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・修斗画廊配信展「格闘画界」(令和8年3月15日公開)展示作品ルー・テーズとカール・ゴッチ。それぞれ“鉄人”と“神様”の異称を持ち、昭和時代の日本プロレス界では、トップレジェンドとも云える存在でした。昭和48年(1973年)に実施した新日本プロレスでのアントニオ猪木&坂口政二との対戦で、最初で最後のタッグチームを結成。ベースボールマガジン社で刊行されたプロレス書籍類に、両者が入場コスチューム時で並んだ際のグラフが掲載され、それが何とも画になるワンショットでした。そ
飛んでるのになぜドロップキックと呼ぶのか長年の疑問だがテーズのを見ると腑に落ちる「下に落ちながら蹴り上げる」水平に高く飛ぶのはそれでカッコいいがテーズ式は名称の原点を感じるhttps://t.co/0JhyXOSFTL—阪田マサノブ(@m_sakata)June1,2026阪田マサノブ(@m_sakata)さんのポスト。「飛んでるのになぜドロップキック」の長年の謎が解けた。「下から相手の顎を打ち抜く所作」だと中国武術っぽい。昔「鷹爪翻子拳の絶技にドロ
動物園でずっと見ちゃう動物は?▼本日限定!ブログスタンプ動物園、行ってないな…(^^ゞ「象の日」1729年(享保14年)ベトナムからの献上品として清の商人が象を連れて、京都で天皇の御前で披露されました…🐘その後、江戸まで徒歩で連れて行かれ8代将軍・徳川吉宗にも披露されたそうです。「缶ジュース記念日」1954年(昭和29年)日本初の缶ジュース「明治天然オレンジジュース」が発売されました…🍊当時は現在のようなプラトップは付いておらず、缶切りで開けていたそうです。「海外ドラマの日
ルー・テーズさんルー・テーズ(LouThesz)ファミリーネームの"Thesz"は英語圏では「セーズ」とも発音される(出自であるハンガリーでの原音は「テース(Thész)」)。本名:アロイジアス・マーティン・セッズ(AloysiusMartinThesz)リングネーム:ルー・テーズニックネーム:鉄人20世紀最高のレスラー1916年4月24日生まれ、2002年4月28日、86歳没。アメリカ合衆国ミシガン州バナット生まれのハンガリー系アメリカ人プ
ワシはアメブロで、ほとんどプロレスの記事を見ることはない。でも、時折、いつも見ているブログに記事が出てたりすると、「今もなおプロレスはやってるんだ」ってな感傷的な気持ちになる事はある。そんな程度だから、プロレスについて、自身が記事にしたことはないんだが、今回、思い出も含めて書いてみた。プロレスを見るようになったのは小学校の高学年か中学の頃かなぁ、半世紀以上も前の話だ。今の人達は名前も知らないような、相撲から転じた力道山や相方の、柔道から転じた木村政彦などが活躍してたな。外人勢
男の戦いなら、にゃんたブログへ(*`へ´*)おおぅ!暑いぜい!(;・`ω・´)けど、真夏だなぁと気分で、気持ち良く過ごしているんだ。仕事はヘロヘロだけどねw---------------------------------えぇえぇ、うんうん竹内流(たけのうちりゅう)ね(*'▽')捕縄術。コラボも、教えてくれるのも、塩田さんの人柄なんだろうねぇ。学ぶところがあれば、謙虚に学ぶ。偉いよねぇ、なかなか出来ることじゃないよね。教えて下さるのが高城先生。そっか、縄なんて最初から無いので
動物園でずっと見ちゃう動物は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよううーん、最近は動物園は行ってない…😅「象の日」1729年(亨保14年)ベトナムからの献上品として清の商人が象を連れて来て、京都で中御門天皇に披露されました…🐘象は先ず長崎に到着し、江戸まで徒歩移動して5/27に8代将軍徳川吉宗、そして払下げ後は見世物となったそうです…🐘「缶ジュース発売記念日」1954年(昭和29年)明治製菓株式会社から日本初の缶ジュース「明治天然オレンジジュース」が発売され
1954年←1951年-1953年①プロレス元年日本プロレスリングの歴史は、力道山がデビューした1951年を“プロレス元年”と呼んでいる。1950年9月、大相撲・関脇の力道山は親方との対立で自ら髷を切り廃業。その後、建築現場の仕事に携わっていたがある日、銀座のキャバレーにて日系アメリカ人ハロルド坂田と運命的な出会いを果たし意気投合。坂田は当時日本を占領下に置いていた連合国への慰問に来ていたアメリカのプロレス一座のメンバーであった。力道山はその後、坂田の誘いで一座の
何の拍子だったか思い出せないのですが、不図、国際プロレス中継の番組内でAWA世界ヘビー級選手権者のバーン・ガニアと鉄人ルー・テーズの試合を観たような記憶が蘇って来ました。しかし、調べてみたのですが、バーン・ガニアとルー・テーズが試合をしている動画も画像も出て来ません。その後バーン・ガニアに認められてAWAに呼ばれるビル・ロビンソンやマッドドッグ・バションよりも年上だったような気がしたのですが、記憶が混乱しているだけでしょうかバーン・ガニアがリングに戻ろうとしているところに相手の
国際プロレス参戦時代の人間風車ビル・ロビンソンも覚えている。スリムでシャープな印象が強く、後に新日&全日に参戦した時、もっさりしたイメージが残っている。プロレス本でスープレックスが必殺技という情報は持っていたので、毎試合早くスープレックスを出さないかとワクワクしていた記憶がある。そして、バーン・ガニアも覚えている。これまたプロレス本の偏向記事でガニアはとんでもなく強いという刷り込みがあったせいか、実際のファイトが物足りなく感じたものである。必殺のスリーパーホールドもあまり使ってくれなかったし(
YouTube蝶野正洋チャンネル3/10配信=【プロレス歴史探訪・キラー・シクマ】鉄人テーズと最後に戦った蝶野正洋が最初に対戦した伝説の日本人レスラーに迫るプロレス歴史探訪。トークイベントで山口県柳井市を訪れた蝶野正洋が、同地出身で力道山以前の伝説の日本人レスラー「キラー・シクマ」の孫の方と対面。戦前にアメリカで活躍し、ルー・テーズと初めて対戦した日本人選手に迫ります。配信URL▶https://youtu.be/X3u4JaduF_0※蝶野正洋チャンネルの登録をお願いしま
というわけで、アマプラでルー・テーズvsアントニオ・ロッカのファイトを見たわけだが、そこには(梶原漫画で培われた)自分のイメージとは少し違うテーズがいた。まず、想像以上に体がデカかった。まあ、190cm以上なので当たり前なのではあるが。そして、もっとスマートなファイトをするのかと思っていたら、ヘッドロックや関節技でゴリゴリした攻めを繰り返したり、顔面パンチなどのラフファイトも...テーズはシュートでも強かったそうだが、確かにそんな感じ。この試合は3本勝負で、1本目はテーズ、2本目はロッカ。ま
約3年ぶりにプロレスネタである。アマプラで昔のプロレスの試合を見てしまい、プロレス愛が甦ってきてしまった(苦笑)。で、今回のテーマは、ルー・テーズ。そう、あの鉄人、プロレス界のレジェンドである。自分にとってのテーズは、晩年の1970年代にカール・ゴッチと組んで猪木&坂口コンビと戦った試合は見た記憶はあるが、基本は(梶原)漫画の中の人。なので、勝手にイメージが膨らんでしまっていた。で、アマプラで実際のファイトを目にしたのだが....その感想は次回に続く。
昭和40(1965)年6月18日(金曜)。夜9時30分から放送の米国産ドキュメンタリー番組野望で、鉄人ルー・テーズの生き様が題材とされている。レスリングに人生の道を見いだし、一代で百億円以上もの富を築いたといわれるテーズの半生にスポットライトを当てた内容のようだ。『奥さまは魔女』のオープニングナレーションや、『巨人の星』における川上監督の声でおなじみ、中村正の吹き替えは、語り手(ナレーション)のジョン・ウィリスなのか、それともテーズ本人の
決して軽くはない尿漏れ。常時、尿漏れパッド装着^^当然股間の湿度、高!毎日風呂上がりにシッカロールを股間と玉袋裏にパフパフしとる。しかしここんと痒くなってきた。痒い。引き出しん中にムヒαEXがあったな。でも虫刺されちゃうしのぉ。おーそうや水虫の塗り薬があった。試しにこれ塗ってみよ。パンツを脱ぎモロ出しになり液体なんでちょんちょんとキン◯マの横に出して指で伸ばしてみた。!(◎_◎;)しみるーーーーーーーーーーーーーーーー!!!まじ、
昭和32(1957)年9月。遂に実現!待望の世紀の一戦!世界選手権者ルー・テーズとアジア日本選手権者力道山による世界選手権大試合(10月6日、後楽園スタヂアム)の新聞広告。広告を見る限り、「テレビ中継なし」というのが大きなウリとなっており、実際に後楽園スタヂアムに足を運ばないと、この世紀の一戦を見られないことを煽っている。ところが10月に入ると、日本テレビ中継の大スポンサーである三菱電機の新聞広告で、力道山とテーズの勇姿とともに当日テレビ中継と三菱テレビの新聞広告が入る。この広告
昨夜東映チャンネルで放送された「ルーテーズ対力道山」街頭テレビなんか、都会だけですし、なにせ、後楽園に3万4千人集めた世界選手権ですから大半の日本人は、映画館でこの対戦を観たことでしょう(^_^;さて、ファン代表として、人気者が力道山に花束を渡すのですが、まだ戦後です。人気者と言えば"美空ひばり-"と思うやないですか(^_^;)登場したのはなんと森繁久彌(^_^;)そら人気者だろうけどさ(^_^;)なんでオッサンなん(^_^;江利ちえみでも、雪村いずみで
し・渋い👍国際プロレスだね👍古き良き時代の古き良きプロレス👏
【貴重・伝説の試合】鉄人ルー・テーズ!20世紀最高のレスラー!力道山、アントニオ・ロッカ、バディ・ロジャース、ハンス・シュミット戦他の映像!力道山を刺した親分とその娘のインタビュー!https://bizconsul.net/2022/10/09/鉄人-ルーテーズ!-20世紀最高のレスラー!/【貴重・伝説の試合】鉄人ルー・テーズ!20世紀最高のレスラー!力道山、アントニオ・ロッカ、バディ・ロジャース、ハンス・シュミット戦他の映像!力道山を刺した親分とその娘のインタビュー!|
誕生日グレート小鹿(1942/81歳)シバ・アフィ(1949/74歳)モンゴルマン(1970/53歳)タンク永井(1984/39歳)忌日ブラソ・デ・オロ(2017/57歳)阿修羅・原(2015/68歳)クリス・キャンディード(2005/33歳)ルー・テーズ(2002/86歳)出来事2019下野佐和子が引退<大阪・平野区民ホール(WAVE)>大日本<やまぐちリフレッシュパーク・サブアリーナ>[公式]注目岡林裕二
「チョップドチョコレート」のチョップは、昭和のプロレス技、空手チョップで砕いたイメージだったとは...。
冬の定番メニュークリームシチューを作りました。ルーなしで作ります。ルー……「ルー」と言ったら真っ先に頭に浮かぶのは、鉄人ルー・テーズ。もちろんルー・テーズの現役時代は、昔すぎて知りませんが、ジャンボ鶴田がルー・テーズ直伝のバックドロップでニック・ボックウィンクルをフォールしてAWA世界ヘビー級タイトルを奪取した時は感動したものです!レフリー、テリー・ファンクのスリーカウントは若干早かったような気もしましたが。それ以前のリック・フレアーとのNWA世界ヘビー級選手権
プロレスが好きな人好きだった人は必ず泣けます。アントニオ猪木が「行けばわかるか…」と歩いた先で待っていたのは…「プロレススーパースター列伝」漫画家が捧げた“最後の作品”|文春オンライン2022年10月1日、アントニオ猪木氏が79歳で他界した。その波乱に満ちた人生を振り返るうえで、猪木氏自身が巻き起こした80年代のプロレス黄金時代、そしてブームに並走した漫画「プロレススーパースター列…bunshun.jp
10月10日月曜日〜その1オンセンス・パインバスを使っての入浴。水分補給に、キリンレモン。坂角総本舖SAKUSAKU日記を摘まむ。(写真)DVDブック『燃えろ!新日本プロレスVol.15闘魂70S、不朽のストロングスタイル!』〜「これがプロレスだ!"人間風車"と60分の死闘!アントニオ猪木Vビル・ロビンソン」「"闘魂"が"鉄人"を超えたNWF初防衛戦!アントニオ猪木VSルー・テーズ」(H24年4月26日集英社)を見る。
長距離移動列車乗車中ずっとヒンズースクワットをやっていた同じところに立ったままこのエピソードを読んで新幹線の中で邪魔にならない時にちょっとだけやってみたことがある結果、絶対に不可能であることが判明した続けることは勿論、同じ場所に立ち続けることは至難の技だエピソードの主が超人なのは間違いない自分は超人の1/100万の時間も出来ないと悟った1976年6月26日総合格闘技が生まれた日果たしてどちらが勝つのだろうかキンシャサの奇跡の日にも似たドキドキ感と共にその日を迎えたことを思い出
1968年1月18日、TBSプロレス(国際プロレス)のブッカー、グレート東郷は宿泊先のホテルニューオータニで日本プロレスのユセフトルコと松岡厳鉄が襲撃しました。いくら何でもリング外で襲うって事件だよこれがグレート東郷襲撃事件。新聞にも載った事件でした。日本プロレス側としては大木金太郎を引き抜こうとしたことで腹に据えかねたのでしょう。さてリング上に話を戻すと、ルーテーズのTWWA世界ヘビー級王座は草津、杉山、豊登と挑戦しても負け続けていました。第4戦の挑戦者は、鳥人、ダニーホッジ。ゲ
グレート草津のルーテーズ4回連続挑戦を諦めたTBSプロレスは2回目の挑戦者にサンダー杉山を選びました。杉山さんは草津さんと違い、アメリカでもキッチリ試合をやっていたんだよ大分で行われた3本勝負、結果はテーズが2-1で勝ちましたが、杉山は1本取ったのです。テーズは杉山を「基礎のできたグッドレスラー」と評価しました。だからこそテーズは杉山相手には1本許したのでしょう。草津さんには1本取られることを許さなかったんだよね3回目は仙台で豊登が挑戦する予定になりました。TBSプロレスは看板レスラ