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従軍なんちゃら、というのは従軍記者と従軍看護婦しかいない。軍から正式に受け入れを表明されて、その仕事場を確保されていたということだ。しかし朝日新聞ラングーン支局の記者だった丸山さんはインパール作戦への従軍を拒否されてしまう。その困難さゆえ報道機関の数を制限せざるをえず、毎日、読売、同名通信のみをともなうという。激しく抵抗した丸山さんは、‘ニュース記事を書かないなら’という条件(!)で許可をえた。運転手も連絡員もつかず、ただひとり前線へ向かう。敗走した英印軍が捨てたテントを拾って自分で斜
美しさの基本は美肌高品質をリーズナブルに提供してます安心して通って頂けるサロンをめざして契約等無し、都度払いがメインですこんにちはエステティシャンの沓名です違和感のない若々しさ清潔で健康的な印象の素肌作りが得意ですエステティッククツナから車で5〜6分の昭和区のミャンマーレストラン「マンダレー」で久々にランチしましたしばらく行ってなかったこちらの店ランチメニューが少し変わりクツナの好きな焼きそばや青パパイヤのサラダは夜のメニューのみになったそうで…今回はトムヤ
2018年1月1日バナナ狩のあと、どこかでランチしたのですが、写真が一枚もありません。スキップします。エーワラディー川を船で渡ります。40分くらい。川沿いには民家。興味深くみながら船はゆっくり進みます。対岸の船着場が、板一枚渡してあるだけ。しかも結構長い。両膝が悪い私。視覚障害のチョロ。まずおトーチャンがチョロを完全サポートでゆっくり渡ります。私は船の船員さんが浅瀬におりて、サポートしていただき渡りました。こちらは作りかけの寺院だったか。もう忘却の彼方です。中
2018年1月1日マンダレーは古都でもあり王宮とかありましたが私たちのツアーはバナナ狩り方面へ。馬車でむかいます。この馬車がゆれるゆれる。つかまっていないとふりおとされるくらいジェットコースターなんて目じゃないくらいものすごい乗り心地。道が舗装路から未舗装へとかわるとさらにゆれる、ゆれる。揺れる乗り物大好きなちょろくん。大興奮アンド大喜び。つかまりながら上手にバランスをとっていました。途中には小さい寺院がちらほら。バナナ狩りの場所までかっ飛ばす馬車。揺れる馬車か
2018年1月1日元旦も朝早くからホテルのスタッフの方はお仕事です。皆さん笑顔。こちらの皆さんは清掃担当スタッフ。英語はあまりつうじませんでしたが学校でたばかりみたいな感じで単語を並べてでもこちらが聞いたことは答えてくださりうれしかった。一緒に写真をとっていいですかで快くOKこのホテルは結構きにいりました。次にバガンに来る機会があったらご指定です。平屋建てで使い勝手がとてもよかった。ただし半袖ということは蚊はいます。こういうところへの旅行は虫よけスプレー殺虫剤必須
2017年12月31日朝5時起きで空港へ。バガンへ空路移動です。朝焼けがきれいでした。あっという間にバガン着。迎えの車にのりこみシュエンゴンパゴタへ。ここも金ぴかです。寺院のタイルはとてもきれい。デザイン的にも洗練されていると思いました。いろいろな寺院にいきましたがどこの寺院のタイルも個性的でデザイン的にきれいなものが多かったです。バガンは世界遺産で有名な観光地。その仏塔群へ移動するまえに普通の寺院観光です。観光したらバガンの世界遺産地区に移動。ミャンマ
韓国には昔、夜間通行禁止令がありました。夜十二時から明け方の四時まで、特別な場合を除いて一般人や車が屋外を移動することを禁じていました。北との戦争状態であるため、敵の侵入を防ぎ、治安維持の目的でアメリカ軍が発したもので、一九八二年一月五日までの三十六年と四か月間、不便な思いをしました。上は、夜間外出禁止を監視する様子とソウル市内で見かけた戦車初めてのソウル行きが、1974年の冬でしたが、先輩に誘われて、チャーター便でソウル観光へ出かけました。まだまだホテル事情が悪かった事を覚えています。
ミャンマー国際空港へ降り立ったのは、1985年11月の事でした。この頃は、軍部政権に反発するアウンサースーチー氏が、民主化を叫んでいた頃でした。日本人が、さほど旅行していない為、日本に出入国、税関申告書はなく、バンコクから飛び立つと直ぐに団員分の書類を必死に書いていました。機内サービスどころでなく、添乗員だけが、一人せっせと下を向いて書いていました。上はミャンマーの地図と昔のラングーン(ヤンゴン)国際空港の様子です。現在は、立派な空港⬆️kですが、空港に売店もなく、2畳程の空港免税店があ
2013年の年末年始に訪ねたアジア旅を綴っています。今日は、首都ヤンゴンに次ぐ第二の都市マンダレーへ早朝に飛びます。昨日、ポッパへ行ってくれた大人しいドライバーに空港までの足を再度お願いしていましたところ、空港手前でまさかのプロポーズされました。ここ(バガン)から出て行かないでと懇願され、昨日の大人しい彼とのギャップに驚き。少々揉め、まぁ、丁重にお断り申し上げ飛行機に乗り込みます。ホント、男はよー分からんわ。マンダレーに到着。昨日までのほのぼのした田舎の大自然風景から一転。カオスで
ブティックBYZZ甘い物大好きマンダレーももんげい大好き店長っぷ地元マンダレーのハンバーガー店主も方とお友達になってお寺のお参りの仕方を教えていただきましてござる。店長でござる。ヤンゴン着いたその日にコーディネータの方に地元の方と同じ格好にしてもらって滞在中の二週間全部これで過ごしましてござる巻いて
ブティックBYZZ甘い物大好きマンダレーヒルももんげい大好き店長っぴミャンマーに行ったらどうしても行ってもらいたいマンダレーヒルいよいよクライマックスなんで午後夕方がお勧めなのか?これです曇っててもサンセットは見せてください。お祈りしてたらば太陽が逆にのぼるように逆さサンセットいっや!すっげ興奮してます川に太陽の光の端がブティックBYZZ
ブティックBYZZ甘い物大好きマンダレーももんげい大好き店長っぴミャンマーに行ったらどうしてもマンダレーヒルに行ってもいらいたいでござる。日本的に言うと高野山的なマンダレー最大の聖地ここには夕方に行くと思わぬご褒美がサンセットです。実際はものすごい荘厳な感じで涙が溢るる感じ川に夕焼けが橋のように映ってBYZZ
ブティックBYZZ甘い物大好きミャンマー・マンダレーヒルももんげい大好き店長っぷミャンマーに行ったらどうしても行ってもらいたいマンダレーヒル夕日は涙物です。ミャンマーでは生まれた曜日が重要で行く前に覚えておくといいかもです店長は水曜日生まれで水曜日は午後か午前かも覚えておくと楽しいかもBYZZ
写真のダフネデュモーリアが、私が勝手に思う主人公の「私」。本人20代前半の写真らしい。以前はもっと大人になってからの写真を使っていたと思うが…いつの間に。「レベッカ」は31歳の時の作品。「ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た」有名な書き出しで始まるサスペンス、心理スリラー、ゴシックロマンスの名作。ヒッチコックが映画化し、主人公をジョーンフォンティンが演じた「レベッカ」だ。子供の頃観てからダンヴァース夫人が怖くて夢に出るほど!レベッカ(字幕版)Amazon(アマゾン)老婦人に世話係に雇わ
ブティックBYZZ甘い物大好きミャンマーももんげい大好き店長っぱひょんな事から紹介していただいた日本在住のミャンマー人の方にビザからチケットの購入ホテルの手配までしていただいて完全フリーの一人旅前回から間が開きましたがちょっとおさらいベトナム航空でハノイでトランジットヤンゴンについて空港近くのホテルに泊まって空港からホテルまでどヤンゴンの観光でガイドさんをつけてもらってやっぱ洋服屋の店長地
「菊と刀」なら学生時代に英語で読まされたな、と思い出した。‘菊’と‘龍’はビルマに展開した九州の兵団の愛称。防諜上の秘匿名ともいえる。パラパラとめくりフーコン、ミートキーナ、ラシオ、メイミョーなんて地名を見ると、過去に読んだ中でも最大級のトラウマになっている(★)以前のこの本を思い出す。ああ、またも俺の心にキズを残す一冊なのか?気宇壮大な侵攻計画と補給軽視(いつものこと)により、いくら精強な帝国陸軍といえども、昭和19年のビルマ戦線は一方的に負け戦。退却できればまだいいが、‘死守せよ’
▼写真AC:ぬりりんさん提供のフリー素材「ドイツ・ミュンヘンのブルーテンブルク城」あえて、主人公の女性の名前が最後まで出てこなかった。1人の男性が崖にいて、海に飛び降りる寸前。「やめて」と散歩していた女性(ジョーン・フォンテイン)。男性「誤解だ」モンテカルロのプリンセスホテルバン・ホッパー夫人がお供を連れていた。ひげの紳士ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)を見かけた。翌日、ホッパー夫人は風邪で寝て、お供の女性が一人で朝食。テーブルの花瓶を倒して割ってしまった。ウィンタ
【マンダレー/Mandalay(2/21~2/22)】WearrivedinMandalayfromLashioafterabout5hours.Weweretoleaveearlythenextday,anddecidedtomakethemostofsomequicksightseeingbyhiringacoupleofhotelguystotakeusaroundonthebackofthe
こんにちは、ィヤダナーです。ヤンゴンは落ち着いているように見えますが、各地で戦いは起きています。6月に頻発した爆発事件も含め、マンダレーやカチン州、シャン州、カレン州、チン州と各地で銃撃など起きているようです。たまたまFacebookを見てみると、source:khitthitmediaどこかで見たことある風景だな。ここはレーダンセンター横のビルか!記事によると、8月29日から30日にかけてヤンゴン市内の北ダゴン、東ダゴン、北オカラッパ、南オカラッパ、レーダン、ヤンキン、イン
こんにちは、ィヤダナーです。陽性率は20%台になっていますが、まだ10%台ではありません。去年に比べると危険な状態です。先月に健康&スポーツ省の人数を見てから一ヶ月が経ちました。さて、各州はどうなっただろうか?見てみよう。source:ministryofhealthandsports2021年8月23日20:00〜8月24日20:00の発表では2506人が陽性となっています。7月25日と比べます。管区、州別に見てみると、7/25→8/24全体49
こんにちは、ィヤダナーです。ついに陽性者が40%を超えました。source:ministryofhealthandsports2021年7月24日20:00〜7月25日20:00の発表では、12474人を検査し、4998人が陽性となっています。管区、州別に見てみると、全体4998バゴー管区881ヤンゴン管区739シャン州661マグェー管区536ザガイン管区505エヤワディ管区466マンダレー管区446モン州317チン州1
ミャンマー(ビルマ)軍への抗議活動を手助けしたソーテイの5歳の娘スーテットワインが軍に2週間拘束され、ストレスポジションを取らされる拷問を受けた。6月13日、マンダレーの治安部隊がソーテイの自宅を襲撃した。ソーテイは治安部隊の襲撃前に、息子2人と身を隠していた。治安部隊は、代わりに、ソーテイの妻ナンキキと17歳の娘テイントサンディソーと5歳の娘スーテットワインを逮捕した。ソーテイによると、18日間拘束されたスーテットワインは拘束中のことがトラウマになっているという。スーテットワ
地図はこちら◆旅跡(タビアト)◆■1日目(2017/10/7):成田~バンコク~ヤンゴン■2日目(2017/10/8):ヤンゴン~インレー湖■3日目(2017/10/9):インレー湖~カックー~インレー湖~(マンダレー)■4日目(2017/10/10):(インレー湖)~マンダレー★5日目(2017/10/11):マンダレー~バガン□6日目(2017/10/12):バガン~ポッパ山~バガン□7日目(2017/10/13
テレビを見ていたらミャンマー第二の都市マンダレーで民兵組織と軍隊との衝突があり死傷者もでたというニュースをやっていましたマンダレー何年も前に行ったことがあるのですがこじんまりとした街で丘から見る夕陽がきれいでしたミャンマー情勢は膠着していて国際社会の強力な介入もない様子人々は日々抵抗していても長期化すると圧倒的な組織力が勝ちますよねどうなる、ミャンマー情勢
岸防衛相ラオス国防相とテレビ会談ミャンマー情勢など岸防衛相ラオス国防相とテレビ会談ミャンマー情勢など|NHKニュース【NHK】岸防衛大臣はラオスのチャンサモーン国防相とテレビ会議形式で会談し、ミャンマー情勢の改善に向けて、引き続き連携していくこと…www3.nhk.or.jpミャンマー内戦の危機親軍派殺害相次ぐミャンマー情勢内戦の危機-Yahoo!ニュース国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、国軍側や支持者が標的となる事件が相次いでいる。国軍は22日に第2の都市マ
マンダレーから世界遺産の街バガンまで大河イラワジ河クルーズ船はのんびりとゆっくりと進んでゆく。予定では午後5時ごろ、8時間ほどで到着するはずだ。暫くして時が来ればバイキングランチとなるそれぞれに思い思いに河岸を眺めながらの時を過ごすのがリバークルーズの良さと言うものかもしれない。ミャンマーの日中の日差しは強い、救いは川面を渡る微かに涼しい風が有難く、良く冷えたミャンマービールが南国の時を演出してくれる。
ミャンマー中部の都市マンダレーから世界遺産の仏教遺跡のある街バガンへイラワディ河を行くリバークルーズ船で向かうことにした。十年程前に体験してその良さを実感していたので迷わなかった。食事もついたクルーズなので動き始めると早々にブレックファーストと相成った。朝靄が明けてまだ暑くならない大河の河面を渡る風が心地よい。
ミャンマー中部にある大都市マンダレーの昼下がり、街角食堂で冷えたミャンマービールで英気を養ってみた。兎に角暑いので冷えたビールは至極有難い。マンゴを絡めた手羽先、ピリ辛の揚げ豆腐なんかをつまみに楽し嬉しい時間が過ぎてゆく・・・。
極真空手ミャンマーマンダレー支部長のအောင်မြင့်-AungMyint-アウン・ミント師範が亡くなりました。ポーケーの親父さんで極真空手が分裂する前、池袋の総本部で修行しており、日本語もわかりました。ミャンマーではポーケーvs.CRAZY884は好試合でした。御冥福をお祈りします。押忍
ミャンマー市民への武力行使が続きます。ミャンマーのハンセン病の村には私が一緒に暮らした子供たちが住んでいます。古都マンダレー近くにハンセン病の村があると聞き、私はぜひ彼らに公演を届けたいと思いました。しかし病気の村だからと差別され、公演許可が下りませんでした。私は、軍の上層部に出向き直談判しました。「この村に来て公演するという人は私たち以外に、世界中どこを探してもいないでしょう。だから、許可を下ろしてください」と。曇りなき思い「奇跡の天使力」は、軍上層部の心を動か