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霧島昇&ミス・コロムビア「一杯のコーヒーから」一番二番お届けいたしました
パラリンピックに高校野球に高校総体・・・・・・。読売新聞がスポーツ一色になって仕舞うのは想定の範囲内でしたが、朝日新聞もまた高校野球の主催者という立場上、スポーツばかりが目立つ紙面でこちらにもうんざりさせられました・・・・・・。目ぼしいニュースが余り目に付かなかったこの日の朝、職場に届いていた朝日新聞朝刊にNHK学園市川オープンスクールの広告が折り込まれていました。「天空のカルチャースクールにようこそ」というヘッダーが印刷されていたので、「何だろう」と思って所在地を確認
霧島昇(きりしまのぼる/本名:坂本榮吾/1914(大正3)年6月27日~1984(昭和59)年4月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。1914(大正3)年、福島県双葉郡大久村(現:いわき市大久町)の農家の三男として生まれる。小学校を卒業後上京し、中学に通いながらボクサーを目指すが断念、テノールの藤原義江のレコードを聴き、日本の歌曲を流行歌として歌いたいと思い、苦学しながら東洋音楽学校(現:東京音楽大学)を卒業。浅草のレビュー小屋でアルバイトをする傍ら吹き込ん
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「悲しき子守唄」とらカラ384作詩:西条八十、作曲:竹岡信幸、唄:ミス・コロムビア、カバー:とらじろう昭和13年(1938)発売。ミス・コロムビア(本名:松原操、霧島昇と結婚後坂本姓となる、北海道小樽区(現・小樽市)生まれ、1911/3/28-1984/6/19、73歳没)は主に戦前の女性流行歌歌手。霧島昇との共演曲に『旅の夜風』(昭和13年)、『一杯のコーヒーから』(昭和14年)、『目ン無い千鳥』(昭和1
今日の、連続テレビ小説「エール」から、「愛染かつら」のくだりがあり、聴きたくなりました。霧島昇さん、ミス・コロムビアさんの丁寧な歌い方が印象的です。「旅の夜風」は、1938年(昭和13年)9月10日に、「悲しき子守唄」とのカップリングでコロムビアレコードから発売された日本の歌謡曲。松竹映画「愛染かつら」の主題歌でもあり、当時としては80万枚を超す驚異的なヒットとなった。「花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる途(みち)泣いてくれるなほろほろ鳥よ月の比叡(ひえい)を独(ひと
まだ武漢ウィルスの脅威など感じてもいなかった今年の1月、60回目の誕生日を迎える半月前の私に年上の知人が「東京大衆歌謡楽団」のCDを「ええぞ、聴いてみ」と贈ってくれました。中学生の頃から歌謡曲やフォークソング好きの私が、知人達が集まる宴会で古い歌謡曲のリクエストがあるとガットギターを弾いてカラオケ代わりを務めることが多いので『むちゃ懐メロやけど、お前やったら気に入ると思う』ということでした。街角の心Amazon(アマゾン)2,336〜6,060円ひとりになってから、「
今日入手したもう一枚もアップしてみました。(コロムビア27409ーA)これも歌詞カード欠品だが超美盤!ビクトローラJ1ー50、神再生(^q^)盤と機体の時代が合うとやはりいい感じになりますね。
(コロムビア30213)以前アップした「古き花園」の裏。タイヘイへ移る前の瀬川伸。何枚か残しているはずなのだがあまり見かけないような気がします。
母の日日頃の感謝の気持ちを母親に伝えられましたか?(書いてて照れますね😅)今から8年前(かな?)白血病で逝きかけましたけど、その時なんかおふくろが一生懸命仏壇に祈ってくれてたらしいです。親父に向かって(聡を連れて行ったら許さないからね!)って。(聡を守ってね!)じゃ無いところが夫婦の関係を物語っております😅そのお陰かなんか夢にも何にも親父が一度も現れませんでした。因みに【三途の川】や【お花畑】も見ませんで
(コロムビアA137)1939年(昭和14年)に発売された歌なのだが、この盤は「松原操」名義なので戦後再プレスと思われます。レコードの材質の悪さがモロに音質に出てます。一杯のコーヒーから夢の花咲くこともある街のテラスの夕暮れにふたりの胸の灯がちらりほらりとつきました一杯のコーヒーからモカの姫君ジャバ娘歌は南のセレナーデあなたとふたり朗らかに肩をならべて歌いましょ一杯のコーヒーから夢はほのかに香ります赤い模様のアラベスクあそこの窓のカーテンがゆらりゆらりとゆれ