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1985年8月に富士スピードウェイ(FISCO)で開催されたRRC富士チャンピオンズF2。夏休みということもあって決勝前の木曜日に、友人と彼の愛車スプリンター・トレノ86で裏道通って観に行った。良く走る車でのドライブは楽しく、自衛隊演習場の中を通る道では一面にススキが青々と茂っていて爽快だった。「バイクで来ても良かったね」と話していた(友人がヤマハRZ250、ドルフィンがホンダMVX250に乗っていた)。パドックまで車で行けるので木曜日を選んだのだった。高橋国光選手/ADVANマ
1990年F1日本GPは、上位陣の脱落もあって応援していたベネトンがワンツーフィニッシュを遂げた。モーター誌主催の前夜祭でのベネトン応援を行ったことで決勝チケットを入手でき、最終コーナー指定席で観戦する事ができただけに一層嬉しかった。決勝では後ろの席の方に配慮しつつベネトン応援旗を振っていた。優勝:ネルソン・ピケ選手/ベネトンB190/フォードHB’80年代F1ターボ時代の寵児。ウイリアムズ/ホンダでもチャンピオンを獲得したグレートな選手。-が、至近距離で素顔を見た事はない。
第2回目のロベルトさんの話1回目とはガラ!と話の内容が変わってきました。何が違ったのか、それはサッカー監督としてのロベルトさんを見れたこと普通の監督からは聞くことの出来ない話を聞くことができました。今回のTOPIKは大きく分けて、2つ1つ目は・・・個人の技術これは家で出来ることで、インビジブトレーニングとです。インビジブルトレーニングとは、ピッチ外でのトレーニングのことを指します。例えば、休息をとる、睡眠をとる、いい栄養をとるといったことです。この中で1番大切なのはいい栄養
1984年の全日本F2最終戦・JAF-GPに欧F2チャンピオン・チームのラルト/ホンダが’83年に引き続きスポット参戦した。前の年に練習走行を観にってマイク・サックウェル選手に会えた事から、再び練習走行を観に行くことにした。JAF-GPは通常よりチケット代金が高くなるので練習日に行くのだ。秋はWECJAPAN観戦のために資金不足なのだ。2017年の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンにロベルト・モレノ氏がゲスト来場した際、↑この写真にサインを頂こうとしたところ「懐かしい」と、モレノ氏が所
1990年の日本GPで自信唯一のF1表彰台を獲得したロベルト・モレノ。その彼には、もうひとつ忘れられないグランプリがあるという。1990年の日本GPでアレッサンドロ・ナニーニの代役としてベネトンB190を駆り、2位表彰台を獲得したロベルト・モレノ。彼はそのレースの活躍が認められ、そのレース以降も引き続きベネトンのドライバーを務めた。【RobertoMoreno,BenettonB191Ford】しかし翌1991年、シーズン途中でチームがミハエル・シューマッハーと契約し
1990年の日本GPで歓喜の2位表彰台を得たロベルト・モレノ。この好結果は、多くの”友人たち”の支持がある、実現したモノだった。今年の11月18〜19日に鈴鹿サーキットで行われた「RICHARDMILLESUZUKASoundofEngine2017」に、特別ゲストとして来場したロベルト・モレノ。約30年前のことにもかかわらず、代役参戦としてベネトンの一員として臨んだ1990年のF1日本GPの様子を、こと細かく振り返った。ユーロブルンを離れ、急きょベネトンから日本GP
SUZUKASoundofENGINEにゲストとして来場したロベルト・モレノに、現役時代の話を訊いた。今年の11月18〜19日に鈴鹿サーキットで行われた「RICHARDMILLESUZUKASoundofEngine2017」に、特別ゲストとして元F1ドライバーのロベルト・モレノが来場した。ロベルト・モレノといえば、多くの日本のファンが1990年のF1日本GPでの活躍を思い出すだろう。ヘリコプター事故で重傷を追ったアレッサンドロ・ナニーニに代わってベネトンから参戦
「鈴鹿サウンド・オブ・エンジン」今年のゲストは元F1ドライバーのロベルト・モレノ氏だ。なぜモレノ氏に白羽の矢が立った良く分からない。’90年F1日本GPで2位表彰台に立ったのは有名。F2時代にもヨーロッパで無敵だったカシオ・ラルト/ホンダのドライバーとして'84年全日本F2最終戦JAF-GPに招聘された。翌’85年にはヨコハマから全日本F2にも参戦したので、日本に馴染みがあると言えばある。鈴鹿のイベントで久しぶりに来日するドライバーやライダーは皆、歳を取っていて(当たり前だ
ドルフィンの中では鈴鹿8耐と並ぶシーズン最大のモーターイベント、鈴鹿SoundofENGINE2017の開催となった。「料金が高い」とか「ゲスト少ない」とか思いつつも楽しみで楽しみで金曜日の晩は2時間ほどしか寝られなかった。遠足前の小学生よりもタチが悪い。天気予報に全く狂いはなく、土曜日は雨。昨年も土曜日は雨だったので、この時期の開催は良くないのでは?初回の5月に戻してもらいたいが、5月にはスーパーGTが開催されるので無理だろう。まだ暗いうちから雨の中、車を走ら
1990年の日本GPで2位表彰台を獲得したロベルト・モレノが、鈴鹿サウンド・オブ・エンジンに来場。その感想を語った。鈴鹿サーキットで行われている「SUZUKASoundofENGINE2017」に特別ゲストとして来場している元F1ドライバーのロベルト・モレノは、久しぶりの鈴鹿サーキットと、再会できた多くのファンに感激している様子だった。1987年にF1デビューし、1990年の日本GPには事故による負傷で欠場を余儀なくされたアレッサンドロ・ナニー二の代役としてベネトンから参
苦しかった1年目をどうにか乗り切ったMALMOチーム、飛躍を期しての2シーズン目。・・・しかし。現実は厳しい。スポンサーは前年と同じTomcat社のみ。銀行からの多額な借入金頼りの資金繰り。エンジンはフォワードED5。昨年のハードV8から1ランクだけアップ。ホントはV10が欲しかったが・・・。昨年の反省を生かし、中速型ボディに6速ミッションとコンサバなチョイス。タイヤはBSからGYにスイッチ。ちょっとだけお高いが、とにかくスピードアップを図りたく。ちなみにカラーリングは去年と同じ赤を基調