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5月1日が命日・忌日の有名人・著名人1837年(天保8年3月27日)45歳没(自決)大塩平八郎さん儒学者大塩平八郎の乱を起こした1873年60歳没(マラリアの複合症)デイヴィッド・リヴィングストンさん宣教師、探検家1904年満62歳没(脳梗塞)アントニン・ドヴォルザークさん作曲家交響曲第9番『新世界より』1945年満47歳没(自殺)ヨーゼフ・ゲッベルスさんナチス・ドイツ宣伝大臣1951年満43歳没(白血病による心不全)永井隆さん医学者『長崎の鐘』『こ
3月13日の出来事1758年フレンチ・インディアン戦争:かんじきの戦いでフランスが勝利。1781年ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見。1809年第二次ロシア・スウェーデン戦争敗戦の責任を問われていたスウェーデン王グスタフ4世アドルフがグリプスホルム城に幽閉され、王位を剥奪される。1845年メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲がライプツィヒで初演。1881年(ユリウス暦3月1日)ロシア皇帝アレクサンドル2世が投げつけられた爆弾により暗殺さ
10月29日がお誕生日の有名人・著名人1656年(ユリウス暦)生(1742年満85歳没)エドモンド・ハレーさん天文学者ハレー彗星の軌道計算1897年生(1945年満47歳没)ヨーゼフ・ゲッベルスさんドイツの政治家、ナチス・ドイツの宣伝相1899年生(1949年59歳没)エドワード・ワズワースさん画家1909年生(2020年8月11日110歳没)白井庄次郎さんスーパーセンテナリアン男性長寿日本一1935年生(2018年82歳没)高畑勲さんアニメ映画監督
ゲッベルスと私2018年6月16日公開ナチスの主要人物ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦後長きにわたる沈黙を破って当時の様子を語るドキュメンタリー。あらすじ1911年、ベルリンに生まれたブルンヒルデ・ポムゼルは、第二次世界大戦中、1942年から終戦までの3年間、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として働き、近代史において最も冷酷な戦争犯罪者のそばにいた人物である。いくつもの高精度カメラは、ポムゼルの深く刻まれた顔の皺や表情だけでなく、瞳の奥に宿す記憶を
監督:クリスティアン・クレーネスら出演:ブルンヒルデ・ポムゼルナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69年の沈黙を破り、撮影当時103歳でインタビューに応じたドキュメンタリー。1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書として働いたポムゼルは、「あの時代にナチスに反旗を翻せた人はいない」と話す一方で、「ホロコーストについては知らなかった」と語る。近代史最大の戦争犯罪者のひとりであるゲッベルスに誰よりも近づいた彼女の独白を通し、20世紀最大
ゲッベルスと私原題:AGermanLife2016/オーストリア上映時間113分監督:クリスティアン・クレーネス、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー、フロリアン・バイゲンザマー脚本:フロリアン・バイゲンザマー出演:ブルンヒルデ・ポムゼルパンフレット:★★★★★(700円/コラム、インタビュー、アーカイブ説明など、100点の作り。観た人は買うべし)(解説)ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から69
今日、映画を観てきました。東京・神保町の岩波ホールで現在上映されているゲッベルスと私。ナチス・ドイツ宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書をしていたブルンヒルデ・ポムゼルさん(インタビュー当時103歳。昨年1月27日に死去)へのインタビューをまとめたドキュメンタリーです。ちなみにモノクロです。ポムゼルさんが淡々と語り、合間に当時のプロパガンダ映像やゲッベルスの言葉、演説を挟むという作りになっていました。ポムゼルさんは「自分は与えられた仕事をこなしていただけ」とし、ホロコーストも「知らなかった」
ユダヤのことわざにこんなのがあります。「一つの嘘は嘘である。二つの嘘も嘘である。三つの嘘は政治である」ギリシアの哲学者プラトンは、言いました。「もし偽りを言うことが誰かに許されるとすれば、国の支配者たちだけが、国民なり敵たちのために、それが有益である場合、偽りを言うべきである」プラトンプラトン(Plato、B.C.427-347)ナチスを例にとり「悪の凡庸さ」を指摘した思想家・政治哲学者ハンナ・アレントは、こう言っています。「嘘は政略家やデマゴークばかりでなく、
スティーヴン・ホプキンス『栄光のランナー1936ベルリン』1936年のベルリン・オリンピックにアメリカが出場すべきか議論が分かれていた最中、アメリカ・オリンピック委員会の会長アベリー・ブランデージはアメリカのボイコットを回避するべく自らドイツを訪れ、ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相との会談において、オリンピックから黒人選手やユダヤ人選手を排除しない事を約束させた。この約束をアメリカに持ち帰ったブランデージは、ベルリン・オリンピックにアメリカが出場すべきかを決定する投票において、58対56の僅