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4月9日土曜日〜その5中村紘子著『チャイコフスキー・コンクール−ピアニストが聴く現代−』を読む。(写真)執筆されたのが、今から35年前。東西冷戦の最中。ウクライナ情勢が報じられる現在と空気感が似ている。P12には、赤の広場の手前を右折し、次の信号を曲がるとコンクールの開かれるモスクワ音楽院のあるゲルツェン通りが始まると書いてある。私がモスクワを訪れるのは此の3年後。ペレストロイカの風が吹き、民主化に向かおうとしている頃。空気感が全く違いました。ツーショットは、日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛
早春のモスクワより...こんなときに心に染み入る演奏を拝聴いたしましたLiszt-ConsolationN3.AndreiPisarevАндрейПисаревисполняетнабис“УтешениеN3”Ф.Листа.Москва.БЗК.18.03.2022www.youtube.comアンドレイ・ピサーレフさん3月18日にモスクワ音楽院大ホールで行われたコンサートのアンコールよりリスト「
中国人のママ友に久しぶりに会ったら、「お誕生日プレゼント渡しそびれていて!」とくれました。自分ではなかなか買わない色!とても新鮮でうれしかったです。テラコッタ色とでも言いましょうか。娘はバカンスのときにマニキュアを塗ってもいいという話になっているので、娘が隣で大喜び♪(笑)パリにお店があるフラゴナールのあまーい香りは、ずいぶん前に娘にあげたものです。時々思い出すと学校に行く前にしゅっとつけていっています。若い子にありがちな、媚びるような派手派手しいおしゃれを
「母さん、僕はウクライナにいるんだ」ロシア兵、母と最後の会話(毎日新聞)-Yahoo!ニュースロシアによるウクライナ侵攻をめぐって2月28日に開かれた国連の緊急特別会合で、ウクライナのキスリツァ国連大使は、死亡したロシア兵の携帯電話に残された母親とのメッセージのやり取りだとする内容をロシアnews.yahoo.co.jp今、ウクライナで投降した若いロシア兵達から「訓練と思い込んで行ったらそうではなかった。プーチン大統領に騙された。本当に知らなかった」という話がネットニュ
こんにちは今日はお休みですが、ピアノのレッスンに来ています。いつもは自宅に先生に来て頂いているのですが、今日は特別にモスクワの中心部にあるレンタルピアノルームでのレッスン🎹入口はこんな感じ。来たことないと迷うかも今度の発表会で先生と連弾をすることになり、今日はピアノ2台あるお部屋を借りてのレッスンです。こんな感じでピアノが2台ある広いお部屋を借りて下さいました。レッスンの邪魔になるといけないので私はロビーで待機。その間も色んな部屋からピアノ、バイオリン、チェロ、歌声などが聴こえてきま
初めて聴いたときは両手で弾いているのかと思ったわよ…左手ダメな人は例の小品を練習すればだいぶ柔らかくなるわね…#Alexander#Scriabin#Александр#Николаевич#Скрябин#似顔絵#30秒#ロシア#アレクサンドル・スクリャービン#ピアニスト#作曲家#モスクワ音楽院#左手のための2つの小品#12の練習曲#ピアノソナタ#交響曲
練馬区と武蔵野市の境目に住んでいますフリーランスピアノ調律師のブログ練馬区、杉並区、武蔵野市、三鷹市🎹ーーーーーーーーーーーーーーーーーー日野市のお客様の調律へ。お引っ越しされてから二週間ほどたったタイミングでの調律でした。運送関連は私自身が長くお世話になっている業者さんをご紹介しましたので問題なしです。環境が変わりましたのでピアノも色々変化は出ていました。動きのにぶいところもあり、色々点検。調律も中音がなかなか落ち着かず、しっかりやり
先日書かせて頂きましたイリヤ・イーティン先生の武蔵野音大の公開講座リサイタルに行って参りました夜からかすかに降り出した静かな☂のもと昔から音響では定評あるベートーヴェンホールには公開講座というせいか華やかなリサイタルに較べるとより落ち着いた雰囲気が漂っていました(武蔵野音大のHPよりお借り致しました)客電がおとされて明るくなったステージに驚くほど長身でほっそりとしたイリヤ先生がいつものゆったりした歩き方で登場されると優雅に一礼され静かにピアノに
先日に続けてになりますがロシア出身のピアニストイリヤ・イーティン先生演奏風景がYoutubeにありましたリーズ国際コンクールで優勝された時のサイモン・ラトル指響バーミンガムシティ響とのラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(00:07:13)より有名第18変奏です)ILYAITINS.RACHMANINOVPAGANINIVARIATIONSPT2the1stprizewinningperformancefromtheLeedsI
2021ショパンコンクール素晴らしい演奏(2位入賞)ラフマニノフ2番モスクワ音楽院で研鑽積まれた反田さまラフマニノフ2番CD購入しました楽しみだな、、。ツイマンマン、ボリーニ、アルゲリッチ辻井さん、アシュケナージ、キーシンリヒテル世界のピアニスト演奏楽しんでます🥰
日本人の皆さんの演奏すばらしいですね。上手なのはもちろんいいけど、やはり心を揺さぶれる演奏に出会いたい。心を動かされたのは、進藤美優さんのノクターン。なんか切なくなって胸がぎゅっと締め付けられ、泣けてきそう。新藤さんは、愛知県大府市出身。(知多半島の付け根にある市です)モスクワ音楽院で学んでいるそうです。沢田さんと同じ関本昌平先生にも師事していたとか。モスクワということは、ロシアピアニズム。YouTubeでロシアピアニズムの動画を見ると、表現すること、歌うことをとても大事にしている
9月、緊急事態宣言中であったため、こちらへの告知を直前まで控えておりましたが、、完売御礼!ということで、終演後のご報告とさせていただきます。10月3日(日)、立川市のCHABOHIBAホールにて、スラーヴァ!ロシア音楽コンサートに出演させていただきました。vol.2「ロシアバレエ音楽の名曲」vol.5「ロシア五人組の音楽会」vol.6「リムスキーの弟子たち」そして今回、vol.7「チャイコフスキーの想い出」というテーマで、デュオ結成10年目となる私たちも初挑戦の全曲チャイ
10月を迎えた今日、梅雨時のような肌寒い雨の1日でした。天気も気持ちもどんよりと予定の家事がさっぱりはかどりません。(寒くなくてもそうなのですが…、要するに怠ける口実(^ω^))明日はまた日差しのある温かい日になりそうなので、それに期待をかけることにします。先日、木の伐採でバタバタとたおれた『トラのオ』がそれでも健気に立ち直り、うす紫の花をつけました。トラのしっぽのようで、それでそんな名前が付いたのかな。秋を感じる花です。10月といえばショパン国際ピ
この日の自宅コンサートはDTC003-1クラシックDATの鑑賞で、チャイコフスキーの交響曲第5番です。DAT(ディジタル・オーディオ・テープ)に録音したクラシック曲です。【チャイコフスキー交響曲第5番のWikipediaの解説抜粋】交響曲第5番ホ短調作品64は、ロシアの作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが作曲した交響曲である。チャイコフスキーの円熟期にあたる1888年の作品であり、交響曲第4番ヘ短調作品36とは作曲時期に10年の隔たりがある。4つの楽章か
ショパンコンクール予備予選、今日も含めてあと3日となりましたね。事前の書類・音源審査で選ばれた164名が熱戦を繰り広げています。(今、手元にある資料を見ると151名ほどになっています。13名の辞退者があったということかな)この中から10月、優勝者、入賞者が出るんですね。(予備予選特別免除者9名も含めてですが)そう思うとお菓子ポリポリで片手間になんてとてもできませんでした!と言いながら、配信にかじりつくわけにもいかないので、家事をしながら片づけをしながら、台所でリビングで耳を傾けてきまし
この日の自宅コンサートはDTC001-2クラシックDATの鑑賞で、チャイコフスキーの交響曲第3番です。DAT(ディジタル・オーディオ・テープ)に録音したクラシック曲です。【チャイコフスキー交響曲第3番のWikipediaの解説抜粋】交響曲第3番ニ長調作品29は、ピョートル・チャイコフスキーが1875年に作曲した作品。『ポーランド』の愛称で知られている。今や名曲の誉れ高い『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23』を書き上げてから数ヶ月経過した1875年6月17日に作曲を開
この日の自宅コンサートはDTC001-1クラシックDATの鑑賞で、チャイコフスキーの交響曲第1番です。DATはディジタル・オーディオ・テープの略で、今回のテープはDENONR-120DTで120分録音可能です。これに図書館から借りてきたCDを録音したのですが、演奏者を記録してなくて今となっては分かりません。【チャイコフスキー交響曲第1番のWikipediaの解説抜粋】交響曲第1番ト短調『冬の日の幻想』(ロシア語:Зимниегрезы)は、チャイコフスキーが発表した
こんにちは、江戸智子です♪GWは、神奈川県内でおとなしく?過ごそうと思っています。神奈川県には、山も海も温泉もあるし、県内でも結構、充実できますね。なぜか2週連続、三崎港に行くことになり、岩礁ハイキングやマグロ料理を堪能してきました今日は、来月から、武蔵小杉教室の火曜日を担当してくださる、城崎先生の紹介です〜↓↓↓武蔵小杉教室:火曜担当の城崎先生をご紹介♪横浜市青葉区たまプラーザ・川崎市中原区武蔵小杉江戸ピアノ教室HP↓江戸ピ
武蔵小杉教室、木曜7月〜担当してくださる先生が決まりました!野間裕美子先生です♪野間先生は、東京音大卒業後、モスクワ音楽院で研鑽を積まれた、バリバリピアニストの先生ですよ〜詳しくはこちら↓武蔵小杉教室木曜担当講師決定!横浜市青葉区たまプラーザ・川崎市中原区武蔵小杉江戸ピアノ教室HP↓江戸ピアノ教室Instagramランキング参加中!にほんブログ村
おもえばモスクワの寮では友人達と夜な夜な(酷くラフな恰好で)色~んな事を話しました音楽の面白ジョ-ク音楽への向き合い方ベート-ヴェンやスクリャ-ビンのこと家族のこと恋愛のこと出身校の面白話ものまね....性別年齢国籍問わず色んな人と色んなことを沢山沢山話しましたどうしようもなくバカバカしいことも喋って沢山ふざけましたまた自分の良いところも悪いところもみえて自分を見つめ直したり普通よそ様の前では人は演じますがここではみんな本音をぶつけ合って壊れて不思議な空間でした
ロシアでは1月7日にお祝いですが、今年からは日本なので今日お祝い。素敵なクリスマスになりますように…そして良い年をお迎えください。アーニャ(山口紺碧)新ブログもよろしくお願いいたしますhttps://aoyamaguchi.com山口紺碧(YamaguchiAo)オフィシャルHP&ブログモスクワ音楽院研究科修了のピアノ弾き・山口紺碧のオフィシャルサイト・ブログです。アーニャちゃんねるの中の人aoyamaguchi.com
今回は、今までと重なる部分もありますが、第2次大戦後、ソビエト連邦とその衛星国=東ヨーロッパとして、同じ文化圏にまとめられた新しい時代の音楽家について、ざっくり、まとめてみました。まずは。。。どデカいニュースは、これでした。あのスターリンが1953年に亡くなりました!!オペラのレコード・コレクターだった。。。前にも申しましたが、プロコフィエフとスターリンは同じ日に亡くなったんです。涙そのせいでプロコフィエフの訃報はその影で、ひっそりと。。。。
ロシアピアニズムに興味のあるかたは、本物でリアルなロシアピアニズムの教育機関⚪️モスクワ中央音楽学校(才能のある幼少期の生徒が通う音楽学校)17.04.2019FourthlessonofMiraMarchenkowithUlyanaRodina,classroomoftheCentralMusicSchool17.04.2019FourthlessonofMiraMarchenkowithUlyanaRodina,classroomof
モスクワ音楽院を卒業して早5年。大学院の国家ディプロムが5年の時を経て、私の手元に届きました。卒業〜ディプロム取得までの5年間の記録、私こういうケースでしたというメモ、残しておきます。モスクワ音楽院のディプロムで帰国して困っている方がいたら、届きますように☺︎【国家ディプロム取得までの道のり】※長文、ロシア語、専門用語ご容赦下さい2015年1月モスクワ音楽院大学院修了ディプロムが2015年夏に出来る予定との事で、友人に受取委託して帰国。2015年夏ディプロム発行されず
ゲンリフ夫妻は結婚してスタニスラフが誕生すると、間もなくゲンリフ妻は詩人パステルナークと恋に落ちて離婚したため、母に引き取られて育ち、スタニスラフ父子が一緒に暮らした時期は殆どなかった。成長してスタニスラフがモスクワ音楽院に入学すると父親のゲンリフにピアノを学ぶ機会に恵まれた。1950年録音は、1949年ショパン国際ピアノコンクール本選で演奏することが叶わなかった翌年の録音ということになる。モーツァルトも、父レオポルトによって才能を見出されて音楽教育を施されて偉大な
月の光シューベルトピアノソナタ第13番イ長調D.66400:00-108:19-214:36-3手紙を盗み見るようで気恥ずかしいけれども。。スタニスラフ・ネイガウスがタチアナ・ポスペロワに手紙にしたためた内容が手に取るようにわかるので、ブログ記事に残したかった。私がまだピアノを習い始めて間もなかった幼少の頃にピアノの先生が「小鳥がさえずっているように奏でるのよ」とおっしゃっられて、チッチッチッチッチッ、、と小鳥がさえずるのを思い浮かべるのだ
この動画について1980年1月18日モスクワ音楽院の大ホールでのリサイタル4つの全バラードリサイタル直前までは入院していたが、リサイタルから、6日後の1月24日パステルナークの家で心臓発作で他界52歳だった。ショパンも肺の病気を患いながら作曲活動を続けていた点で似通っていてスタニスラフの死と直面し壮絶な状況での演奏は見事だった。力尽きる直前の極限状態でフォルテッシモに至っては気力だけでは力が入らずに左腕が抜けて、所々抑えきれないところがあるけれども神がかりとでもい
スタニスラフ・ブーニンの父親、ネイガウスについてのドキュメンタリー字幕で日本語訳ブーニンとスタニスラフ(ブーニン父)の演奏が似ていると言う人がいるけれども私はそれをあまり感じなくて、スタニスラフ(ブーニン父)のショパン演奏は、誰よりもショパンに近づいていたと感じる。スタニスラフは、ゲンリフ・ネイガウスの息子でモスクワ音楽院で学び海外演奏は一切なかったけれどもソ連国内での優れたピアニストでありモスクワ音楽院の音楽教師であった。父ゲンリフは、生徒の力量に合わせる指導者
スタニスラフ・ネイガウス演奏のラフマニノフのプレリュード23-4と500:00-Preludeop.23no.404:30-Preludeop.23no.5スタニスラフ・ネイガウス-Wikipediaja.wikipedia.org
ゲンリフ・ネイガウス-Wikipediaja.wikipedia.orgゲンリヒ、ゲンリフ、ゲインリッヒどれが正しいかわからないけれどもウィキペディアに合わせてゲンリフとしておいた。ゲンリフ・ネイガウスと聞いてもピンと来ないと思うけれども、スタニスラフ・ブーニンの祖父であり、リヒテルの指導者と説明すると私世代のピアノに関わる人でブーニンを知らない人のほうが少ない。ブーニンは、1985年(第11回)ショパン国際ピアノコンクールでソ連時代に優勝を果たした。