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昨日はトークイベント『お祝いムード2023〜3月号〜』でした。ゲストは最近ドラマのブラッシュアップライフにも出演されている、元ツィンテルの勢登健雄さん!でしたが、飛び入りでムロツヨシさんが来てくれました。見事にかすみました、勢登さん。そして勝手ながら、そのかすみ方が勢登さんの持ち味だなとも思いました。存分に発揮してたなー。またゲストで来て頂きたいです。勢登さんもムロさんもありがとうございました!
どうもー、三つ編み、したことないです。そうです、LLR伊藤です。今日は、「LLR伊藤と椿鬼奴のやっぱし猫が好き!〜配信版〜」でした〜。目の前にお客さんがいなかったのは寂しかったですけど、猫の可愛さは変わらなかったですね〜。今回も世界一平和なライブでした!見てくださったみなさん、ありがとうございました!みなさんが送ってくれた猫の写真、すごい良かったー!リアルタイムで見逃したって方も、1週間アーカイブ残ってますので、また見れるチャンスございます!ぜひ癒されてください!配信でもいいのでまたや
どうもー、メガネって、気付いたらすごい汚れてますよね。そうです、LLR伊藤です。明日はいよいよ、『LLR伊藤と椿鬼奴のやっぱし猫が好き!~配信版~』の日ですよ〜。今回は無観客で配信のみとはいえ、久しぶりの開催なのでとてもたのしみです!このライブは、猫好きが集まって自分が飼っている猫や人が飼っている猫の写真を見て、ひたすらかわいいって言うだけの、とても平和なライブです。いつものように、見てるお客さんからも写真を募集してみんなで見ていきたいと思いますので、リアルタイムで参加される方はかわいい猫
先日、久々に軍団で集まりました。すっかり自然消滅したのかと思ってた。。改めて軍団の団員を紹介しておきます。・イヌコネクション戸川・ハナコ秋山・アントワネット小澤・チュランペットとしぱんち・3時のヒロインゆめっち・インデペンデンスデイ久保田・ジャイアントジャイアンかーしゃ・錦鯉まさのりさん(いや多いな!!他事務所四人もいて、一人先輩でおじさんじゃねえか!!事務所の後輩ほぼメガネかけてて、一人キングオブコント優勝者いるじゃねえかよ!!)今回の集まりには小澤とまさのりさんは
ロビンソンズライブvol.13「3940」にご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。結果たくさんのお客様に足を運んでいただき、大盛況でございました。たくさんの後輩やスタッフさん、マネージャーもありがとうございました。素敵なフライヤー、グッズをデザインしてくれためぐみさんもありがとうございました。また何か一緒に出来れば。そしてネタ中、客席にいる自分の娘が笑ってるか、チラチラ見てて全然集中してない相方もお疲れ様でした。今回は40歳になって初めての単独ライブだったので、ちょっ
ネタを書いててふと、「死ぬ時誰にいて欲しいか?」と考えていた。別に暗いネタを書いてるわけじゃない。自分が死にそうな時に、泣いてくれる人がいいか。笑わせてくれる人がいいか。思い出話を話してくれる人がいいか。何も言わず手を握ってくれる人がいいか。「頑張って」と声をかけてくれる人がいいか。僕の理想は、いつもと変わらない調子で、「先に行ってて。すぐにあとから行くから。」と、まるで外にご飯でも食べに行く感じで、送り出してくれる人がいいなと、ふと思った。死ぬ事が少し怖くなくなるし、
3日過ぎてしまいましたが、4月8日誕生日でした。皆さんたくさんのおめでとうありがとうございました。うかうかふらふらしてられない歳になりましたが、まあこれからも自由奔放にやりたいと思います。39歳最後の仕事は「サンシャイン坂田に新ネタ5本あげるライブ」でした。いいライブだったんじゃないでしょうかね。今年はサンシャインと絡む事がとても多くて、嬉し楽しです。前から思っていたんですが、もし僕が芸人をやってなくて、でもお笑いを見に行く人だったとしたら、多分サンシャインを応援してるんじゃないかと思
さあ、5月25日単独ライブとなりました。今年初、ロビンソンズとしては13回目の単独ライブです。単独の時には、僕はもう40歳なんですね〜(ウケる)相方はまだ39歳ですがね(ほぼ40だからウケる)だからタイトルを『3940』にしました。39歳と40歳がやる単独ライブ。読み方は『サンキューヨンゼロ』で大丈夫です。今回の単独は、ネタ多め、で行ければなと思います。「いやいつも通りだったじゃねえか!」と言われるかもしれないので、具体的に何本やるとかはまだ言いません。久しぶりに物販も作ろう
書こうかどうしようか迷いましたが、一日経っても腹の虫が収まらないので書きます。途中で気分を害された方は読まなくていいです。昨日僕はライブでした。ある方がライブ会場に来て、他の出演者の方に僕を呼んでくれるよう頼みました。僕は楽屋にいて、下に降りると女性が一人いました。その人は僕に会うなり、「飼ってた猫が飼えなくなってしまったので、もらってくれませんか?」と、猫が入ってるであろう大きめのバッグを見せて来ました。めちゃめちゃ腹が立ちました。それと同時に、めちゃめちゃ悲しくなりました
うちの父は、よく映画を観て、よく小説を読み、よく音楽を聴く人だった。父がいいと言うものは、必ず観させられたし、読まされたし、聴かされた。小学生の子供に、「愛と青春の旅立ち」がわかるわけないし、司馬遼太郎の小説は難しすぎたし、ジャニスジョップリンは渋過ぎた。しかも映画に関しては、吹き替え禁止だった。どんな映画も字幕版で観なければいけなかったから、理解するまでに何回も観なければいけなかった。わからない漢字の読みはいちいち父に聞いて、その言葉の意味も聞いて、ちょっとずつ映画の内容を入れて行く
そう言えば、小河原さんの事について書いてなかった。僕がちゃんとお付き合いをした初めての人だ。「ちゃんとお付き合いをした」の定義は、「付き合ってください」「お願いします」のやり取りがあったかどうかだ。逆に「付き合ってください」「お願いします」はあったけど、それ以上は何もなかった。まあなんと言うか、恋人達がするあんな事やこんな事はしなかった、という事だ。この小河原さん、まあまあの不良だった。多分。そして、家庭がちょっと複雑だった。多分。付き合ってから、髪をバッサリ切った時があったのだ
僕には二つ上の姉がいる。昔から仲が良く、ケンカらしいケンカは一度もした事がない。かと言って、何でも言い合えるようなざっくばらんな仲でもない。姉は中学生の時生徒会長をやっていて、同じ中学に通う僕は会長の弟として扱われた。まあこれといって贔屓も優遇もされてないが、二個上の先輩から優しくしてもらえたぐらいだろうか。しっかり者の姉と、フラフラしてる弟、という具合だ。僕は16歳の時グレかけ、17歳になる前には落ち着いた。その約一年間、同じ家に住んでるにも関わらず、僕は姉と一言も喋らなかった。グレ
僕は子供の頃から、人の顔色を伺う子供だった。多分これは親の夫婦喧嘩が原因だと思う。父親の機嫌が悪くないか顔色を伺ってるうちに、とても空気を読む人間になってしまった。昔、父の田舎へ行った時、叔父さんからお年玉をもらった。その時僕は、「あ、いや、大丈夫です」と断ってしまった。たしか小2ぐらいの時だったと思う。今思えばめちゃくちゃ可愛くない子供だ。「わーい!ありがとう!」が正解なんだろう。芸人になってから、この空気を読むという気質が相当ネックになって来る。それがいい場面もあるが、大
「おいおい、こいつさらっと生い立ちブログやめてないか?」と思った方、安心してほしい。やめたのではなく、忘れていたのだ。年が明けて心機一転したせいか、去年の事など綺麗さっぱり記憶から消していた。なので乗りかかった船というか、中途半端でやめるのはよくないと思い、この生い立ちブログだけは完結を目指す。さて、どこから再開すればよいのか。中学生の時、ちょっと悪っぽい女子がいた。Kさんとしておこう。一年の時は同じクラスで仲が良かったが、二年になり別々のクラスになると休み時間ぐらいしか喋らなく
新宿バッシュ3本目のライブへ🏃💨「がっつり猫が好き」猫好きの芸人が猫の好きなところをトークするライブ(*^^*)いきなりですが出待ちの写真\(^o^)/かぎしっぽれおてぃいつもありがとうヽ(*´▽)ノ♪全編撮影🆗\(^o^)/【オープニングMC】ロビンソンズ北澤仁MCで一瞬猫ネタやるのかと思ってしまった(笑)猫好きの出演者が猫への愛情をアピール(^O^)勝又:猫の写真目の前で見れた(*^^*)可愛かったです(^-^)プラッチックニッタロビンソン可愛さの塊
いよいよ来週に迫って参りました、TBC(東京ブサイクコレクション)ですが、前売があと少しで打ち止めとなっております。この辺で、今回はどんな内容なのかをちょっと触れておこうかと。まずレギュラーメンバーですが、全員揃います。まあ過去一度も誰かが欠けた事はないのですが。目の保養ゲストには、ザ・ギースの高佐さんが来てくれます。皆さま、ブスを眺めすぎて目がシパシパしてきたら、ぜひ高佐さんで潤ってください。そしてブスゲストとして、いい塩梅の松村君が来てくれます。元・いい塩梅になりますね。次
ふと気づくと、ブログの更新を忘れている。一月入ってバタバタしていたので、そのおさらいとまとめを。まず、R-1ぐらんぷりがあった。毎年二回戦止まりだったのだが、ようやく、三回戦に行けた。たかが三回戦、と思うかもしれないが、毎度二回戦から三回戦への壁が高くて、「これ一生無理なんじゃないか?」とまで思っていた。だから純粋に嬉しく、しかも、かもめんたる槙尾さんのネタをお手伝いさせてもらってて、その槙尾さんも三回戦に一緒に行けたのは、自分にとってもいろんな収穫があった。来年は、もっと上に行
物語を、書き溜めている。どこに出すわけでもない物語を。前から猫の物語を書きたくて、猫の物語と言っても、猫の目線から見た人間の話だけれど、とにかく、ただただ書き溜めている。ここに載せるのは嫌だなと思い、、そんな事言うと、さぞ素晴らしい作品なのでしょう、と思うかもしれないが、駄文だからだ。書いてるうちに上達するかもしれないが、今のところ駄文以外の何物でもない。そもそも、物書きの才能がない。「そんなことないですよ!」とか、「ぜひ読みたいです!」という意見欲しさではなく、書いて
ついさっき、「こんなことあるんだ〜」という事が起きた。まだ詳しくは言わないが、とりあえずその日が過ぎたら言おうと思う。人生とは、何がきっかけで何が起きるかわからない。どれもこれも、多分無駄ではないのだ。どんな人との出会いも、すべて縁あって出会ったものなのだ。と、思った。なんかフワフワしたあやふやな文章だけど、純粋に感動してしまったのだ。話は変わって、この間ライブで、サンシャインの坂田君と洋服の話をした。どうやら坂田君とは好みが似ているようだ。そばで話を聞いてた真夜中クラシ
さあ大晦日。2018年もおしまい。皆さんはどんな一年だったのだろうか。僕はと言えば、あまりいい一年とは言えず、でもそれは仕事の事に関してのみで、こうして元気で大晦日を迎えているのだから、それはそれでいい一年だったと思いたい。ロビンソンズ的には、10点ぐらいな一年だったかなと。けれども、今年僕らを知ってくれて、ライブなどに来てくれる人も増え、すでに来なくなった人もいるが、それでも僕らを好きですと言ってくれる人が増えた事に、感謝でしかない。来年は、この人たちに少しでも恩返しが出来る
先日、事務所の後輩、生乾木くんこと、イヌコネクションはじめの結婚式&パーティーがありました。イヌコネクションは、ツッコミの戸川は北澤軍団でおなじみですが(北澤軍団??)、はじめはなぜか僕が異様に可愛がってる後輩です。ずっと面白いと芸人界隈(ワタナベのみ)で言われて来たヤツらですが、最近は調子が良さそうで、有田ジェネレーションズにレギュラーで出ていたりします。ぜひお見知り置きを。この二人のどこが面白いのか、ですが、それはもう、芸人らしい芸人、というか、クズ、というか、カス、という
16歳の時、海外に行こうとパスポートを取得した。初めてだった事もあり、パスポートの申請の仕方などまったくわからず、うちは家族が誰一人持っていなかったので、自分で調べるしかなかった。戸籍謄本や住民票、パスポート用の写真を撮って、申請は有楽町の交通会館へ、などなど、本当にめんどくさかった。ここで必要になる戸籍謄本だが、これには家族それぞれのいろんな事が記載されている。うちは父が長野県の人で、当時は本籍が長野のままだったので、戸籍謄本を送ってもらう事になった。一週間ぐらいして戸籍謄本が届き、
うちは両親が共働きで、母方の祖父母と同居していた事もあり、僕は人生において大事な事は祖父母から学んだ。というか、おばあちゃんから学んだ。おじいちゃんから学んだ事と言えば、「水戸黄門を見ている時、テレビのチャンネルを変えてはいけない」という事ぐらいだ。おばあちゃんは、奄美大島の出身で、若い頃女学校の先生をやっていた。その影響もあり、なかなか厳しい人であった。昔、姉が買い物を頼まれ、砂糖と塩を間違えて買って来た時、お尻を打たれてるのを見た事がある。それ以来、おばあちゃんは姉に買い物を
おっといけない、だいぶ生い立ちブログをさぼっていた。話は小学生一年生頃に遡る。当時うちの親は自営業をやっていて、父母共働きであった。ある日仕事から帰って来た二人は、いつものごとくケンカをしていた。「またか」と思っていたのだが、なんだか終わる気配がない。父は母に手を出し、母も負けじと言い返し、そのまま父は家を出て行ってしまった。「これはいつもより深刻だぞ」と布団の中で思っていたが、いつのまにか眠りについていた。次の日、母が僕に、「長野に行くから準備しなさい」と言ってきた。長
今日夢を見て、猫が事故にあったんですね。僕が走ってその猫のとこまで行き、抱き抱えて動物病院に走ると、「はあぁぁ、、寒い、、肌にくっつけて温めて、、」と猫に言われたんです。僕は猫をギュウッと自分に押し付けて、動物病院に走ってたんですが、猫が、「寝ちゃいそう、、なんか話しかけて、、」と言うんです。僕は、「お前あれだな!かわいいな!?」と話しかけました。すると猫は、「君は、、ずっとそう言ってくれるよね、、」と言ったんです。猫が話してるのを不思議だとは思わず、僕はひたすら走っ
再び時間は戻って子供の頃の話。うちはまあまあな貧乏であったため、誕生日やクリスマスなどのイベントでパーティーをやる風習がなかった。なので友達の誕生日パーティーやクリスマスパーティーにお呼ばれしてもらい、そこで家庭の温かさを感じていた。ある年の誕生日、何を思ったのか、「自分も誕生日パーティーをやりたい」と一度言い出した事がある。多分、自分は呼ばれるばっかりで一度も開催しないから、『こいつの家貧乏なんだろうな』と思われたくなかったのだろう。母は、「別にいいけど、何人来るかだけ教え
ちょっと話を戻して中二の頃。母が、子宮がんになった。子宮を全摘出することになったのだ。母はかなりショックを受けていた。母には妹がいて、僕にとっておばさんなのだが、僕はこのおばさんと仲が良かった。ある日おばさんと話をしてる時、「そりゃあショックよ。だって自分が女なのかよくわからなくなっちゃうんだもん。」と言われた。僕と姉は、とにかく母を支えなければと話し合った。さすがに与太郎の父も、この時ばかりは母が入院する病院へ行き、「家の事は心配しなくていい、とにかく体を大事にしろ」と言
芸人になって、初めて単独ライブというものをやった。トリオの時、あれは2011年だったか。2010年だったか。どちらかだ。今でこそコンビになってからもう11回も単独をやっているが、当時は初めての事でよくわかっていなかった。ただネタを何本かやる、という事と、ネタの間を何かでつなぐ、という事ぐらいだ。まず、ネタ作りに悩んだ。今ではだいぶ少なくなったが、なんか似たようなネタが何本も出来てしまった。バリエーションが少ない。これでは観に来た人が飽きるだろうと思った。そして、単独自体のテ
実家を出て芸人との共同生活を一年経て、僕は当時の彼女と一緒に住む事となった。この期間、トリオとして初の単独ライブや、それからの解散、そしてコンビになり、単独ライブを三回やった。4回目の単独ライブの直前で、たしか別れたような記憶が。それからの僕は、文字通り転々とした生活を送っていた。まず千歳船橋に住む後輩の家に居候させてもらい、一ヶ月ほど過ごした。それから駒澤大学に住む同期、シャンの家に居候させてもらい、ここでは4ヶ月という大変迷惑な期間いさせてもらった。ただシャンとの共同生活は楽し
時系列が前後するが、〇〇さんと別れた後、以前ブログに書いたあの四股の期間に入る。そしてその間に、僕は実家を出る事にした。芸人6人での共同生活だ。同じ事務所の芸人6人で一軒家で暮らし始めたのだが、まあ、これはいろいろ大変だった。結果一年で共同生活は終わりを迎え、それぞれバラバラに住む事となった。僕はこのシェアハウスにいる間に、四股をやめ、一人の女性と付き合う事となる。いろんな人と付き合って来たが、多分、この人が一番好きだったような気がする。今は違うだろうが。結婚してもいいとさえ思っ