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大阪中之島美術館のモネ展に行ってきました。当然、館内の絵画は撮影禁止ですが『睡蓮』の何幅かと『ウォータールー橋』の何幅かは撮影可となっていましたので撮影させてもらいました。『ウォータールー橋』と言われても何のことかわかりませんでしたが、英文解説を見て納得。ワーテルロー橋と書いてくれたら分かったのに・・・。ワーテルロー橋撮影可の睡蓮の前は黒山の人だかり。構図の研究ならスケッチ、あとで観返すなら図録を買い求めるのが
ワーテルローの戦いでは1日1万人以上の死者が出る大激戦だったが出土した遺体は2体しかない。残りの遺体はどこに行ったのか?(2ページ目)人として〜のくだりは皇国の守護者(小説)で有名な言葉ですね(大サトー)togetter.comこの、ワーテルローの戦いの件なんですが、いや〜、まいった。日本ではどうだったかわからないのだけど。こんな事は、していないと信じたい。ここに、英文ですが、色々と書いてあります。日本語に変換すれば、読めますよね。はい、読みましたけど、
英検1級に合格しても、英語はコミュニケーションの道具に過ぎないので、教養力が低いと、作るモノが無いのに高価な電動工具を持っているようなものです。海外で日本人以外と話す場合、世界史や世界地理の知識がある程度必要です。また、話の内容にもよりますが、相手の国の状況を聞いたあと、「日本ではどうなっている?」と訊かれるので、日本のことも知っている必要があります。歴史や地理の知識は不要ですが、アジア通貨危機で、大学を卒業しても就職が難しいと聞きました。相手は日本の状況を尋ねます。大学を
抜け出したくなる瞬間は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう脱出の日(2月26日記念日)1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルト(NapoléonBonaparte、1769~1821年)が島を脱出してパリに向かった。1814年、フランスの北東にはオーストリア・プロイセン軍、北西にはスウェーデン軍、南方にはイギリス軍の大軍がフランス国境を固め、大包囲網によりフランス帝国の首都パリは陥落した。ナポレオンは外交によって
お陰様で検温すると36.5℃前後ーー平熱を取り戻した。いま夜中の2時過ぎ。このまま咳が治まると、今回の騒ぎも解決と行くが、それは今日仕事が終わらないとわからない。先ほど咳とともに目が覚めた。それでも平熱なので・・――と言っても、まだ咳はあるし、単も黄色いというか白濁色ーー。これはまだ白血球レベルでワーテルローの戦いは続いている。また寝るが、起きたときには普通に戻っていることを期待しつつ・・咳が治まることを願う・・
※ネタバレあり。これも2時間半くらい?長いからあんまり見たくなかったけど、ナポレオンてよく知らないよな。ここで一応見ておいたほうがよいかも?とか思ってさ。「Joker」のホアキン・フェニックス主演と言うのも気になるので行ってきました。18世紀末。マリー・アントワネットが処刑されるとナポレオンはトゥーロンの戦いで武功をあげ士官に。その頃少年が「処刑された父のサーベルを返して欲しい」とやって来る。剣に名前など記載していないので適当な剣を持ってナポレオンは少年の屋敷を訪問。そこでナ
映画「ナポレオン」を観ました。冒頭は、フランス革命によって帝政が集結し、マリーアントワネットの公開処刑のシーンから始まる。ナポレオンは当時一陸軍大尉であった。その処刑の見物人の一人として描かれている。その後、フランス革命が他国に影響を及ぼすことに危機感を強めたイギリスはじめ他の欧州諸国がフランスに軍事介入してくる。その侵攻を悉くはねのけ、フランスの英雄となり、庶民からフランス皇帝となったナポレオン。だが、フランスの守備にとどまらず、欧州諸国を征服していく。その余勢をかって60万人の大陸
キャリア初期の『エイリアン』(79年)『ブレードランナー』(82年)から映画史に残るエポックメイキングな作品ばかり撮り続けてきたリドリー・スコット。近年の『ハウス・オブ・グッチ』(21年)『最後の決闘裁判』(21年)も衰え知らず。そんなリドリー・スコットがナポレオンの半生を描く、その名もずばりの『ナポレオン』。壮大なキャリアを描くには相当の時間が必要だろうし、実際、今作は2時間半超えの長尺だ。それだけに、たとえばワーテルローの戦いなどなにかひとつの戦争にフォーカスするのかと思いきや、軍人として
・・・・・・・っということで、リドリー・スコット監督、ホアキン・フェニックス主演とくれば観るしかないっしょ。ナポレオンを描くには大河ドラマでも足りないくらい、さまざまな解釈ができる人物。それを158分の中で描くために、テーマを絞らなくてはならない。本作はジョセフィーヌとの関係で、ナポレオンという人物を描こうとしています。ですから戦争の天才という面は、思いっきり省略されています。数ある戦いの中で、アウステルリッツの戦い、ボロジノの戦い、そしてクライマックスのワーテ
作品についてhttps://www.allcinema.net/cinema/390223↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。・監督:リドリー・スコット☆・ナポレオン:ホアキン・フェニックス☆ホアキンが、肖像画のナポレオンに似ていてホアキン=ナポレオンを見てみたくて鑑賞☆(^^)/物語は、マリー・アントワネットが、断頭台の露と消えた頃から始まった。コルシカ生まれの将校:ナポレオンは王党派支持のイギリスが占領していたトゥーロン(港町)を奪還
2023年12月6日(水)オイラ、無類のフランス革命大好き人間。大学ではそれしかやらなかったと言っても過言ではない。そんなわけで、観てきましたよ、映画「ナポレオン」。ここからはネタバレがありますよ。:::おのおのがた、よござんすか。:::よござんすね。冒頭でアントワネットが処刑されるシーンがあり、なんかリアルだったなー。そのあとあっさりロベスピエールも処刑されてしまった。映画を観た感想としては、何と言いますか、大砲を発射する
▲アポロシネマ前の巨大パネル。並の気合ではないな(^^;)映画『ナポレオン』オフィシャルサイト|ソニー・ピクチャーズ映画『ナポレオン』2023年12月全国の映画館で公開!<軍人ナポレオンの真の姿>を壮大なスケールで描いた超大作www.napoleon-movie.jp最初この映画を知ったとき、「ナポレオンをネタにして、なんでこんなにプロモーションに気合入ってんだ?」と思ってよく見たら、リドリー・スコット監督作品だった(爆恥)全体に暗めの映像で、見づらい部分もあっちこ
今日は映画の日❗️映画の日(えいがのひ)は、1896年に神戸市において日本で初めて映画が一般公開されたのを記念して、1956年に日本映画連合会(現・日本映画製作者連盟)が制定した記念日。…だそうです。昨日も観たし、今日は寒いし、で止めようかとも思いましたが、やはり本日から公開の『ナポレオン』を観に行きました😀まだ、始まったばかりなので詳しい感想は後日にする予定ですが…面白かったです❗️序盤は淡々と進みます。ま、長いナポレオンの生涯ですものね。この映画は、ジョゼフィーヌとナポレオン
今回も映画レビュー(๑˃̵ᴗ˂̵)今回ご紹介するのは…『ナポレオン』ですヽ(・∀・)もう誰もが知ってるであろう歴史上の偉人、ナポレオン。そんな彼がどの様に皇帝へと成り上がりどの様に朽ちていくのかを描いた伝記映画でございます(●˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ナポレオンは軍人という事もあり作中には戦争の描写がたくさん、ですがナポレオン戦争史上最大の勝利であるアウステルリッツの戦いや最後の指揮となったワーテルローの戦いの描写は秀逸!グロいですが壮大な戦闘シーンですのでぜひ見てもらいたい!
正直ホアキン・フェニックスは苦手です演技が凄い!のは承知しておりますが理屈じゃなくて苦手…🙇濃ゆくて暗いのは己のジャンルじゃないかも(あくまでも個人の好みです)でも歴史物として観てみたくて劇場鑑賞映画「ナポレオン」アンダンテが思い浮かべるナポレオンは?J.L.ダヴィッド「ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」ルーブルで最も大きな作品…本来はローマ教皇の役目をナポレオンが行ったというシーンを描いたものこのシーンが再現され画家も登場あとは「サンベルナール
今日6月22日はなんとナポレオンの百日天下終了の日、だそうです。1815年6月22日、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオン1世がセントヘレナに流されフランス皇帝を退位。いわゆる百日天下が終了した日、なんですって。日本人にもなじみのあるナポレオン。1804年にナポレオン1世として即位し皇帝となり、その後セントヘレナに流されるまで、その間なんと11年案外短い期間です。四柱推命やってると「運気の波の変わり目か?」なんて思ってしまいますそれだけの短い治
フランスと聞いて思い浮かぶのは?プライドは高いが、戦争に弱いというイメージです。フランス革命後、ナポレオン1世の治政下、一時的にヨーロッパを席捲しましたが、ロシア遠征で失敗しました。復活しますが、ワーテルローの戦いに敗れ、大西洋の孤島セントヘレナに流されて死亡しました。甥がナポレオン3世になりますが、普仏戦争に敗れて失脚します。その後のヨーロッパはイギリスとドイツ(プロシア)が覇権を争い、フランスはパッとしません。第一次世界大戦、第二次世界大戦ともに、フランスは戦勝国になりました。
日本人には教えたくない、だから教えなかったお金💴のこと、伊比先生の授業で勉強し直しの最中。「ワーテルローの戦い」なんて聞いた事もありませんでした😅😂目覚めよ日本人シリーズ、バンされて飛んでしまったところもありますが、何回でも観れるのはありがたいです金融崩壊が始まっている今、学んでリアル実践になっていますね…😅😂前回はこちら⇩💁♀️『目覚めよ日本人NEOvol.3「グレートリセット始動‼︎気づけよ▶︎○○○○○のフェーズへ」』前の記事の続きで先生が伊比先生バージョン目覚
『二人のクラウゼヴィッツ』を読みながら、イエナ=アウエルシュタットの戦い以降のナポレオン戦争を振り返っていったわけですけれど、「そういえば…」と思い至りましたのは「ナポレオン戦争の戦いを描いた映画って、あまりないような…」ということでして。ナポレオンという人物を追っかけた映画、はたまたナポレオン戦争に関わりある『戦争と平和』といった小説の映画化は存在するも、戦いそのものとなりますとどうだったか。世に戦争映画と言われる類いは山とある中で、かの有名なナポレオンの戦いが描かれないのはどうしたこと?と思
クラウゼヴィッツの『戦争論』。古典的な著作として夙にその名の知られた書物ですので、一度読んだことはあるとは思うものの、全く内容を覚えておらず…。ここでは、翻訳で出ている岩波文庫の紹介によればこんな内容であるとだけ。ナポレオン一世により本質的な変貌をとげた戦争形態たる国民戦争を精密に分析して,近代戦争の特質を明らかにした戦争哲学である.なお,戦史の理論的問題に正しい視点を提示し,戦争と政治・戦争の原型・戦争の本性を明らかにする.軍事専門家のみならず,エンゲルス,レーニンなどにも多くの影響を与えた
抜け出したいことはある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう脱出の日(2月26日記念日)1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルト(NapoléonBonaparte、1769~1821年)が島を脱出してパリに向かった。1814年、フランスの北東にはオーストリア・プロイセン軍、北西にはスウェーデン軍、南方にはイギリス軍の大軍がフランス国境を固め、大包囲網によりフランス帝国の首都パリは陥落した。ナポレオンは外交によって
抜け出したいことはある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう厄運から脱出したい…(´;ω;`)ウゥゥ毎年のように起こる骨折(´;ω;`)ウゥゥ年々、動かなくなる身体…(骨折の時に固定するからね、筋力が落ちたり、関節の曲がりが悪くなる)膝の曲げ伸ばしで泣くほど痛いってどんだけコンドロイチンが不足してる年寄りやねん…一応、アラフィフやで?…飲んでみようかしら…(´;ω;`)ウゥゥ軟骨を破損するような骨折(のヒビ)だった為に、
MiniQStarship🛸【WhydidRothschildhavesomuchpower?】IntheBattleofWaterloo,RothschildsoldhisgovernmentbondsbytellingliesthatBritainlosttoFranceledbyNapoleon,andcausedthe…t.meワーテルローの戦いで、ロスチャイルドは「イギリスはナポレオン率いるフ
抜粋・引用させていただいてます。元気になられているようで、うれしいです!感謝のソウルヒーラーさん「まずは前回のブログから多くの皆様から励ましのメッセージを頂き感動ともに感謝をしています!本当にブログをやっていて良かったと心から思っていますし、最後まで続けます!本当に皆さん、ありがとうございました!」「今日フィル氏とSGANON氏がある程度同じタイミングで今日話すはずだったインテルを中止にする様にとインテルを出している関係者から命令されました!その為何か大きな出来事が今週中にもある可
おい!とり!!おまえの意見は正しいぞ!!肯定ナポレオンおい!あいつ外線使ってるぞ!?外線もんだな!お~い!!おまえココで負けるぞ!?わ~ってるろぉ!!ワーテルローまた明日人気ブログランキングへお仕事のご依頼はこちらから
🌃訪問ありがとうございますベルギーの中部のワーテルローという町の近くで「ワーテルローの闘い」を再現した記事です。。「ワーテルローの戦い」を再現ワーテルローの戦いは1815年6月18日にナポレオンが率いていたフランス軍とイギリスやプロセインなどの連合軍がぶつかり合った一連の戦争の最後の戦いで、敗北したナポレオンは皇帝から退き、流刑された大西洋のセントへレナ島で亡くなった。ワーテルローの戦いの後、ヨーロッパの国々では、民衆が自由と平等を求めて多くの革命が起きるようになった。
今日はいきなりナポレオンの話?興味な~い、とおっしゃらずちょっと読んでいってよ~。1815年6月22日、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオン1世がセントヘレナに流されフランス皇帝を退位。いわゆる百日天下が終了した日、なんですって。日本人にもなじみのあるナポレオン。1804年にナポレオン1世として即位し皇帝となり、その後セントヘレナに流されるまで、その間なんと11年四柱推命やってると「運気の波の変わり目か?」なんて思ってしまいますそれだけの短い治世だった
バイロンは1816年の5月(ナポレオンが英国とプロイセンの連合軍に敗れた翌年)にワーテルローを訪れ、ナポレオンの没落に対する心境を「貴公子ハロルドの!巡礼」第三巻の中で表しました。バイロンについてはこちらをご覧ください。ジョージ・ゴードン・バイロン-Wikipediaja.wikipedia.orgここでは第三巻のうち、17、18、19、20.連を鑑賞し、ワーテルローを訪れた時のバイロンの心境を見てみたいと思います。CANTOTHETHIRD