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5月2日(土)に念願の東京ジャーミィに家族三人で行って参りました。我が家からは自転車で行ける距離なのですが、息子が帰省してきたので自転車が一台足りなくてバスで。運賃一律100円の渋谷コミュニティバス、通称ハチ公バスの「丘を越えてルート」を利用。古賀音楽記念館で下車、数百メートル歩くとモスクが目に入ってきます。1917年(大正6年)のロシア革命により、同国に居住していたイスラム教徒たちは迫害を避けるため海外へと避難しました。カザン州のトルコ人たちは中央アジアを経由して満州へ、
貨幣を廃止するためには、交換そのものを廃止しなければならないことを、マルクスは、貨幣の発生史として明らかにしたマルクスは、『資本論』第一巻第一篇第一章第三節「価値形態または交換価値」の最初に、これから明らかにすることを次のように提示する。「誰でも、他のことは何も知らなくても、諸商品がそれらの諸使用価値の種々雑多な自然的諸形態ときわめて著しい対照をなす一の共通な価値形態——貨幣形態——をもつということは、知っている。だが、ここで肝要なことは、ブルジョア経済学によっては嘗て試みられ
*4月12日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、ハルビンの杉原千畝のおはなし。🍟あんみつ「しらたま先生、大正八年(1919)七月、19歳の杉原千畝は外務省が募集した留学生の選抜試験に合格。英語はすでに習得しており、第二外国語としてスペイン語を希望していましたが、ロシア語を勉強することが条件だったんですね」しらたま
近藤は、大杉がなぜ野枝を選んだのか疑問だった。しかし〈同志〉としてそれなりに長く接した今では、ようやく分かってきた気がする。大杉は共に闘える異性の同志に、文字通りの〈伴侶〉として伊藤野枝を選び取ったのではなかったか。ロシア革命が起きたのが1917年、それから3年がたち、日本でもようやく社会主義同盟の創立準備が始まった。大正9年8月のことだ。上海で極東社会主義者の集まりを開くので日本からも参加するようにと誘いが来た。約束の10月、大杉は上海に渡った。参加してみると、会議はロシア主導で極東に共産主
子どもの頃に観て、なぜか心に残り続けている映画があります。僕がこの映画を初めて観たのは、中学生の頃、テレビの洋画劇場でした。前後編に分けて放送された吹き替え版。CMが入り、カットもされて完全版ではなかったのでしょうが、画面から流れてきた『ラーラのテーマ』に引き込まれるようにして、気がつけば物語の中に入り込んでいました。当時、そのすべてを理解していたわけではありません。けれど、雪の広がる風景や、言葉にならない感情の揺れだけが、強く心に残ったのです。そして後年、リバイバル上映で
昭和六年九月に起こった満州事変は、当時満州にいた関東軍の参謀板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、片倉衷(ただし)少佐などが、当時の本庄繁司令官(中将、後に大将、終戦後自決)を軟禁同様にしておいて、軍律違反を承知の上で、勝手に起こした事変といわれている。そうして中央及び朝鮮軍に援兵を求めた。中央も朝鮮派遣軍も、軍律違反は咎むべきであるが、いまそれを言っていると、日本軍は兵力過少のために全滅して、世界の物笑いになり、兵士は犠牲になる。そこで朝鮮軍司令官林銑十郎中将(後に大将)は、ともかく援兵を送り、事
「第一次安倍政権の時から、この構想はあった」これなーシギント(SIGINT、英語:signalsintelligence)とは、衛星通信、移動体通信、レーダー波などの電磁波、あるいは光ファイバーなどの有線電気通信回線を通じて送受信される信号を傍受・解析することによって行われる諜報・諜報活動のこと。現代の通信の多くは暗号化されているため、シギント活動では暗号解読やトラフィック解析などの高度な技術が併用されることが多い。(Wikipedia)ヒューミント(英:HUMINT、humani
今日は学校ではまず教えない、しかし日本人として知っておかねばならない出来事のご紹介です。それは、今から106年前の2~5月に起きたにこう尼港事件事件現場となったのは、アムール川河口にある都市・尼港(現・ロシア領ニコラエフスク・ナ・アムーレ)。中央・上が尼港の位置1917年、ロシア革命によって帝政が瓦解し、レーニンが政権を奪いました・・・が、各国はこの新政府を承認せず、実際ロシア国内は無政府状態でした。そんな状況の中、1920(大正
ヨーロッパおよび世界各国のプロレタリア党の同志たち!自然発生性への拝跪と現実感覚の欠如をうちやぶろう!アプローチの相違ヨーロッパおよび世界各国のプロレタリア党の同志たちのなかには、プロレタリア階級闘争は必然的に起こるものであって、プロレタリア党が創造するものではない、と考える人たちがいる。そして、これらの同志たちは、必然的に起こった階級闘争にたいして、プロレタリア党は的確な方針をだして、プロレタリア革命を実現するのだ、と考えるのである。だが、はたしてそうなのか。プ
若い労働者たちに、レーニンが指導して遂行した革命によってうちたてた革命ロシアを、スターリンがどのようにしてゆがめたのか、ということを、われわれは端的に語らなければならない。その決定的なものとして、われわれは、スターリンによる農業の強制的集団化をあばきださなければならない。スターリンは、農民から穀物をよりいっそう大量に強制的に徴収するために、農民がミールという農業共同体を基盤にしてつくっていた農民ソビエトをぶっこわし、官僚的に統制した集団農場であるコルホーズをつくりだしたのである。これが
レーニンは、資本主義の広範で急速な発展を望んでいたレーニンの苦闘について考察するためには、黒田自身が検討している『二つの戦術』、それのなかの次のような文章を検討しなければならない。レーニンは書いている。「マルクス主義者は、ロシア革命のブルジョア的性格を無条件に確信している。これはなにを意味するか?それは、ロシアにとって必要になっている、政治制度の民主主義的改革と社会=経済上の改革が、それ自体としては、資本主義をほりくずし、ブルジョアジーの支配をほりくずすことを意味しないばかりで
私:ロシア革命のころ、非常に穏健で慎重な考え方をしていたウィッテという人物がいまして、興味があります。AIさん:ウィッテに目を向けるあたり、視点が渋いですね。ロシア革命前夜の混沌の中で、彼ほど「穏健で慎重」という言葉が似合う人物もなかなかいません。---🧩セルゲイ・ウィッテとは何者かセルゲイ・ユリウス・ウィッテ(SergeiWitte,1849–1915)は、ロシア帝国の財政・経済近代化を主導した大改革者でありながら、政治的には極めて慎重で、急進も反動も避ける“中
ランクAの下~Bの上ノンキャリアのロシア語ソ連専門外交官宮川舩夫の歴史の転換点に立ち会った波乱の人生を描く。1890年(明治23年)、山形県に生まれ、東京外国語学校ロシア語科へ入学し、ロシア留学、ノンキャリアの外交官となる。日本の官僚制度は、キャリア試験合格のみがエリートとして出世できるシステムです。宮川はノンキャリアで外務省へ入り、高等文官試験(キャリア試験)を受験しようとするのが仕事ができ、優秀すぎて、上司等の命令で
26年1月30日金曜日曇り気温6度22時30分今日は週二回の一般ごみ回収日でおました毎度毎度、朝の5時半に起きてゴミ置き場の準備をして、至福の(^。^)y-〜~〜(´ー`)y-~~タバコ、、、ほんまに、、、止めたい(^▽^;)あああぁぁぁぁぁ、、、、、ということで(^▽^;)?!?衆議院選挙がスタートしてから、どうにも、こうにもいらいら、息苦しい、そんな毎日が続いているその原因は、ブログで、あからさまな、政党、候補者への批判、誹謗中傷をしては
ロシア革命の三つの概念(1939年)p.314〜315【解説】この論文はもともとトロツキーの最晩年の著作『スターリン』の補遺として書かれたものである。〔略〕ロシア語原文には小見出しはないが、英訳に付されている小見出しを参考にしつつ、独自に小見出しを入れておいた。p.315〜3171905年の革命は、1917年の「総稽古」となっただけでなく、ロシア政治思想のあらゆる基本的にグループが形成される実験室となり、その中でロシア・マルクス主義内部のあらゆる傾向と色合いが形づくられ、あるいは芽
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー十月革命とは何か――ロシア革命の擁護(1932年)十月革命の提起する問題p.221いかなる戦術的処方箋も、ロシアがその胎内に革命を宿していなかったら、十月革命を生みだしはしなかったろう。革命党は結局のところ、帝王切開に訴えることを余儀なくされる産科医の役割を果たすことができるだけである。永続革命p.234〜235
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『総括と展望』ロシア語版序文(1919年)p.190ロシア革命の性格をめぐる問題は、ロシアの革命運動のさまざまな思想潮流や政治組織のグループ編成が生じた根本問題であった。現実の事態によってこの問題が具体的な形で提起されるやいなや、それは社会民主党それ自身の内部に最大の意見の相違を引き起こした。1904年以降、この対立関係は
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第9章ヨーロッパと革命p.149〜1511905年6月、われわれは次のように書いた。1848年以来、半世紀以上が過ぎた。資本主義が全世界を絶え間なく征服した半世紀、ブルジョア的反動勢力と封建的反動勢力とが「有機的」に相互順応してきた半世紀、ブルジョアジーが自らの狂暴な支配欲と、自らのために狂暴に闘う姿勢を露わにして
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第8章ロシアにおける労働者政府と社会主義p.136〜139先に示したように、社会主義革命の客観的諸前提は、先進資本主義諸国の経済発展によってすでにつくり出されている。しかし、この点に関してロシアはどうか?それについて何を語ることができるだろうか?ロシア・プロレタリアートの手中への権力が移行することは、わが国の国民経済
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第7章社会主義の諸前提p.103マルクス主義は社会主義から科学をつくり出した。しかしこのことは、一部の「マルクス主義者」がマルクス主義からユートピアをつくり出すことが妨げはしない。p.109〜110はからずもわれわれの前には次のような問題が立ち現われている。ロシコフはマルクスの弟子を自任している。だが、『共産党宣言
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第6章プロレタリア体制p.90〜92プロレタリアートが権力に到達しうるのは、国民的高揚に、全人民的熱狂に支えられる場合のみである。プロレタリアートは、国民の革命的代表者として、絶対主義と農奴制的野蛮に対する闘争の公認の人民的指導者として政府に入る。権力に就いたプロレタリアートは新しい時代――革命的立法と積極的政策の時代―
イラン革命は、王家の追放で、権力が今の政権下に移行し、暴動者の命が奪われやすくなった。ただし、ネット遮断や通信遮断して隠しても、バレない訳もなく。反対勢力には武器はないし、抵抗しても無駄。権力が集中してしまうとこうなる。物価高に何も出来ないから暴動が起きただけ。どうしても構造的に、良いときはうまくいくし、悪くなると暴動は起きやすい。ロシア革命も今の政権下も権力構造は変わらない。人の命の価値は紙より軽い。まだ日本はましだな。権力構造を持つ者は守りは固い。日本は、そうではないからね。ただし
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第5章権力に就いたプロレタリアートと、農民p.81革命が決定的な勝利に至った場合、権力は、闘争において指導的な役割を果たした階級の手に、言いかえればプロレタリアートの手に移行する。もちろん、ここで言っておくが、このことは、プロレタリアート以外の社会的諸集団の革命的代表が政府に参加することを排除するものではけっしてない。彼
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第4章革命とプロレタリアートp.67〜68革命とは、権力をめざす闘争における社会的諸勢力の公然たる力の試し合いである。国家は自己目的ではない。それは支配的社会勢力の手中にある作業機にすぎない。すべての機械と同様、国家は動力、伝達、執行のそれぞれの装置を有している。動力は階級的利害である。そのための装置は、煽動、出版物
ランクBの上~Bの中第1次大戦前中後、チェコスロバキア独立に貢献した義勇軍団の歴史を記録した歴史書です。副題「ある儀湯群をめぐる世界史」陸続きの東ヨーロッパの近代史は民族、言語、統治国家が複雑に絡み合っています。この本は、チェコとスロバキア民族を中心に編成された義勇軍を描いています。ロシア、ハンガリーオーストラリア帝国ドイツなどの地続きの支配地争いだけでなく第1次世界大戦、ロシア革命などで翻弄されたチェコスロバキア民族
以下、『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第3章1789年〜1848年〜1905年p.44〜45歴史は繰り返さない。ロシア革命をフランス大革命といかに比較してみても、前者を後者の繰り返しに変えることはできない。19世紀は無駄に過ぎ去ったのではない。1848年でさえすでに1789年とは大きく異なったいる。フランス大革命に比べれば、プロイセンとオーストリアの革命は驚くほど
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第2章都市と資本p.36すでにこの事実――ロシアの都市手工業の貧弱さ――だけでも、わが国の革命んい測り知れない結果をもたらしている。p.37〜38近代都市において、少なくとも経済的・政治的重要性をもつ都市において、住民の中核は他の諸階層からはっきりと分離した賃労働者階級である。フランス大革命当時には基本的にまだ知られて
以下、トロツキー『ロシア革命とは何かトロツキー革命論集』(森田成也:訳、光文社古典新訳文庫、2017年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第1部総括と展望1総括と展望――ロシア革命の推進力(1906年)p.13ロシアの革命は社会民主主義者以外のすべての者にとって思いがけないものだった。以前からマルクス主義はロシア革命の必然性を予見していた。それは、発展しつつある資本主義の力と、すっかり停滞している絶対主義の力とが衝突する結果として勃発せざるをえなかった
【ネタバレあり】ダークサイドミステリーロシアより野望をこめて〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜レビュー007ジェームズ・ボンドの「現実」が描かれた傑作回NHK「ダークサイドミステリー」で放送された**『ロシアより野望をこめて〜史上最強のスパイ!シドニー・ライリー〜』**は、007ジェームズ・ボンドのモデルと噂される男の生涯を描いた、非常に完成度の高い歴史ドキュメンタリーである。本記事では、ネタバレありで番組内容を振り返りながら、ジェームズ・ボンドとの比較を軸
間もなく歴史的なロシア革命の先駆者たちの「デカブリストの乱」200年の日となる。デカブリスト反乱については、2020年3月1日付日記:「水戸天狗党の征西に連れ添った女たちと帝政ロシアで流刑された反乱青年将校デカブリストに付き従ってシベリアに行った女たち」で触れた。ナポレオン追撃で西欧の空気に触れ、遅れた自国を見直した青年貴族たち少しだけ触れておくと、当時の帝政ロシアは、1人の万能のツァーリ(皇帝)が農民も含めた国のすべてを所有する絶対君主制の独裁国だった。国民の大多数を占める農民は、