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ルール工業地帯という用語、今も地理で出てくるのが分かりませんが子供の頃暗記した記憶があります。なんとなく煙モクモクの工業地帯で、すごいところなんだろなと思っていました。今でも所々に重工業都市の名残が残っています。中でも有名なのはエッセンの世界遺産。Zollvereinという名の炭鉱/関連工場跡ではないでしょうか。エッセン中央駅から出るトラムを降りて正門から入るといきなり第12採炭塔が見えます。バウハウス建築。効率を追求すると美に行き着くの例として有名だそうです。その
最近お天気がよく、気持ちがいい日が続いています。日光を求めて、朝はちょっとゆったりお散歩します。ここは近所にある高架から見下ろす風景。町外れにはこの地方を支える工場群があり、そこへ資材を運んだり完成した製品を運び出す、工業専用路線です。いわばルール工業地帯と私たちの生活を支える生命線。コロナが始まって以来イロイロな活動がストップして、街から活気が消えてもここだけはいつも力強く動き続けています。散歩の帰りにここから見下ろし、資材を一杯に積んだ貨物車が通るのを眺めるのが朝の楽しみになっています。
三角錐(Tetraeder)と呼ばれる建物を見にいく建物というか展望台になっていてぐるっと360度遠くまで見渡せるというのもこの辺りには山らしい山や丘すらなくこの三角錐がたつ小高い山も実は工業廃棄物でできている階段で上にずっと上っていけるんだけど何気に揺れる...特に高い柵もなく上の円盤部分は傾斜があって同時に登ってきていた若い男の子のグループではひとり真っ青になってブルブル震えながら下っていきましたですよ24時間開いていて管理人も誰もいないので
外出禁止命令が出されるであろう展開になってきました。昨日の会議でリモートトワークへの切り替えと、隔週での出社の話が出るや、一人のドイツ人従業員が言いました。「外出禁止命令が出されても従業員が出社できるよう、会社は証明書みたいなものを発行すべきだ」と。なるほど!そこにはちょっと思いが至らなかったです。早速社長は書類を作成し、社印を押して、自分のサインをして従業員全員に手渡しました。すると、、、倉庫で働く一人のドイツ人従業員がこう言いました。「私の住所はここではない。社長、私
エリアAに戻って来た。左手、少し離れたところに見えるのは旧駅舎の隣にあった芸大の別館でSANAA館。日本の建築ユニットSANAAが設計を手がけたんだって。多分これは普通に新しい建物。このパイプライン、何でここだけこんな風に曲げてあるんだろ?旧ボイラー室とレストラン「カジノ」。昨夜はカジノを探してデュースブルク駅前をさまよったから、ここも本物のカジノかと思ったらレストランの店名だった。覗いてみたけど、月曜なのでお休み。結構良さげなレストランなので残念これも何かの炉の跡?
来た道を戻り、旧駅舎まで帰って来た。この先はエリアB。線路を歩いているのは小学生らしき女の子。駅舎の、道路を挟んだ隣はかつての北宿舎。今は芸大になってる。写真左手の灰色の建物。その奥にあるバウハウス様式の細長いビルが第2立坑櫓。ドイツにはこういった建物の中にきちんと収まってるタイプの櫓も多いんだって。その右のむき出しの櫓は第1立坑櫓。1847年から掘り下げが始まり、1851年から採掘が本格化。当時は今のような鋼鉄の櫓じゃなくて石の塔だったらしい。第1だから、もちろんツォルフェアアイン最初
ルール博物館前の広場のベンチで、お水を飲んでシリアル・バーを食べて、さあ再出発!A→B→Cの順に廻るのが正しいかもだけど、引き返すのが面倒なので、順路を逆行してエリアCのコークス工場(Kokerei)を目指す。ルール博物館はかつて選炭施設だったので、地図で分かるとおり周りには線路がいっぱい。いろんなところから石炭が集まり、ここで処理されて、またいろんなところへ運ばれて行ったんだろうな。今は歩きやすいように舗装されてる。エリアAにはまだ観てない場所が残ってるけど、それはぐるっと一
13:04ツォルフェアアイン停留所に到着。さすが世界遺産!幟が立ってるので、どちらへ行けば良いかはすぐ分かる。と言うか第12立坑櫓が見えているから迷子になりようがないベタだけど、ツォルフェアアインといえば、やはりこの第12立坑櫓の真正面アングルは外せないCGみたいに端整ツォルフェアアインのロゴ・マークもこの立坑櫓。私はどうも髙島屋のロゴに空目してしまうのだけれど。1930年にバウハウス様式で建設されたこの第12採掘坑は「世界で最も美しい炭鉱」と呼ばれてるんだって。でもドイツって
4時起き。初日から睡眠時間短いけど、予定の内。予定外だったのはホテルのWi-Fiが繋がらないこと。な〜んかパスワードが違ってる気がする。ってか正直、悪筆過ぎて読めない。仕事のメールをチェックしたかったし、Googleマップで今日行く場所の地図もダウンロードしときたかったんだけど海外旅行用Wi-Fiは借りなかったんだよね。そんなに使わないし、荷物はミニマムにしたかったし、ちょっと不便なくらいの方が旅らしいし、本当に困ったら少し高いけど携帯電話キャリアの海外サービスを使えばいいし。ス
デュッセルドルフ(独;Düsseldorf)、ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都。ライン川河畔に位置し、ライン・ルール大都市圏地域の中心でルール工業地帯のすぐ南西部にある。華やかな感じの街。フランスに近いためか、フランス風もちらほら。馴染み易い、美しい街なのに観光案内が少ない。非常に残念。シュロスプラッツ新宮殿:ヴュルテンベルク公カールオイゲンの命により建てられた離宮シラー広場:建設当時の建物は第二次世界大戦中に火災で焼失したため、現在目にしている
イースター休暇は実はザルツブルクに行きたかったんですけど(まぁマリア先生の自叙伝にイースターについても生き生きと描かれていたので体験してみたかったし、よく行く教会にも訪れたかった。)ハードスケジュールになること間違いなしだったので泣く泣く諦め、代わりに久しぶりにひょいっとアムステルダムでも…と思ったのですが、あまりの無計画さがアダになり、こちらも難しいと断念。昼の2時半頃にようやく出かける気がおきたので、とりあえずフランクフルト中央駅に出かけてみて、格安旅行で行きたいあれこれをその
為替レートはよく変化するもの。そして為替レートが変わると、輸入品が値上がりしたり値下がりしたり、海外旅行の費用が高く安くなったりする。そんな現代の為替レートの変動などかわいいものというすさまじい変動が、第一次世界大戦後で敗戦国となったドイツで起こっている。大戦に敗北したドイツの賠償金は、はじめ二二六〇億マルクと決められたが、とても支払えないというので一三二〇億マルクに減額された。それでもこの金額は、ドイツの支払い能力としてケインズが割りだした三六〇億マルクの四倍近くにのぼった
3時間過ごしたケルンを出て95㌔、バスの制限時速100㌔で進めば1時間で着く次なる目的地ドルトムントだが、2000前にすでにライン川の水運貿易に目をつけたローマ人により町は築かれ、ローマの衰退とともに移動してきたゲルマン人が貿易権を引き継ぎ、12世紀の神世ローマ帝国下、北海(バルト海)界隈の都市間で交易をして回っていた商人達により結成されたハンザ同盟。いずれそれは北海及び地中海の貿易権を結ぶライン川あっての町町は経済力を身につけ神聖ローマ皇帝から自治を与えられる帝国自由都市とな
少し前になりますが、今回のワールドカップはドイツが優勝ということで幕を閉じましたねドイツは今回も含めてワールドカップで4回優勝するなど、強豪国として知られています。今、ちょうど読んでいる本の中にドイツがサッカーに強いと思われる理由のひとつを、地理的視点からとらえた興味深い文献があったのでご紹介しますドイツは連邦共和国で、1871年にドイツ帝国ができるまで色々な国々で成り立っていました。そのため、1990年に統一されるまで、多くの個性豊かな都市が存在しています。サッカー