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ジャイアント馬場との“兄弟タッグ”でマット界を席巻!「こんばんは事件」ラッシャー木村が“マイクを握らなかった日”(デイリー新潮)-Yahoo!ニュースプロレスラー・ラッシャー木村が永眠して、今年で15年半あまりが過ぎた(2010年5月24日没)。逝去した翌日、新聞ではこんな見出しが躍った。〈マイクでも観客魅了〉(西日本新聞)〈試合後のマイnews.yahoo.co.jpラッシャー木村さん。引退して21年、亡くなってから15年。今でも木村さんのことがニュースになるとは、木村さんの人
遂に実現‼若手ホープの大激突‼期待の一戦――。昭和48(1973)年9月26日に後楽園ホールで行われた国際プロレス第5回IWAワールド・シリーズの新聞広告。この年のIWAワールド・シリーズはA、Bブロックに分かれての総当たり戦。この日の後楽園ホール大会では他のカードの差し置き、Bブロック公式戦のマイティ井上vsアニマル浜口が目玉に据えられている。この時、マイティ井上が24歳、アニマル浜口が26歳と、団体の未来を背負うべく期待されたホープだった。他にも日本勢は
ラッシャー木村さんラッシャー木村(ラッシャーきむら/RusherKimura)本名:木村政雄(きむらまさお)リングネーム:ラッシャー木村木村政雄グレート・キムラキンジ・キムラマサオ・キムラミスター・トヨニックネーム:金網の鬼吠える闘将1941年6月30日生まれ、2010年5月24日、満68歳没。北海道中川郡中川町出身の元プロレスラー、元大相撲力士。1958年、大相撲宮城野部屋入門(四股名:木ノ村)1964年、相
5月24日が命日・忌日の有名人・著名人571年(欽明天皇32年4月15日)?62歳崩御(?)欽明天皇陛下第29代天皇継体天皇の嫡子1543年70歳没(脳梗塞)ニコラウス・コペルニクスさん天文学者地動説『天球の回転について』⇒『ニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日生~1543年5月24日没、天文学者)』1879年73歳没(慢性腎不全)ウィリアム・ロイド・ガリソンさん奴隷制廃止運動家1948年満62歳没(?)ジャック・フェデーさん映画監督、脚本家
スポーツ観戦は好き?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう好きですね、モータースポーツ、野球、プロレス観戦が好きです…「ゴルフ場記念日」1903年(明治36年)日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンしました…⛳️このゴルフ場を作ったのは六甲山に住んでいた貿易商で彼らの社交の場としての利用だった為、外国人専用で日本人は利用出来なかったそうです…⛳️先日、パークゴルフで"夫婦対決"は僕が勝利しましたがヨメさんはリベンジを狙ってます…「伊達巻の日」日付けは
わたしは……………広島カープが好きだっ!!!いよいよ開幕ぅーーーっ!でも……新井さん「ヤニキぃ〜(金本ね)」「負けちゃったじゃねぇかコノヤローっ!!!」(ラッシャー木村ね)思へば、昨季もそーじゃったです……。だから、、、心配ないさ〜♪(劇団四季Ver.ね)森下きゅんも床ちゃんもナイスピッチング!して、ドラ3の岡本駿(背番号53甲南大)も1イニング0封!してしてなんといっても、OP戦で活躍し
昭和42(1967)年1月。国際/東京プロレス合同記念プロレスNWA世界タッグ選手権戦(1月18日、東京・台東区体育館)の新聞広告。日本陣営のトップがヒロ・マツダ(当時29歳)とアントニオ猪木(当時23歳)で、中堅どころが木村政雄(当時25歳=ラッシャー木村)と斉藤昌典(当時24歳=マサ斎藤)と、日本屈指のテクニシャンと実力者が集結。何よりも皆、若い!そして外国勢もダン(ダニー)ホッジにジョニー・バレンタイン、エディ・グラハムにザ・ケンタッキアンズ(ジェーク・スミス&ヨ
おはよう。前回の星矢記事には沢山の訪問ありがとう★相変わらず物騒な事件が続いてるが、各メディアのニュースが報道してるので詳細はそちらを見て。俺が取り上げるのは埋もれて行く北海道のB級ニュースだw捕まった人間が住所、氏名、年齡不詳までは分かるが、性別不詳?って男か女かぐらいは見て分かんだろ。まぁ、ボーイッシュな女の子や可愛い顔付きの男の子もいるからパッと見じゃ分からんだろうけど、少し会話をすれば男女の区別ぐらいは判別出来るはずだ。「空腹を我慢する事が出来なかった」3
1976年元旦にアメリカでファイトを行う上田馬之助は馬場、猪木、木村へ挑戦を表明。1973年の日本プロレス崩壊で全日本プロレスに主戦場をおいていたがレスラーとしての華がない上田はマッチメイクで冷遇されており、翌1974年には全日マットを離脱してアメリカに活路を見出し、日本テレビとの3年契約が切れる時期に日本マット復活を試みる。馬場猪木は挑戦を無視するも国際プロレスは吉原社長のレスラーは俺の駒である、という信念のもと上田の参戦を歓迎する。登場した上田は万年前座のイメージを覆す
久しぶりにプロレスを語っていきます。久しぶりに語るね〜今回は「ジャイアント馬場さんが全日本プロレスが見せる時」と題して不定期に語っていきます。1990年代、全日本プロレスは他団体と交流せず自社のレスラーのみで興行を行い、鎖国状態と言われました。鎖国って江戸時代に日本が他国と交流せず、国を閉ざしていた状態のことを言っていたんだよね1990年代は三沢、川田、田上、小橋の四天王を中心にハイレベルのプロレスを展開しており、とても人気がありました。馬場さんは鎖国した意識はなく、他団体と交流せず
マイティ井上さんの死去!元週刊プロレス次長のシッシーのブログで知った!『Gスピリッツ最新号、昭和プロレス愛が満ちていて、ロッシーとシッシーなどナイスでしたね!』みててわからんか!これは昭和プロレス者にとって、心に響く言葉ですね、、、当時、プロレスって八百長とか、一般ピープルに聞かれると答えに窮したものですが、、、…ameblo.jp今朝の朝日新聞では、訃報記事は見当たらなかったが、、、♪死んだ男の残したものは、、、スポーツ新聞での情報を集約するとスポニチ(毎日新聞)
お疲れ様です。国際プロレス(こくさいプロレス)は、かつて存在した日本のプロレス団体。正式名称はインターナショナル・レスリング・エンタープライズ株式会社(InternationalWrestlingEnterprise)。略称はIWE(アイ・ダブリュー・イー)。【今日の、1冊】1974年2月にエースのストロング小林を新日本プロレスに引き抜かれて危機に陥った国際プロレスの吉原功社長は、全日本プロレスと提携関係を強めていったが、ジャイアント馬場&日本テレビの策略(?)で団体のイメージが急落。
ストロング小林が27.5kg、ラッシャー木村が22.5kg。昭和47年4月号のプロレス&ボクシングから。47年から48年3月までが坂口征二の日プロの大エース時代なので殆どのプロレス雑誌持っています。
ジャ〜ン❗新旧デスマッチ王💥大仁田さんとラッシャー木村さん。この写真がいつの頃かはちょっと判らないけど…。全日本は旗揚げ当初選手が足りずに国際から選手を借りたりそのお返しに全日の選手が国際に出たりしてた…。交流そのものは70年代後半まで続いていた。けど、やっぱりお互いの意地があり実はかなりえげつない攻めとかもあったそうでプライベートでもそれを引きずる人も居たそう。そんな中、木村さんと鶴見さんはリングを降りるととても優しく食事に連れてってくれたり小遣い貰ったりして
1975年の2月、日本アマレス協会八田会長はニューヨークの日本人経営ステーキ屋に立ち寄り、偶然モハメドアリと会話する。アリは「ジュード―、カラテで私に挑戦する日本人はいないか?」と興にのって尋ね八田会長は帰国後サンケイスポーツに寄稿する。これを読んだ猪木はすぐさま新日本フロントに挑戦意向を伝えるように指示する。当然アリは無視。猪木はアリが1975年7月クアラルンプールで世界ヘビー級選手権防衛戦を行う際、東京に立ち寄るという情報をキャッチ。記者会見で挑戦状を渡す。「俺
Netflixの『極悪女王』が大ヒット!これってプロレス界全体にとっても凄くいいことですよね?だってそうでしょ?普段はプロレスを見ない人はもちろん、まったく見なくなってしまっていた人たちの目にも必然的に触れることで、これほど宣伝効果の高いことはない。何しろ、あのNHKでさえも主演のゆりやんレトリィバァさんを番組のゲストに招いて、このドラマを紹介するほど。海外の影響力が絶大なNetflixと、日本国内の影響力ではまだまだ他の民放とは段違いのNHKで、プロレスを題材にしたドラマが注目を浴び
あのさぁ今日って「こんばんは事件」が起きた日なんだって事件ですよ❗️事件‼️1981年9月23日の夜、田園コロシアムで事件は起きたらしいです事件を起こしたのはプロレスラーのラッシャー木村アントニオ猪木との闘いを前に意気込みを聞かれたラッシャー木村まずはアントニオ猪木に丁寧に「こんばんは」と挨拶したら失笑を買ったという事件おそらく会場にいた人たちはラッシャー木村とアントニオ猪木の対決前の殺伐とした内容を期待していたのでしょうねラッシャー木村の人柄が表に出た事件
ちょうど半世紀前の昭和49(1974)年9月23日(月曜)。スーパースター日本上陸!女子プロレスも再びテレビに――。東京12チャンネルの新番組ファイティング・アワー(月曜夜8時~)の番宣広告。ラッシャー木村&グレート草津vsスーパースター・ビリー・グラハム&バロン・フォン・ラシクのIWA世界タッグ選手権と、ファビュラス・ムーラvs小畑千代のIWWA女子世界選手権を中継。決して「国際プロレス中継」とは銘打たれていないのは、この放送枠で随時、ボクシング中継も放送していたから
タイガーマスクの名勝負を見かえしております。先日急逝した小林邦昭との試合はどれも熱いと再確認しました。キッドとの一連の試合は戦うたびに刺激し合ってお互い進化していくのがすごい。きょうは1982年9月21日大阪で行われたvsブラック・タイガー戦を見ました。タイガーがいつかのインタビューで、「ブラックはスタミナが本当にすごい。五月雨のようにしつこく攻めてくる」と表現していましたがその「しつこさ」この試合でもよくわかります。小技、大技を常に連続で仕掛け
🎤『永源、10月もなかばになると、ずいぶん涼しくなりましたね。(ww😄😅ww)』という『ラッシャー木村』の☝️『🌬️ツバ吐き攻撃🤣』でお馴染みの永源遥(えいげんはるか)『永源』への『名言(迷言)』マイクパフォーマンスがほっこり笑える。👍🤣ラッシャー木村のガラガラ声!🤣🤣最高〜!!
みててわからんか!これは昭和プロレス者にとって、心に響く言葉ですね、、、当時、プロレスって八百長とか、一般ピープルに聞かれると答えに窮したものですが、、、みててわからんか!って、うまい返し技のような気がしましたね、、、週刊「ファイト」のI(井上義啓)編集長は「プロレスは底が丸見えの底なし沼である」と定義しましたが、、、最近では、沼にはまるという言葉もよく耳にするので、時折思い出すのですよぉぉぉプロレス沼にはまったのは、昭和40年代の日本プロレス、馬場猪木時代閑話
昭和54(1979)年6月25日(月曜)のテレビ欄より。昭和54年6月25日(月曜)のテレビ欄夜8時。左端・日本テレビ『紅白歌のベストテン』は「雨天決行!噂の新三人娘ビキニで初登場」と、大場久美子、榊原郁恵、石野真子が大胆にもビキニ姿で歌うことを予告。一方の右端・東京12チャンネルの国際プロレス中継では「ラッシャー木村vsアレックス・スミルノフ」「グレート草津vsオックス・ベーカー」の二大シングルマッチが組まれている。スミルノフもベーカーも極悪な外人レスラーだから
昭和53(1978)年5月8日(月曜)。今週は家でゆっくり――。国際プロレスを中継する東京12チャンネルプロレスアワー(月曜夜8時~)の番宣広告。広告コピー通り、津山総合体育館から中継される「マイティ井上vsジプシー・ジョー」を眺めつつ、ゆっくりとした時間を過ごしたいものだが、そんな類の試合ではないような気も…。その他には「グレート草津vsクルト・フォン・ヘス」、ラッシャー木村やザ・モンゴリアンらが出場するバトルロイヤルの模様が放送されるようだが、こちらも同様だ。昭
国際プロレスのレスラーたちは、好き嫌いや弱い強いに関わらず、キャラが立っていて見ていて面白かった。サンダー杉山の雷電ドロップ(ヒップドロップ)はあの頃のプロレス遊びの定番だった。当時はコミカルなイメージが強かったが、後にアマレスの実力者だったことを知り、高い技術に裏打ちされた動きだったことに感嘆したものである。自分の記憶の中ではストロング小林がエース的な位置づけだったが、新日時代の印象が強過ぎて国際時代の思い出が薄い。グレート草津も申し訳ないが坂口征二の劣化版というイメージ。当時の自分の贔
R・木村さんの名言おはようございます晴天、花粉のコンボで「休みたい病」発症なワタクシ流石にいい歳こいてサボりはイカン!己を奮い立たせるときに思い出したのが平成初頭の名物番組「イカすバンド天国」でのR・木村さんのお言葉R・木村(ラッシャーきむら)プロレスラーラッシャー木村-Wikipediaja.wikipedia.org正確には「耐えて燃えろ」
子供が小学校に入学すると運動会で強制的に聞かされるので、Runner🏃♂️は日本で一番有名なロックナンバーだと言うサンプラザ中野くんの説に激しく納得!爆風スランプのRunner🏃♂️とZARDの負けないで!は、どこの運動会でも流されるもんな!(´˘`)-ᴗ-)´˘`)-ᴗ-)כֿƕכֿƕサンプラザ中野くんの63歳とは思えない声量に驚きつつも、大きな玉ねぎ🧅がのって無い方の会場に到着!3:30開場で3時チョイ過ぎに到着したのですが、もう武道館国技館の周りは長
昭和52(1977)年3月14日(月曜)のテレビ欄より。東京12チャンネルでは夜10時から、映画監督競作われらの主役「世界最強・アントニオ猪木」なる番組を放送。同じく12チャンネルで夜8時からレギュラー放送されている国際プロレス勢の立場がないったりゃありゃしない……。5年後(昭和57年)には、ここに名前が記されるラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇は「はぐれ国際軍団」として三人束となり、猪木一人と戦うことになるのだから、壮大なる前フリだったということか。この猪木特番を
僕らは愛でていく。【有田が愛するプロレスラー】ラッシャー木村の胸熱エピソードと有田が大好きな外国人選手の忘れられない試合とは!?【次回生配信4/3(水)21時頃開催決定】次回生配信は【4/3(水)21時頃~】です!★★★★★★★★★★★★★★★★★★今回は特別回!YouTubeメンバー限定『有田編集長のプロレス飲み会』第22回生配信の一部を再編集して、期間限定で特別にお届け致します!第22回生配信では、他にもたくさんのエピソードをおしゃべり致しましたが、今回の動画はそのほんの一部...yout
これはネタではなくて本当の話です。また、お題とはちょっと違い、また、けっこう年配のプロレスファン・競馬ファンしかわからないと思います。ぼくが感心した名実況・身長約230cmのプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントが入場して歩く姿を見て、古舘伊知郎「ひとり民族大移動!」・菊花賞杉本清「菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!サクラスターオーです!」・菊花賞杉本清「それいけテンポイント!ムチなど要らぬ!」上の二つはテレビで見ていて、最後のは、ビデオで見たものです。