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こんにちは、要です。今回は留学に向けて準備することを記そうと思います。これはポルトガルの留学を最高のものにするために重要なことです。ぜひ、参考にしてください。よろしくお願いします。住む家(部屋)を決める。私は1ヶ月前に家を探しましたが、なかなか値段が良く、住み心地が良いところが見つかりませんでした。遅くても3ヶ月前には見つけることをお勧めします。飛行機より予約が取りづらいので、先に家を決めてしましましょう同期が使っていたのは、Uniplacesかidealistaです。
ポルトガルに着いて起こったこと。そして情報を発信しようと思った理由。初めまして、要です。今回は、ポルトガル留学に向けて、私が準備してきたこと、そして現地に到着して起こった出来事までを書き記そうと思います。これらのことを中心に、本当に準備すべきこと、留学する際に注意すべきことを次の投稿に書こうと思います。ポルトガル語を大学で勉強し、コロナがようやく治まりつつあるかな、と言うときに私は留学を決意しました。卒業論文の兼ね合いもあって、3ヶ月といった短期留学です。外貨が跳ね上がり、航空代も高く、お
綿貫宏介(下記の文章は綿貫氏自筆の経歴文による)1956年初頭関西学院大学大学院政治科ヨリ外交史研究ノ為葡萄牙リスボン大学ニ戦後初ノ留学生トシテ渡欧以来滞欧十数年ポルトガル・スペインヲ主トシテ欧州・アフリカ・南米ヲ歴遊ソノ間外交史研究ヨリ転ジテ南欧画壇ニ伍シ芦屋ギャルリーシャルグランの個展でご母堂と綿貫宏介画伯リスボン国立近代美術館他欧州・アフリカ各地美術館ニ作品収蔵数38点現在迄ノ出版サレタル画集十数冊ヲ算ス1958年パリ国際美術史会議ニハコイン
西洋中世の写本装飾に用いられた水色の天然染料フォリウムを復活させる試みがポルトガルで成功し、論文が4月17日付でサイエンス・アドヴァンスに掲載された。忘れられた青色原料を純粋に再現する手助けする過程で、新たな化学物質クロゾフォリジンも生み出された。リスボン大学のマリア・メロ教授らは死語のユダヤ・ポルトガル語で書かれた文献にフォリウムの製法を発見。毛むくじゃらな植物「クロゾフォラ・ティンクトリア」とあっても何なのかが後世に不明となったが、南部モンサラスで採集したダイクロトンの実をフォリウ
五鈷拳兜鉢書・孫子「第十二火攻篇」額外寸42×59額装価額¥44,000(税込)兜のてっぺんから黒光りする漆塗りの腕が伸びる。握りしめているのは、煩悩を打ち砕くという密教法具だ。木彫りに金箔を押した法具を、えいっと頭上に突き出せば、法力により武運長久は間違いないだろう、というわけだ。1956年関西学院大学院政治科研究室より外交史研究のためポルトガル、リスボン大学に戦後初の留学生として渡欧。外交史研究より絵画の世界に転じて、ポルトガル、スペインで
ナショナルジオグラフィックから引用します。ポルトガルで降ったエンジェルヘアのお話です。1959年11月2日ポルトガルエボラ白昼、謎の輝く物体が上空を飛ぶのが目撃された。大勢が謎の光景を目撃した。午後12時頃、校長のジョアキン・アマラウは警報を受けた。空に奇妙なものが浮かぶ。当時アマラウ博士は学校のオフィスで仕事中だった。フェルナンド・ペソア大学教授ラウル・ベレンゲル氏は当時の出来事を語る。「アマラウ博士は突然呼び出された。巨大な飛行物体が上空に現われたからだ。彼は飛
カティア・ゲレイロ/FadoMaiorポルトガルを代表する大衆音楽ファドは、アマリア・ロドリゲスという不世出の女性歌手が長らく女王の座に君臨していて、1999年に彼女が亡くなった後も、彼女の後継者と呼ぶにふさわしいスター歌手が不在のままでした。そんな状態が続いていた2001年に、突如アマリアを彷彿とさせるオーラと、伝統ファドを歌うにふさわしい歌唱力を備えた24歳の若い女性シンガーが現れたということで、カティアはファド好きの聴衆から大喝采で迎えられたようです。カティ
今朝は寒かったけど今の気音は16℃春ですね〜🌸先週末には既に満開になっていた桜もありました🌸春ですよで、昨日はこの時期に大学で開催されるアジアウィークの日本🇯🇵、中国🇨🇳、韓国🇰🇷の日でした。ワークショップやデモンストレーション、留学生活の様子のプレゼンがありました。(次女は中国での様子をお話しさせて頂きました。)ホールにはパンダ🐼誰❓パンダでーす🐼だから、誰❓前日の夜からおにぎり100個、お抹茶ケーキ2本、お抹茶のマフィン32個、卵焼き5本、鳥の照り焼き3枚を用意
今日はロイヤルウェディングの中継が朝からありましたね💖お幸せに❗️って願う一市民です。(イギリスに住んでいないけど)さて、今日はリスボンでは大学の卒業直前のセレモニーがありました。リスボン大学の本部前に市内の大学の卒業(見込)生と家族、友人が一堂に会しました。各大学の校旗や学部旗がはためいています。晴れて良かった😊中央にはリスボンの司教様。卒業生を祝福するミサが捧げられました。祝福されたのは学生達ばかりではありません。FITAS/リボン🎗もです。日本で言うサイン帳❓って
昨夜の仕込みは思ったより時間がかかりました…💧お米10kgを5つのお鍋で炊いて〜おにぎり🍙を握って〜お米を炊いて〜を繰り返すこと約5時間😱作ったおにぎり🍙は3種類、塩むすび、鰹だし、ツナそぼろで合計300個❗️お疲れ様でした〜そして…ママのお仕事はまだ残っていました💧卵焼き12本だか13本だか、それくらいの本数パウンドケーキ4本浅漬け100食分くらい❓で、当日の今日、お昼の時間にのぞいてみました。こんな感じで販売されていました。爪楊枝が卵焼きに刺さってる…💧パウンドケーキは
娘達が通っている大学で今週から始まっているSemanaCulturalAsiaticaアジア文化ウィーク次女は執行部で連日バタバタしています。今日も雨の中、材料の買い出しに出掛けています。学生達主導で進められるこのイベントは毎回各国大使館のご協力もあってなかなか盛況のようです。日毎に担当の国があってその国の文化や食べ物を紹介しています。先日のインド🇮🇳の日には次女はヘナタトゥーを体験してきました。今年もやっちゃった〜しばらく落ちないんだよね…❔う、うん…デザインが素敵だよ
私が最初にフランスの地を踏んだのは今からちょうど44年前の1973年9月24日。私はこの日を自分の第2の誕生日と公言している。何故ならばこれが唯一間違いのない日であり年でもあるからだ。以前の記事でも私の生い立ちについては書かせて貰ったが、生年月日とされて戸籍上に記載されている5月24日と実際に生まれた日が大分違っている事は両親も認めている公然の秘密。だから9月24日は私にとって記念日であるが間違いのない重要な日であり全く新しい人生をスタートさせた事から第二の誕生日と勝手に決めている訳だ。