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ちょうど一年前に書いた記事で、メンタル患ってると外出するまで時間がかかって大変ということを書いた。今読み返してみて、状況は一年前とまっったく変わってない💦自分は「外出する」という行為自体がストレスがたまるので、投薬治療始めてからはぐっと頻度は減ったけど調子が悪いときはいまだに外で笑い声を耳にすると自分が笑われてるように感じたりして被害妄想が爆発したり、根拠のない罪悪感でおどおどしたり、ひどい時にはそれでパニック発作も出たりするので余計疲れる。いまだにそんなんだから外出するとき
オリエント∞(無限大)周遊記1987年11コンヤからエフェソスへコンヤのメヴラーナ博物館前でウロウロしていたら一人の男に声を掛けられた。中学校で英語を教えているという。怪しい人物には見えなかったので、半日、彼と行動を共にすることにした。まず、生徒の一人の家へ行く。その家は楽器店であった。店の奥でホット・オレンジジュースをごちそうになりながら、弦楽器の講釈を受ける。まず、サーズという棹の長いリュートのような楽器。弦が上から複弦、複弦、三複弦となっている。ドレミファを弾くと
クルクル、クルクルと、白いロングスカートの男達が、音楽に合わせて回り続ける。ひたすら回り続ける事で、無我の境地に入る。それが、神秘の舞、セマーだ。トルコには古くから伝わる、世界遺産にも登録された、不思議な踊りがある。旋回舞踊、セマーである。[セマー]トルコ内陸部にある古都、コンヤ。ここは、11世紀の終わりから200年に渡って、イスラム王朝の都が置かれた歴史ある町。町のシンボルが、青いとんがり屋根のメヴラーナ博物館だ。[メヴラーナ博物館]このメヴラーナ博物館は、13世紀にメヴラ
先週末に1泊2日で古都コンヤに行ってきました。飛行機🛫でイスタンブルから1時間強ですコンヤといえば、イスラーム神秘主義(スーフィー)のメヴラーナが開いたメヴレヴィー教団、わかりやすく言えばこの↓「クルクル回るおじさん」の本拠地として有名ですが。トルクメニスタンで暮らして以来セルジューク帝国に憧れる私にとっては、コンヤはルーム・セルジューク朝の首都だった!てことの方が重要です。コンヤには10年前に来たことありますが、チラッと最低限を回った
8/104日目パムッカレ→440㎞コンヤ途中トイレ休憩と昼食コンヤ観光:インジェ・ミナーレ神学校」(博物館)、メヴラーナ霊廟コンヤに向かう途中のディナテールでトイレ休憩、ガイドさんおススメのはちみつヨーグルトを食べました。ちょっと固めのヨーグルトにケシの実入りのはちみつでおいしかったです。昼食はエディリ湖畔のレストランで標高1000mを超えているとかで野外のテラス席が涼しくて料理もおいしかったです。(当時のノートにより)ガイドさんがここはバラが有名です。と、今
12月1日、コンヤ。温泉地パムッカレより410㌔、内陸の地を東へ。バスもしっかりしているが、トルコの道は高速道路から下道までとても良く快適なドライブだ。昼食は途中AFYONの町でトルコ風ピザを頂いた。雨の中だが内陸部も周囲は余すことなく農地が切り開かれ、アーモンド畑やビーツ、大麦と言った畑が広がる。セメント工場が多く出てくるともう大都市コンヤは近い。トルコにてヘレニズム.ローマ時代(紀元前334年~紀元後395年)の後にビサンツ帝国時代(395~1071年)が始まる。39
こんにちは!💠VishuddhaYoga💠のNesheKeikoです9年前の今日でしたね。あの時は、大阪の堺市にいました。そんなに遠くても揺れを感じた。本当に忘れてはいけない日。そんな日だから、今日はおうえんの日でもあるそうです。毎日頑張っている人を応援したいですね。私は、看護師でも、保健師でも、学校の養護教諭でも人を応援してきました。これからも、そうありたいです❗️ところで、私NesheKeikoって、誰?何人?と思いませんか?名前から言うと.....
さて、私達の新婚旅行であるトルコツアーも終盤に差し掛かってきました。私がカメラを失くしそこねたり皆がお腹を壊し始めたり色々ありましたが、コンヤという街に着いて夜メヴラーナ教団のダンスを見て感動しました〜なんて神秘的なの!?人生で見たものの中で5本の指に入る神秘度だね!!ただ夜のホテルは、また可哀想なくらい寂れていました。とにかく、場所が田舎過ぎて何も無いんです。そして翌日のアンカラのホテルに!イタリア人御一行ご要望だったディスコが!あったよーぅをーぅっ!!さて、
★【アジアンダイニング料理教室】2月レッスンのご案内は、ブログの最後を御覧ください♪パムッカレを後にして、さらに東へ。旅も5日目。長時間のバス移動の旅で、そろそろ疲れが出てきました。車の中でほぼ寝てた。景色はこんな感じが続く・・・。コンヤの町に着きました。「インジェ・ミナーレ博物館」1267年に建造されたイスラムの神学校。今は、博物館になっています。「インジェ・ミナーレ」とは、「細長い尖塔」。右側に立つ美しいミナーレ(尖塔)。落雷の
比叡山で、ヨギ・アマンディープが面白い話をしてくれました。彼がトルコに訪れた時、ルーミーという哲学者のお墓を訪れたそうです。ジャラール・ウッディーン・ルーミーという人をご存知でしょうか?ペルシャ文学史上最大の神秘主義詩人で哲学者です。トルコ語では…メヴラーナジェラレッディンルミMevlanaCelaleddinRumi(1207年〜1273年)日本ではあまり耳にしませんが、海外でスピリチュアルに興味ある方は、よく「ルミ」という名を口にします。ルーミーが37才の時にトル
「メヴラーナ博物館」は、イスラム神秘主義メヴラーナ教団の創始者であるメヴラーナ・ジェラール・ウッディーン・ルーミーの霊廟があり、教団の総本山となる崇高な場所でした。そこは日本で経験することのない神秘の空間で、建物の内外に使われているエメラルドグリーンの美しさは必見。内部にはムハンマドの顎鬚や古いコーランも残されており、コンヤでは外せない観光地です。エメラルドグリーンが美しいトルコ・コンヤのメヴラーナ博物館https://www.travel.co.jp/guide/article/37
『トルコ・メヴラーナ旋回舞踊』の2019年5月23日京都公演を見に行ってきました。公演日直前にポスターを見かけて、問い合わせたら、まだチケットがあるということでした。ラッキー!と思いましたが、大学でトルコのことを学んでいたけど、メヴラーナ旋回舞踊って、初めて聞くし、どれ位人が集まるんだろう??と思って会場に行ってみると、最大280名収容のホールがほとんど満席でした!6月には『トルコ至宝展』が京都で開催されるし、今、京都ではトルコ熱が上がってるのでしょうか!?期待の中
トルコ中部に位置するコンヤは、昔イコニウムと呼ばれていましたこの町もやはりパウロゆかりの場所で聖書にも「イコニウム(またはイコニオン)」と記されています現代のコンヤの町は約150万人の都市で、町の面積は何とオランダと同じくらいだそうですメヴラーナ教団という、イスラム神秘主義の中心地でもあります白いスカートのようなものを履いた男性がセマーと呼ばれる旋舞をしながら祈るようですセマーは現在ユネスコの無形文化遺産として登録されていますその開祖ルーミーの墓廟がコンヤにあります私たちのツアーは
こんばんは、Heleneです今頃、日本に向かうために、キプロスのラルナカ空港にいます(笑)レフコシア(ニコシア)の北キプロス側を回っていますがセリミエ・モスクのすぐ横で、メヴラーナの旋舞のショーをやっていた7ユーロだったかな1日に何回かやってるみたい場所はゴシック様式の小さい教会の中!今は使われてはいないとはいえ、教会の中でスーフィーの旋舞って、すごい組み合わせ。でも、舞台的には非常に映える……昨年、12月に、トルコのコンヤまで、年に一回のメヴラーナ没記念のセマーを見に行ったが
コンヤと聞いて思い浮かべるのは、メヴラーナ教団の旋回舞踏(セマーダンス)、いや、クルクルダンスと呼ぼうコンヤに車でくると、すぐに飛び込んできたモニュメント宿泊は市内にしました目の前に立派なモスクがあり、その奥にあるのが、メヴラーナ博物館日中は仕事で飛び回っているので、翌朝9時開館と同時に少し見学しました中国にいる感じです哎呀…好美丽呀…太厉害呀…ガヤガヤこの立派なのが、メヴラーナの棺ですね。立派な大きさです周囲には数多くの僧侶たちの棺も安置されていますこの帽子が可愛いですよ
2018.09.13-2018.09.22トルコ旅行コンヤ、メヴラーナ博物館編ツアーでトルコ旅行に行ってきました久々の団体ツアー、行きたい所に行けず、でも移動は楽でツアーのメリットデメリットを感じましたおいしいトルコ料理、美しいイスラム建築、雄大なカッパドキアの景色高所恐怖症なのに、気球にも乗りましたヨーロッパのようでもあり中東のようでもある、魅力的な国またいつか行きたいです簡単な旅行行程表---------------------------------------
こんにちは、Heleneですいよいよ今回の旅行の目的、メヴラーナのセマーです。メヴラーナ博物館からさらに街から遠ざかる方向に歩いてゆきます。途中でこんなパンを売る自転車が…会場はこんな感じ開場時間ぴったり位は人が少ないですが、次第に人が埋まってきてやがて挨拶やら、長々しい歌とかがあってそれも言葉(イスラム教の歌でアラビア語らしい)がわかったら楽しめそうなんですけどね実は私、エジプトにもチュニジアにもゆきたいので、アラビア語を学ぼうと思っ
こんばんは、Heleneですホテルを出て、メヴラーナ博物館へ。丁度、メヴラーナ教団の創始者で、聖人のルーミーの没記念期間中のため、博物館の入場料がただになっておりました。蝋人形の展示がちょっと怖い。実はルーミーの墓は修復中?で覆いがあって見れなかった。そうしたら、親切な人が、外の窓の隙間からのぞけるよと教えてくれて。布の覆いのかけられたお墓を見ることができた。
こんばんは、Heleneです成田→イスタンブール→カイセリと移動してきました。今日から洞窟ホテルに宿泊。素敵すぎです♥️しかも、オーナーと話していたら、ちょっとスーフィーらしい(笑)(トルコはメヴラーナ、禁教なので、公言できない環境)様々、どんだけシンクロ?(裏を知る人は笑うだろうな)オーナーにスーフィーをあまり知らないと思われたけどバリバリっすからwギョレメをふらふらしてみたついでに、市場でフルーツを買いました晩御飯、前菜盛り合わせマントゥという、こちらのパスタと牛肉の
トルコ旅行の続きです。パムッカレを後にして、ツアーのバスはコンヤに向かいました。パムッカレからコンヤは410km5時間30分と日程表に書いてあります。コンヤの街に着くと、最初にメヴラーナ博物館に行きました。コンヤ、メヴラーナ博物館については未だに理解できていません。私の中のトルコ史は、ビザンツ帝国、いわゆる東ローマ帝国後のトルコはオスマントルコとなっています。ところが、11世紀頃からビザンツ帝国は縮小しており、トルコの大部分を占めるアジア側のアナト
13世紀セルジュク朝の都コンヤは宗教色の強い街。○メヴラーナ博物館鮮やかなイスラミックブルーの尖り屋根が印象的なメヴラーナ博物館はイスラム神秘主義メヴラーナ教の総本山であり創始者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。マホメットの髭が納められているとされる箱。バラの香りがする。聖人の墓○インジェ・ミナ-レ神学校1267年にイスラム神学校として建てられた。
6月23日の土曜日。早朝からのバルーンツアーを終え、朝食を取った後はバスに3時間半乗って、コンヤの街へ。チャタルホユックの新石器時代遺跡の用語解説-2012年に登録された世界遺産。【チャタルホユックの新石器時代遺跡】復元された当時の民家内観豹ちゃんが可愛いどこかのデザイナーがパクりそう【チャタルホユックの新石器時代遺跡】復元された当時の民家の内部狩猟してたのがわかるねぇ。南アナトリアのコンヤ平原に、東西に並ぶ2つの遺丘。東丘には紀元前7400年頃
トルコの人々にとって、キリムは現在でもとても身近な存在でありまして、生活を彩るインテリアとしてごくごく自然に取り入れていらっしゃいます。現地の友人にランチにご招待頂いた時に、あまりに素敵なご自宅だったので写真を撮らせて頂きました。トルコは日本と同じく、玄関で靴を脱ぐのが一般的のようです。まず、玄関を入ってすぐの廊下にはこちらのキリム。存在感のあるキリムです。別の廊下にはこちら。一見絨毯に見えますが、実はこれもキリムです。トルコのお守り、ナザールボ
前編・中編に続いて、トルコの旅、写真でハイライトを紹介する最終回である。(旅は、このあとカッパドキアへ続くのだが、カッパドキアの記事を、先に書いてしまったので)正確に言うと、今回から旅は内陸に入っていくので、「エーゲ海の遺跡」ではないのだが、まあひっくくって、パムッカレからコンヤまでも今回紹介してしまう。エフェソスから200km以上を走って、12月3日(日)の夕方、パムッカレに着く。途中は、広大な農業地帯。広大な赤土の山肌に羊の群れがいたり、ビーツが砂利のように高さ10mに