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《本日のDVD鑑賞》会社が横浜市港北区なので、フライ級&バンタム級で日本人初の2階級制覇王者(Jr階級の無い時代)ファイティング原田さんのジムは近所だったので覗きに行った事は何度かある。今年の3月に東日本ボクシング協会から退会したニュースを聞き、夏に久しぶりに覗きにいったら閉まったままだった。82歳になった原田さんだが、引き継ぐ人はいなかったのかな・・・・今年の1月には、50年以上続いた草加有沢ジムも創始者の有沢二男の息子さんである、有沢茂則さんが今年の1月22日に亡くなられて閉鎖となった
この下敷きに書かれたサイン。なぜ色紙でなく下敷きに書かれているかって?それにはちゃんと理由があります。このサインは高校2年生の冬休みが終わり、正月明けに寮へ戻った時に後輩からプレゼントされたものです。古城賢一郎。古いボクシングファンなら覚えておられると思います。赤城武幸を番狂わせで破り、日本Jr.ライト級チャンピオンになりました。その古城のいとこが私の後輩で、その彼は私がボクシングファンだと知っていて帰省の時の親戚の集まりでわざわざサインを書いてもらったという事で帰校時に私にくれた
市川次郎公式ホームページichikawajiro.web.fc2.comItikawaZiro^noburoguItikawa_Zirôさんのブログです。最近の記事は「クラウドファンディングはじめました(画像あり)」です。ameblo.jpいちかわじろー(@Itikawa_Ziroo)さん/X市川次郎-GAGA247エンタテインメントシンガー・ソングライター|LinkedInItikawaZiroo音楽配信サービスでItikawaZiroo
練馬区の税理士吉嶋税務会計事務所吉嶋税理会計事務所は、練馬区で開業している税理士事務所です。記帳指導・税務相談・税務申告等の全般にわたりトータルにサポートいたします。また、教育相談についても応じております。税務・会計、または教育相談についてお気軽にご相談、お問い合せください。www.kame-ojisan.comトレーナー税理士吉嶋税務会計事務所所長吉嶋丈人|スタッフ紹介|本八幡のレイスポーツボクシングジムでプロによる指導をご体感くださいray-box.netうちの
◆1974年10月3日日大講堂WBC世界Jライト級タイトルマッチ15回戦同級王者柴田国明(BVDヨネクラ)KO15R同級2位ラミロボリャノス(エクアドル)ボリャノス「絶対KOで勝つ!ボクの試合を見た人なら信じてくれるよ」柴田「今までで最高の仕上がり。相手が出てくればKOね」米倉会長「そんな時に限ってポカをする」第二ラウンド柴田の左に天井を向きコーナーに下がるボリャノス。追う柴田の右フックがアゴを直撃。たまらずダウンするボリャノス。クレイ(当時はまだこの呼び名は
井上尚弥。12月26日の大一番に向け、海外よりスパーリングパートナーを招聘。その一陣が終了。パートナーたちとのスリーショットをインスタで披露。井上より一回り以上大きな体躯を持つメキシカン、エリック・ロブレスら相手と1か月間スパーを敢行(多い時には連続5Rを含む週3回!)以前からそれこそアマのウェルター級選手相手とのスパーも厭わない井上。彼の強打に耐えうるには上のクラス選手たちが必須。また大橋会長もヨネクラ時代に中島俊一(ジュニアバンタム級日本王者)と
偉大なる拳闘人米倉健司氏が88年の人生を終えた。大好きな方だったので非常な寂しさを感じる。五輪出場、プロ入り5戦目で日本王座獲得(その後レオ・エスピノサに勝ち東洋バンタム級王者に)、パスカル・ペレス、ホセ・ベセラの世界王座へ挑むなど選手としても一流の米倉氏(※因みに後日、ベセラVS米倉の映像を観たメキシコ人からは「なんだベセラの負けじゃないか」との声も上がったという)だが、何といっても指導者として超一流の名伯楽だった。育てた王者は世界王者5人、東洋王者9人、日本王者31人
ブログを読んで頂きましていつもありがとうございます(◍•ᴗ•◍)✧*。いよいよ明日!!!この2人好きなんです私はよくイケメン選手好きだと思われていますもちろん否定はしません(笑)デラさんがライアン君に執着する姿はよく理解出来ます自分を重ね合わせているのかなぁと思ったりお前が言うななんですが(ㆁωㆁ)この試合が決まった時は嬉しかったでも試合が近づいてくるとなんかね~切ない(・・;感情なのか複雑な感情なのか気持ちがザワザワどうなるか分か
4月20日に元東洋バンタム級王者でヨネクラジム会長だった、米倉健司(本名健治)氏が亡くなられた。享年88歳。福岡県出身。福岡高校から明治大学に進学。1956年メルボルン五輪代表。1958年にA級プロデビューを果たし、日本フライ級、東洋バンタム級王座を獲得。世界王座にも2度挑戦した。引退後の1963年にヨネクラジムを創設。柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志氏ら5人の世界王者を育成。高齢を理由に2017年8月にジムは閉鎖されていた。米倉氏は現役時代、ハワイのスタンレー・イトウ氏に師事
ヨネクラジム(17年8月閉鎖)の元会長、米倉健司(本名:健治、リングネーム:健志)氏が4月20日、88歳で逝去。[OBの大橋ジム・大橋秀行会長が、翌21日に公表]1956年のメルボルン五輪に出場(3回戦進出)したのち日興ジムからプロ転向、日本ボクシングコミッション初のA級デビュー。58年11月、3戦目で日本フライ級王者矢尾板貞雄氏(昨年9月に逝去)に挑み、判定負け(58年の年間最高試合)で初黒星。5戦目の59年1月、福本篤人氏に判定勝ちして国内最短記録(当時)の日本
ども、レパード沼です。また昭和の巨星が一つ墜ちました。ご冥福をお祈りいたします。
前回からのつづきです。父の兄弟は8人もいて、わたしの父は末っ子でした。親の兄弟が8人もいると、いとこもいっぱいいて、その中でもわたしは最年少の部類でした。同い年のいとこ(女の子)があと2人いて、3人でよく遊んでいました。松本好二氏はわたしたちからしたら「みんなの優しいお兄ちゃん」といった感じで、たまに親戚の集まりで会うと「こうちゃん、こうちゃん」と慕って、遊んでもらっていました。でもそれも、小学生くらいまでの話。わたしは“こうちゃん”がボクシングを
フジテレビHDDチェックまず拳四朗VS京口試合後インタビュー。出来たらこの素晴らしい試合を是非放映して欲しいものだ(WOWOWに期待!)。JBC-SW川崎真琴VS出田裕一38歳同士のタイトル戦1R、再戦の両者。偵察無用とばかりにパンチ交換開始。出田はスピードないが、己を知っている(三迫イズム)身体を開き正面からしつこく上下にパンチ。古傷開くがスパイダー根本戦法でスタートを抑える。10-9出田2R、川崎はどうしても出田の距離に身を置いてしまう。振りも
今日は目白の方を歩いてきたのだが、かつてのボクシング名門ヨネクラジムの跡地を見てきた。ジムは跡形もなく、今はマンションになっている。ヨネクラ会長が「一代限り」と決めていただけあり、当然のことである。大きなジムでも無くなってしまうことがある。時代の流れだってあるし、仕方のないこと。でも虚しさを感じてしまう。ヨネクラジムに限らず無くなってしまったジムって結構ある。かと思えば現役を退いた選手がジムをオープンさせたりと、ボクシング界は変化している。まさに諸行無常の響きあり。これは良いことでもあ
生涯戦績51勝(37KO)1分世界ミニマム級王座21度防衛。ライトフライも制した不世出の選手リカルド・ロペス。「リカルド・ロペスが一番強かったのは、12歳の時」とクーヨの下、メキシコ修行していた大鵬健文はうそぶく。12歳は眉唾だが、プロで大活躍した投手が「ピークは高2の時だった」と話すケースも有るので、10代のロペスはやはり恐るべき選手だったのだろう。そのロペスが世界王座をつかんだのは、1990年10月に行われたWBCストロー級タイトルマッチ。ロペスが24歳の時であった
1974年4月11日東京日大講堂WBC世界ライト級タイトルマッチロドルフォ・ゴンサレスVSガッツ石松ゴンサレス:57勝(47KO)5敗28歳※2度王座防衛中石松:26勝(14KO)11敗6分24歳4月11日、この日は空前の全国ストライキの真最中。国鉄は全面運航停止。但し会場には徒歩やあらゆる手段で集結した観客で熱気満々。この試合は、このスト以外にも色々曰くつき&因縁めいていた。一度は試合決定もゴンサレスが「毒クモに噛まれた」との事で試合延期。14年
ボクシングを始めたきっかけは、まず中学生の時に映画ロッキー4を観た事でした。凄い興奮して、将来絶対ボクシングやろうと思いましたね。ロッキー4https://www.youtube.com/watch?v=q57qB6Kwroo&list=PLzYhVi9nROi8W4UE7OkRBu4TMQEX-X4RR次にマイクタイソンです。マイクタイソンの試合を観てさらにボクシングがやりたくなりました。https://www.youtube.com/watch?v=W63pbU7Sdjcチャン
1978年4月28日後楽園ホール日本ウェルター級タイトルマッチ辻本章次VS亀田昭雄アマエリート、長身サウスポー同士の新旧対決。辻本:27勝(14KO)3敗2分け※日本王座12度防衛中亀田:6勝(6KO)1R、サウスポー同士。やはり右の差し合い&技巧派同士のフェイントの掛け合い。亀田の右がスナッピーだ。フリッカー気味に繰り出すなど、バリエーションも豊か。亀田左をフック軌道で当てた後は、真直ぐ繰り出す。ショートも強く、ボディーへの攻めも見せる。パワーの辻本、キレの亀田
1963年に開設され5人の世界王者を輩出したヨネクラジムが、初の世界チャレンジを果たしたのは1970年6月の鈴木(ガッツ)石松選手。世界ライト級王者イスマエル・ラグナ(パナマ)陣営から正式な契約書が届くと石松選手は、「本当ですか。世界タイトルよりも、外国に行けるのがうれしい」と、正直な胸の内を明かしている。1970年1月、3度目の10回戦で初のメインイベントに出場。東洋ライト級王者ジャガー柿沢(中村)選手と対戦した石松選手は大方の予想を覆し、ノンタイトル戦ながら柿沢選手を破り世界入り。
tシャツカットソーメンズ半袖大きいサイズXXLサイズ厚手大橋ボクシングジム井上尚弥八重樫東HEATH.ヒースBLUEPORTブルーポート横浜楽天市場4,200円nikkansport.com@mobile格闘技コラムリングにかける男たち黒、黄、赤…大橋会長の験担ぎを払拭した教え子たち今月からボクシングジムが営業を再開し、WBA、IBF世界バンタム級王者井上尚弥が所属する大橋ジムを取材で訪れた。WBC世界ストロー級タイトルマッチ崔漸煥(
国内タイトルを乱獲中の三迫ジム。この勢いだと不利の予想ながら永田大士にもワンチャン有るような気すらしてくる。昨今の時代の流れで、日本独自のジム制度の在り方が論じられているが、大相撲の部屋の例に見るように国民性にマッチしているし、スポンサーありきの興行事情にもジム制度は必須。自分が観戦してからの各ジムの栄枯盛衰他を思いつくままに記してみる。例によって散文、戯言ご容赦。生観戦し始めた80年代前半。協栄ジム全盛時代。トレーナー陣も充実。メイン前に協栄ジム選手が出てくると
はっきりボクシングファンとなったのは中3の時。翌年アマチュアボクシング選手を目指しボクシング部へ入門😅その時は渡嘉敷勝男さんがWBA世界ジュニアフライ級王者になった頃で、リングアナウンサーの、「協栄ジム所属ぅ~」と言うアナウンスは耳に残ってますね😃あと、「三迫ジム」「ヨネクラジム」は当時のボクシング中継でよく耳にしたもの。あれから30年以上経ちまして…ヨネクラジムは米倉健司会長の引退による解散、のカタチでした。三迫ジムは日本王者を複数抱えて、世界王者の拳四朗さんも関東の拠点にしていて
ヨネクラジムWBCWBA世界チャンピオン大橋秀行WBC世界チャンピオン川島郭志東洋日本チャンピオン松本好二東洋日本チャンピオン西澤ヨシノリ日本チャンピオン松島二郎ヨネクラジムマネージャー林隆治米倉会長も大喜びでした!
ちょっと前にスカパーで放送していた、大橋会長の試合見ました。今のボクシングはすごく技術発達しましたね!!19:00~6:00キックボクシングジム新宿スポーツジム東京都新宿区歌舞伎町2-2-10地下鉄大江戸線副都心線東新宿2分都営新宿線丸ノ内線新宿三丁目5分JR新宿駅10分080-1987-1739(17:00~5:00)shinjuku.gym@gmail.com(24時間:受付)
仕事がヒマなうちにどこかへ旅に出ようと思ってるんだけど、アナの晴れ女パワーもさすがに秋雨前線は追い払えないようで天気予報を睨みつつズルズル時間だけが過ぎてしまうんですよねー旅先検討のためガイドを買おうと行った書店ですごく久々にボクシングマガジンを買いましたビートはジムで読めるからいいんだけどマガジンは無いからな。マガジンさん、花形ジムにも毎号送ってくれないかしらでもビートもマガジンもあったらジム行っても練習せずにずっと座って読んじゃいそうだからいっか、今のままで今月号は木村×田中の記事
ヨネクラジムの戦友米倉会長合宿組大橋秀行川島郭志松本好二西澤ヨシノリ松島二郎久々に五人集まり盛り上がりました!五人で獲得したベルト日本東洋世界16本獲得しました現役時代の話で遅くまで盛り上がりました33年もいると兄弟以上の不思議な感覚ですこんな感じになれるのは幸せです
昨日がヨネクラジム最後の練習で閉鎖になりましたヨネクラジムに入門した30年以上の自分の写真もありましたヨネクラジムでの血と汗と涙の中の激しい練習試合に勝って歓喜敗れて悔し涙全ていい思い出です米倉会長に教わった事をこれから全て選手達に伝えて行きますヨネクラ魂を持ってもうすぐアメリカに旅立ちます終わりは始まり応援宜しくお願いします!ヨネクラジムありがとう!
昨日は8月いっぱいで閉鎖するヨネクラジムの最後の日ということで取材に行ってきました。この風景、実は月の半分は見ています。というのも、ヨネクラジムのある目白から僕の家は自転車で5分のところにありいつも仕事に行くときに山手線が走っている線路の横の細道を通っていくんです。でも、ヨネクラジムの中に入ったのは昨日で3回目でした。54年の歴史の最後を見ることができ貴重な体験をさせてもらいました。今の環境に感謝です。最後の練習ですが、OBの方も来たりで14