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野火2015年7月25日(土)公開大岡昇平の同名戦争文学を「六月の蛇」の塚本晋也が監督兼主演で映画化。第二次世界大戦末期のフィリピンを舞台に、肺病を病んで部隊を追い出され一人彷徨う兵士の姿を描く。あらすじ第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。だが負傷兵だらけで食料も困窮、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、再び戻った部隊からも入隊を拒否される。行き場を失い、果て
こんばんは今日は…イベントで疲れたのでのんびり予定でしたがなんだかんだやることがあって思ったほどのんびりしてない😑やることさっさとやらないとあっという間にお盆になりそうです😱さて…昨日も浅草にいましたが…2月の針供養の時に淡島堂にレイテ観音があることを知り7/1に何かやってる…と聞いたので父の写真に声をかけてから行ってみました調べても特に何も出てこなかったのでとりあえずのんびり行ったら…法要?が終わったところ😱やっぱり何かやってたみたい😅でも、祖父の写真を持参し
第十六師団がいた藤森用事があって京都を再訪したので、前回京都を訪れた時に行けなかった伏見の戦跡を訪ねてまいりました。伏見にはいろいろ陸軍関連の戦跡がありますねえ。今回は、京阪本線藤森駅周辺の戦跡を訪ねてきました。プラス、2026年は午年なので、馬にちなんだ藤森神社で、午年参りなるものをしてきました。藤森駅は戦争中は「師団前」という駅名だったということで、藤森の地には陸軍京都第十六師団が置かれました。藤森駅の横を疎水が流れています。この河にかかっている橋の歴史は古い。前回伏見を訪ねた時、師
令和8年2月9日未明、衆議院議員選挙の大勢が判明しました。日本人の政治意識はこの程度だったのか、戦争を知らない世代が圧倒的になるとはこういうことかと、とてつもないショックを受けています。このまま行けば間違いなく「改憲」へと突き進み、将来、今日2月9日が、「戦後」が終わり再び「戦前」が始まった特別な日として記憶されると思います。戦後80年が過ぎ、もう先の大戦を直接知っている世代はほぼいなくなりました。しかし、その次の世代の私たちまでは、家族・親族に戦死した者がおり、戦争の「伝聞」
ジンベイザメツアーは、満員のため明日参加する事になってしまったなので、今日はリマサワ島に行ってシュノーケリングをすることに船のチケットカウンターのお姉さんが、am6:00にチケット買いに来た方が良いよと教えてくたので、そのとおりにカウンターに向かうわが家がしかし、チケットは買えるが、出航は8:30とのこと2時間半も待てないので、別の船で行くことに。たまたまリマサワに行く人がいて、その船に便乗させてもらえました朝ごはんを食べてなかったので、便乗するのを躊躇して
パドレプルゴスに着いて先ずすることと言えば、重い荷物をHotelに預けること総重量21kgのバックパック今日泊まるのは、街から少し外れた所にあるJDビーチフロントHotelsouthernlayteは、ど田舎過ぎて予約サイトに泊まりたいHotelが見つかりませんでしたなので、googleMapで見つけたHotelにWhatsAppでコンタクトして、口コミとスタッフの対応が好印象だった、JDHotelに決めました結果、これが正解でしたスタッフは皆親切で、ツアーの手配までしてくれました
マアシンのバスターミナルに無事に降り立ったわが家。ショッピングモールが併設されていたので、お土産を探しに飛び込む大きなバックは持ち込めないので入口前のカウンターで預けます。それをいい事に、ショッピングが終わっても、荷物を預けたまま街へ繰り出すわが家おかげで最小限の荷物だけで街ブラできました。本当に助かりました妻がチェックしていたお店が閉まっていたので、ローカルなチェーン店風の店でランチをとることに結果、これが大正解で、とても美味しかった。特に春雨とハロハロが最高でしたお腹が満た
12/7の旅程は、タクロバン→マアシン→パドレプルゴスのバス旅。バスターミナルに向かう前に、朝飯GETするべく3人で街を散策息子は、昨晩食べたフライドチキンが気に入ったらしく、朝から揚げ物を皆で食す。確かに美味かったその後、バスターミナルへ出発まで余裕があったので、マンゴースムージーを買ってくる妻めちゃウマでした行商のおっちゃんが豆腐ジュース?なるものを売りに来たので、トライしてみることに。悪くはないけど、リピートはしない味でした冷たいかと思いきやぬるかったそんなこんなで出発
なんとかタクロバンに着いたわが家宿に荷物を置いて、夕飯をとることに東南アジアと言えば、私の大好きなマンゴー🥭マンゴーシェイクは外せませんあとそこら辺にあるKingなる店でフライドチキンをテイクアウトとても美味しかったです腹を満たした後は、次の日利用するダップツアーズのバス停を確認事前準備は大事ついでに、隣にあったセブンイレブンで、物価の調査に息子が、MisterDonutを発見し、テンションあがっていたので試しに購入。ミスドのドーナツ、私も大好きです。しかし、期待に反して別
セブ島もそうだったが、レイテ島で運転するには、なんていうのか暗黙のルールを知らないと、とてもじゃないけど運転できない。セブ島のように大きな街に行くと、タクシーやバス、ジーブニーやトライシクル、ババルババルと呼ばれるバイクタクシーがこの暗黙のルールの上で、よく事故を起こさないなぁと思うような運転で、ゴチャゴチャと車線があるようでない道路を走っている。このバイクタクシー、凄い!普通のモーターサイクルである。それがお客さん2人乗せて3人乗り!?ちゃんと人数分のヘルメットも備え付けて
台風でボートも飛行機も欠航となり、ラッキーな事に旦那くんの実家という「帰る所」があったため、もう一泊BayBayの家に泊まる事になった。やっと帰った客人がまた戻って来るなんて、迷惑だろうなぁと思いきや、「きゃぁ~まだ一緒に居られる!」と子供たちには大歓迎された。断水はその後も続いたが、不思議とレストランでは調理ができるようで、食器は洗えないので、紙皿をつかっての夕飯。エーベリンは学校から帰ってきたらまだグランマキミが居る!ということで、喜んでくれた。帰り際に、自分達が使っていたものだが、ジ
台風の為に欠航になってしまった、セブ島へのボート。アラもグレンも嫌な顔一つせずに一緒に心配してくれている。二人とも朝4時くらいに起きて、レストランの仕込みをしている。多分グレンは朝一番に市場でレストランで使う具材を仕入れているようだ。仕込みが終わると、あとは従業員たちがやってくれるが、この数日間、私達の為に色々とやってくれて、きっと疲れているだろう。やっと日常が戻ると思ったら、台風が・・・でもアラとグレンは私達を再び快く受け入れてくれて、私達は本当にラッキーである。帰る所がある。本当
ワチャワチャしながら、あっという間にBayBayの滞在最終日。そういえば旦那くんが絶賛(?)していた街の屋台のBBQも食べていない、市場も歩いただけだし、お土産みたいなものも買っていない。まっいいか?みたいな3日間だったが、この最終日についに台風やって来た!結構激しい雨が降ったりやんだり、そして強い風。青い空なんてどこにもない。暗~い・・・ボート出る?アラがフェリー乗り場に問い合わせてくれていた、この時点ではまだ欠航ではなさそうであるということ。Ormocに住むホアンにも電話をし
旦那くんの実家3日目。今日はちょっとドライブして、リンタオンピークへ連れて行ってくれるという。今日の参加者、アラ、グレン(ずっと運転してくれている)、そしておばぁちゃん二人組。ブログではおばぁちゃんと言っているが、もちろん名前はある(笑)。レベッカばぁちゃんとルットルットばぁちゃん。この二人が丁度いいバランスなの(笑)。レベッカばぁちゃんが、サングラスで気取って海に入って、すっころんで亀みたいにもがいちゃった方で、ルットルットばぁちゃんは義理母と仲が良い従妹だということで、落ち着いて
フィリピンという国は7,641の島から成り立っている。ルソン島、ビサヤ諸島、ミンダナオ島の3つの主要な島群に分かれており、そのうち人が住む事ができる島は2,000島だと言われている。ひゃぁ~スッゲ~と思うだろう、しかし日本の方が実はもっとすごいのである。日本は島国といわれるが、「島に住んでいる」という意識は少なくとも私にはなかった。九州、四国、北海道、そして本州も言われてみれば「島」だが、今でも日本が「島国」という意識というか、認識というか、「島にすんでいる」という物が私の中でははな
フィリピン(東南アジアの国々)には、日本と同じように「お土産」の習慣があるらしい。ここでちょっと困った事がある。どうもフィリピンの人は、アメリカに居る親戚、友達=お金持ちだと思う傾向が強いということだ。家は旦那くんとワンコ2匹と私の、ごくごく普通の暮らし。それは私が働いていた時は、ダブルインカムだったので、外食したり、旅行に行ったりとそれなりな楽しみ方は出来たが、私が「定年宣言!」をして、今や旦那くんのあるかないかの収入(自営なもので、山あり谷あり)と、早期年金受給を選択したために、年金と
台風接近の中、私達を乗せたSuperCatは無事にOrmocに到着した。旦那くんは4回目、私は初めてのOrmocである。フェリー乗り場には旦那くんの親戚一同が出迎えに来てくれていた。スゴイ!従妹家族、おばさん、どこかで繋がっているらしい親戚、総勢8名!旦那くんの親戚の繋がりがどうもよくわからない。彼が姪っ子と呼ぶアラは、どう探っていっても従妹。紹介されるおばさん達も、どう繋がっているのか彼に聞いても説明ができない。そしてなぜか、「おじさん」がいない。みんなおばさん。日本み
41年ぶりに訪れたセブ島についてblogに綴っていたのだが、台風25号(カルマエギ/ティノ)が11月4日にセブ島・レイテ島が属するビサヤ諸島を直撃した!最大風速150km/h、最大突風即205km/hという想像がつかない破壊力を持った台風だ。この台風の直撃はビサヤ諸島に2番目に高いレベルの暴風警報が発令された。この台風についての情報を知ったのが10月26日。直ぐにレイテ島の旦那君の親戚に連絡をした。「大型台風が接近して、レイテ島を直撃するコースなので、安全対策を取ってね」と。すると
伯父・内山福之助の5枚目の軍事郵便はがきを紹介したいと思う。これが日本に送られてきた最後のものである。(伯父・内山福之助の遺影)(葉書の表)これも前の葉書同様、伯父が父親の内山福太郎に宛てたものである。部隊も前回同様「比嶋(フィリピン)派遣」で、所属する上部組織の通称号も「威」と同じである。フィリピンで書かれたものであり、上部組織の通称符号が「威」であることは、以前と同様、部隊が「南方軍」の隷下に在ったことを示している。異なっているのは筆跡・インクの色の異なる「サ
「忘れてはいけない記録があります。」ーーー遺品が語る平和へのメッセージーーー笛吹市内戦没者の遺影および遺品などを展示し、先の大戦において亡くなった方々を追悼し、平和を祈念する企画展です。「笛吹市春日居郷土館・小川雅子記念館」で9月15日(月)まで開催中です。(無料)今年は遺品の他戦争体験者が戦時中に使用していた生活用具なども展示されています。この遺品は、レイテ島の遺骨収集で発見されたもの。62年ぶりに遺骨とともに無言の帰国をした。
8月はやはり“特別”なのかも知れない。明けがたに薄らぼんやり夢を見た。痩せてはいるが、偉丈夫な体躯短めの白髪銀ぶちの老眼鏡こちらを向いて笑うと端正な顔がいきなり崩れて“可愛く”すら思える。あれは…生涯で5回しか会っていない“私の伯父”になった人だ。初見は、義母の葬式最後に会った伯父は、棺の中で眠っていた。山口県下関市関門海峡を臨む高台にお住まいだった“伯父さん”は夫の父親のお兄さん。戦後、小難しい旧家のしきたりを嫌い(長男にもかかわらず😅)家業を継がずに恋女房と
こんばんはソラです8月15日、慰霊の日でした地元佐倉は江戸時代の城下町の歴史に加えて明治から昭和20年まで佐倉連隊の町として軍都としての歴史もありました二連隊から57連隊などの兵営が今の佐倉城址公園や歴博のあった旧佐倉城一帯がほぼ重なりますさらに演習場として今の自由広場(旧三の丸の敷地)から武家屋敷のあった中学校から県立高校の敷地まで含めた広大な敷地で日々の訓練が行われましたその後は戦局に応じて中国や南方の島、フィリピンのレイテ島の戦場へ二度
この作品も、終戦80年企画として角川シネマ有楽町で上映された。この作品の評判は聞いたことがなかったが、監督が市川崑という事で観ることにした。舞台は第二次大戦中のフィリピンのレイテ島。田村(船越英二)は肺病を患ったことで、分隊から診療所に行くように分隊長に命じられていた。しかしたいした症状ではないため診療所から追い出され、分隊に戻ったところで分隊長からなぜ戻ってきたのかと叱責される。まともに戦う事が出来ない兵士は足手まといになると、田村は再び診療所行きを命じられる。診療所に戻るもの
猛暑、豪雨、もはや恒例と化してますね💦テレビのテロップで流れる"○○に線状降水帯発生"の文字も見慣れてきました。なんだか異常よね・・とどこかで感じながらも手をこまねいてるしかないっつう。。そりゃぁ、グレタちゃんもブチ切れますやね。笑なんとなく、ため息・・んー😌さ、今日DVDで映画鑑賞とまいりますか📀最近、古い作品ばかり見ていますが・・、今日も古ぅ〜いのを。汗1950年の作品、『地獄の戦場』まずはパッケージからフムフムしときましょう👀【第2次大戦のさなか、南太平洋の某島。米
翌日はバスでレイテ島を南下する。タクロバンにはいくつかバスターミナルがあるが、トライシクルを拾ってバス会社のターミナルへ。Bachelortoursのバスはダバオ行き、今日はこれに乗り南下し海峡を渡ってスリガオで降りる。チケットはここで購入、スリガオまでは1000ペソ弱。中国の金龍客車の車両だが、中国製バスはサスペンションがイマイチで道の振動が伝わるのが経験則で、長距離の乗り心地は気になるところ。バスは朝10時に定刻通り出発、客は8割程度の入り。バスは左手にレイテ湾を見ながら国道
マニラ初日夜はステーキハウスでみんなでご飯。こういう時、お酒飲めたら楽しいだろうなぁと思いながら、私はジュースそして翌日は、ニノイアキノ国際空港から飛行機に乗ってレイテ島へ。第二次世界大戦で犠牲となった日本軍戦没者の慰霊碑参りへ行きました。レイテ島へ行くたびに慰霊碑参りをしていますが、山の中にあったり、牛が放し飼いされている場所にあったりするので、足元が悪いところが多いのですが、今回は比較的整備された墓地でした。そして、夜は地元、レイテ島のロータリークラブの人たち達と交流会
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