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おはようございます🌈5月22日のアニバーサリー・アートはメアリー・カサット(1844年生・アメリカ)『子どもの入浴』独特の力強いタッチで母と子の親密な絆や19世紀の「新しい女性」を女性の視点から描いた画家アメリカでは満足な絵画教育を得られない、とヨーロッパの美術館を回って独学で絵を勉強しフランスで勲章を受けるも母国アメリカでは最晩年までほとんど知られていませんでした女性同士だからこその距離感で被写体の女性たちと長い時間を共にしてその労働、友情、私生
美術館の企画展として人気を誇るのは、やはり西洋近現代美術であろう。近代以前の作品となると前提として神話や歴史等の古典的知識が求められるので、壁を感じる人が少なくない。印象派以降になると西洋古典と距離のある作品が多くなっていく。故に日本人からもよく親しまれることになる。近代以降、新しい表現を求めた人々がいた。泰西美術の先駆者たちを傍らにいた人たちの視点から描き出したのが『ジヴェルニーの食卓』である。芸術家と周囲の人、芸術から隔たっている人々、その間に違いはあるのか。行為の形式が異なるだけ
メアリー・カサット《娘に読み聞かせるオーガスタ》1910年今日の一枚のアート(←勝手に名付けた)アーティゾン美術館の、看板娘の1人だと勝手に思っている作品です。常設展でよく飾れれている作品です。■作品紹介メアリー・カサット《娘に読み聞かせるオーガスタ》とても穏やかな、母と子供の優しい絵ですね。屋外の暖かな光の中に、絵の中心に黒い本があり、そこだけがとても強いアクセントになって、まず目につきますそして、お母
今日は前にも紹介したアメリカ出身でフランスでも活躍した方いつもの貼り付けで失礼します画像はお借りしました。青いアー厶チェアの少女有名な絵✨富裕層のリビングよね🤔(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧果物を採る彼女の描く絵のベビーは裸が多いのよ💦💦🥹ベビーの絵、多いのよ♡(ӦvӦ。)夏時間ボートの周りにはアヒルがいいね(≧∇≦)bオペラこれも有名✨オペラ座として有名な「ロージ」オペラグラスで見ている女性を見てる殿方が…❗😅🫨🫨🫨♡˖꒰ᵕ
今日はアメリカの方いつもの貼り付けよん。では、鑑賞しましょオッパイは美味しいですか❓❣️玉子✨も貧乳❗❗😅だけど、母乳育児したのよ😁産まれてすぐの初乳は栄養があって赤ちゃん✨に免疫力が付く大事なので…セッセと絞ってNICE(新生児集中治療室)に届けたら…❓❓❗他の赤ちゃんに…もっと可哀相な子にあげましょうと😅ブロ友さん✨は虫歯予防の為に自分が飲んでたか…😵💫💦ママはべットでベビーも今からオッパイかしらん❓❣️食べると、ムクムク胸が😅💦💕🤭西洋のべビーは蒙古斑がないよね💦
印象主義の続きです【資料】1863年のサロンは、アカデミーの基準が厳しく適用され、多数の落選者が出たため、画家たちから審査に関する不満の声が上がりました。その声を反映したナポレオン3世は同年、「落選展」(a)を開催します。この展覧会は、サロン以外に初めて画家に発表の機会が設けられた点で、美術制度の上から重要な意味を持ちました。この頃から、新しい表現を目指すマネの周囲に若い画家たちが集まり始めます。彼らがのちに「印象派展」(b)を開催します。Q.91アメリカで印象主義が注目され
「浜辺で遊ぶ子どもたち」メアリー・カサット
メアリー・カサット「猫と遊ぶ子供たち」
メアリー・カサット「真珠のネックレスの女性」
メアリー・カサット「猫を抱く少女サラ」
ペンシルヴァニア州西部の富裕な中産階級の家庭に生まれた。1861年から1865年までペンシルヴァニア美術アカデミーに在籍し、その後パリに遊学。(美術学校で女子学生はヌードを描く教室に入れてもらえなかった。カサットは、それに失望してパリに行ってエコール・デ・ボザールで勉強する)1874年よりパリに定住。毎年サロン(毎年定期的に開かれる美術展)に出品した。1877年のサロンでカサットの作品を見たエドガー・ドガは、彼女を印象派の仲間に加わるよう誘った。1879年の印象派第4回展から、1
その1からの続き企業や個人のコレクションは独自の「好み」があるように思う。今回、初めてアーティゾン美術館を訪れ、石橋財団のセンスには、本当に「うっとり」であった。『モンマルトルの風車』フィンセント・ファン・ゴッホ(1886年油彩・カンヴァス)うーむ。こういうゴッホも良いよね、と思った作品。ゴッホの作品は、2019年に三菱一号館美術展で開かれた「印象派からその先へ-吉野石膏コレクション展-」でもとても惹かれたものがあった。その時にとても心を動かされた『静物、白い
時々、ほわっとした柔らかなピンク色に惹かれることありませんか?それは、人にも自分にも優しい人でありたいと心が願っているからです女優の鈴木保奈美さんのある日のインスタに、赤ちゃんの頃、ある理由が原因でお母様にピンク色を着せてもらえなかったとコメントをされていますそれがとても残念に思われたのでしょうね…「…もういいだろう~好きなだけ着てやる~」と宣言され、ベビーピンクのパンツスーツを着こなしている姿があり、格好良くて印象的でしたhttps://www.instagram.com/p/CCi
アーティゾンの「メアリー・カサット」メアリー・カサット『日光浴(浴後)』1901年(アーティゾン美術館蔵)メアリー・カサットはアメリカ出身の印象派の画家です。明るい色彩で油彩、クレパスを問わず母子像を数多く描いています。彼女の功績はフランス印象派の作品をアメリカの富裕層に紹介し、購入をすすめたことだと思います。アメリカの美術館にモネやルノワールなどの印象派の絵画が多いのは、こうした理由によります。(撮影
ArtDailyは2019年06月14日に、アメリカの画家で版画制作者であったメアリー・スティーブンソン・カサット(MaryStevensonCassatt/MaryCassatt/1844-1926)は1926年06月14日に、パリ近郊のシャトードボーフレン(ChâteaudeBeaufresne)で亡くなり、フランスのルメニルテリバスの家の金庫室(thefamilyvaultatLeMesnil-Théribus)に埋葬されたと報告した。シャトードボーフレ
こんばんは。【上田勇一絵画教室】スタッフKです。11技法が自宅で学べる【上田勇一絵画教室】は画家・上田勇一が主催する絵画教室です。上田勇一は画家歴25年!指導歴20年、生徒数のべ300人!上田勇一プロフィールはこちらから絵画教室メニューはこちらから愛媛県松山市のアトリエやNHK文化センターやフジカルチャースクールの講師はたまたzoomアプリを使用し皆さんのご自宅にて、11種類の技法指導を行っています。単発ワークショップも市内のカフェやzoomにて
フランスでは、ワンワンを連れてる方をたくさん見かけました。感心したのは、どのワンちゃんも、お行儀良くて吠えない。リード無しで飼い主の後をしっかりついて行くワンちゃんも何度か見かけました。リード無しが良いのか分かりませんが。パリの朝。まだ人の少ないモンマルトル。長い被毛をなびかせ、飼い主について行くワンちゃん。ワンちゃんを探してた形跡のある貼り紙。無事見つかったのでしょうか?お洒落な猫の置物を売ってたお店の
物語的美術史。過去に生きた、芸術家たちを、歴史には書き残されていない部分も含めて、息を吹き込み、まさに今生きている存在と思えるように蘇らせてみたい。私の書きたいものはそんな風に集約されるのではないだろうか。書きたい対象としては、例えば、印象派の二人の女性画家、ベルト・モリゾとメアリー・カサット。彼女たちは女性という時点で、既に制約を受けていたが、それでも自分の描く道を見出し、切り開いて作品を残した。メアリー・カサットについては2年前に某サイトで記事を書かせてもらったとき
今年初めての絵画鑑賞に出かけました18世紀から20世紀のファッションや当時流行したヘアスタイルを描いたリトグラフドレスや靴、当時流行した異国趣味のティーセットなど女性が楽しめそうです時代によって、女性の役割とされていた事や期待されていた事その枠から外れた女性がどのように見られていたのか、と言った事を絵や版画で表現されていてなかなか興味深かったです芸術をとりまく環境というところでは約70年ぶりに修復されて初公開となる、エドゥアール・マネの街の歌い手や(今回の目
横浜港南台で白磁やガラス、木製雑貨を彩る小さなお教室アトリエラベンダーファーム市山こずえです。お立ち寄りいただいてありがとうございます*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。..。.:*・゜゚・*天気予報通り〜〜雨で寒くなりました☔️台風も予定通り進んでいるようですね〜〜先週に引き続きですから被害が心配です。どうぞ安全な場所でお過ごしくださいね。さて、昨日は浅草橋でビーズビエンナーレを拝見した後『北斎とジャポニスム』を見るために上野に移動〜〜🚃ゴッホ展も見たかっ
米国東海岸にあるボストン美術館(MuseumofFineArts,Boston、略称はMFA)は、頻繁に来日展覧会を行っていて、2017年8月現在も「ボストン美術館の至宝展(鑑賞メモはこちら)」が開催されています。あまり(一度も?)来日していない作品にも沢山良いものがあるので、いくつかご紹介しようと思います。今回は、アメリカ絵画特集です。*《ボストン・コモン公園の夕暮れ》AtDusk(BostonCommonatTwilight)1885–86チャイルド・ハ
1879年第4回印象派展が開催され、メアリーも作品を出展しました。初回から批判と嘲笑がつきものだった印象派展でしたが、今回は入場者も増えて、画家たちには配当金も配られたそうです。メアリーはそのお金で、ドガとモネの絵を一点ずつ購入しました。「青いひじかけ椅子に座る少女」1879年翌年と翌々年の印象派展にも参加し、出展した作品も画商を通じて順調に売れていきました。メアリーは印象派的な絵画でも成功していきました。「お茶」1880年この頃のカサットの絵は素晴らしいですね
ドガからサロン出展をやめなさいと勧められたメアリーは、印象派展用の絵を描くことを決意した。描きたい絵を描きたいように描く。簡単なことではありません。しかしメアリーは自分が変わることを恐れませんでした。ドガとメアリーは性格こそ違えど、絵に対する考えは似ていました。対象をありのまま描こうとすること。デッサンこそ絵画の根底であること。風景画より人物画を好む。田舎より都会の生活を好んで絵にしたこと。そしてドガはメアリーのことをと言ったそうです。2人の関係は40年続きまし
1874年ドガは友人のツアニーとともにサロン会場を訪れていた。ドガはサロンの絵に批判的だったので、相変わらずの冷笑的な態度で作品を眺めていたが…マネの《鉄道》は褒めたそうです。そしてメアリー・カサットの《コルティエ夫人の肖像》の前に来ると、と言ったそうです。メアリーは後に印象派と呼ばれるグループの活動には興味を抱いていましたが、フランス国籍を取り、アメリカから姉を呼んで一緒に暮らし始めていたので、とにかく働かなければなりませんでした。パリの上流階級の人たちの肖像画
イタリアに着いたメアリーはコレッジョ作《聖ヒエロニムスの聖母》の模写に取りかかりながら、空いた時間にはモデルを雇い自らの絵の技術の進歩に励みました。この絵の模写をするときメアリーは初めて赤ん坊を描いたという。これが後々母子の画家子どもの肖像画家と呼ばれるきっかけになったのかもしれない。翌年スペインへ旅行する。「ここスペインこそ『いかに描くべきか』を学べる土地だと思います。私は絵を見ることに、これほどの喜びを見出したことはありません」とメアリーは言っています。
メアリーがヨーロッパを離れるころフランスでは…普仏戦争が勃発していました。多くの画家も戦争に参加しています。ルノワールは騎兵隊へ、ドガは砲兵隊、マネは国民軍中尉としてパリ防衛に参加。ゴーガンも海軍へ。ピサロモネは戦争を避けロンドンへ、セザンヌも南仏に疎開します。ルノワールやモネと同世代のジャン・フレデリック・バジールという画家はこの戦争で29歳の若さで戦死しました。バジール作「病床のモネ」パリもプロイセン軍から占領され、ペットを食料にする人たちもでるほどパリ市
画家になりたいというメアリーの宣言に父は大反対をしました。さてこの頃のパリの美術界はというと、《サロン》と言う官展に入選して審査員や批評家から絵を認められることが成功の近道でした。(ほぼこの方法しかなかったような気がします)たくさんの画家が年に一度のサロンのために命をかけて作品を描いていました。しかしメアリーがパリに戻る3年前、サロンに落選した作品を集めた《落選者展》というものが初めて開催されました。(落選者たちの抗議を受けてナポレオン三世が開催を認めた)
京都国立近代美術館のメアリー・カサット展に行きました。展覧会はすでに終わってますが、メアリー・カサットについて読んでみると、知らないことが多かったのでまとめてみました(^ω^)こういう生活憧れますよね(^ω^)しかしドイツでお兄さんをなくします。もう1人の兄アレクサンダーは技術系の学校を卒業するために1人ドイツに残りました。(のちにペンシルヴァニア鉄道の社長となる)いつしか美術に興味を持ち学校で習いたいと思い始める。当時は男女が同じ教室で授業を受けること
昨日は京都国立近代美術館へ《母の愛撫》『メアリー・カサット展』に行って来ました最終日なので少し混んでいました壁に記されたこの文章から始まりましたアーティストである喜びと比べられるものが、いったいあるというのかしら?ー1924年1月ウィリアム・イヴィンスへの手紙ー