ブログ記事26件
朝ごはん:ゴーダチーズとハムのサンドイッチ、アボカド・トマト・卵パンク好きな人に多い、ファッションパンク。それはそれで良いと思ってるけど・・・セックスピストルズはニューヨークを真似した・・・プロデューサーやデザイナーの作品だかんね。ニューヨークのパンクスは、裸や破いたんじゃなく擦り切れたデニムでおしゃれではないから・・・お気に召さないかもだが・・・《ライブの予定》カッパプレゼンツRocky+Nasty+Sister=JapanTour(@
今回紹介するCDは「TALKINGHEADS:77/TALKINGHEADSサイコ・キラー’77/トーキング・ヘッズ」(1977年)です。トーキング・ヘッズは1970年代後半に起きたパンクブームに出てきて、その中でもロンドン・パンクとニューヨーク・パンクという潮流の中で…という話は、彼らを語るうえで必ず出てくる話だと思う。なので、そんなにムキになって詳細を描くこともないと思うが、多少は書かないとこのアルバムの紹介ブログにもならない…。今回のこの
ザ・ジャムの最高傑作と謳われるサードアルバム。一切ギミックの無い直球一本だったセカンド迄のサウンドからアコースティックなサウンドも取り入れた意欲作。アコギを効果的に使って緩急つけた楽曲の「フライ」や、ポール・ウェラー初の弾き語りとなる「イングリッシュ・ローズ」が目を引く。「イングリッシュ・ローズ」でのウェラーはまるでフォークシンガー宜しく港のある浜辺で美しいアルペジオを弾きながら歌っている様な演出がなされていて、この時から既に後のスタカンに繋がるウェラーの幅広い音楽性の一端を垣間見る事が出
「メタラーにはパンクは理解できない!」独断と偏見に満ちた台詞を面と向かって言われたのは、高卒で上京してまだ18にもなっていなかった時だと記憶している(誕生日が3月末頃)。同じく高卒上京組のタメで予備校生の男子がバイト先にいて、彼はパンクスでギタリストだった。パンクスと言っても洋楽を聴き始めてからは年数が浅いらしく、ピストルズとクラッシュを聴いてる他はラフィン·ノーズやスターリンといった邦楽が挙げられたくらいだったので、パンクの知識は僕と大して変わらないレベルだった。そんな奴に何様?な目線
パンクからロックを聞き出した人間からするとジョニー・サンダースは最も好きなギタリストの一人。パンク・ナンバーで頻繁に使われるブリッジミュートを効かせたパワーコードの地鳴りするサウンドが無条件に好きなのだ。あと滅多やたらのピックスクラッチとチョーキング(笑)それだけで単純にカッコいいと思えて来るからまあ、僕の音楽的嗜好はそういう事なんだと思う。ジョニー・サンダースのファースト・ソロアルバムが大好きだ。というかジョニーのアルバム全てが好きなのだが。このファーストソロは意外な事に全曲ゴリゴリの
1970年代半ばの初期ロンドン・パンクの雄として衝撃のデビューを飾った「セックス・ピストルズ」。当時、中学生だったボクの耳には実に刺激的で斬新で、あっという間にパンクやニューウェーヴ系の音楽に惹かれました。なかでも「セックス・ピストルズ」は奇抜なファッション、単純でノリの良いロックンロール。反体制的で攻撃的な歌詞やスキャンダラスな言動など、これはとてつもない音楽が出てきたものだとワクワクしたものです。思想や主義的には共感しない部分も多かったのですが、もともとロックという音楽が持って
1977〜1978年は、忙しかったはずだ。おそらくこの年の1年間で、私の脳細胞は3割くらいは生まれ変わったと思われる。やれやれだ・・・いつかやりたいなぁと思っていたのだが、パンク期(1977〜78年)にデビューしたバンドやリリースされたアルバムで、その後、あまり触れられないサウンドがけっこうあります。今日は、そんなサウンドをアルバム紹介という原則でメモってみたい。ピストルズとかラモーンズみたいな超メジャーなものではなく、なんとなく、あまりこのバンドについて語られないよなぁと感じる
今日は2月10日=ニートということでTheDamnedの『NeatNeatNeat』を説明不要の元祖パンク、ピストルズ・クラッシュと共にダムドはロンドン三大パンクのひとつとされています。ブリブリベースがかっこいいね。TheDamned-DamnedDamnedDamned(1977)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com【ダムドを聴け!】三大パンクで最もマイナーで最もパンクなバンド・ダムド名前は
ザ・ダムド-学校をサボってダムドを見よう(Demon,1992)ザ・ダムドTheDamned-学校をサボってダムドを見ようSkipOffSchoolToSeeTheDamned(TheStiffSinglesA's&B's)(Demon,1992)CompiledReleasedbyDemonRecordsVEXCD12(CD),1992OriginalSinglesReleasedbyStiffRecords1976-
TheShangri-Las-ICanNeverGoHomeAnymoreIsSheReallyGoingOutwithHim?TheShangri-Las-LeaderOfThePackTheDamned-NewRoseWhenIsayI’minlove,YoubestbelieveI’minlove,L-U-VTheShangri-Las-GiveHimAGreatB
ジョニー・サンダースの圧倒的名作「ソー・アローン」の国内盤レコードが発売される事は決して無かった。82年に初めてサンダースのレコードが国内でリリースされてから、過去のレコードも発売される様になったのに、何故かこの名盤だけは発売カタログのスケジュールから永久に外されてしまった。だがこのサンダース一世一代の傑作は楽曲も過去の使い回しが多数あるものの、このアルバムとハートブレイカーズのファーストを聴けば、ジョニー・サンダースが如何にセックス・ピストルズに、ロンドン・パンクにサウンド面で多大な影響を
学生時代ロンドン・パンクにドップリ漬かっていた僕は、特にお気に入りだったバンドがピストルズとザ・クラッシュとザ・ジャムだった。この怒れる若者代表の三つのバンドには本当に心酔していた。特にピストルズのジョニー・ロットン(その頃は既にPILのジョン・ライドンだったが)とザ・クラッシュのジョー・ストラマー、それからザ・ジャムのポール・ウェラーの音楽や発言それにルックスに至るまで強く影響を受けた。あの頃既にジョン・ライドンとジョー・ストラマーはカリスマ的存在で憧れの対象だったけど、ポール・ウェラーの
先々週『THEDAMNED』が来日した話を書こうと思っていたら、もう2週間も経ってたはやっ!こわっ!!検索で来られたダムドファンの方、すみません!!私はライヴにも行っていないし浅い話しかないので、そっ閉じしてください。私「ダムド来日しとったみたい」夫「うそ?!行きたかった」私「東名阪(実際は横名阪)やけどね。やっぱ大阪止まりやなぁ。ヴォーカル・ギター・ドラムはオリジナルメンバーらしい」夫「ほとんどやん!どうせ禿とるやろ」(←ほんと酷い言いぐさ)私「知らん、帽子
1982年、ポール・ウェラーはザ・ジャムを捨てた。ポール・ウェラーの音楽的興味がストレートなロックンロールから、よりソウルフルなものへと変わっていき、そんな音楽をザ・ジャムというバンドでやる事への限界を「ザ・ギフト」で感じたからに違いない。それであっさり当時英国で人気絶頂だったザ・ジャムを解散するとアナウンスして、ファンへの最後のプレゼントとしてリリースされたのがラストシングルの「ビート・サレンダー」とライブアルバム「ディグ・ザ・ニューブリード」。ラストシングルは何故か日本でのリリースが見送
また何十回目かのジョーの命日がやって来る。あの日僕は何をしていたのだろう。あの年の冬は寒かったのだろうか、今ではすっかり忘れてしまった。ただハッキリ覚えている事はスプリングスティーンと並んで、僕の10代の頃から20代前半迄の精神的支柱だったジョーの死はやはりショックだった。だけど僕がロンドン・パンクとクラッシュにのめり込んでいた10代と、クラッシュが解散して、数枚のソロアルバムをリリースしていた、あの頃のジョーに対する熱情には明らかに違いがあったのも事実だ。それでも僕にとってのジョー・
高校1年でパンクの洗礼を受けた。ロンドンパンク・ニューヨークパンクに酔いしれた。20代半ばになって視線はカリフォルニアに向かった。カリフォルニアパンク・ミクスチャーロックにハマった。その延長線上でヒップホップにもかなり影響を受けた。特にスヌープ・ドッグにはしびれまくった。彼のファーストアルバム「Doggystyle」は僕にとって今でもヒップホップのアルバムナンバーワンだ。1950~60年代のアメリカは豊かさの象徴だった。その後ベトナム戦争があったり東西冷戦があったり
はいっ!葬です(^^ゞ本日も「Johnny(ジョニー)祭り」絶賛開催中となりますが...実は今日は朝から病院に赴き、先日の「無痛性心筋虚血」の術後検診と今月末に再度入院・手術(冠動脈のカテーテル手術…)のスケジュール決め+栄養士さんとの食事指導で1日病院だったので、1曲だけのご案内となります(^^ゞそしてご案内するのは、アーティスト名の「Johnny」からで...『JohnnyThunders』の『DeadOrAlive』です(^_-)『JohnnyThunders』は、ニ
Facebookでベキボンデージが出て来た。vicesquadなので聴こう、観よう、と思い音楽の部屋探した。断捨離しちゃったのかな?CD3枚とDVD1枚しか見つからなかった。久しぶりにdvd観たけどやっぱりイギリス🇬🇧punkだね。トロージャン(モヒカンの高いやつ)がウジャウジャ(笑)1979年から今現在も活動中。ガールスクールなんかとも一緒にやったりしてる。来日したら店休んでも行くよ🇬🇧
ジョニー・サンダースのラストスタジオアルバムを聴いてる。最も好きなギタリストの一人であるジョニー・サンダースのアルバムは全部好きなのだが、このラストスタジオ盤はとりわけ思い入れがあるのだ。それまでジョニーのアルバムはすべて輸入盤で揃えていた。もっとも当時はジョニーの国内盤は発売されていなかったのでしかたがないのだが、鮎川誠さんが言っていた輸入盤屋にひっそりとあるジョニー・サンダースのレコードという美学。つまり決してメジャー展開出来るようなアーティストではないし、この手のロックを好む好きものが
◆本日の神戸は穏やかな秋の月曜日でした。朝夕はかなり冷え込んで来たので、遅ればせながら、我が家も衣替え~♬59歳西川てつやも遂に明日から50代ラストマンスに突入(笑)!さて、僕のブログでは僕西川てつやが青春時代から、聴いてきた音楽、ロックの衝動的な感動!当時の社会状況や、本当に売れていたバンドや曲、僕が大好きだったバンド、シンガー、当時のバンドの評価や人気などなど、全くの当時の僕目線で、個人的な青春の記憶ノートとして、出来るだけ事実に基づ
随分前の話題ですが、書きかけだった記事を。コロナ禍で映画館へ出向いて映画を観る事もままならなかったこれまで。5月に1年以上ぶりに観たのは「ノマドランド」今はアニメや邦画は多いけど洋画自体の上映も少ないな。やはり撮影ができないとかコロナの影響はあったんだろう。6月に妹が手術・入院して手伝いに行ってた際妹の子供達を送り出したフリータイムに観たかったヤツ観て来た!時間の関係で吹き替え版だったけど私は断然字幕派で
逝っちまってだいぶ経つ死んでも叫んでやがるイカれてるでも最高にイカしてるよ親父は銀行強盗だったそう世界一の強盗だった
ザッツ・エンターテイメントザ・ジャムはポール・ウェラーが18歳の1977年にデビューし、パンクバンドの中でも最初の頃にレコードが発売されていていた。同時期の他のパンクバンドよりも疾走感があり、ブラックミュージックの影響を受けている感じを音楽的に生かしていて、青臭くて生意気な感じのするところが特徴だったと思う。最初のアルバムのタイトル曲でもある“イン・ザ・シティは、生意気な若者がイキっているみたいな歌詞がとてもいい。この街には、お前らに言ってやりたいことが何千もあるんだ
ダムドの「WaitfortheBlackout:ウェイト・フォー・ザ・ブラックアウト」で、アルバムは80年『TheBlackAlbum:ブラック・アルバム』ですね。メタリカばかりでなく、正式名でブラック・アルバムはダムドがだしていました。小生は80年でなく、のちに金持ちロック友に輸入盤を借りたようなと裏覚えですが。パンクは70年代末から変遷・変化するのですが、セックス・ピストルズのジョン・ライドンが先行して78年PIL、前衛パンク?なのと、いきなりファン置いてけぼり(笑)
昨日サウナから帰ってテレビを見ていたら、いきなりジョニーサンダースが画面に映ってびっくりした。くっきーがリスペクトしているらしく、ジョニサンが愛用していたギブソンのレスポールジュニアと同じものを買うというものだった。あんなパンクのヒーローが日曜のゴールデンタイムに映るなんて、ファンからしてみればたまげた瞬間だったろう。さてこのジョニーサンダース。日本でも熱狂的な信者が多い。あの歌もヘロヘロ、音程も合って無いしギターもリズムに合ってないことしばしば。でもこれがロックンロールだ
'70年代の英国にはTVチャンネルが3つしか無く、どの家庭も大所帯で子供達は溢れ返り、居場所を持て余した子供達は、焦燥感に駆られてストリートへ繰り出し、そこで育まれて行ったパンクカルチャー好奇心旺盛な若者達にとって、時間を持て余す事は何よりも耐え難い事だったのでしょうしかし今では少子化が進み、子供達は大切に保護され、ネットサーフフィンを繰り返しているンだとか。まぁ、これは英国に限らず、日本の子供達だってそうですよネ~今回英国パンクカルチャー40周年を記念するロンドンの企
妄想アニメメタル美少女戦士BABYMETAL第5話アイドルバンギャ―(後編)(ロックの聖地ロンドンはクラブ・マーキーのバー。SU-はコーラ、YUIはトマトジュース、MOAはミルクを飲んでいる。)KOBA:すごかったな、ワイト島。1970年の第3回は60万人を集めた野外ロックコンサートだった。だが、それまで野外コンサートは無料だったのに、入場料をとったので、Love&Peaceの幻想が崩れ、ロックが金儲けの手段になったと言われた。YUI:ジミヘン、すごかったあ。あの、頭の後ろでギ