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ブライアン・フェリーさんブライアン・フェリー(BryanFerry、CBE)1945年9月26日生まれ、79歳。イングランド・ダラム州ワシントン生まれのロック・ミュージシャン、シンガー、作曲家。ロキシー・ミュージックのメンバー(vocal/keyboard)。1971年、ロキシー・ミュージック結成。1972年、ファースト・アルバム『ロキシー・ミュージック』でデビュー。プロデュース:ピート・シンフィールドロキシー・ミュージック(スーパー・デラックス・エディション)(完
今日、9月26日はオリビア・ニュートン・ジョンとブライアン・フリーの誕生日です。2年前のブログで取り上げていました。↓「オリビア・ニュートン・ジョンの誕生日」(73歳没)「ブライアン・フェリーの誕生日」(79歳)オリビアが亡くなって、2年が経ちましたね。テイラー・スウィフトのデビューの仕方ってオリビアと同じような感じでしたね。デビューの頃はカントリーぽい曲でした。ブライアン・フェリーのニュースがなかなか入って来ないな~と思っていたら、今年の8月に新曲を出していたのですよ。
Don'tStopTheDance/BryanFerryダンサブルでムーディーなスタイリッシュサウンドと艶やかに色めくダンディーな歌声に魅了されるバラードソング🍷
この日のウォーキングの友は昔懐かしいロキシー・ミュージックでした!ヴィブラートのかかった独特の声のブライアン・フェリーと奇抜なファッションに身を包むブライアン・イーのが印象的でした!良く音楽雑誌なんかで写真は観ていたけど曲はほとんど聞いたこと無かったな・・・(⌒▽⌒)アハハ!なんだか一つの時代を感じて聴きました!(((o(*゚▽゚*)o)))素敵な時間を(人''▽`)ありがとう☆
二人のノン・ミュージシャンは要らないとブライアン・イーノをクビにしたフェリーは、それまでのグラムでケバく奇抜なイメージから脱却して、元々フェリーの本質であるヨーロッパ的デカダンスに彩られたロックを奏でる様になって行く。このアルバムはロキシーの第四弾としてリリースされ、このアルバムの制作と時を同じくしてフェリーは宿命の女、ジェリー・ホールと出会う事となる。または彼女に出会った事によりこのアルバムを制作したのか。アルバムタイトル「カントリー・ライフ」はテキサスの田舎から出て来て一躍スーパーモデル
人は何故音楽を聴くのか。きっと人それぞれ色々な理由があるのだろう。自分の場合、目的は明らかだ。浮かれ騒ぎたい訳でも踊りたい訳でも無いのだから。だからいつも聴く音楽は決まってる。それは80年代を中心とした古い古いロックンロール。そう、つまりそれらの音にこびり付いた、剥がしても剥がし切れない音のヒダに染み付いて離れないあるものを、かき集めては必死になって再生させる為だけに聴いているのだ、ありもしないそれらを。それをノスタルジーとかセンチメンタルとかリリシズムとか言うのかもしれないが、そん
74年にリリースされたアルバム「カントリー・ライフ」(英4位・米37位)のジャケットがシースルーの下着をまとった2人の女性姿だったことで当時大きな話題となったのが英国のグラム・ロック・バンドロキシー・ミュージックでしたブライアン・フェリーの独特のボーカルでもよく知られています紹介するのは75年のヒット曲♪恋はドラッグ(英2位・米30位)です聴いてください。
ブライアン・フェリー初となるこのソロ・アルバムはロキシー・ミュージックのサード・アルバムと同時期の1973年にリリースされた。所謂グラムロック時代のフェリーによる作品で、アルバムの内容はと言えば60年代を中心としたフェリーお気に入りのゴールデンポップスのカバーで、フェリーの歌もエキセントリックながら艶もあり煌びやかなサウンドも文句無しで素晴らしい出来栄えとなっている。個人的にフェリー関連のアルバムの中で「アヴァロン」と双璧をなす、超が着くほどお気に入りのアルバムがこのファーストソロ。レコー
ストレンジ・ソング特集、有名バンドが続きます。今回は、ロキシー・ミュージックのナンバー。76年に一旦解散した彼らでしたが、78年には再結成し、79年に復帰第1作を発表。それに続いて発表された7枚目のスタジオ・アルバムのラス前に収録されたのがこの曲。アルバムは3rdアルバム以来となる、全英アルバム・チャートの首位を獲得するに至りました。再結成後はシングル・ヒットも連発し、何かと際物扱いされていた最初の解散前以上の評価とセールスを得ることができました。ディスコ・ビー
チャンス・ソング特集も6曲目を迎え、LPならA面ラスト的位置。ようやくビッグネームの登場です。ロキシー・ミュージックをピックアップしました。72年の彼らのデビュー・アルバム収録曲。グラムロック全盛期で、いで立ちこそ、そんな感じでしたが、サウンドの方は、唯一無二と言っていい存在でした。特に、ブライアン・イーノの存在は大きく、静寂感のあるこの曲においても、彼のサウンドエフェクトが効果的に効いています。from"RoxyMusic"(1972)
先月病院の帰りに、野暮用がてら散策してみました。ここはその日の朝撮った、富士見スタジアム近くのお寺さん。鰻料理屋さんの様ですね。「旧東海道かわさき交流館」です。ここでは旧東海道の時代、宿場だった川崎の当時の資料やイベントの情報なども分ります。逆から撮ってみます。「宋三寺」さん。参拝すれば、普通に納経印も頂けます。京急大師線も見えますね老舗の和菓子屋「東照」さん。ここ
ザ・カーズ-フランス・ライヴ1978(TVBroadcast,1978)TheCars-FranceLive1978(TVBroadcast,1978)TheCars:France-Live1978EmpireTheaterParis,FranceRecorddate:27November1978Thefirstthreesongsofa*presumably*sevensongsetfora3December19
ブライアン・イーノさんブライアン・イーノ(BrianEno)本名:英語:BrianPeterGeorgeSt.JeanleBaptistedelaSalleEno1948年5月15日生まれ、76歳。イギリス・サフォーク州のウッドブリッジ出身のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、音楽理論家。アンビエント・ミュージック(環境音楽)の先駆者。実弟:ロジャー・イーノ1971年1月~1973年7月、ロキシー・ミュージック(RoxyMusic)に加
エディ・ジョブソンさんエディ・ジョブソン(Edwin"Eddie"Jobson)出生名:EdwinJobson1955年4月28日生まれ、69歳。イギリス出身のキーボード奏者、ヴァイオリン奏者。カーヴド・エアの元メンバー(1973年『エア・カット』、1990年『ラヴ・チャイルド』に参加)ロキシー・ミュージックの元メンバー(1973年~1976年)。UKの元メンバー(1977年~1980年、2011年~2015年)1972年末、18歳でカーヴド・エアにダリ
SadisticMikaBandLiveInTokyo'891989年に東京で行われたミカバンドのライヴです。CDやDVDでリリースされていたので、レアさは有りませんが初期の曲を繋げたので聞いてみて下さい。今更ながら、凄いバンドだったと思います。【Amazon.co.jp限定】晴天ライブ・イン・トーキョー1989(特典:ビジュアルシート付)[Blu-ray]Amazon(アマゾン)1989LPBOX(完全生産限定盤
なんとか定期的アップを続けております「続・20世紀のロック・アルバム」。今月もアップして参ります。今回は、グラム・ロックのようでグラム・ロックでない(ベンベン)、プログレのようでプログレでない(ベンベン)、それは何かと訊ねたら、ロキシー・ミュージックの登場です。彼らの3rdアルバムをピックアップいたしました。Stranded/RoxyMusic73年発表71年に結成され、72年にデビューした彼ら。その独特のサウンドと華やかないでたちで、グラム・ロック旋風吹き荒れるロンドンで高い評
僕が初めて買った沢田研二のシングルは「背中まで45分」。何故このシングルを買ったのかというと、ラジオで流れて来たこの曲があまりにロキシー・ミュージックのアヴァロンしていたから。猿真似とまでは言わないがサウンド・プロダクション的に極めて似た匂いを感じて興味を持ったのがきっかけ。今から思えば表面的な部分は似ているのだがロキシーの「アヴァロン」はもっと、よりブラック・ミュージックの、例えばマーヴィン・ゲイなどのソウル・ミュージックの影響を感じるのだが、沢田研二のこの曲からはブラック・ミュージック
フィル・マンザネラさんフィル・マンザネラ(PhilManzanera)出生名:PhilipGeoffreyTargett-Adams1951年1月31日生まれ、73歳。イギリスロンドンで生まれ、キューバ、ベネズエラ、キューバ出身のロックミュージシャン、ギタリスト。ロックバンドロキシー・ミュージックのレギュラー・メンバー、リードギタリスト。またソロ活動、レコード・プロデューサーとして活動。1974年11月、4thアルバム『カントリー・ライフ』(CountryLi
るそんべえです。ベーシストのジョン・ウェットンが亡くなって、今日で7年が経ってしまいました。本当に時間が過ぎるのがとても速く感じます。ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジアなどで活動しています。でも、私としては、やはりキング・クリムゾンでの存在感が、一番印象に残っています。ロバート・フィリップの我がままを、ビル・ブラッフォードと共に実現させているというのが、私の感じた音でした。ベースラインの素晴らしさもですが、ボー
「RoxyMusicBryanFerry/DJCOPY」・1985年・プロモ01DoTheStrand02LoveIsTheDrug03DanceAway04TheSameOldScene05MoreThanThis06JealousGuy07YouWon'tSeeMe08The'In'Crowd09Let'sStickTogether10TokyoJoe11Can'tLet
「RoxyMusic/RoxyMusic」・1982年・プロモ01LoveIsTheDrug02OutOfTheBlue03ASongForEurope04EditionsOfYou05DoTheStrand06Avalon07DanceAway08Can'tLetGo09TheSameOldScene10JealousGuy●ロキシー・ミュージック(Wiki)1971年デビューの
るそんべえです。私が、音楽に目覚めたのは、ビートルズを聴いてからでした。すでに、ビートルズは解散していました。中学2年くらいのときでしたから、1972,3年の時ですね。なので、1970年代の洋楽は、漁るように聴いていました。そんな私ですが、、1980年代のベストソング200という発表があるのを見つけました。その記事はこちら1970年の音楽は身体に浸透しているくらい聴いていたので、1980年代もそこまではなくても、身近だろうと思っていました。とこ
ブライアン・フェリーの殆どのソロアルバムにはそれぞれに極々私的な思い出がある。僕の年齢の関係上、ファーストの「愚かなり、我が恋」から「ベールを脱いだ花嫁」まではリアルタイムでは聴いていないけど、これら二枚はとてもとても大切なアルバムだ。特に「ベールを脱いだ花嫁」の一曲目「キャント・レット・ゴー」については、個人的な思い出を絡めてシリーズ物にしたら、それだけで20個くらいブログ記事が書ける自信がある(笑)。つまりそれだけ大切で思い出深い曲だという事だ。正直「ボーイズ・アンド・ガールズ」以降の
73年のベスト・ソング・カウンドダウン、上位に入っております。今回は第8位。節操のないランキングと言われそうですが、ソウルの次は、ロキシー・ミュージックの登場です。バンドの2大巨頭の一角、ブライアン・イーノが脱退し、新たにキーボードとヴァイオリン奏者としてエディ・ジョブソンが参加して初のアルバムとなった、彼らの3rdアルバムに収録されたナンバー。セーヌ川に座って別れた女のことを思っている歌詞なんですが、ヨーロッパの没落を暗喩しているかのような歌詞と、(曲の後半はフランス
ポケモンスリープを始めてからというものの何かと睡眠時間が減っている不思議現象が起きている………寝ないと、とは思っているのだけども。そんな寝不足イベントの一つにジョン・ウェットン追悼ライブがあった。(また追悼ライブの話になってしまった)イギリス時間では8月3日の19時から、サマータイムの時差が8時間あり日本では8月4日の3時から始まった。勿論、仕事と重ならない時間という利点もあった。配信でお金を払ってライブを観るのは初めてだった。ライブは生で観てこそと思っていたので正直なところ、配信か…まあ
ブラッド・ソング特集、CD1枚15曲編成でお送りしております。6曲目となりましたので、ここから中盤に入ります。ここで、ロキシー・ミュージックの登場です。79年にふっかつを遂げた彼らの復活第2弾のアルバムのタイトル・ナンバー。(アルバムの方は"And"が"+"となっていますが。)復活第1弾の"Manifesto"が、以前の猥雑さが薄まった洗練されたサウンドになっており物足りなさを感じていました。この第2弾も、その洗練さはさらに磨きがかかっているのですが、曲の出来の良さもあ
ロキシー・ミュージックは、大成功したアルバム「アヴァロン」を引っ提げて、1982年8月から翌年3月まで、ヨーロッパから日本、そしてアメリカへと続くワールド・ツアーを敢行しました。このうち、日本は83年2月、大阪、名古屋、福岡、京都、東京で計7回のライブでした。私は会社の同僚と東京の日本武道館公演に行きました。ビールを飲みすぎたせいでアンコール前にトイレに立つという大失態でしたが、あせって会場に戻り、視界が開けた瞬間、♪ちゃーらららー♪と始まった「ジェラス・ガイ」は一生忘れません。まさに鳥肌
まずジャケットに驚きました。いつもの美女ジャケではありません。しかし、写っている兜の人物がブライアン・フェリーの奥さんだと知って驚愕しました。そうして、ジャケット一面に広がっているのはすべて奥さんの実家の土地だと聞いて腰を抜かしました。ロキシー・ミュージックの8枚目のスタジオ・アルバム「アヴァロン」は世評ではロキシーの到達点であり、最高傑作です。イギリスではもちろん1位となりましたし、アメリカでもじわじわ売れてロキシー唯一のプラチナ・アルバムになりました。商業的にもピークを極めました。
再結成したロキシー・ミュージックの2枚目「フレッシュ&ブラッド」が発表された時にはほっと胸をなでおろしました。一枚だけで解散とはならなかったことに安堵したのでした。みんながそう思ったのか、本作品は前作をはるかにしのぐ大ヒットになりました。最初のシングル「オーヴァー・ユー」を聴いて本当に嬉しくなりました。ブライアン・フェリーとフィル・マンザネラの共作で、アンディ・マッケイのサックスが素晴らしい曲です。特に終盤あたりのサックスは美しい。ただのロング・トーンがこんなに美しく響くとは感動です。
ロキシー・ミュージックは約3年の沈黙を経て再結成されました。高校時代にロキシーに恋焦がれていた私にとって、このニュースは本当に衝撃的でした。さらに来日すると知った時にはまさに欣喜雀躍、小躍りして喜んだものです。いそいそと武道館に足を運びました。本作品はロキシー再結成第一弾にして来日公演の手土産となったアルバム「マニフェスト」です。来日公演はこのタイトル曲から始まりました。ダンディーの権化だったブライアン・フェリーは赤いジャケットに細身の黒ネクタイという姿で颯爽と登場したのでした。メンバ