ(PITTI)というファッションの展示会がおこなわれ、日本、アメリカをはじめとし、ヨーロッパ各地、ここ何年か前からはロシアや中国などの世界中からの数多くのファッション関係者がフィレンツェに集まります。フィレンツェは世界に名だたる観光地ですが、工業も盛んなためこの展示会はフィレンツェ市にとって最も重要な時期であり、ピッティのある数日間は街全体でファッション関係のイヴェントが行われ街の雰囲気は非常に活気づきます。
今日は皆さんに、アルノ川の景色をご紹介します。今となってはもう当たり前の景色になってしまったアルノ川沿いのパノラマでも、時間に余裕のある時にふと立ち止まり、じっくりと見下ろすとやっぱり奇麗だなあと思います。こちらはアメリゴ・ベスプッチ橋から見たアルノ川。左端の遠くにサンタトリニタ橋が見え、オルトラルノ地区(アルノ川の向こう側という意味の区域)にはサント・スピリト教会の鐘楼の塔やサンフレディアーノ教会が見えます。手前にみえるのがサンタ・トリニタ橋、
何気なく眉毛つまんで引っぱってみたら思いのほかゴッソリもげたもいもいです、こんにちは(・ิω・)ノิิิモイ左の眉だけハゲ散らかしてます本日は、とことん見せます!富士美の西洋絵画展~日本最大級の西洋絵画コレクション、全貌公開!~(長い)@東京富士美術館へ行ってきました日のことです。もう明日終わっちゃうですが…以前に同館を訪問した際、常設展の豪華っぷりに圧倒されまして、今回は、その西洋画コレクションが開館史上最大規模でとことん!観られるというので、GOしました三┏(
◆様々な罪が層として描かれたボッティチェリの地獄図ボッティチェリが、ダンテ作「神曲」の挿絵として地獄図を描いていた、ということはそれほど知られていないのではないか。2015年5月に印刷博物館で開催された「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ」にはこの絵のファクシミリ版が展示されていた。その挿絵というのがこちら。あのボッティチェリがこんな絵を?およそボッティチェリっぽくはない。この階段状になった構造は、それぞれの層ごとに違う罪を表しているようだ。h
ヴェッキオ宮殿美術館、今日は2回目です。(一回目はこちら)今回は、近年とても有名になりつつあるベッキオ宮殿の五百人の広間です。美術館の入口から入ってすぐがこちらの広間なんですが、ベッキオ宮殿の建物自体がフィレンツェ市の市役所として使用されているのでこちらの広い広間が時々フィレンツェ市の催しの会場として使用されます。さて、こちらの広間は何故有名になりつつあるかというとジョルジョ・ヴァザーリ(GiorgioVasari1511年-1574年)の残した大きな壁画があるのですが、レオ
今日は前回の続きで、レオナルド・ダヴィンチの未完の作が隠されているというフィレンツェのヴェッキオ宮殿の五百人の広間の謎について考えながら、フィレンツェの政治情勢などを一緒に考えていきたいと思います。前回の記事の続いた内容ですので、まだ読んでない方はこちらからどうぞ1503年から1505年頃、フィレンツェ共和国は、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロに「五百人広間」の壁画を依頼し競作させた1512年、ミケランジェロの未完の「カッシーナの戦い」(Battag
4/30頂上に到着!疲れた!360°パノラマで赤茶色のフィレンツェの街並みが見える。晴れていてよかった。安全柵が一応あるにはあるが、あまりの高さに足がすくむため、柵にも近づけず。展望台にはけっこう日本人がいて、写真を撮ってくれと2度ほど頼まれた。頂上に15分ほどいて、おりることにする。帰りも狭い階段をおりていく。当然ながら上りよりはかなり楽だ。帰りもヴァザーリの『最後の審判』が近くで見れた。
4/30今日は曇り。昨日みたいに雨が降らなければよいが。なぜならば今日はドゥオーモに上る。曇りだと視界が悪くなる。どうか晴れますように。ホテルで朝食を取り、さっさと用意して、8時半には出発。また20分ほどでドゥオーモに到着。途中、昨日喫茶店で知り合った日本人の女性が運営している革製品のショップと、紹介してくれたレストランを発見。(しかし今日のレストランは既に決めてあるのだ)あまりに朝が早すぎて周りに誰もいないが、人がたくさんいて急かされるのも困るので、早速上
6/15フィレンツェのドゥオーモ。正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。140年の歳月をかけて1436年に完成したとのこと。白やピンクや緑の大理石で飾られているキレイな大聖堂。ここには、ドゥオーモとサン・ジョヴァンニ洗礼堂とジョットの鐘楼がある。サン・ジョヴァンニ洗礼堂には、ミケランジェロも絶賛したギベルティの「天国の門」という有名な扉がある。公募で決まったギベルディにより旧約聖書をモチーフとした10枚のレリーフで形成されている。今ではオリジナルはオペラ・デル・ドゥオ
6/15ウフィツィ美術館からヴェッキオ橋へ。ヴェッキオ橋の欄干。左右には宝石店ばかりが並ぶ。ヴェッキオ橋を渡り、ウフィッツイ美術館を通り過ぎ、シニョーリア広場へ。シニョーリア広場にある14世紀初頭に完成したヴェッキオ宮殿。現在は、フィレンツェの市庁舎とのことだが、約半分は歴史的建造物として公開されている。中はヴァザーリの手により美しく改装されたらしいが、中に入らず。ドゥーモへ移動。