七つになって、僕も高千穂の幼稚園に行きました。半分は休んだと見えて、そこでの思ひ出は、何一つありません。じっと眼をつぶれば、一々の生徒や女の先生の、ある人は皺だらけのお婆さんだったり、ある人は、しゃくれた顎の若い人だったりを思い出すのですが、それさへ、残った記念写真がもとになってゐるのかも知れません。その頃の記念の手工帳がありますが、確か、それは、最後の卒業のころ、寝てゐる僕のところへ、先生が抱えてもってきてくれた様に思ひます。中学へ入って、見た様な顔だがと、考へ考へわからなかった同級生が、ずっ