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ラオス人全体的に言えることなのですが、見栄張りです。特にうちの夫は見栄という名札をお腹と背中につけて歩いている、というくらいでエピソードは全て夫の事なので、テーマは「ラオス人夫」とします。そもそも私という日本人と付き合って結婚したのも「見栄」からでしょうね。ラオスには、国際結婚している人も珍しくないです。そもそも少数民族が集まる国なので、異文化を受け入れやすいのでしょう。ベトナムやタイ人、中国やフィリピン人、欧米人などもいます。国際結婚は珍しくはないのですが、うちの夫としてはア
タイトルの通りですがテーマ「ラオス人」で今日はFacebookなお話しです。やりますねーラオス人は、Facebook。東南アジア人は、まだまだやってる人が多いです。ラオス人もしかり。ラオスでのsnsの主流は、FBとWhatsAppで、InstagramやLine人口は少ないです。私がラオスに来たばかりの頃、当時のラオス人の同僚が"ラオスでは赤ちゃんからお年寄りまで皆やっている!"(だからKARNAもやれよ!の意)という、ことわざの様な冗談を言ってました笑実際に赤
このテーマでは、ラオス人とはこんな人っていう事を記録していきたいと思います。初回は「親切で面倒見がいい人柄」ラオスに旅行に来てラオスを好きになる(ハマる)人は、田舎で自然豊かで素朴な街並みの魅力の他にも、ラオス人の人柄に惹かれる人も多いのではないでしょうか。よくある有名なエピソード。ルアンパバンに滞在した旅行者が、レストランで、ラオス通貨KIPの桁違い(100円≒13,000Kip)に慣れておらず、気付かずに間違えて1桁多くお支払いしてしまいます。しかし翌日に同じ店の前を通り
私が知り合ったタイ人、ラオス人はがっかりすることが多かったです。嘘+嘘=辻褄が合わないこういう式が成り立ちます。嘘つき泥棒の始まり。こういうことわざを思い出しました。正直者が馬鹿を見る。私はこれに当てはまります。独り言。日本人の友達欲しい。以上です。
ラオスの仕事。ラオスの工場で生産される製品の生産管理。工場は中国系の工場で、中国人とラオス人ばかり。僕はそこで通訳なしで1人で置いてけぼりにされています。製品は、決して精密な物じゃないけど、ある程度基準があるわけで・・・ジェスチャーとか迫真の演技とか、翻訳アプリを駆使してなんとか伝えようとしています。ただただ「グッドグッド!!」とか「ノーノー」の連呼。でも、あれこれ指示すると不機嫌になります。それをなだめる術もなく・・・しかし、意外と生産は順調で、むしろ予定よりはるかに
今朝、ノンカイのホテルをチェックアウトしてラオスにやって来ました。出国手続きの後タイ側の国境でおんぼろのバスに乗り込んでメコン川に架かるタイラオス友好橋を渡ります。乗客のほとんどはタイで働いているらしいラオス人でタイ人の観光客は少しだけ。橋を渡ればもうそこは別の国ラオスです。といってもタイ側と雰囲気は変わりません。ラオスはタイ語が通じるので言葉の違和感もありません。丸っこいラオス文字とラオス国旗だけが別の国に来たことを実感させます。考えてみれば25
昨日は久々のタイカラオケ当初はプロイへ行くつもりだったのだけど、6月いっぱいで閉店したタムナックタイがあったところに、そろそろ次の店がオープンしている頃だよなあ、と思い立つで、やってなかったり、求めるタイプの店じゃなかったら(女の子が付いてお高いとか)、すぐ退散してプロイへ行くことにして、まずはタムナックタイがあった場所へ向かったドアにOPENの札がかかっているのでやっていそう店名はビエンチャン・・ラオスの首都名だ確か、タムナックタイの継承者はラオス人とタイ人の共同
彼女が日本に来て、一番呆れたことは頭が悪いことでした。結婚が決まってから、毎月5万円くらいの金を払って日本語教室に通ったにもかかわらず、彼女が覚えた日本語は「おはようございます」、「おやすみなさい」、「ありがとうございます」、「今日は何を食べましたか?」の4語のみでした。さすがにこれでは、、、と思い、日本に来てからは、いろいろなテキストを買ったり、CDを買ったりして勉強させました。しかし、私が仕事に行っている間はほとんど勉強していない。(ノートを見れば一目瞭然)私が家にいる日は、机に向かって勉
ハクション大魔王Amebaマンガ「出まして来ましてアクビです!の話」Amazon(アマゾン)2005年にアメリカはカリフォルニア・サンディエゴに留学をしたのですが、2006年にマッサージの学校に通い始め、そのマッサージ学校で知り合ったラオス人のスバニーと仲良くなり、ルームメイトとしてサンディエゴベイを一望できる素敵なアパートに1年間一緒に住みました。数日前にそのスバニーからひっさしぶりにFacebookからメッセージが
ラオスビエンチャン夜明け前~その時...1993~永い間戦争だの内戦だのが~しばらく続き、国境は開いたり閉まったりそして観光旅行も解放されたそのラオスの観光ビザは300バーツですが、政府は旅行会社を通さないと観光は認めず。わたくしはバンコクの
林望著『イギリスはおいしい』を読んでいて、20年前に出会ったイギリス人を思い出した。シーパンドンはラオス南部の、メコン川にかかる滝で有名なところ。でも20年前は『地球の歩き方』のラオス編もまだなく、現地にもツアーを扱う旅行社はなかった。だから滝を見るためには、現地のボートを出してくれるラオス人に個人で交渉する。夫と二人で一艘では高く付くので、イギリス人旅行者とシェアすることになった。翌朝、私は、のんびり仕度している夫を急かして時間通りに待ち合わせ場所に行った。イギリス人は来ていなかった
今日は、旦那のお父さんと親戚の家に行きました。で、大好きな❤️フーを、頂きました。ベトナムのフォーと同じ感じです。これに、ナンプラーとかライムを搾っていれたり。自分好みのスープに仕上げます。で、私が大好きなのは唐辛子🌶とカピ❣️カピとは海老味噌で、英語で言うとシュリンプペースト詳しくはhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC
こんにちは、ィヤダナーです!!さあ、今日も行きましょうか!第二回「ミャンマーの民族を紹介しよう!」今回は、ミャンマー東北部に住む民族、シャン族です!さて、場所はどこでしょうか??確認してみましょう。シャン州wikipediaより抜粋州都:タウンジー(大きな山)宗教:上座部仏教タイに住むタイ人をシャムと呼ぶことがあるらしいですが、(バンコクBTSの駅、siamの由来)シャンは語源が同じらしいです。つまり、タイ人と系統が同じ民族のようです。
ラオス人との結婚の手続きは、何十枚も書類を書いて、いろんな役所を回るスタンプラリーのようなものです。国際結婚手続きを代行してくれる会社はあるのですが、3,000ドル(約33万円)(紹介してくれた友達はもっと安かったのに)と言われ、びっくらこいてやめました詳しい書類の内容などはこちらを(おヒマであれば)https://www.intl-marriage-info.com/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AB%B8%E5%9B%BD/%E3%83%A9%E
いろいろと面倒くさい旦那ですが、愛犬まさおのことに関しては、一生懸命やってくれてます
旦那が洗面所から出てきてビールもうないの?と言ったのに対し、冷蔵庫にあるやろ私は愛犬のブラッシングに一生懸命で、旦那の変な髪型には興味はなくそのまま洗面所に戻った旦那をなんとも思わず、ブラッシングを続けていたところ…髪を真ん中わけで出てきた旦那で、ブラッシングに夢中な私は、特に突っ込むこともなく、知らんぷりをしていたところモヒカンで出てきた旦那やっと旦那の気持ちに気づき、笑ってあげたよね気が済んだ旦那は、やっとシャワーを浴びに行きましたよ…めんどくさいですが、そんな無邪気な
ではないですが…明日、アルバイトの面接の予定の旦那。でも、私は仕事なので、1人で電車に乗っていく旦那。私でさえ、乗り換えの電車に四苦八苦してるのに大丈夫だろうか?本当、子を見守る親の気持ちっす
お風呂から上がってきて、ビール🍺を飲んでる私に酔っ払った?と、声を掛けてきた旦那見ると髪の毛真ん中分けで、ワセリンべっとりの顔。しかも上目遣い久々に、笑い転げました写真撮ろうとしたけど、拒否られたので残念こんな面白い旦那に救われてます
身内に不幸がありまして、実家に帰りました。あまりに突然で、飛行機を取る余裕もなく、愛犬を預けることもできず、とりあえず、旦那と車で九州まで帰りました。帰るときは、夜出発したので眠かったのと旦那に運転を代わった時から渋滞だったので、あまり気にならず、実家に戻りましたが…葬儀が終わり、神奈川に戻るとき。山道の運転は慣れてる旦那ですが、高速道路の運転は慣れておらず、怖くて文句言ったらケンカになりもう俺は運転しないと、代わってすぐのPAに止まる。で…私16時間運転したよね…意外に平気な
いつもは私が夕食作るのだけど…今月入って、職場に体調不良のスタッフが出て、勤務変更したら、この3週間で5回も夜勤入ったから疲れた私。夕食作りたくなくて、ウダウダしてたら旦那が動き出したそれが狙いだったんだけどねーで、これ。私より、盛り付けが上手いでは、いただきまーす
タイラオス旅が終わったので、終わってから感じたことをつらつらと書いて行きたいと思います。言うまでもないことですが、全て私目線ですし、たまたま行ったタイミングや出会った人で変わるものだと思うので悪しからず。(インド旅についてもこういうことを書いていきたいと思っていたのですが、いかんせん留学が後にせまり余裕がなかった。。。まとめたいことあるので、時間を見つけて書きたいと思います。)今回は、ラオスの教育・年収・生活についてです。調べたことも交えて書いていきたいと思います。まず、教育
4月15日はラオスの年明けです。仕事を終えて帰ろうとしたところメールでパーティーのお誘いがありました。しかし疲れてるし遠いから断りました。それでも引き下がらない友達仕方なく一時間半かけて行くことに。ついた時間は一時間過ぎてました。それに8時から飲んでる友達はベロンベロンでした。何も食べてなかったのでご飯を作ってもらいましたが辛かったです。なんであんなに辛いのか不明です。結局朝の9時まで飲む羽目になりもう二度と行きたくないと思いました。ラオス人って酒強いなぁって思いました韓国人
のっけから写真を出します(笑)これです、この写真。老けて見えるけど、私は40歳くらい。長男は帰国して私の子供は右の三人。夫は写真係り。家族のように親しくしていたラオス人一家とお墓参り。私たちもグランメールと呼んでいたお祖母さんのお墓です。亡くなったのは66歳。知り合ったのは私が29歳のとき。グランメールは50代だったけど、彼女のことをお婆さんだと思いこんでいました。60歳になったグランメールが結婚を申し込まれたと聞いた時も、そん
今日はニット帽どっかのサッカー部の人みたい風呂から上がっても被ってるどっかのサッカー部員か
旦那はラオス人です。日本人には理解できないことがたくさん。そんな旦那と楽しく過ごしてます!イライラすることもあるけど…笑その旦那と愛するワンコとの生活を、書いて行きますねー🤣🤣
2日間かけてじっくりつくりました。
昨日は乗馬の日。そこの馬舎も今問題でさ、オーナーが薬で捕まっちゃって、馬たちの世話が行きとどいてないんだって。ほらね。ラオスにはびこる薬問題。私も何かやりたいとは思うんだけど、草刈って持っていったり、糞尿片づけたり、水を入れ替えたり。でもさ、とにかく時間がない。お店の休みはないし、空いた時間はうちの猫達と過ごしたい。特におーとーとの限られた時間を大事にしたい。そうすると、レッスンを受けること、くらいしか出来ない。レッスン料を払うっていうだ
ぶんしゅーがとりあえず人間に戻って、つかの間の平穏。この繰り返しがいつまで続くのか・・・昔さ、私が妊娠をして、(残念ながらだめだったんだけど)両親がものすごく反対したの。まだ結婚前だったとか、そういうのは私はどっちでもいいと今でも思ってるんだけど。この件が原因で、父親とは今も断絶状態なんだけど、その時の父親のメールを思い出す。ざっくり要約すると、タイに出稼ぎにきてるようなラオス人、まともなはずがない。東南アジアの男となんて一緒になったらろくなことがない。って