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時に思う。文字が読み書きできない人たち、つまり文盲の人たちの心象世界は、いったいどのようなものなのだろうか、と。文盲の祖母、田舎の生地から1度しか離れず僕の母方の祖母は、文盲だった。田舎の極貧の母子家庭に育った僕は、少年時代、祖母のいた伯母の家の離れの掘っ立て小屋に住んでいたから、祖母はいつも身近にいた。気の優しい、典型的な田舎の「おばあちゃん」だった。ある時、祖母に何か聞こうとして、母から「(おばあちゃんは)字が読めないから」と止められた。僕が聞いていた限りでは、祖母は生ま
コーヒーの店に寄った(写真)。ここは、外国人観光客のお土産用に、大から小までの袋詰めがたくさん置いてあった。幸いにも豆でなく、粉に挽いたものを売っていた。お土産のコーヒー購入で一悶着美味いかどうか分からないが、大量に買った。他のツアー一行も同じで、中には30個くらい買った人もいた。旅は、この日で終わりだ。このくらいになると、一行14人の中で、浮いてしまった人が顕在化する。その人物(女性)が、中国人のように割り込みをしてきたから、後に並ぶ人たちから一斉にブーイングが起こ
エチオピアはアフリカの最貧国なのだが、首都のアディスアベバはさすが、である。街には中産階級向けのスーパーがあった。電気設備の貧弱のアフリカ田舎では、電力も十分でないので、例えばメケレでは市場にも電気がなく、したがって冷凍庫・冷蔵庫も無いので、動物の肉は生きたままの状態で市場に売りに出される。メケレのアッディ・ハキ市場を訪れた時は、市の大きな市場のはずなのに、まるで日本の戦後の闇市という風情で、ニワトリもヤギも生きたままの状態で売られていた(写真)。内陸の高原だから鮮魚は無い
プラネットホテルに着いて、自室に落ち着いた。おそらく旅行社は、宿泊しない1晩も料金を払って押さえていたのだろう。前々日と同じ部屋であった。外国人ツーリストの泊まる宿でも、メケレなら格安なのだろう。エチオピアのブル紙幣を撮影僕は、財布からエチオピア紙幣を取り出してテーブルの上に並べた。残り日程も、あと2泊だから、今のうちにエチオピア紙幣を撮影しておこう、と思ったのだ(写真)。エチオピアの通貨単位は、「ブル」。2022年8月27日現在では1ブルが2.59円となっている
カラカラに乾燥したアハメド・エラキャンプをたって2時間弱で、僕らの4駆は、深い白霧の中に休止した(写真)。カラカラ乾燥のダナキル低地では想像もつかない「白い闇」とうていそれまでの景観とは、想像もつかない。白い闇、である。エチオピアでも、こういう所があるのか、とちょっと信じがたい思いだ。10メートル先は見通せても、20メートル先はもう見えない。4駆は、ここで停まって、僕らはトイレタイムとなった。男性は、むろん道ばたの立ちションだ。白い霧の中だから「青空トイレ」ではない。「
アサレ塩湖は意外と広いようであった。僕らがアハメド・エラ・キャンプに戻るべく4駆で走っても、まだ右側に塩湖が見えた(写真)。塩田のような天然の「畦」それらは、まるで塩田のように、「畦」が出来ている所もある(写真)。しかし、それは人工物ではあり得ない。近くに住むアファール族にとって、掘れば無尽蔵に岩塩が切り出せるのだ。わざわざ管理の難しい天日製塩などするはずがない。おそらく風の作用で、析出した塩が吹き寄せられ、「畦」のような物が形成されたのだろう。やが
またしても僕らは4駆で塩砂漠を疾走する(写真)。アサレ塩湖に到着次は、どこへ行くのか。ワクワク感で待つと、やがて遠くに池らしいものが見えてきた。岩塩砂漠に季節的に出来た塩湖である。アサレ塩湖と呼ぶらしい。塩湖を観るのは、これが初めてだ。塩砂漠こそアメリカ西部のデスバレーで観たことがあるが、あそこには塩湖は無かったように思う。見た目は真っ平らの塩砂漠だが、この辺りだけやや低くなっているのだろう。僅かな降雨があると、岩塩は水を通さないので、僅かな低地にも水がたまっ
再び4駆は、単調な塩砂漠を突っ走る(写真)。それにしても、塩砂漠の広さはどうだ。走れど走れど、果てが見えない。今は、雲が垂れ込めていてさほど暑くないが、晴天の続く乾季にこんな所に迷い込んだら、乾き死にするだろう。周囲は塩ばかりだから、死んでも腐敗せず、塩まみれの干物になるに違いない。岩塩切り出し現場30分弱走っただろうか。4駆は、岩塩切り出し現場に着いた(写真)。ここが、岩塩採掘地として有名なレゲドか、その周辺なのだろう。アファール族が天然の岩塩を生
ノーベル平和賞を受賞した指導者の下で、血なまぐさい内戦が激化している。5年前に訪れたエチオピアである。2日、エチオピア政府は、全土に非常事態を宣言した。内戦が激化し、首都アディスアベバにまで戦火が迫りそうになっているからだ。ティグレ族主体のTPLFが反乱内戦は、昨年11月に始まった。連立政権を構成していたティグレ人民解放戦線(TPLF)が政権を追われ、中央政府との内戦が勃発した。TPLFは、北部ティグレ州に拠点を置くティグレ族主体の有力武装組織で、かつてメンギスツ共産政権を倒
ドラゴンボールの世界!ダナキル砂漠を見るためにエチオピアへ。ダナキル砂漠に行くには、ツアーで行くしか方法がない。ということで!!メケレ発、2泊3日のダナキル砂漠ツアーに参加することに。このツアー、何気に過酷なんです。なぜなら!!2泊とも野宿笑トイレも壮大な大地で笑ツアー開始前日、メケレの街を散策していると!なんと、体重測りませんか?と斬新なビジネスをしている人を発見笑とりあえずエチオピアの体重計を体験してみる事に!(いや、エチオピアで測ったからって、体重が減っているわけでない
北東アフリカの人口1億1000万人を抱える大国エチオピアで、再び戦乱が起こっている。しかも一方の当事者のエチオピア政府軍を指揮するアビー・アハメド首相(写真)は、昨年度のノーベル平和賞の受賞者だ。帝政打倒の革命後に多民族国家のエチオピアで内戦そのマンガのような図式は、今年になって俄に高まったティグレ州を拠点とするティグレ人民解放戦線(TPLF)との緊張、そして戦闘である。僕は、2016年1月に主にティグレ州などを周遊した。そこで、戦闘が起こっている。戦闘も規模が大きく、
ラクダに積まれる岩塩(写真)は、塩採掘人の中の「ハデリ」によって成形されたものだ。採掘は、露天掘りで表面の薄い土をはらい、岩塩を露出させたら、大きな斧で亀裂を入れ、ある程度亀裂を作ったら、そこに棒を差し込み、プレートのような岩塩を掘り起こす。ラクダに積みやすいようにきれいに成形これをやるのは「ホコロ」と呼ばれる塩掘り人で、ハデリは粗割りされた岩塩板を斧で成形し、30センチ×20センチ×厚さ5センチの約5キロの板にする。後には膨大な岩塩クズが残るが、彼らはもったいないとは
翌朝、枝を編んだ簡易ベッドで起床した。水がないので、顔を洗えない。ウエットティッシュで顔をぬぐっただけ。コンロ2基で我々の食事作り食堂兼集会所に集まり(写真)、朝食。何だったか思い出せない。パンと何か付け合わせがあった程度ではないか。調理場を見せてもらった。最低限の設備で、メケレから積んできた水で料理を作る。コンロは、プロパン燃料のが2基しかない。これで僕たち14人の調理をまかなうのだ(写真)。海面下の地の世界一低い火山今日は、いよいよダナ
ダナキル砂漠のアハメド・エラ・キャンプに着いた僕たちは、まずその食堂兼集会所に荷物をおろした。部屋割りは後のようで、まずそこで小休止し、日程表では翌日の予定だった塩のキャラバンを観に行くことになった。海面下の地に溜まる塩塩は、天然塩だ。ダナキル低地は、海面下なので、周辺地から流れてくる河川の水は、ここにすべて集まるが、乾燥して強烈な陽光で、湖沼を形成する間もなく蒸発し、後に河川水に溶かされて集まった塩が溜まる(写真=翌日出かけたダロール火山に登る途中から観たダナキル低地)。
僕たちが昼食に立ち寄った掘っ立て小屋の「レストラン」の外に出てみると、遠くのワディの河川敷にたくさんのラクダの群れが休んでいる。見ると、手前に多数のペットボトルなどのプラゴミが散らばっている(写真)。河川敷は上流から流されて来たプラゴミだらけこんな貧しい後開発途上国でも、プラゴミが散乱している。おそらく雨季の高水位の時に上流から流れ着いたものだろう。ワディのそばの山は、地層が露出し、アカシアくらいしか生えていない(写真)。エチオピアのどこでもそうだったが、表土が流出
『遠足はお家に帰るまで』と言うので、『ダナキル砂漠ツアーはアディスアベバに帰るまで』と理解して、この回まで『ダナキル砂漠ツアー』としますメケレからアディスアベバの飛行機とアディスアベバのボレ空港からホテル送迎までETTに頼んだし、理にはかなってると思う大ダッシュでレストランでお金を払い、シャトルバスに乗り込んだε-(´∀`*)ホッバスのドライバーさんが一番後ろの席は荷物置きにするって言うから、私はアメリカ人のBくんの隣に座った。Bくんはフラジャイルって書かれた荷物を持ってて、何か聞いたら、ウ
ランチの後、出発したら、トラックがたくさんジブチと繋がっているこの道はやっぱりトラックがたくさんらしいそして、これはエアーズロックではありませんかマジでここまで、エチオピアのウユニ塩湖、パムッカレ、カッパドキア、地獄の門()、死海と見てきたけど、最後にエアーズロックも見れたこれが見えた瞬間、「エアーズロックみたい」って言ったら、スペイン人2人が「ホントだね」って言ってくれたこれ、同調してくれるのすごい大きかった。そして、このエアーズロックはそんなに高くないみたいで、こんな真横を通った🚙止ま
外は何も見えないぐらい真っ暗だったんだけど、サミーに連れられて、ETTのオフィスへ(って言ってもとあるホテルの端にデスクがあるだけ)夜は3人ぐらいスタッフの方がいて、名前を聞かれたりして、明日のツアーのチェックイン(写真は翌朝、集合の時に撮ったETTのオフィス)そして、今日のホテルなんだけど…ってスタッフさんが「このホテルで良い」って言うから、「良いよ」って言ったら、サミーが車から荷物を持ってきてくれて、サミーとはここでお別れ車はマジ大変だったけど、サミーの人柄はステキだったETTの人に「荷
2019/12/31,大みそか私はラリベラからメケレまで8時間ドライブの日🚙(道中はダイジェストでお届けします)出発は午前8時だから、7時には朝食に行けるように準備しようと起きたんだけど…。朝目覚めたらオェッヤバい8時間ドライブ楽しもうなんて考えられない確実に昨日のハニーワインで二日酔いだやっぱりねー(´Д`)ハァ…飲んだ時になる気がしたんだよね(;´д`)トホホ…(だったら、やめればいいのに飲んじゃうのもまた、私なのです)でも、お腹空いたし、何も食べずに出発はキツイから、朝食を食べにホ
4月19日(金)エチオピア2日目アディスアベバ→メケレ明日からのダナキルツアーの為に、今日はメケレへバス移動。トイレもないバスで15時間もかかる4時にツアー会社の人が迎えに来て、バスターミナルまで行く。夜行バスは禁止されているので、朝がやたら早い。何が書いてあるのかさっぱり分からないバスチケット。出発時間すらエチオピア時間は違うので分からない。バスは4時半発のはずが、30分遅れて出発。abaybusという会社のバス。座席は思ってたよりは良い。チケットが読めずに困って
【エチオピア7日目メケレからハウゼンへ】7:00起床朝食8:30エチオピア隊員のゆきさん、だいきさんと合流メケレのEONスーパー(笑)へ⬇メケレ一の繁華街・市場へ⬇ちまきとゆうフレッシュジュース屋さんへゲストハウスのお食事所可愛い〜今日泊まったParrotguesthouse外観の雰囲気や部屋はいい!けど、機械はあったのに、お湯が出なかったのが残念翌日は朝から、またまただいきくんとゆきくんがメケレ案内をしてくれるとのことで、お出かけスーク(市場)行きまし
【エチオピア6日目ダナギルツアー最終日】もくもくのマグマを見たあとは本日の寝床に戻り、1時間だけ溶岩の上・強風の中、爆睡短時間でよく寝たまだ暗い中再度マグマを見に出発うーん、今朝もマグマはみれませんでしたこんな感じで煙がもくもく。未だに噴火活動してるから仕方ないですね…現地ガイドのムハンマド・アリー歩くの早すぎる…マグマ見学の後は向かいにあるこの岩山に登り、朝日を眺めましたまのかちゃんと(顔がやばい😂)その後は死海&天然温泉へこの温泉が死ぬほど気持ちよかった〜3日間シ
【エチオピア旅行メケレからダナギルへ】今日から2泊3日でアディスのETT事務所で予約したダナギルツアーへ参加です
【エチオピア旅行3日目ラリベラ→アディスアベバ→メケレ】【日程】7:00起床8:00朝のラリベラの町を散歩&市場へ9:00マイクロバスで空港へ向かう(時間ギリギリだけど前日にちゃんと確認した👍小さな空港でよかった😉)10:10ET126でラリベラ空港からアディスアベバ・ボレ空港へ11:10アディスアベバ・ボレ空港到着12:00ETT(エチオピア・トラベル・ツアー)へ14:00エチオピア・JICA事務所へ15:00韓国レストランへ17:30空港へ19:0
今日はメケレからアディスアベバへの移動。本当は朝少しゆっくりだったけど、初日のトラブルで観光が全然なので朝一フライトに変更。朝ごはんを食べて出発したけど、面白い。もはや面白いリコンファームもしたらしいけど変更されてなかったと笑謝る添乗員さん。私はもうコーヒー豆買えたら満足です空港で、コーヒーセレモニーうけてしかも2回も・・・・・アディスアベバで食べるはずのランチを空港でサンドイッチ配られて食べる元々の時間にいざ出陣!
ベースキャンプで荷造りをしてエルタアレ火山をあとに。途中でアファール族の村に立ち寄る。なんかおしゃれその後、近くで食事。マンデラさん最後のご飯。憧れてたコーラも飲み大満足食堂?の中にはやぎもいてスキを狙って、食料を食べに来るその後、アフデラ湖へ。浮遊体験ができるらしい。先月、イスラエルで浮いたばかりだけど、さてどうか・・・・ちかくの建物この中で着替える。これが、アフデラ湖頑張れば浮ける。塩分は、やっぱり死海
朝の4時に起床エルタアレ火山のクレーターに向かう。白煙がなければいいなーっていう、ちょーっとした期待はしてたけどやっぱり駄目だったガスマスクして、特撮ものにしか見えない感じで。お風呂も二日入ってないし、なんかぐちゃぐちゃ海外のグループツアーでは、このクレーターの周りにとどまるコースもあるみたい。ガスマスクもせず、結構な薄着でいた人たち。さすがだわしばらく堪能した後、クレーターをあとにして野天したところの近くに戻る夜があけてきた。きれいクレーターの近く
世界12カ国の旅もついに半分、6カ国目のエチオピアまで来ました!アフリカもいくつか国を周ってみると「アフリカといえば〇〇」でよく耳にする暑い・黒い・陽気...などのイメージは覆されてきます。気候についてエチオピアの首都に滞在している今現在、とっても寒いです。エチオピアは標高が2,000メートル以上あるので、日光に当たっていない限り肌寒い。。ヒートテックや長袖の上着が必要です。次に、様々なアフリカ人と関わると段々わかってくることが、”黒さの度合い”。エチオピア人はあまり黒くな
アハメッドエラに到着。いよいよキャンプ既に日はおちてきていて綺麗一人1つテントがあってこれは私のお部屋仮設トイレ。トイレットペーパーもついてた仮設シャワー。一応節水ってことだったし、ぬるーいお水だったけど顔だけでも洗えただけでも気持ちが良かった。髪の毛は私は洗わなかったけど、洗ってる人も結構いた夕食薄暗いけど結構豪華種類も豊富スープも美味しくてしっかり堪能夕食のあと、各自シャワー浴びたり準備し
ようやくキャンプにいけるホテルで朝食を食べて朝から出発!途中途中休憩をはさんで青空トイレしながら、とりあえずは舗装された道。途中、コーヒーセレモニーを見てエチオピアコーヒーを飲む。コーヒーこぼれてるし、虫ついてるけどwエチオピアの人は、まずいと噂のインジェラを3食食べるって言ってたけど本当らしく休憩のときに食べてたドライバーさんに食べてみたいって言ってたら、手招きしてくれた。わ〜い🎵熱いからっていって、ドライバーがつつんだものをそのまま口に運