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いっぽう私はといえば、調停ではあくまでも、正攻法を貫いた。私の弁護士は、私の気持ちを尊重してくれ、気の済むようにやらせてくれた。モラ夫にされてきたモラハラを切々と調停委員に訴えた。診断書には、これまでモラ夫から受けたDVも克明に記され、私がモラ夫のためにPTSDに苦しんでいるとあった。さらに年末にモラ夫に家に侵入されて、貯金を持ち去られたことも、調停委員に言った。返せと主張し、モラ夫のやり方の汚さを強調した。やがて調停委員のお二人は、私に対して、好
婚姻費用の調停での私の最大の希望は、この調停がモラハラ案件であることをなんとしても強調したかったこと。モラ夫の悪業を露わにするチャンスと思った。だから婚姻費用に加えて、私のカウンセリング費用も、DVの治療費として請求した。この治療費をめぐって調停はすったもんだした。そして、モラハラを立証することの難しさを垣間見た。モラ夫側は、俺はモラハラしてない、むしろ妻がモラハラしたとの証拠を出して、治療費を拒否してきた。その証拠というのが何とも珍妙。まず、妻か
やっと、婚姻費用の調停が終わった。3段階に及ぶ調停のうち、婚姻費用→子供との面会→離婚の、第一段階の終了。月1回、全部で6回の調停だったから、半年かかった。長かった…すったもんだの末、裁判所の出している婚姻費用の算定表ベースに少し上乗せで、決まった。弁護士さん曰く、悪くない金額だと。決まった婚姻費用は親子が暮らすにはもちろんムリな額ではあるけど、何しろ同居中のモラ夫はまともな生活費を入れたことがなかったので、それよりはずっと多かった。普通の家庭では、
いつも閲覧くださり、ありがとうございます😊このブログのタイトルは、現実世界のモラ夫との戦いと、脳内モラ夫との戦いの二つの意味を込めて、モラ夫をやっつけろ♪としました。2018年の夏現在、まだまだ戦いがつづいています。まずはこのあと、調停のことについて綴っていきます。身体的暴力のあるDVに比べ、モラハラがらみの調停は、やはり立証が難しく、苦労しました。いつか、もっと、穏やかなタイトルに変更できる日を夢みつつも…どうぞ、今後ともよろしくお願いいたしま
スミマセン!これと次のとは親バカ全開です。あらかじめ、お断りいたします!十三詣り当日は、美容師さんに振袖を着付けてもらい、いざ、浅草寺へ!虚空蔵菩薩さまの前で、気品あるお顔立ちの若いお坊様にお加持をしていただいた。緊張気味で手を合わせる娘の横で、遥か昔に古文で習った「清げなる僧」という言葉が浮かんでしまった…当時の古文の女の先生曰く、要はハンサムって意味よね〜。なんと不謹慎な私!清げなるお坊様は、ほっそりとながい手指をいろんな形に組み合わせて、さまざ
振袖を着るのを娘に断られてしまった!でも予想通りでもあった。モラ夫と暮らしていた頃の娘は、新しい提案はことごとく嫌がった。スイミングを習おうと勧めたら、泣いて拒否した。本を買おうよ、って言っても、いらないの一点張り。たとえ自分に必要なことでも娘は全身で拒否した。だから振袖だって嫌がってもなんの不思議もない。さて、モラ夫が家を出て、しばらく経った頃、前にも書いたけど、娘が変化した。オズの魔法使いの本が欲しいって、自分から言ってきた。スイミングも泳げないと恥
振袖をゲットしてからの2年半の間。振袖の知識がないので、図書館で本や雑誌を借りまくった。着物本体以外に必要な物や、コーディネートの仕方を猛勉強した。着付け小物や足袋やらをヤフオクで探して、少しずつ、少しずつ、買い集めて行った。秘密のプロジェクトみたいで、全部揃う日を想像して、ワクワクした。最後に帯は娘に決めてもらおう。それでコンプリートだ!ただ、娘が着てくれるか?じつはこれが難関。まだモラ夫がいた秋の頃、着物雑誌の十三詣りの特集の記事を娘に見せてみた
娘の十三詣りの振袖を手に入れたのは、まだモラ夫と暮らしていた、2年半前の夏にさかのぼる。親バカだけど、娘に将来、成人式でどんな振袖を着せるか妄想するのが、私の密かな幸せタイムだった。妄想のネタにときどきのぞいていたネットの着物ショップが夏のバーゲン中。手書き友禅の振袖がタイムセールで一枚だけ、なんと!9割引きになっていた!しかもその一枚は娘に似合いそうと思ってすでに何度も眺めていたもの!9割引の表示を見て頭の中で早鐘が打たれた。食い入るように画面を
昨日、娘の十三詣りで浅草寺にお参りした。お加持も申し込んで、久しぶりの内陣のお参りに胸が高まった。浅草寺が大好き。特に内陣の神聖で暖かい雰囲気に包まれたくて、一番辛かった2、3年前はしょっ中、行ってた。一年ぶりに観音さまに間近でご挨拶できて、もう気分アゲアゲで、今後の指針を教えてくださいとおみくじを引いた。筒を振りながら、モラ夫とのことを念じた。初めてのまさかの凶が出た😩オーマイガー!いいや、大吉とか凶とかは関係ないんだ、そこに書いてある言葉が、
モラ夫と、別居して、調停も始まったある日、朝起きたら、書斎の中が何か変な雰囲気。モラ夫が侵入したらしい!調べてみると、いろいろなくなってる。私の独身の頃からの定額貯金も、なくなってる!満期のお知らせが来て、たまたま机の引き出しに入れてあった。7桁を目標に頑張って貯めたのに。モラ夫に色んな書類を持って行かれた。モラ夫はその次の晩もまたその翌晩も、夜中に侵入した。二階の寝室に居て、モラ夫が物色する物音が聞こえたけど、怖くて動けなくて、じっと耐えた。そのあとの調
娘に対するモラ夫の虐待をここに記そうと思っていたけれど、書いていて辛くなってしまった。渦中にはそこまでとは気づかなかったけれど、一旦、書き始めて愕然とし、守れなくて申し訳ない気持ちと、娘がどれだけ傷ついたかと、悲しくなった。このことはもう少し落ち着いてから改めて書きたいと思う。今、娘はオズの魔法使いのシリーズにはまっている。あの頃は本なんて読める環境じゃなかったけど、ちゃんと読書もできるようになった。というか、モラ夫がいた頃は考えられなかったけど、
モラ夫と別居した後、私もホッとしたけれど、とくに娘の変化には、目をみはるものがあった。もう、どこのお嬢さん?って思うほどの変わりようだった。まず、自宅学習ができるようになった。以前は、宿題やドリルをやるように促すと、泣き叫ぶようにして、拒否した娘。もう高学年なのに、どうしてかなと思っていた。モラ夫と別居した後には、自然と自分から、取り組めるようになった。モラ夫の罵声が飛ぶ家で、確かに落ち着いてお勉強なんて、できるはずなかったよなあ、そう思った。私が宿題
確かに、黙れ!はモラ夫が頻繁に言っていた言葉だった。モラ夫の気に入らないことをうっかり私が言った時や、私が子供達とおしゃべりして盛り上がった時、唐突にこの、黙れ!という一喝があった。カウンセラーさんが言うには、いつもモラ夫が言っていた言葉を、娘が使ったことで、私は解離してしまったんだそう。解離というのは、PTSDの症状の一つ。改めてウィキを引くと、ある一定の体験の記憶とそれに関わる思考が、通常の意識から切り離される。とある。要は今、目の前にある事柄ではな
あの突然の絶望感、なんだったんだろう?唐突に絶望的な気分になった。娘のせいではないことは確か。この気持ち、初めてじゃない。モラ夫がいた頃には、とても慣れ親しんだ感覚。ドーンと地の底に突き落とされるような重い感覚。気分が落ち込んで、動けなくなってしまう。そして思考能力が停止し、一つのことをぐるぐると考え続けてしまう。もの凄く、久しぶり。カウンセラーの先生に聞いてみた。黙れ!って娘さんに言われて、急に動けなくなったんですね?その言葉、いつも夫に言われてた
別居後、子供達と穏やかに暮らしていた、ある日。子供達の習い事に送っていく時間になったけれど、上の娘が、本に夢中で、持ち物の準備が出来てない。お姉ちゃん、急いで〜。もう行く時間だよー。なかなか準備に取り掛かれない娘。お願い、ちょっと急いでよぉ〜。小説が佳境に入った娘は、思わず、うるさい!黙れ!と私に対して怒鳴った。あれれ⁈そう言われたとたん、私、その場にへたり込んでしまう。心が突然、真っ黒になり、絶望的な気分に取り憑かれた。言葉がうまく出ない。お姉
ここまでが、私がモラ夫と別居するまでの経緯です。まずは、救いようもなく暗いブログにお付き合い下さいました皆様に、お礼を申し上げます。そしてなによりも私の拙い振り返りを支え、励まして下さった、皆様の心優しい、あたたかいお気持ちに、感謝申し上げます。このブログを始めたのは、せっかく別居したのに、ビクビク暮らして、とくに別居までのことを思い出すと、漠然とした恐怖が襲ってくるのを何とかしたかったから。整理したら、怖い部分とそうでない部分がわかるはず。おかげさ
翌々日、仕事で会合があった。いつも会合のあとは、軽く飲み会になる。珍しいことに、その日はメンバーは全員、用があって早く帰ると言う。私と上司だけが取り残された。差し支えなければ、ちょっとだけ御飯を、付き合っていただけませんか?私は上司を誘った。家庭生活では、毒母とモラ夫に苦しめられたけれど、何故か、どの職場でも、よき上司や同僚、後輩に囲まれて、人に恵まれた環境がいつも有り難かった。この人達のおかげで、家庭内モラハラで潰れることなく、毎日、楽しく過ごしてこ
モラ夫が出ていく。玄関のドアが閉まった。息を詰めたまま、モラ夫が遠ざかる頃を見計らって、玄関のドアのカギを内側からしっかりかけた。私は長く長く深呼吸した。ふぅ…。まるで真っ暗なトンネルを歩いてきて、突然、広々とした野原に出たみたい。シロツメグサの咲く野原を軽やかに歩くような気分で、意味もなく、居間に行き、円を描くようにぐるっと歩いた。長い長いモラハラ生活から解放された。嬉しいとか、寂しいとか、そんな気持ち以前に、ただただ、ホッとした。2017/
モラ夫が身の回りの荷物をまとめるあいだ、私は神妙な顔つきで、モラ夫の視界に入らないように、居間に降りて行った。予想外の急展開。とてつもなく素敵なことが起きそうだけど、私がそう思ってるのをモラ夫に気取られてはならない、と自分を抑えた。本当に出て行くのかな?何故か爪先立ちで、歩いていた。自覚してなかったけど、ワクワクしていたんだと思う。やがて、荷物をまとめたモラ夫が私の前に立った。ヴィッキー、君を傷つけるばかりで申し訳なかった。ともかく、今、俺が居なく
俺はヴィッキーを大切にしたいんだけど、怒鳴らないでいたいんだけど、できないんだよ。涙をこぼしながら、話すモラ夫に、私はただ、もう出て行ってくれと、ウンザリだと、繰り返した。あんたのモラハラが治らない限り私は耐えられない。もう身体がもたないよ。しばらく押し問答を繰り返したあと、ふいにモラ夫が顔を上げ、にっと笑った。わかった。決心したよ。ヴィッキーが元気になるように、出て行くよ。今から実家に帰る。今回も、まさかの発言に私の方が驚いた。出て行ってといいな
週末、話し合った。モラ夫の命令メールで、私の我慢の限界を越えた。怒鳴ったり、金を持って行ってしまったり、テンプレ返ししたり、命令口調だったり、プログラムで頑張ってると思って、我慢してたけど、もう私は心だけでなく、身体も限界だ。もう出て行ってよ!私にそう言われて、モラ夫はポロポロと涙をこぼした。俺はヴィッキーのことが好きだから、一緒に居たい。ヴィッキーのことを大切にしたいと思うけど、怒鳴ってしまうし、昨日は命令するつもりなんてなかったけど、命令したって
ある日、モラ夫からメールがきた。内容は、モラ夫のある手続きのために必要な書類のこと。文面は、〇〇の書類を出しておけ。この一文のみ。私はそのメールを見て、キレながら、返信した。俺のことで使ってしまって悪いけど、書類を出しておいてください。って言うべきじゃないの?私はモラ夫の秘書じゃないし、思った通りに動く奴隷じゃない。夫婦は、命令したり、されたりする関係ではないと思う。プログラムで学んで、モラハラをやめられるのを待っていたけど、相手に命令しないのって、学
なかなか成果が上がらず、モラハラを繰り返すモラ夫。私は、たぶんストレスから子供の頃のアトピーが再発してしまった。それから蕁麻疹も、お腹や顔にボコボコに出た。さらには、腹を壊した状態が続くようになった。私はモラ夫に文句を言った。モラ夫が私のストレスなんだよ。ごめんなさい。俺の配慮が足らないから、君を病気にしてしまったんだね。一見、まともそうな答えが返ってくる。でも、これもプログラムで習ったテンプレのひとつ。私はモラ夫を責める。モラ夫がテンプレを使って謝る。
この頃の私は、以前とは違った目でモラ夫を見るようになっていた。DV更生プログラムは、私にとって、モラハラは間違ったことだ、モラ夫の行動が悪いとはっきり言えるきっかけになった。その一方で、今プログラムに取り組むモラ夫は、回復途中の病人と同じ。だから、悪いモラハラをするモラ夫を我慢し、回復させなくちゃと思った。この状況はかなりキツイ。現にモラ夫は怒鳴り続けたし、私の状況を支えてくれる物は何もなかったから、とても孤独だった。それにモラ夫になかなか成果
けっきょく、モラ夫を説得するのに、2時間かかった。寝ている間に妻の足があたったからって、怒鳴る必要はない。たったこれだけのことを理解させるのに、2時間!パパは歯ブラシの話が、気に入ってるけど、あの話で何を学んだの?あの話はさ、奥さんが放置した汚い歯ブラシで知らずに歯磨きしようとした男性が、妻に怒鳴ろうとしたよね?でも怒鳴らなくてもいいって、わかったんだよね?同じことだよ。私が蹴ったから、パパが怒るって図式は、ない。この二つは繋がらないんだよ。私が蹴
ある週末、朝起きると、モラ夫が台所の換気扇の下で、タバコを吸っていた。ひと目ですごく不機嫌なのが、わかった。こんなに怒ったモラ夫を見るのは、DV更生プログラムに参加して3カ月半ぶりだった。全身から黒い怒りの湯気が立ち昇っている。お前、寝てる間に、俺を蹴ったか?ドスを効かせた声で聞いてくる。そういえば、昨夜、夢の中で、誰かに襲われて、もがいた。足をバタバタしたら、実際に何かに当たった。でもまたすぐに眠りに落ちてしまったっけ。あれはモラ夫だったんだ。蹴っ
それから毎週末、モラ夫はせっせとDV加害者更生プログラムに通った。家で楽しそうに、その日のグループディスカッションの内容や、教わったことや、グループのメンバーについて、話してくれた。グループに参加するメンバーは、DVをしてきた人達だけれど、いわゆる犯罪者みたいなコワモテの人は、1人もおらず、むしろ社会的地位が高い人も多かった。なかには地方から毎週、このプログラムを受けるために、飛行機で来ているセレブな人までいた。一見すると、誰もが知的で洗練された、爽やか
パイプカットまでの経緯の思い出せない部分では、モラハラと正面からやり合ったはず。そして私はモラ夫をねじ伏せた。たぶん。だから、その頃のねじ伏せられたらしいモラ夫はすっかり大人しくなり、私の言うことにちゃんと耳を傾けることができていた。千載一遇のチャンスと、モラ夫がこれまでして来たことは、性的DV、経済DV、言葉の暴力だと説明した。DVについて詳しいホームページを見せた。DVをする人は一般には治らないと考えられていること、ただし、自分で自覚して、DV
そこからのモラ夫の行動は迅速だった。パソコンで検索し、パイプカットをできる病院に電話し、最短の日程で、3日後に予約を取った。まるで、頼り甲斐のある夫みたいな行動力だった。ヴィッキーのためになんとかしてやるんだ、という気概に満ち溢れていた。そして、3日後、モラ夫はクリニックに行き、本当にパイプカットしてきた。狐につままれた気分で私はモラ夫にありがとうを言った。長い年月、モラ夫の避妊拒否には苦しめられた。これで苦しみの原因はなくなった。でも嬉しいと
私はモラ夫に三択で謝罪方法を選ぶように言った。モラ夫が何を選ぶか私の予想。1の文書は楽そうだ。お金もかからない。でもモラ夫の性格からして、言質を取られるのをイヤがるだろうからこれはナシ。3のパイプカットは論外。以前、自分から提案しながら姑に泣きついて、逃げ出したんだから。だから消去法で、2の金銭的謝罪のはず。ケチだから、金額を値切ってくるはず。もしかしたら、言葉だけで払わないかな?というのが、私の予想。ところが、モラ夫は予想外にも、じゃあ、3のパ