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東アフリカの高原地帯、ビクトリア湖北岸に接する共和国。イギリスの植民地化される前は、ブガンダ王国をはじめとした多くの王国が群雄割拠していた地域で、1962年独立後も6つの地方王国が儀礼的ではあるものの存在し、政治的にも安定していないようです。ウガンダの名前はブガンダのスワヒリ語の呼び名で、有力な王国の名前をイギリス人がこの地域の統合地名に採用したようです。英領東アフリカの中心地モンバサの言語スワヒリ語を含む現地のバントゥー諸言語では接頭辞をつけて名刺の意味が変化するので、ガンダ族の国という
2024年3月にケニアへ旅行しました.行った街は、首都ナイロビと第二の都市モンバサです.情報が少ないケニアのため、ざっくりですが現地で感じた留意点をまとめています.◉持ち物・ビニール袋(レジ袋)は、環境問題の観点で国への持ち込みが禁止になっています.わたしはレジ袋およびジップロックをすべて捨ててからケニアへ入国しました.セキュリティチェックで引っかかっている方は見かけませんでしたが、引っかかった際はかなり面倒になることは間違いない(すべて捨てろと言われる、賄賂を要求
年末12月26日からモンバサ(Mombasa)に帰省してました。そもそも、モンバサに家があるわけでもなく、家族がいるわけでもないので、「帰省」はちょっと違うだが、気持ち的には、実家に帰る感覚です!家出して初めてケニアを訪れた2002年あれから22年経っても変わらず皆んなモンバサにいる安心感当時の写真を保管してくれてたのでちょっと紹介<Rodaと初めて会った2002年>子供達は、みんな今20代(膝の上に座ってる女の子がRuhama)妹の加奈子と一緒に行った
タイトルのように、好きな国はそれぞれ違うと思うのですが割と「アフリカに行きたい!」とか「アフリカ好き!」と言う人多いと思うんです。私もそうなんですが・・・すごい漠然とした言い方なんだけど、でも違和感もなかったりするんですよね・・・そもそも、国境を引いたのは誰なの?という風に考えると不思議ではなかったりするかもしれません。そんな「アフリカ」という一つの言葉の強さを感じた出来事です。タンザニア人のスワヒリ語の先生が、私によく言うこと。「アフリカには沢山の国があるけど、僕たちは
今日は、以前チラッと書きました、乗合バスの《マタツ》について書きます。庶民の足であり、これさえあればどこまででも行けてしまうチョーーー便利な交通機関。いろんなマタツに乗れば乗るほど、おもしろさにハマります。まず、基本情報から。・ほとんどが日本の中古車です・13人定員とか書いてますが、あくまで書いているだけです←私はママの上に座らせてもらったり、逆に子供を座らせたりと定員は詰め込んで乗れる限りって感じです。・ドライバーとコンダクターの二~三人体制・行き先によって乗るマタツが異なりま
当時の記録をそのまま掲載します。ケニアへ戻れる!そのおかげで沢山沢山パワーが湧いて不思議な空気になってきてます^^やっと、会えるよ!そんなこと連絡できる環境のない大切な友達。なんとか連絡できないもんか、、、彼女の名前はAisha。いつも私に連絡くれるときに使ってた友達の番号に国際電話してみることに!なんと!二年越しにつながりました。笑しかも、その友達は電話で何度か話したことしかないのに「SATO!!!!!!!!!!」って覚えてくれてました。泣いちゃうよー。そういえば、帰国の
前回のお話の際に肝心なことを忘れておりました。笑まず、モンバサがどこなのか!こちらでございます↓↓モンバサにも国際空港がありますが、日本からだと基本的にはナイロビにまず到着になります。そこからは、長距離バスで移動。大体の所要時間は7時間程。東京~大阪ってな感じです。残念ながら長距離バスの写真はないですが、とりあえず何時になっても爆音で、電気もガンガンついてます。そして暑い。途中、トイレ休憩はありますが電気のないおトイレなので懐中電灯がないと訳がわかりません。ちなみに私は、そんな便
さぁ、ナイロビでの生活が終わり、いよいよ!私の恋した港町モンバサへ移動します。ここで半年ほど生活することになります。モンバサの中心地から乗合バスで30分ほどの終点「Bamburimwisho」からさらにローカル線に乗って「Kiembeni」と言うところに住んでいました。Bamburimwishoはあまり治安の良い地域ではなかったです。数年後にお世話になるお家の方に、初めて住んだ場所がそこだと伝えると「車から絶対に降りないわw」と言われました。それに比べるとKiembe
ケニアでの生活🇰🇪はやはり日本のようにはいかない。当たり前だけど、1番つらいのは自分で自由に動き回ることが出来ないことかもしれない。買い物行って自分で買ってくること、支払いや店までの移動、ちょっと遊びに出かけること、子どもの遊具遊びにも手続きが必要だったりで、いつも誰かに着いて行ってもらう。せいぜいアパートの中にあるプールに子ども二人を連れて行くくらいは出来る。Uberの利用やMpesaの使い方、英語も分からない私には一人で、もちろん子連れで出かけるのは容易じゃない。料理もそう。
今朝はいつもより早く起きるセットしたアラームを2度ほどムシしたけどここ最近8時頃まで寝ていたので上出来木曜日の英語の会で教授が紹介していた『miraclemorining』朝時間が自分に革命を起こすという本のタイトル'ミラクルモーニング'がやさしく響き続いて今朝6日目に繋がった今あるものを読むまでは新しい本を手にしないとしているのでまだ読んではいないけど「朝早く起きるとよい」ということだと分かるそれが自己革命に繋がるとはすごい
「日本を支配しているのは誰なのか?」という問いかけがあり、米国や英国などの一部の勢力では、などの憶測があるかと思います。米国の実態を知る上で、ある意味参考になりますのでご紹介させて頂きます。米国大統領は米国国民が選ぶ人物ではなく、「支配者たち」によって擁立されているに過ぎず、選挙も民主主義も幻想であるという現実があるようです。(唯一の番狂わせは2016年の大統領選挙のトランプ大統領の当選だったようです)■「米国大統領に立候補する資格」とされる要件・出生時にアメリカ
ケニア南東部の島の港湾都市。古くからインド洋の貿易で栄え、ポルトガル人を追い出したアラビア半島のオマーン(ザンジバル)の支配下に置かれましたが、次第に衰えて19世紀末にはイギリスの進出を受け入れています。1888年帝国イギリス東アフリカ会社が設立し内陸部の開発が行われるようになりましたが、なかなかうまくいかず1894年にはイギリス政府による植民地が形作られていきました。コインは帝国イギリス東アフリカ会社が発行したもので、この地域の基準通貨であったインドルピーに準じた通貨を発行しています。天秤
東アフリカ、エチオピア、ソマリアの南に位置し、1963年英領植民地より独立の国。海岸部を主にアラビア人の進出があり、モンバサ等のインド洋交易拠点を中心にアラブとアフリカ文化の融合したスワヒリ文化が繁栄した地です。、19世紀末のアフリカ分割までは、ポルトガル進出を追い出して進出したオマーン(ザンジバル)の勢力が支配しましたが、後イギリス(帝国東アフリカ会社)が進出し植民地化しています。紅茶、花、コーヒーといった園芸作物の生産が多くアフリカでは比較的安定した国のようです。通貨シリングは、独立後英領
テレビの見過ぎだろうか?アフリカのサファリというと見渡す限りの大草原の中、野生動物が群れをなしている、そんな光景が脳裏に焼き付いている。おかしい、最初にシマウマをブッシュで見つけてから。また、シマウマ、シマウマ、またシマウマ。たまにインパラ。(シマウマだって可愛い。でもシマウマばかりじゃ・・)(引用元:Greatrailjourneys)あっ、あそこに他の動物がいるとガイドさんが教えてくれたのは・・・ダチョウだった。ゾウはどこだ。キリンはいないのか?ライオ
ホテルの朝は早い。目覚まし代わりなのだろうか?早朝からスタッフが庭で太鼓を叩いて音楽を鳴らしだすので目が覚めてしまう。目の前に広がる海、残念ながら近くの浅瀬には魚がいない。シュノーケリングで魚を見るには遥か彼方までサンゴ礁の上を歩いて行かなければならない(はるか向こうまで行かないと・・)(引用元:Jumiafood)素足で歩くと怪我をするので足ひれをつけたまま歩くことになる。これがなんとも歩きづらい。20mならなんとか頑張れるけど200mもあるとさすがに頑張れない
さて、モンバサを出てバスで途中のマリンディへ。ここはインド洋沿いのリゾート地らしい。バックパッカーにリゾートなんぞ関係ないしね。街から海岸まで歩いて15分ほど、取り敢えず海に向かうと、リゾートホテルが!俺らには合わんなあ、と思いつつ近づくとスタッフが寄ってきた。まあ、値段を聞いてみると、あら、一泊400円ほど。泊ることに決定。しかし、オフシーズンなのかレストラン等、すべてクローズ、ただ寝るだけ。でもまあ、眺めはかなりのものなので、一泊だけならいいかな。飯は、街へ、街に入る際あたりで
結局キリマンジャロはその雄姿を観ることもかなわず、一旦ナイロビへ。キリマンがだめならケニヤ山へ行こう!ケニヤ山の雨季は一か月後だから何とか間に合う、モンバサからラム島を廻って行こう!朝早起きしてバスターミナルへ、当時のターミナルはただ広場に大小色んなバスがたむろしている、という感じの場所です。写真より埃っぽく、舗装もなく、切符売り場もなかった気がする。どうやってチケットを買うのか?聞いて廻るんですね。で、なるべく混んでるバスを選ぶ。というのも満員にならないと出発しないからです。中近距
Mombasaの街歩きもなかなか楽しいですが狭い街なので、1日で市内の主要箇所は歩けてしまいます雰囲気だけ楽しんでください仕事探しの人たちが道端にたむろっています。自分が何ができるのかをアピールするために、道路に物や工具を置いています。小学校では子供たちが楽しそうに遊んでいます。このケニアでは、英語とスワヒリ語が公用語。スワヒリ語は国語になっているだけで、学習は1教科らしいです。全て授業は英語というわけです。だから、街中では英語で全部通じるんですね。道を歩いていると、よく出くわします
モンバサの旧市街を歩きますトゥクトゥクはケニアでも健在です黄色と緑の色は、ケニアに合います旧市街地は土産物探しにもいいですし、歩いていて気持ちのいいエリアです市民の生活が伝わってきますケニアには、まだ看板を作る技術やコストや材料がありません。したがって、どこの家もレストランも、小規模なところは皆壁に自分が何を売っているかを描きます鶏が、肉になる。レストランFreshFishshop魚をさばいて売っているんですね。サメも売っていました絵が下手くそですが、チャイ、サモサ、ス
港町モンバサに着くと、途端にモテた。分かってる。彼らの目当ては私ではなく、私の背後にあるであろう日本でのビジネス・チャンスであることを。海辺で仕掛け漁をしていたお兄さんにも言われました。「写真を送って欲しいから、住所を教えて」って。なんでやねん。ホテルにチェックインすると、来訪者が相次いだ。ホテル・スタッフの「お茶飲まない?」に始まり、果ては地元のクラブでDJをしているという人までやって来て「観光はどう?」とか「遊びに行かない?」と誘いに来た。夜行列車で到着して眠いのに、
私は”鉄”です。ジャンル分けすると”乗り鉄”。鉄道って、旅情をそそりますよね。きっかけを作ってくれたのも1991年のケニア旅行でした。とはいえ当初は鉄道に乗る予定はなかったのですが、止むを得ず……。2泊3日のマサイマラ国立保護区でのキャンピング・サファリの後、せっかくケニアまで来たので首都ナイロビだけでなく、インド洋に面した港町モンバサに行くことにしました。移動はお得なバス。そこでチケットを確保しようと、ダウンタウンにあるバス乗り場に向かいました。すると首筋にコン!と何かが当た
ナイロビから飛行機で1時間。モンバサという港町に来ました。モンバサは工業港で有名で、ケニア第二の大都市です。モンバサにはアフリカでも最王手の大きな鉄鋼メーカーがあり、今回はそこを訪問です日中ミーティングして、いい会議ができましたまぁ、せっかくなので写真を出してしまいましょういい人たちでした。また来ることを約束しました午後日の暮れる前に市場を歩きましたローカル感半端ない!結構危ない感じもしましたが、日中なのでまぁ大丈夫でしょう。スリは多いと思うので、気をつけたほうがいいかも。でも、いた
特別講師としてあいのり学校へ向かう途中、空港に迎えに来てくれたのはなんと!以前ケニアで買い付けの際にドライバーをやってくれていたアーサーだった!..当時現地の旅行会社でドライバーをやっていたアーサーは何自分のこ会社を立ち上げ社長になり、日本の人気番組(あいのり)から彼の会社にコーディネーターを受注するまでに!!..何という大出世!!😲💦人間ドラマは番組のスタッフにも起きている?!..#子供5人を持つビッグパパの大出世#あいのり#アフリカンジャーニー#あいのり学校#d
トゥーチェロズ&モンバサ2CELLOS-Mombasa
朝の11時から始まったボドゲ会スタッフでの新ゲーム勉強会丘の上の裏切り者の館わたい、が約束事のように裏切り者になる暴れ猫率いて皆に襲いかかるが負けるささっっとゲームは進み次のゲームへモンバサこうなると勉強会じゃあありまへんガッッリ根詰めてやり始める面々笑女の子ダンスの予定で抜ける仕事帰りの男子が加わるマックや刺身で腹ごしらえしてるとダンス女子が戻りたいとメール本日日曜日‼️皆んなゲームが好きなのだ!戻ってくるPm8:00Gwt(いや、ゆーとくけと、グレートウ
買取&販売の銀座パリスイオンタウン吉川美南店です。*店名長いです今日は良い天気で暖かかくて気持ち良かったですねお散歩ついでにご来店頂いたお客様がたくさんいらっしゃいました先日お散歩ついでに来店されたご年配のお客様は、指輪がきつくて取れなくなり指が腫れて来たので、切ってくださいと言われたので切って差し上げた所、そのままお買取させて頂,き、本日のお散歩ついでにお寄り頂きましたお陰様で指が良くなってきましたと見せに来て頂きました他の指輪もきついから今度持って来ますと言って頂きました
おはようございます、yasuyoですナイロビで待ち合わせてから、ここまで一緒に旅をして来たKansamaとここからは、それぞれの旅に向かいますKansamaはタンザニア、エチオピア、エジプトと未踏の地を行くようですせっかくディアニビーチまで来たから、タンザニアまで同行したかったけれど今回は日数が少ないので泣く泣くパス世界の国100%踏破したい私としては、近場は抑えておきたいでも、同じ行くならしっかりと見たいちょっとややこしいトラベラーですモンバサに来るまでは、Kansamaと別
おはようございます、yasuyoですディアニビーチ最終日。明日には次の目的地へ出発です今日はまみちゃんがお昼頃には出発するとかで、午前中は3人でフォトセッションお天気は最高旅の必需品簡単2分で洗顔時間を美肌つくり時間に変えてしまうルミスパはどこででも使えてしまいますアパートメントの使用人のおじさんがいつもココナツを持って来てくれま〜すそして、この後もずーっと旅が続くまみちゃんと旅の情報交換にも余念がありませんっここでKansama、ココナツハンターにチャレンジおじさん
おはようございます、yasuyoですまみちゃんが行きたかったというレストランへ予約も入れてくれていたのでLoloのマッサージから帰って来たKansamaとトライシクルに乗って行きますケニアでは初のトライシクル。ディアニビーチみたいにちょっとした移動でUber呼ぶまでもない時は便利な乗り物ですまみちゃんおススメのレストランは、何と洞窟レストランアリババな〜に〜、これ超オシャレじゃないですか〜???待ち合わせのエントランスは何の変哲も無いフツーのレストラン。中に入って、この