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○2023.6.25(日)14:00~東京芸術劇場3階E-○マルク・ミンコフスキ:東京都響(#977定期)ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)(会場入口のポスター)4月のシティ・フィル特別演奏会で、4番と8番を飯守泰次郎で聴いて触発されたブルックナーの交響曲。5番は朝比奈隆の存命中は毎年のように聴いていたが、地味で演奏機会が少ない曲。没後22年となる今も時々聴いているのは、我ながら意外である。オケは弦フル編成で、第2VnとVaを入替えた対
久し振りに昔読んだ本を引っ張り出した。ミンコフスキー、村上仁、西谷啓治。この三冊は木村敏が学生のころに読んだと言っていた。特に、京大時代に、ミンコフスキー『精神分裂病』、村上仁『精神分裂病の心理』を読んで、精神科に興味を持ったのだと。ミンコフスキーのこの本は、文章が美しい。そういえば、三島由紀夫もこの本を読んだのだと。『金閣寺』を書く前に読んだみたいで、自分のことが書かれてあると思ったのだと。分裂病者はこの弛緩の味が判らない。彼が何もしない時は、実際に何もしない。
宮沢賢治114雨ニモマケズ手帳表扉とその見返④「Tscheikowskiとミンコフスキー」【序】雨ニモマケズ手帳の表紙見返しに4つの"TscheiKowsky"の文字が、そしてその末尾の1文字の”y”だけを、”i”に変えた"Tscheikowski"の文字が1つあります。前者については過去記事に書いていますので、以下で後者の通常チャイコフスキーのことだと解されている"Tscheikowski"の文字の意味について考えてみます。撮影2021.03.10(池の噴水)【
不等式はそれだけで一冊の本が書かれるくらい奥が深いものです。和講師の岡本が大好きな不等式を4つ紹介します!---以下、本文から---------------------------------------------------今回も岡本がグッと来た数学をご紹介していこうと思います。今日は「不等式」についてです。AよりBの方が「大きい」ことを「A<B」と表現します。数学の世界では、値が変化していく関数や数列における不等式に特に興味があります。不等式にはいろんな種類があり、今回はその中で特に面
ノルウェイの森は下巻に入った。なんとなく、村上仁『精神分裂病の心理』という本を引っ張り出してきた。木村敏は京大の学生だったころ、村上仁のこの本を読んで精神科に興味を持ったのだと。ミンコフスキー『精神分裂病』とともに、木村敏にとって印象に残った本だったらしい。村上仁の文章は、文学的な格調の高さがある。ミンコフスキー『精神分裂病』も村上仁が訳しているけれども、文章が美しい。それでいて読みやすい。読んでいて心地いい。いま『精神分裂病の心理』を読んでいる。芸術に触れているという感じがあ
文字を目で追っているかぎり、自分はどこかに向かって移動していると考えられる。ぼくがじっとしているのが苦痛と感じるのは、やはり感情が自発的に動かない、自発的に思考することができないからだろう。本能的推進というのかな。感情なり思考が自発的に動くのであれば、じっとしていても苦痛は感じないだろう。じっと座っているだけでも、その人の心の中がどのように動いているのか、外からうかがい知ることはできない。また、ミンコフスキーの患者は、すべての時間を行動で埋めようとしていたが、我々はその患者から元気を感じる
小さいころから今に至るまで、直線的に生きてきたという感じがない。連続性が見いだせない。というか大学一年ごろまでは直線的に生きてきた感じ、連続的なものが感じられる。要するに大学一年のときに離人症を発症して以来、自分の世界の体験の仕方がまったく変わってしまった。ぼくの人生は三つの時期に分けられるかもしれない。つまり健康の枠に収まっていた時期(~18歳)、離人症を発症して統合失調症を発症するまでの間(18~24歳)、統合失調症を発症したあとの時期(24歳~)。18歳のときに離人症を発症して以来失
時間に広がりがない。いつも瞬間の点に自分が閉じ込められている感じがして、ゆったりくつろぐことができない。時間を過ごしているといっても、時間をなんとかやり過ごしているという感じがある。そこに欠けているのは何か、それは主体性だと思う。主体性というか、自己というか、能動性というか。時間が流れない。時間を生きているという感じがしない。時間について書いてある本を読んだほうがいいかな、ミンコフスキーとか木村敏とか。ぼくはほとんど常につらい、しんどい、きついという感じだけど、これがどのようにつらいのかと
891「今回の予定は『時間』だったな…」CASIOCALCULATORカシオカリキュレーターCA-53W-1Z腕時計時計...2,700円楽天LNG「おつかれさん~、ちょっと見て。」【レポート】891「いやいやいや、時間、の話じゃなかったのかよ。」LNG「予定は未定、でしょ。」891「光円錐を引きずっている気がするが、宇宙の広がりの話かね。」LNG「まあそんなとこかな。」891「ここでいう『正の方向』ってのは、『時間の
例えば、ぼくはここ一週間くらい、ずっと西田幾多郎全集第十四巻を読んでいる。この一週間のあいだ、これ以外の本は一切読んでいない。ぼくの問題は、形式主義に陥りがちだということ。西田を読むと決めているから、いま西田をひたすら読んでいるわけで、なにも決めずに行動するということが、とても難しい。本を読むにしても、気の赴くままに読むということができない。読みたい本はたくさんあるような気がするのに、どれから手をつけたらいいのかわからない。この感じだと、西田の全集全20巻を読破するまで、他になにも読めないか