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1993年発行の、この本。雑誌に書かれた、上方芸能人の、生涯・功績等を著者の目から描いた連載を、まとめた本です。そんな著者は、「てなもんや三度笠」等の演出を始め「花王名人劇場」等のプロデューサーにて、いわゆる昭和の漫才ブームの仕掛け人だった御方。1955年に関西の放送局入社以来、ラジオ・テレビ等でお笑い番組を数々、手掛けて来た御方です。この本に、登場する11組の著名人。エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケットに始まり高田浩吉や敏江・玲児等。私は薄っすらとしか知らない方々ばかりなり。そ
うめだ花月昭和37年11月下席のチラシ。トリは玉松一郎・ミスワカナで、この時のワカナは4代目で後に新喜劇に入団する河村節子(河村施つ子)。漫画トリオのフックはまだ初代。二代目のフック(現青芝フック)は小島あきらという芸名でまだ新喜劇にいました。前の方にルーキイ新一・清二の漫才があり、二人は新喜劇にも出てますね。ステレオ・コントは竹本浩三作・演出の「無責任野郎」で、秋田Aスケ・Bスケ、森信、桑原和男、奥津雄三ほか。ポケット・ミュージカルスも竹本浩三構成の「みんなで歌おう!
前回のチラシの裏面で、うめだ花月昭和38年10月下席の予告。漫才のトリは秋田Aスケ・Bスケ。歌う声帯模写の川上のぼるや、東京からゲストでアクロバットの丸井ブラザーズ。奇術のワンダー天勝の娘がワンダーのり子で、後に海原かける・めぐるのかけると結婚し、その娘が海原やすよ・ともこです。ポケット・ミュージカルスはバンドぐらいしか出演者が書いてませんが、吉仲賢次構成の「若人のリズム」で、ルーキー新一が出演。吉本新喜劇は珍しく白羽大介が座長の組に、副座長で秋山たか志が出ていますが、ほ
わざわざ筋書きを説明する必要もないのだが、たとえば十歳の子どもが理解できる内容ではないように思う。伊賀の里では、掟に縛られた多勢の下忍を従える百地党と藤林組が勢力を競っていた。しかし、次々と命を落としていくが、何が掟なのか知る下忍はいない。百地党に拾われたという優れた忍術使いの少年忍者ワタリ(金子吉延)は、掟の秘密を知って殺された百地党のカンネ(宍戸大全)が持っていたこけし人形を手に入れ、それを爺(牧冬吉)に見せる。人形の中には忍び文字が書かれていた。何か重大な内容らしい。百地党雲組は大頭
拙者もかつて、んなのをよく掲げていたが(^o^)妖怪百物語における氏が、いかに怪演であられたか。知らん人は、これでも見て震えたまえ(^o^)↓よみがえる天才漫才師!ルーキー新一!!吉本興業創生期にあって、吉本新喜劇の座長を務め、独立後ルーキー新一爆笑劇団を旗揚げ、一世を風靡した!歌、芝居、そして本職の漫才と全てにおいて天才的な才能を発揮したルーキー新一!時代を越え悲劇の天才漫才師と言われたルーキー新一がよみがえる。youtu.be
厳しい掟に不満タラタラの伊賀忍びの里で、掟の秘密を知った下忍のひとりが抹殺され、暴動寸前だったが大頭音羽の城戸が間に入って、とりあえずは収まった。その頃、子供忍者ワタリが病気の祖父の面倒をみる為、頭領百地三太夫の下忍になっていたが、下忍抹殺現場でワタリは密書をみつけ密かに持ち帰り祖父に渡した。そこに書かれていた里の掟を読んで、祖父は驚愕した。一方、伊賀の里には武田方の五月雨城主を暗殺するという依頼が来ており、例の不満タラタラ雲組の残党が選抜されるが、城に着くまでもな
待ちに待った「妖怪特撮映画祭」が大阪・シネヌーヴォで上映が始まりました。私が、まず鑑賞させていただいたのは、『妖怪百物語』。子どもの時、見たのですが、ホント怖かったです。大人になって見ると、怖さは少なくなりましたが、楽しさは変わっていませんでした。その上、こんなストーリーだったんだ、、、と、気付きました。「妖怪」を出演させて怖がらせるだけじゃない日本の妖怪映画の素晴らしさを再認識しました。大人になっても記憶に残っていたのは、「ルーキー新一と、から傘ばけのコンビ」と
『妖怪百物語』1968年日本映画79分監督:安田公義特技監督:黒田義之企画:八尋大和脚本:吉田哲郎撮影:竹村康和、田中省三録音:大角正夫照明:伊藤貞一、美間博美術:西岡善信、加藤茂音楽:渡辺宙明編集:菅沼完二音響効果:倉嶋暢擬斗:楠本栄一助監督:太田昭和製作主任:西沢鋭治現像:東洋現像所出演:藤巻潤(長屋の浪人・大木安太郎)、高田美和(甚兵衛の娘・おきく)、平泉征[現・平泉成](おきくの恋人・太吉)、坪内ミキ子(長屋の住人・お仙)、ルーキー新一(
7月15日木曜日~その9『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』澤田隆治(R3年6月20日つちや書店)を読了。銀座千疋屋プレミアムアイスとちおとめを食べる。6時半に眠る。8時35分、目が開く。ねじめびわ茶、Luna味わいとコクのむヨーグルトで喉を潤す。(写真)『決定版日本の喜劇人』小林信彦(R3年5月20日新潮社)を読み始めました。
7月14日水曜日~その810時から13時まで二度寝。千疋屋總本店蜜柑ストレート果汁100%を飲み『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』P112~115「略年譜」を読む。(写真)S40年1月に吉本新喜劇の座長格となる。そして、10月に退団。此の僅か9か月間の座長格時代、劇場で配布されたチラシを澤田隆治さんが本に載せたいので、吉本興業に提供を依頼したところ、残っていなかったとのこと。其処で私に問い合わせが入り、手持ちの5枚をコピーして送付しましたが、山のような資料に埋もれてしまったのか?掲載
7月14日水曜日~その7P90~94「弟子が語るルーキー新一」に、浅草松竹演芸場でルーキー師と漫才を演じた門人の梅乃ハッパさんの証言が載っている。(写真)三代目平和ラッパさんとコンビを組むハッパさんとは、何度もお仕事をご一緒していますが、ルーキー師の逸話を聞く機会がありませんでした。コロナ後、ご一緒する時あらば、いろいろとお話を伺いたいと思っています。此の色紙は、H11年10月2日、兵庫県河東郡※現加東市社の佐保神社での『第30回芸能大会』の寄せ書きと出番表です。
7月14日水曜日~その6P55~58「四度目の妻を得て」では、草創期の吉本新喜劇を立ち上げた花菱アチャコ先生が、新喜劇で人気を博したルーキー師が独立後、苦境に立った時に手を差し伸べた事が記されている。(写真)菊水丸コレクションのアチャコ先生の色紙です。
7月14日水曜日~その5『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』を読み、P36~37の「てなもんや三度笠メモリアル」には、丁稚役のルーキー師とお嬢さん役の伊東ゆかりさんとのコンビが絶妙だったと書いてある。(写真)私は澤田隆治さんとの膨大な時間の会話で『てなもんや』の事をある程度は判っている積もりですが、実際にはリアルタイムで間に合わず、このコンビについては全く知りませんでした。10年間のラジオ時代、伊東ゆかりさんにH18年4月28日と9月20日の二度のご出演を頂いておりますので、ルーキー師と
7月14日水曜日~その2(写真)メディアプロデューサー澤田隆治さんの遺作『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』(R3年6月20日つちや書店)を読み始めました。
7月9日金曜日~その10(写真)会話はガラケー。ブログをアップする時のみスマホ。家にはパソコンは無し。これで商売上、何の不便もありませぬ。それだけに、苦心惨憺した末に、ポッドキャストなるものにたどり着き、エムカクさんとの電話で教えてもらっていたKBS京都ラジオ『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴きましたぞ。エムカクさんの喋りは、話の整理が出来ていて、実に判りやすい。私への気遣いも伝わり、思った通りの人でしたなぁ。それにしても、パーソナリティーのお二人のトークでの分析と例えが最高に面白い。ひとこと申し
6月15日火曜日~その8(写真)こちらは惜別の切り抜き。同じ朝日新聞の12日付、沢田隆治さんの記事。遺作に『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』と書いてある。そうか…脱稿されたのか…。資料集めの段階で、どうしても入手できない品が一つだけあって「お持ちの方が貸してくれないんだよ…それがなければ完全でない」と悔しそうに仰り「私の手元にあれば、直ぐにもお渡しするのに」と電話で其のことを繰り返しお話したのを思い出します。其処で執筆がストップ。別ルートで見つかったのか?それを抜きで書かれたのか?。『永田
6月3日木曜日~その5(写真)澤田隆治さんの『上方芸能列伝』~「不運なり!ルーキー新一」に出てくる朝日放送の『ごろんぼ波止場』。其の台本が完揃ではありませんが、私の手元に現存します。演出は澤田さん。此の時代は怖かったんやろなぁ…。
6月3日木曜日~その3(写真)澤田隆治さんを偲んで『上方芸能列伝』~「不運なり!ルーキー新一」の項のみを再読しました。と言うのも、先月19日付のスポーツニッポン連載「菊水丸店主珍宝堂」にも書いた通り、電話で最後にお話をした時に、元吉本新喜劇のルーキー新一師匠の本を出す計画を語っておられたからです。ほぼ、原稿も完成に近づいている様子でしたが、コレクターとして私もご協力させて頂いた、ルーキー師が吹き込んだシングルレコードの調査で、どうしても、あと一枚が見つからないので頓挫しているとの事でした。「
レツゴー三匹・正児さん(※2020年9月29日80歳逝去)の追悼記事にコメント掲載されました。よろしくお願いします。澤田事務所管理人
「不良番長口から出まかせ」(1970)不良番長シリーズ第10弾をYouTubeでレンタルして観ました。初見。50年前の今日に公開された、おバカ映画です。監督は野田幸男。予告編はコチラ。太平洋横断にチャレンジして2年ほど海原を彷徨っていたカポネ団。今回のメンバーは神坂弘(梅宮辰夫)、五郎(山城新伍)、ジャブ(ルーキー新一)、アパッチ(安岡力也)の4名。流れついたのは、関西方面の漁村、八つ浜村。遠洋漁業で男全員が出はらった女だらけの村人たちにさっそく肉弾接待を受けるご一行。そ
出所してきた勝又が子分を連れてキャバレーに行くと、同じく子分を連れて現れた北見と大喧嘩→意気投合。兄弟分となった2人は「新宿ブラザース」を結成して、新宿に縄張りを持つ暴力組織を敵に回して大暴れ。新宿で一目置かれるまでに成長した新宿ブラザースの前に、新宿裏社会の大物、関水が立ちはだかる。新宿の与太者[VHS]Amazon(アマゾン)1,600〜6,000円
レツゴー三匹のリーダー正児が亡くなりました。80才でした。上方漫才大賞も受賞しており漫才師としても一流でしたがテレビ番組の司会としても茶の間の顔となりました。記憶に残るところでは、目方でドーン、笑アップ歌謡大作戦など。全国ネットの放送も沢山出ていたので知名度はありました。兄がルーキー新一だったので漫才のネタによく使っていましたね。芸能人の相撲大会でもなべおさみと共に強かった印象があります。これでレツゴー三匹は全員逝きました。ご冥福をお祈りします。
本日もお忙しいところご来訪いただき、誠にありがとうございます。漫才トリオのレツゴー三匹のリーダー、レツゴー正児さんが9月29日に肺炎のため、大阪市内の病院で亡くなっていたことがわかりました。なお、PCR検査の結果は陰性だったそうです。享年80歳でした。謹んでレツゴー正児さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌・・・。正児さんは、高校生の頃から実兄(ルーキー新一さん)とラジオの演芸番組に出演。横山やすしさんとの漫才コンビなどを経て、1968年にレツゴーじゅん、レツゴー長作との3人で
長傘派?折り畳み傘派?ビニール傘派?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようもちろん、ビニール傘しか持ってません。傘を差すのが好きじゃないのでね。傘というと、笠地蔵や唐傘、傘化けなどが即座に思い浮かびますね(^◇^)第二期『ゲゲゲの鬼太郎』第24話「傘ばけ」(1972.3/23放映)傘ばけが鬼太郎に、ちゃんちゃんこを貸せと言ってきた。鬼太郎は断るが、傘ばけは暴れて強引に奪っていった。金持ちの生活に憧れていた彼は、ちゃんちゃんこを身につけると、子供の姿に化
昭和42(1967)年1月、日本語を喋る外国人(枠)タレントの草分けで耳をピクピクさせる珍芸でも知られたE・H・エリック㊨と、吉本新喜劇などで「天才」と称されたルーキー新一㊧がコンビを組んだ小野薬品の活性酵素胃腸薬タフマックEDの新聞広告。タフマックEDの「ED」は「いーでぃー」ではなく「えーでー」と読むのが正しい発音。一説によると、このテレビCMによる披露がきっかけで耳をピクピクと動かすエリックの珍芸が知られるようになったのだそうだ。エリックの実弟はファンファン大佐こと岡田
日本の喜劇役者~男優編~ルーキー新一映画「妖怪百物語」の印象が強いです。
神戸国際会館続き~アンコール前のお着替え~(時間かかるあるよ・・笑)こんな恰好したかってん・・70歳になりました。ジジィでございます。甥や姪に、「ジュリーやで・・」と周りが言うと「ジジィ~抱っこ・・」昔からジジィと言われてましてん・・・(抱っこしてほしいわ・・イヤ、要らんどっちや)何事も早い目・早い目に考えるねん。この仕事に定年は無いねん。誰も、自分の事をジジィと言わんねん。特に歌手の人たちは。自分が先駆者になったんねん。(わしはジジィ
手元にある、昭和40年代前半頃のびわ湖温泉紅葉パラダイスの4月5月の大演芸場のプログラム。〈東洋一のヘルスセンター〉と謳っている。4月のプログラムには、芸者歌手の神楽坂はん子の他、演芸では音楽ショーの横山ホットブラザーズ、ロマンリズムのミスハワイ・暁伸、漫才の木村栄子・三遊亭小円など。音楽ショーのピースボーイズ、音楽コントショーのぼんぼんサンズ、女性メンバーのいる冗談音楽のベルスターズも気になるな。5月のプログラムでは、春日八郎ワンマンショーの他、吉本新喜劇を脱退後にコンビでも活動して