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細川家の家臣に「朝山」と云う家がある。史料によると浅山とするものもあるが、これは間違いである。何といっても家中で名を知られるのは、2代目の浅山次郎左衛門であろう。2,800石余の扶持をいただく小姓頭であった。その次郎左衛門が、寛文9年10月7日、藩主綱利の陽明学徒の追放処分を受けた。肥後を離れ洛西嵯峨に隠棲した。次郎左衛門の子・斎之助景隆に相続が認められ、大幅に禄を削られて150石にて明治に至っている。この浅山家は藤原不比等の孫の真楯のを祖とする出雲浅山氏の後胤である。織田信長の面前で
9月26日の独演会で口演する予定の二つの物語のうち、第二話では、信長と宣教師の間に立った、一人の琵琶法師について語るつもりでいる。安土桃山時代にスペイン・ポルトガル等から来日した宣教師たちには、日本人と渡り合ってゆくために欠かせない要素がいくつかあった。一つは言うまでもなく日本語の能力だが、ただ日本語が話せればよいというものでもない。「物語る力」が求められた。なぜなら彼らの主たる目的である、聖書の内容を伝えるという行為は、キリスト教世界の一大叙事詩を物語ることに他ならなかっ
【問題】日本人修道士として知られるロレンソ了斎は、元はどのような職業に就いていたか?【選択肢】鉄砲鍛冶絵師大工琵琶法師【正解】琵琶法師【解説】ロレンソ了斎は肥前国平戸出身で、生まれつき目が不自由であったという。幼少期に預けられた寺で琵琶の奏法を学び、キリスト教に出会うまでは琵琶法師として生計を立てていた。
※「ロレンソ了斎と諸田賢順」(髙田重孝・著)を見ていきましょう。●賢順の豊後・府内在住1555年6月~1569年の14年間。1556年5月~11月までの5か月間、明国の使節・鄭舜功(テイシュンコウ)の随員として、臼杵に滞在していた楽士・鄭家定(テイカテイ)から、明の音楽・筝の音律・記譜法・筝の製作法等の教えを受け、修得していきました。●鄭家定の帰国後、
「私(パウロ)が、世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が、私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主(ぬし)である主イエス・キリストが、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、誰にでも、授けてくださるのです。」(テモテへの手紙第二4章6~8節)
「本能寺の変」(柳柊二・画)●織田信長の夢も、幻の如く消え去り、戦乱の世は、豊臣秀吉が全国支配へと、強引に推し進めていきました。権力を掌握するまでの秀吉は、なかなか魅力的なのですが・・・・(1585年までは、羽柴秀吉。1585年に、関白太政大臣になって豊臣秀吉。1591年に、太閤に。)(柳柊二・画)完成した
●1569年の初めに、ロレンソ(43歳)は、再び五畿内に戻って、フロイス神父の働きを助けていきました。世は、織田信長が次第に、五畿内の政治支配の力を確立していっている時期でした。※二条城の工事を見守っていた信長との最初の謁見の時フロイス神父の通訳として話をしていたロレンソは、いつものように、ユーモアをもって遠慮なく、自らの考えで話していきました。「信長は、『なぜ、おぬしらの宗教の家がミヤコに一軒もないのか。』と
※「ロレンソ了斎と諸田賢順」(髙田重孝・著)を見ていきましょう。●1559年から64年にかけての5年間、ロレンソ修道士は、ヴィレラ神父と共に、ミヤコ地方で宣教の働きに従事し、結城山城守忠正や清原外記枝賢、髙山飛騨守・右近、河内キリシタン達の入信に貢献していきましたが、ロレンソは、五畿内の地域での教会の基礎を据えたと言える、大切な働きをした人でした。1565年に、ルイス・フロイス神父が、ヴィレラ神父
●大和を治める松永久秀(弾正・霜台)のもとにあって、大和・沢城を託されていたのが、髙山飛騨守(右近の父)でした。主君の松永久秀は、熱心な法華宗徒でしたが、家臣の髙山飛騨守も同様でした。飛騨守は、同じ松永久秀に仕える・あれほどの学識のある結城山城守、そして、清原枝賢までもが、キリスト教の話を聞き、信じて、洗礼を受けたことを知り、これは重大な出来事であり、キリスト教には、何か重要なことがあると感じました。●丁度、二人
広島原爆投下75年今日六日高槻同じ猛暑なり●1563年のことですが、三好長慶の家臣であった松永霜台(久秀)は、多聞城を築き、大和の国の支配を託されていました。彼の側近で、学問・剣術・文筆などで際立った才能をもっていた結城山城守忠正の所に、都の仏僧たちから、「殿(結城山城守)は、いとも著名な学者であり、大いなる学識の主(ぬし)であられるから、殿
●ザビエルの大志を受け継いで、京の都で宣教し、教会を建てていくために、1559年、ヴィレラ神父・ロレンソ・ダミアンの3人が遣わされました。「私(ヴィレラ神父)は、ロレンソと称する日本生まれの修道士を同伴しますが、それは、議論や談話を行う際の通訳にするためであり、その他、主への奉仕となる事柄のために用いるためです。というのも、私は、聞いて日本語を理解しますが、結局は、私の母国語ではないし、彼(ロレンソ)にとっては、生来の言葉だか
何ともかれんな、今朝(7/30)の、“若紫”たち。いくつ咲いているのかな?若紫1若紫2若紫3若紫4若紫5若紫6若紫7若紫8(別の所に)若紫9若紫10若紫11若紫1212輪も咲いてくれたのでした!“浮舟”は、昨夜の雨のため、せっかく咲いた花に勢いがなく、あまりにあわれで、早めに摘んで、鉢に活けました。ま近に見ると、更に美しい!※
今朝(7/29)も、「あさがお」(銘若紫)が、美しく咲いてくれました!●ロレンソ了斎は、目がほとんど見えませんでしたから、読み書きは出来ませんでした。今のように、点字があるわけではありません。今の私たちは、大事なことはメモしておいて、あとから見直したり、他の人が書いた書物を読んで、知識を増やしていっています。ということは、メモや書物が無くなってしまえば、私たちの内に定着
雨に打たれもののあはれや白芙蓉上に同じとあさがおの君「大白芙蓉」(銘浮舟)直径25cm※「ロレンソ了斎と諸田賢順」(髙田重孝・著)を見ていきましょう。●1549年8月15日、日本にキリスト教を伝えるためにやって来たのは、フランシスコ・ザビエル神父、コスメ・トーレス神父、ジョアン・フェルナンデス修道士の3人でした
日本人に寄り添う福音宣教の扉(39)ある宣教師家族に寄り添って広田信也クリスチャントゥデイ奈良県の山間に宇陀市という所がある。日本古代史の舞台でもあるこの地に、日本のキリスト教史にとって重要な役割を果たした高山右近が生まれた沢城という山城がかつて存在した。キリスト教に改宗した右近の父、高山友照は1564年、名説教者として知られるロレンソ了斎(琵琶法師)を沢城に招いて、一族、家臣らに聖書...歴史チップス第145号大島味源為朝の最期Googlehttp://www.geoci
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