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〽だめなわたしを知ってるくせに泣かせたいのねもう一度〽丸山修とロス・パリエンテスのデビューシングル、『花街ブルース』の発売と恐らくほぼ近い時期にリリースされた思われる、ロス・パリエンテスのアルバム、「おんなと艶歌とパリエンテス」。本アルバムはA面には他の歌手のカバーソング、B面にはロス・パリエンテスのオリジナル曲が収録されている構成になっています。さて、B面スタート曲に当たる『花街ブルース』ですが、シングル盤の音源とは異なるものとなっています。この楽
浜名ヒロシ(はまなひろし、1950年1月26日-2009年10月24日)サイドボーカル担当。三條のソロ転向後はメインボーカルを担当した。↑ロマンチカにはいる前は青春歌謡歌手として、ソロで活動していた様です。TVで鶴岡雅義さんは顔で選んでグループに入れたと話していました(どこまで本当か?)。この甘いマスクですから本当かも知れません。鶴岡雅義と東京ロマンチカ「リラの別れ」浜名弘LPアルバム「北の旅路」よりムードコーラス●シングル「ああ北海道には雪がふる」の裏面の曲です。you
〽みちはづつくよ輝くルートセブン〽1972年にクラウンが製作・販売した、地方自主盤である、『ルートセブンの唄/おばこおけさライン音頭』。新潟県新潟市-青森県青森市をつなぐ国道7号線をテーマにしたレコードであり、主に山形県を舞台にした内容となっています。A面の『ルートセブンの唄』は、当時クラウンに在籍していた、三浦正弘とハニー・ロマン(後のハニー・シックス)が唄っており、リードボーカルを三浦京子氏がとっています。山形県内の各名所を織り込みながら、ルートセブンを
・銀馬車の一階はパチンコ屋であった(クールファイブ前夜?)2階がキャバレー銀馬車。現在は更地になっているそう(ホリデーイン長崎という建物になっている。2020年時点)。・クールファイブができたのは昭和42年。銀馬車の専属、ハコバン。他にもバンドが所属していた。・宮本悦朗氏が入った時には、もうメンバーが揃っていた。・内山田洋、岩城茂美、森本繁、小林正樹の四人は元は高橋勝とコロラティーノ(キャバレー十二番館所属)のメンバーだった。四人が辞めたのはお金?・前川清と宮本悦朗は内山田洋の弟子だった
あの黒沢明とロス・プリモスの森聖二さん、名取忠彦さんも在籍した渋いながらも、名門グループ。(タブレット純さんの本によると、ロスインディオスの棚橋静雄さんも在籍していたそうで、ジョージ山下さんが学校の先輩だったそう。逗子開成高校?棚橋さんが、大阪に行けなかった時に見つけたのが森聖二だったとの事)リーダーのジョージ山下さん(故人)は、横浜・関内でお店も経営されていたそうです。シングル・レコード「おさけ」は、今でも高値で取り引きされる人気盤です。ジョージ山下「やきもちは恋のアリバイ」
名前も変わり目立たないが、これだけ活動期間の長いバンドも珍しいと思います。叶あきらとキャッツ・アイ「サヨナラ口紅(ルージュ)」1983年ムードコーラスムード歌謡①ダメよ貴方想いださないで昨日までの夢の残り香を踊りましょう指をからませて初めて逢った日のようにキャンドルライトがにじんでゆれるお酒のせいよ涙じゃないわ抱いてもっと強く抱きしめてこれで最後の夜だから②ダメよ貴方横を向かないで昨日までの二人でいたいの煙草ふかす指のすき間から...you