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ドアの向こうには、師匠のライ・メンドーサ先生が立っていた。『スエルテ!』(グッドラック!)師匠はそう言うと、シンとガッチリ握手を交わした。何と師匠は、デビュー戦を観に来てくれていたのだった。プロテスト合格後に、アレナ・ネサのオーナーとも話をつけてくれて、デビュー戦のお膳立てをしてくれた師匠。その師匠の期待に何とか応えたい…そして、4年の歳月を費やして掴み取ったプロへの道。その第一歩が今ここに始まる…リングへ向かうソンブラ・オリエンタルことジライヤ。
後日談だが、ネファストとの5分間のエキシビションの直前までリングネームは決まっていなかった。一緒に来ていたライ先生の門下生と、あーだこーだと色々考えていたが、傍らで聴いていた師匠は、「シン!お前のリングネームはソンブラ・オリエンタルだ!」と言い放った。「おおっ!ケ・ビエン!(そいつはいい!)」門下生一同、みんな納得の表情だ。「ソンブラ・オリエンタル(東洋の影)…カッチョイイ!さすが師匠!」実にしっくり来るリングネームである。ここにソンブラ・オリエンタルが誕生した瞬間であった。ネファスト
屋上へ上がると20名近くの練習生がいた。その先にビジャノ1号が……と思いきや、ロス・ビジャノスの父であるライ・メンドーサであった。日本ではメキシコの鉄人と言われている。このルチャ界においてガチンコで彼の右に出る者はいない、という逸話もあるほどシュートは強かったのである。シンは入門を直訴した。「日本のアミーゴよ、ビエンベニード(ようこそ)」ライ・メンドーサは快く受け入れてくれたのだ。シンの人生をかけた、最後のチャレンジが今始まる!若き日のライ・メンドーサ(手前)とミル・
シンがビジャノ4号と約束した通り午前中にハム・リーへ行くと、しばらくして4号が1号、5号と共にやってきた。そう彼らは兄弟なのである!「すげぇ〜!本物のビジャノスだぁ!」と心の中で1人興奮しているシンがいた。メキシコの鉄人の異名をとる「ライ・メンドーサ」の息子たち。4号が一番下の弟になるのだった。2号はこの時すでにリタイアしている。2度目のメヒコ…シンはここで新たなテクニックを身につけることになるのだ。しかし、彼らの額はアブドラ・ザ・ブッチャーのようにギザギザの傷だらけであった。特
シンはタイガーマスクにどっぷりハマってプロレスを観だした頃、ルチャ・リブレという言葉を頻繁に聞くようになった。ルチャ・リブレ…それはメキシコを中心に中南米に広まって行った、空中戦やジャベと呼ばれる複合関節技を駆使して戦う、メキシカンスタイルの超空間レスリング、メキシカン・アーティスティック・レスリングのことである。後に磁雷矢が立ち上げることになるレアル・ルチャ・リブレ、メキシカン・アーティスティック・レスリングのロゴマーク。プロレスリングとは似て非なるもので、《自由への闘い》と訳される。