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先週の金曜、新宿オフィスへ出社した時、吉田拓郎ゆかりの地2カ所に行ってみた。とは言っても、それらしい何かがあるという訳ではないが。1つ目は、新宿御苑前のエレックレコードがあった場所。今は新しいビルになって形跡も無いが、拓郎が新宿御苑まで歩いたであろう路地を検証したりしてみた。もう1つは、新宿二丁目の花園通り沿いにある早川屋ビルというユイ音楽工房を立ち上げた場所。このビルは現存しており、いかにも昭和の雑居ビルという雰囲気がある。拓郎はいつも新宿三丁目で飲んでたらしいので、このビルを出て
1970年代の原宿を検索すると、かつて神宮前交差点の一等地にそびえていたオリンピアアネックスの姿が次々と現れる。そこには、1975年から1980年にかけてユイ音楽工房が拠点を構えていたという。画面越しに広がる当時の風景に思いを馳せれば、向かいにはあのセントラル・アパートが鎮座し、時代の熱気と文化のうねりを静かに見下ろしていたのだろう。あぁぁ!!!!ここで、あの伝説の篠島ライブが生まれたんですか!!!!しかし、私がオリンピアアネックスの存在を知った頃に
まだ一度も渋谷公会堂に行けてないなんて、、、ほんとあり得ない、私。この日行けばよかったのに、大学で夜まで疲れてたからなんて理由で逃してしまうなんて。考えれば考えるほど悔しい!渋谷エピキュラスにも行ったし武道館も篠島だって九段会館だって原宿ペニーレーンもフォーライフも1979年にゆかりのある場所は片っ端から足を運んだのに、渋谷公会堂だけが抜けてる。もう自分にツッコミたい気分。でもね、12月31日には
ユイ音楽工房会報が、とうとう届いた!これで、No.2からNo.91978年11月から1980年1月までの号がすべて揃った。1979年のユイカレンダーもばっちり揃い、、1979年もう完璧だ。じっくり見ようじゃないか。新しい発見が、たくさんあるに、違いない、、、、、_:(´ཀ`」∠):あぁぁぁ1979年………ユイ、本当にありがとう…。感謝の気持ちで胸がいっぱいです。さて、ユイ会報読み始めるぞ〜!さっそく1979年の陣山さん。初めて見た。凄
『渋谷エピキュラスの復活』1979年オタク渋谷エピキュラスの復活に涙する2024年11月16日。何気なく目にした記事で、私は腰を抜かした。ヤマハ(静岡県浜松市)は11月15日、かつて…ameblo.jp↑これの続きどす。11月17日旧渋谷エピキュラスを目指して渋谷へ繰り出したものの、実はもう一つの目的があった。それは――原宿ペニーレーンで行われる、寺町ストリートバンドと、いわさききょうこwith常富喜雄のライブ!常やん!常やん!常やん!!拓郎1979年オタクにとって、
1979年オタク渋谷エピキュラスの復活に涙する2024年11月16日。何気なく目にした記事で、私は腰を抜かした。ヤマハ(静岡県浜松市)は11月15日、かつて同社系列のレコーディングスタジオ「渋谷エピキュラス」があった渋谷・桜丘の坂の上にブランド発信拠点「YamahaSoundCrossingShibuya(YSC渋谷)」をオープンした。ヤマハ、渋谷・桜丘にブランド発信拠点2施設で構成、若者ターゲットにヤマハ(静岡県浜松市)は11月15日、かつて同社系列のレコーディングスタジオ「
篠島ライブに関しては、現地を訪れなければわからないことが多い。特に、笈川さん、川口さん、渋谷さんが当時の長老・鈴安さんのお宅でライブ反対派の襲撃から逃れるために使った経路を自分の目で確認できたことは、大きな発見であった。1979年長老・鈴安さんの家の跡地篠島ライブが行われた当時、島の区長であった鈴安さんのお宅は、45年後の今(2024年)ではほとんど解体されてしまった。この地には、ユイ音楽工房の渋谷高行さんや川口勇吉さん、そしてジェスパの笈川良次さんが訪れていた。また、ライブに反対する勢力も
中原めいこさん、5枚目のアルバムです(85年5月発売)。めいこさんは前年、CMタイアップで「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。」(84年4月発売)が大ヒット、同曲を収録した4枚目のアルバム「ロートスの果実」(84年7月発売)も好セールスを記録します。本アルバムは、ニューシングル「やきもちやきルンバ・ボーイ」(85年5月発売)とほぼ同時に発売されました。全体の印象ですが、2枚目から4枚目のアルバムまでの、新川博さんによるブラスとパーカッションを
以前,BOOWY商売について書いたことがあったけど,その後もやっぱり出ていた。ファンだからこそ言いたい。1BOOWYが出したシングルをアナログレコードでリリース2013年2月に全シングル7枚をオリジナルデザインの紙ジャケットで復刻,廃刊となった写真集を付けてのボックス仕様で発売したのに,今度はアナログでの発売かよって思う。どうして未発表曲に手を付けず,ありとあらゆる方法で既存アイテムの再発ばかりするのだろうかといつも思う。2BLUE-RAYボックスセットを単品で発売
またも悲しい訃報が届きました。自分がデビュー当時所属してた、ユイ音楽工房の金海(加戸)孝寛さん。大柄でとても温かい人柄、右も左もわからぬ自分に、いろいろと温かいアドバイスくれてました。そして当時イルカさんが率いてた野球チームも一緒で、よく朝早くからグラウンドで汗流したりしました。エースは伊勢正三さんとかでした。死因など詳細がまだ伝わってきませんが、本当に急なことでただただ言葉がありません。金海さんは高石ともやさん率いる、ナターシャーセブンの元メンバー、
俺がBOOWYを好きになったキッカケの曲であり,俺がアニメソングからロックを聴き始めるようになったキッカケの曲、それがBOOWYの代表曲として,あまりにも有名な「NONEWYORK」。BOOWYが東京ドームでラストライブをやったのが1988年4月…。俺は当時中学2年生で,どちらかと言えばまだ「ザ・ベストテン」に出演しているアイドルの方やアニメソングの方が好きだった。だけどある時期を境に,クラスのヤンキーと言われている同級生達や先輩達,ちょっと粋がってたけど俺と仲の良かった後輩まで
チャゲアスバンド集合から二日、こんな写真が届きました〜!チャゲアスのお二人と雑誌でのインタビュー、自分は多分デビュー当時、ユイ音楽工房の時代かな。昔の写真をあげるのは本当にはばかれる思いだけど、アスカバンドの皆さんとめっちゃ盛り上がった勢いで^^先にデビューしてたお二人を訪ねた自分、何だか甥っ子にそっくりでちょとびっくり。この後10数年でチャゲアスの事務所に入るとは、全く想像もしていなかった自分。飛鳥さんの当時の自宅によく遊びに行ってて、新しく入った
BOOWYの誕生(又は解散)からキリの良い年に記念した企画がまた始まった2017年。正直、「どうせまた既発の修正版だろう?」と思ったら「CASEOFBOOWY」と「1224」のオリジナル盤ということで、やっぱり既発の修正版だった。インスタとか見れば、予約して「早速CASEOFBOOWYTHEORIGINAL」や「1224THEORIGINAL」を観たという興奮冷めやらぬコメントが殺到していた。それはそれで嬉しかったけど、また既発モノだったから俺はあまり買う気にならなかっ
「MIDNIGHTDATE」数あるBOOWYの未音源化の楽曲の中で、一番人気のある曲だと思います。お得意系のシャッフルソングで、「MIDNIGHTBEPOP」「MIDNIGHTSHE(或いはC)POP」とも言われている。個人的な評価としては、切ない感じのサビのメロディとギターソロ、「ICLOSEDYOUREYES~」のバックで流れるキーボード音が好きです。特にそのキーボード音が当時の音というか、(今にしれみれば)アナログチックな古臭い感じの音で、それが却っていい味を出してい
先日発売のMEG-CD、ランキングが2位になったとお知らせが!いや〜、嬉しい〜〜!購入していただいたみなさんのおかげさまです!本当にありがとうございます!2位になったのは、先日シングルやアルバムが何枚か発売になったうちの「KYOICHI」という作品。これはロンドンからフォーライフに移籍した時の第一弾のアルバム。合わせて事務所も拓郎さんや長渕さんと同じユイ音楽工房に移籍したこともあって、それまでのイメージとはかなり違うプロデュース。アルバムの中にはかなり男気を前面に出した写真で
4/7世田谷FMの生出演、おかげさまで無事終わりました!いやあ、長江健次くんとも久々の再会、枠を大幅に超えての、まあいろんな話になりました。やっぱりご縁の深い人というのは、ずっと会ってなくても、キモキモで良い再会をするんだなと思います。だから、会うことはとても大事。いろんな情報が伝わるしね。帰りがけは長く住んだ世田谷のあたり、懐かしくて遠回り。そういえば桜の名所がたくさんあったなと、色々思い出しながら。デビュー35年と一口に言うけど、
オフコース鈴木康博さんの番組出演の後、その事務所の社長さんに誘われて恵比寿のお店へ。すると南こうせつさんの事務所の社長さんが偶然!この方も元ユイ音楽工房。新しいアルバムが出たことを伝えると、すごく喜んでくれました。南こうせつさんも、自分の雨ニモマケズを広げてくれた方の一人。当時こうせつさんの楽屋で、色々とアドバイスを受けたりしてました。ほとんどレコーディング終わっていた状態だったけど、もっとこうなるといいね、きっとこうだよねと言ってもらい、すぐ