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メケレ宿泊のホテル。別日程で別旅行代理店の友だちも同じホテルだったしメケレの空港にでかでかと看板あったしトリップアドバイザーでも、今のところ1位。『プラネットホテル』バスタブはないし、アメニティもイマイチタオルもトイレットペーパーもイマイチだけど、言えば持ってきてくれるシャワーは、時間によってぬるかったりちょいぬるかったり、熱いお湯は出てこなかった冷蔵庫。地味に元々入ってますベッド部屋は広い。朝食はビュッフェで、品数はそこそこ
荷物はないけれど綺麗なホテルで熟睡&すっきり。朝ごはんをもりもり食べていざ空港へアディスアベバの空港いよいよメケレに向けて出発!!!!国内線なので軽食メケレの空港ようやく、ようやく観光に向けて!!!エチオピアのタクシーメケレの町を一望エチオピア人。割と気さくに写真を撮らせてくれる『AbrehaandAtsbehaChurch』事前に、絨毯にダニがいることがあるってことで靴を脱いで中に入らないといけないので、靴下の上にビニール
雨のエチオピアは、しかし長続きしなかった。峠を下ると、再び赤茶けた荒涼とした景観に戻る。久々のエチオピア紀行である。前回まではダロール火山のあるダナキル低地への入口都市メケレを出発するまでを述べてきた。いよいよ砂漠の低地ダナキル地方に向かう(写真)。あっという間に子どもたちが集まってきた四駆がとある村に入った。メケレのアッディ・ハキ市場を後にしてから1時間半ちょっとたっている。僕たちの乗った四駆の先頭車両が、その一角に停車した。そこは、おそらく日本で入手できる地図では決し
40分ほどのメケレ、アッディ・ハキ市場(写真)の見学は面白かった。海外の、特に途上国の市場は、お国柄が表れていて観るのが好きだ。何よりも庶民の熱気、活気が溢れている。樺太紀行の続編は、まだ下書きも終えておらず、したがって2年半前のエチオピア紀行を続ける。メケレ市を出ると荒野が連続僕たちは、四駆に分乗して、いよいよダロール地溝帯、ダナキル砂漠に向かう。メケレは、大きな街ではない。すぐに郊外に出る。そこには、例によって樹木の無い荒れ地が広がる。郊外には、工場なども作ら
エチオピア、メケレの朝のアッディ・ハキ市場を観ている。外国の市場を観るのは、僕は大好きだ。日本では、とても見られない物も見ることができるからだ。ビニールシートの店、ロバが活躍しかし、市場といっても露店に毛の生えたような店が多い(写真)。トタンの壁と屋根があればまだいい方で、ビニールシートの屋根、囲いが目立つ。おそらく荒れ地に自然発生的に作られた露店が、市場に発展したのだろう。その証拠に、狭い道も店内も、礫が剥き出しの地面である。そこの運搬には、ロバが活躍する(
AFP通信によるとエチオピアのアビー・アハメド首相がエリトリアの首都アスマラを訪問し、同国のイサイアス・アフウェル大統領と会談。国交を正常化することで合意し、両国間の航空路線、港の解放、大使館の開設等を決定したそうです。20年程、両国が国境付近に軍隊を配置している状態がようやく解放されるでしょうか。エリトリアの分離独立で内陸国になったエチオピアは物流に関しては北東に位置するジブチに全面依存している状態ですが、エリ
メケレの朝の散歩を終えて、ホテルに戻る。道路のグリーンベルトの芝刈りする女性たち途中で、最前に見た女性たちの「芝刈り」がまだ続いていた。8時ちょっと過ぎだ。女性たちは、朝ご飯の支度をして、家族に食べさせ、自分も朝食を済ませてきたのだろうか、と気にかかった。エチオピアの庶民には、ガスコンロなど「高嶺の花」である。だいたい戸外でのかまどに薪を入れて火をつけて調理をする(戸外なのは、一間きりしかないうえ、室内に煙がこもらないようにするためだろう)。その「芝刈り」は、メインストリート
メケレの裏通りで子どもたちのペンのおねだり攻勢から逃れ、広い通りに出た。仕事に出かける人波が見える。バス路線がないのか、みんな徒歩である。白い服を頭からかぶっているのは、民族衣装である(写真)。モニュメントの意味それからホテルの前の広い通りに戻った。左手方向の先に球を頭に乗せた大きなモニュメントが見えた(写真)。何だろう、と行ってみた。なにぶん朝も早い時間なので、門に鍵がかかっていて中に入れない(写真)。帰国して調べたら、「『デルグ』に抵抗した
メケレの僕たちが泊まったプラネットホテルは、きれいに舗装されたメインストリートに面しているが、そこから一歩、裏通りに入ると、まさに初期開発途上国さながらの「汚さ」が現れる。理解に苦しむちぐはぐさ道が未舗装なのはやむを得ないとして、穴ぼこだらけで、そこに汚水とゴミがたまり、馬車が大穴を避けて通っている(写真)。どうせ賃金は安いのだから、役所が失業者を雇って、穴を埋めるだけで多少は清潔になり、また交通も便利になるだろうが、誰も何もしていないのだろう。しかし後で目を疑ったが
エチオピアのメケレの朝、ホテルの窓から外を観た。通りを往来する白布の男たちの他、遠くに珍しいものを見つけた。イスラムのモスクと思しき建物である(写真)。久しく休載していたエチオピア紀行を再開する。この間、1月末にニュージーランドのミルフォード・トラックを歩いたり、4月に福島に桜10景の旅に出かけたり(肝心の桜はほぼ終わり、まだ満開だった会津では雨に降られたりと散々だった)、さらに宮古島の旅だとかソウルの旅だとかが挟まり、ずっと放置していた。振り返れば、エチオピアの旅はもう2年半
エチオピアのメケレの朝、ホテルの窓から外を観た。通りを往来する白布の男たちの他、遠くに珍しいものを見つけた。イスラムのモスクと思しき建物である(写真)。久しく休載していたエチオピア紀行を再開する。この間、1月末にニュージーランドのミルフォード・トラックを歩いたり、4月に福島に桜10景の旅に出かけたり(肝心の桜はほぼ終わり、まだ満開だった会津では雨に降られたりと散々だった)、さらに宮古島の旅だとかソウルの旅だとかが挟まり、ずっと放置していた。振り返れば、エチオピアの旅はもう2
エチオピア、メケレに着いたら、7時過ぎなのでもうどこにも出られない。食事も、宿泊するプラネットホテルのレストランで、となる。チキン、絶品の美味しさレストランも空いていた。メニューはシーザーサラダにチキンの鉄板焼き、それとデザートにフルーツサラダと、やや寂しい。だが前にも書いたけれども、エチオピアのチキンは日本やアメリカのチキンを想像していると大違いだ。地鶏なので、これがめっぽう美味い。堅いけれども、噛むと口中に肉の美味しさか広がる。鶏とは、かくなるものでなくては、と思う。
峨々たる山上におもちゃのような小さなエチオピア正教の教会。三角錐の岩山のてっぺんに教会道も地理も分からないので、どこだったか定かではないが、アクスムの「シバの女王の宮殿跡」を出発してから3時間半ほどたった頃、マイクロバスで僕の座っている側の遠くに豆粒のような教会がポツンとが建っているのが見えた(写真)。こんな急な山の上に何も教会を造るなくても思ったが、実はそれは序の口だった。メケレに近づいたある村のはずれのほとんど三角錐のような岩山の頂上に、エチオピア正教の教会が建っ
アクスムの「シバの女王の宮殿」跡を観た後、メケレまで車を飛ばす。途中、5時間に及ぶドライブでは、アビシニア高原の荒々しい景観を堪能できた。途中、奇岩、奇勝の連続道中は、モニュメント・バレーのような景観、深い峡谷も見られたから、ほとんど飽きることはなかった(写真)。ただただ自然の造形に、魅入られるばかりだ。1本指が突き出たような奇岩も見えた(写真)。これは、ゴンダールに行く途中に観た「神の指」の岩と同類である。玄武岩と思われる堅い岩だけが取り残されて、後は浸食で
アクスム郊外の「シバの女王の宮殿」(写真)の見学は、わずか20分ほどだった。いくらなんでも短すぎると思うのだが、一行のほとんどは熱心な興味を見せない。道路を挟んだ向こう側の荒地は、粗末なフェンスで囲まれ、アクスム中心部の公園で観たステラよりはるかに小さく、質素なステラが立ち並んでいる(写真)。小さなステラ群は地方豪族の墓かここも墓地なのだろうが、墓標に当たるステラのサイズの小ささから、中心部のエザナ王のステラ(写真)などよりずっと古い、初期のものであることが推定で
現在地、ザンビアの首都ルサカ、現在時刻1:30、カウントダウンに備えテレビつけてみたらなーんにもやってない。なのに!!いきなり!!23:57花火の轟音が!!!!すんごい豪快な花火とともに2018年開幕😂いんやー人生で一番サプライズな年越しだったwザンビアも頑張っております。笑今日はビクトリアフォールズに向けて、リビングストンにまたバス移動ですー!そうです、元旦生まれの私、誕生日はバス移動🤣26歳も張り切って人生楽しみたいー😆!!今年もシスターズを宜しくお願いします!ー
ザンジバル島も明日で最後!!!(;;)綺麗なビーチ、最高でした💕明後日、ついにザンビアへ!!!タンザン鉄道がとれなかったので、まさかのバス移動、二泊三日アゲインです🤣つ、つらすぎるーーー。笑ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2017.12.71ブル4.1円16:40に離陸した飛行機は、日付をまたぎ、1:45にアディスアベバに着いた。私達の便は、サウジアラビアでトランジットがあった。ダイレクト便は3時間ほどですが、チケット代が高かったので諦めた🤦♀️ここで注
NRTHKG(FlightTime5h30m)(Distance2,960km)夜HKGADD(FlightTime11h15m)(Distance8,109km)夜朝ADDMQX(FlightTime1h25m)(Distance505km)マフィン1個と水だけ。*NRT...成田*HKG...香港*ADD...アディスアベバ*MQX...メケレ着くまでに機内食が4回飽きる
2016年11月25日(金)2日間滞在したラリベラを後にして、今回のエチオピア旅で最も楽しみにしていたダナキル砂漠ツアーに参加するべくメケレという街に向かいます。ダナキル砂漠はエルトリアとの国境の近くにあり、数年前に旅行者が武装集団によって殺されたこともあるなかなか危ない場所。現在はツアーでしか行くことができず必ずソルジャーを連れて行かないといけない状況になっています。自分はラリベラに滞在中に、エチオピアの大手旅行会社ETTと連絡を取っていてツアーの値段交渉を行っていました。