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立ち読みして一目惚れで購入。以下メモ。プラトンのイデアの説明でよく例に出される「直角三角形が・・」だと、イデアの意義は分かりにくい。正誤が曖昧なものにこそ”イデアがある”は力を発揮する(真善美など)(p86)。アリストテレスの現実態は広義と狭義がある。広義には、運動変化で目的は外にある(家を建てる)。狭義には、目的を含み時間の流れを超えている(見ている、生きるなど)(p97)。エピクロス派の<平穏な生き方>という発想は、その前のデモクリトスの原子
実に面白かった。サルトルやメルロ・ポンティ、ボーボワールらが、戦前・戦中・戦後と激動する情勢の下で、懸命に自分が信じた思想と行動の一致を目指して生きた姿を、パリでの交流などを盛り込んで、丁寧に描いた作品。ノンフィクションならではの面白さが充満している作品だった。社会科の「現代社会」や「倫理社会」などに名前が出てきて、その業績を数行読んだだけの彼ら有名人に加えて、彼らと直接間接的に同じ時代の空気を吸って、なんらかの影響をあたえた、ハイデッガー、ヤスパース、フッサール、そしてカミュなどの生活ぶ
WEBで参加。ご発表内容を勝手に書いていいのかわからないので、私の間違いだらけな梗概、意見、感想、というか要は個人的メモ。犬飼先生のご発表から;死の間際だと「私がどう評価されているか」「私はこのようなことを望む」といった自身の思いは無意味になり、エゴイズムは捨て去られる。同時に、未来の他者(=歴史)から、自分の行いや生き方を「お前はそれでよかったと思っているか」と問い直される(主観的には自身で問い直す)。私はそれに対し、「未来のあなた方のためにこのようなことを
「死・苦・争い・責め(負い目・罪)。これらの限界状況にぶつかり挫折する体験は、この世界をこえたものにまなざしを向けるきっかけになる。」これはカール・ヤスパース(ドイツ・実存哲学)が言っているそうだ。こういった哲学は、言葉の定義(実存とはなにか?)をしっかり定義してとらえないと、そこらのえらそうな経営者が書いた成功本を読むのとたいして変わらない・・。安易な受け売りになる。しかし、こういった言葉は、定義を把握していなくても、素直にすっと入っていくことがある。所詮、どこも同
牧野正彦氏の『ハンナ・アレント全体主義という悪夢』は昨年九月二十日、講談社現代新書として世に出ましたが、アレントの思想が簡潔にまとめられていて、僕としては勉強になりました。皆さんにもぜひ手に取ってもらいたいと思います。文章も平易ですから、喫茶店で一時間半もあれば読破できるはずです。アレントが強調するのは、もう一人の自分の存在です。僕に言わせれば、代わり得る自分ということになりますが、それを失ってしまえば、全体主義に加担する人間になってしまいます。恩師であるヤスパースや、恋人であったハイ
これまた面白くて、出張先で泊まったホテルと、帰りの新幹線で読み終わった。もう少し若かったら、この方法を本格的に勉強したかもしれないという思いと、若い頃はこの方法の良さが分からなかっただろうから、この本に出会っても勉強しなかっただろうなという思いで、複雑な気持ちに。内面をいじくるような、「蓋は開ける」ような、余計なことをしない。過去を詮索しない。したがってあまり意味のない原因探しをしない。考え方を変えることでもない。行動を変えることでもない。逆に、考え方や
ヤスパースは、ドイツ人の実存主義の哲学者です。実存主義は、サルトルから始まりました。はじめに、「無」について、わたしの見解を述べたいと思いますが、どうでしょうか。以下は、旧約聖書のヘブライ語、ヘブライ思想からの考察となります。人間は無から創られた、何もないものであるということは、受け入れ難いことであり、確固として自分の独自性を疑わなかった人間にとっては、大きなショックであり、頭で分かったとしても、耳に心地よいものではありません。しかし、人間は無から創られたということが、まず
【Q19459】1717年にイギリス国王ジョージ1世がテムズ川で催した船遊びの際に50人ものオーケストラをまるごと船に乗せ初演され、国王が気に入り3度も繰り返し演奏させた逸話でも知られる、ホルンやトランペットが響き渡る第2組曲2曲目の「アラ・ホーンパイプ」が有名なヘンデルの管弦楽組曲は何?【水上の音楽】【Q19460】著書『精神病理学総論』で精神病理学者としての地位を確立したが、のちに哲学に転じ、「限界状況」「暗号解読」「包括者」などの概念を展開した、ハイデッガーと並ぶドイツ実存主義を代表す
時間論を考えたくて図書館で借りたが、難解で何度読んでもわからない。あと時間の議論、あまり出てこなかった・・・当然、誤読しているという前提のメモ。哲学は現実から遊離してしまった(p8)。正法眼藏は弁証法的哲学的である(p19-20)。宗教で哲学を刷新しようと田邊は試みる。哲学的宗教読解ではない。超越への信と内在の証とが行において相即し、超越即内在となる(p36)。行為し(本当は修行だろう)、大いなるものを信じれば、それは内面化される。絶対は遡源的に自己を現成す
図書館の本を読んで。『世界の名著(75)』(山本信・責任編集中公バックス)「哲学」(ヤスパース)、「存在と所有」(マルセル)を読む。「哲学」だが、意味がわからない。「私自身は研究対象にならないということが、私にとっては、自由の可能性になるからである」(p241)「存在と所有」は、存在と非存在の中間状態と言ってるが、幽霊のことか。「時間との関係において記憶が果たすことを、空間との関係において果たすのがテレパシーではなかろうか」(p465)
23-7-29(土)『受験生の手記』(久米正雄著)を久々に読み返した。現在の受験生が読んでも面白く読めるだろう。ただ、主人公が何故志望校(この場合旧制一高)に入学したいのか、最期まで良く解らなかったし、主人公自身もそのことについては疑問をもっていないようである。今の大学受験生も皆似たようなものであるけれど。話しは変わって、今年の夏は相当に厳しい。受験生たちも大変なんだろうなあと何だか同情してしまう。私は中学3年の夏休み40日間に500時間勉強をするという目標を立てた。それが達成できた
cheeseです💕今回ご紹介するのはこちらの一冊📗(ケン・クリムスティーン『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』みすず書房、2023年)ハンナ・アーレント政治哲学者である彼女のことを知ったのは大学院生のとき。自分の研究が忙しかったので、アーレントについては先送り⏩卒業後、公開された映画をみてアーレントについては勉強した(つもり)になってました😌その後、書店の哲学書コーナーで彼女の本を手に取るたび心がひるみ(だって、分厚くて難しそうなんだもん(^_^;
<ロシアのキーウ急襲>シンドローム?☆類似シンドローム<ベトナム反戦・学園紛争と伝統進学校>十六の年える春に紺碧の空間一つ立ちはだかり<昭和から平成へ:冷戦構造の崩壊・バブル崩壊>凍眠常態へ:(仮死情念)<阪神大震災・オーム真理教事件・Windows95発売><リーマンショック><陸山会事件><帰国後のアルバイト面接>あまりこだわりもなく、ありのまま履歴記入:<東大?どうしてやめたの?勿体ない。行きたくても行けない人もいるのに。さぞかし親御さんはガッカリしたでしょう?
柳津町で出土した約五〇〇〇年前の縄文土器には一対の土偶が付いている。目、鼻、口の輪郭がはっきりしており、お互いに向かい合いっている。肩、背中、腕や指も浮かび上がっている。おぼろげな人の顔や姿を描きたかったのだろう。土器自体からも、日本特有の大地の胎動である火山のエネルギーが伝わってくる。奥会津の沼沢火山の噴火は紀元前三四〇〇年頃で、それと無縁であるわけがない。人間が自己を自覚して生きるようになったのは、インドの釈迦、ギリシアの哲学者、イランのゾロアスター、旧訳聖書の思想、中国の諸子百
(83頁)没落と上昇超越者を私が摑み取るのは、私が超越者を思惟したり、何か或る規則的に繰り返し得る行為を通して超越者と関わり合ったりすることによってではない。私は超越者へ飛翔したり、超越者から離反的に没落したりするのである。私が実存的に一方を経験するのは、他方を経験することによってのみである。すなわち、上昇は、没落の可能性と現実性とに結びついており、同様に、没落も、上昇の可能性と現実性とに結びついているのである。数千年来、太古の諸思想は、人間の落下と登攀とを超越的な次元で関
ヤスパース『哲学』翻訳(第5部)第三巻「形而上学」「第三章超越者への実存的関係の諸々」(68頁)第三章超越者への実存的関係の諸々反抗と帰依(71頁)没落と上昇(83頁)昼の法則と夜への情熱(102頁)多なるものの豊かさと一なるもの(116頁)超越者は、限界状況において実存が自分の根源から自らを超越者へと方向づける場合に初めて現前するものであるが、すべてを吸収する灼熱であり得るものであり、あるいは、依然としてすべ
(つづき)自らの反省の際限の無さという不断の危険と、そして、自己存在が限界無き開放性を敢行する所以であるところの、この自己存在の可能性には不可欠な文節的明言化のすべての、全き不確かさとの中で、実存は初めて自らに至り得るのである。(44頁)この開放性は、私が私自身との間で敢行する程度に応じてのみ、他者に対しても私が持ち得るものであるが、この開放性は、知識と反省を終わり無く媒介としつつ、知識とならないその都度唯一的なものを明るみに出すのである。問うことと答えることが為されるところではどこでも
(24頁)第一主部交わりと歴史性における私自身第二章私自身思惟可能なものの限界に面する私(26頁)1.自我一般—2.自我の諸相—3.性格—4.思惟可能なものにおいて私はひとつの全体としての私を確信するのではない自己反省(35頁)1.自我存在と自己反省—2.溶解させる自己反省—3.自己反省と根源的直接性—4.自己欠落と自己被贈自己存在の二律背反の諸々(45頁)1.『私は在る』ということの経験的な意味と
(第2部)(19頁)実存の現象の多義性ならびに実存開明の働きをする諸言表が誤解される可能性実存は自らの現象において客観的となるゆえに、この客観性は、そこにおいて可能的実存が語るかぎり、多義的であり、諸々の可知性が一義的であることと対峙的対照をなしている。実存について語ることは、実存が接する一般的なものの側面に触れなければならないゆえに、あらゆる言表、実存を開明したいと思うあらゆる言表は、言表の本質からして誤解される可能性がある。実存は、いかなる一般的妥当性を
2021.12.19ヤスパース『哲学』第二巻「実存開明」翻訳(1頁)第一章実存世界現存在と実存(1頁)世界現存在における可能的実存の不満(4頁)1.実存の存在への懐疑—2.可能的実存の表現としての、現存在への不満—3.世界現存在を突破してゆくことが、実存開明では確かめられる実存開明の諸方法(9頁)1.限界へと導くこと—2.心理学的・論理的・形而上学的な語りにおける客観化—3.実存開明のために特有な一般的なものを創出するこ
《子供であり続けるのは、本来的に人間であり続ける者である。》『哲学』第三巻「形而上学」126頁
23-2-5(日)昨日は立春であったらしい。寒い一日であったが、日差しがそこそこあったので、久々に鎌倉中央公園を一周してきた。ここはそれほど大きな緑地帯ではないが、昔の(鎌倉時代以前の?)田畑や梅林や山道が残っていて、一回りすると1時間くらいはかかる。もう10年近く前になるか、北里大学の非常勤講師職が決まった初春に毎日散歩していたことを何となく思いだした。何故この職が舞い込んできたのか未だに良くは解らないが、ちょうど誰もやる人がいなくて私におはちが回ってきたということらしい。私の場合、大
カイヨワ戦争論とドゥルーズ・ヤスパース要は、限界状況(不幸)があって自我が裂けて病気の中に逃避する。そこでアートがとかセックスがとか言っても逃避にさらに逃避を加えてサバイバル(自分が自分でなくなる=自我障害)という状態になる。だからドゥルーズが言うように逃走して、医師に診てもらう(投薬より会話)、そして美味しいものや好きな映画見てるうちに時間が解決してくれる。なぜか?超越者(神)がいたから。というのがヤスパース論であり、逃走リカバリー論である。まず楽になろうよ。
メディアは自滅する。新型コロナ報道も煽るだけで核心を突いていない。東京新望月衣塑子氏は日本は中国に負けると。もし、中国に日本が占領されたら、日本民族はジェノサイド「民族浄化」をされ、民主主義勢力、保守派は強制収容所、秘密警察によって「自由・人権・法の支配」を奪われるだろう。「全体主義の起源」を著した思想家ハンナアーレントは奴隷の平和、自由のために戦うべきと。ナチスと共産主義は同根だ。哲学者ヤスパースは祖国のために戦死した人々は尊いと書いた。ウクライナの人々は祖国防衛のために戦っている。そ
大学の図書館である本を探していて、ついでに見つけ、参考になった本。ドイツ語ではなく英語なので読みやすいし、著者たちは概ねドイツ人なので、二次資料として大変に貴重。いったん借りたのはいいものの、書き込みをしながら読みたいので、古本でもいいから手元に欲しいとやはり購入。本日、職場に届き、さっそく読もうとして驚いた。扉にこの本の前の持ち主のお名前があった。確かに「東大哲学科宇野昌人」と書かれている。ヤスパースはメンタルヘルス界隈では古臭いもの扱いで、
歴史の中の自分とは存在意識と歴史的知覚・知識の融合からくる強い存在感覚である。精神的タイムスリップとも言える。哲学者だとニーチェ・ヤスパース、小説だと三島由紀夫が唱えている。アダルトチルドレン・HSPが音楽などを奏できった後にマゾヒズムが裂けてそうなるケースもある。(俺)
よく読まれている。ただ、いまぼくは思うのだけれど、現在の政治世界に、ヤスパースの主張を容れることを求めることができますか。むしろ政治というものがもともと、人間の精神秩序に反するものではなかろうか。ヤスパースの言うことは、政治者ではなくわれわれ自身に言って聞かせるべきことではないだろうか。そのくらいぼくは、いま、政治というものそのものに、絶望を越した無関心になっている。2015年02月18日(水)16時30分00秒テーマ:自分に向って2月11日に書いた特欄に、ヤスパースの
私たちが自由を守り抜くためには、自由諸国民が結束しなくてはなりません。改めてヤスパースの語った言葉を思い出します。カール・ヤスパースの『根源的に問う哲学対話集<ハンス・ザーナー編>』(武藤光朗・赤羽竜夫訳)に収録された、武藤光朗との対話「人間の自由の未来のために」を読み返しています。雑『自由』昭和三十七年一月号に掲載されたものです。ヤスパースは、ロシアと中国に対抗して、自由緒国民の結束を訴えたのです。東アジアが危機的な状況を迎えているからこそ、なおさら説得力のある言葉ではないかと思います
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