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マレー半島名物のバクテー(肉骨茶)をいただいてきました。私が10年以上前からクアラルンプールに行くたびに立ち寄る阿喜肉骨茶に行きましたがなんとミシュラン掲載されたようです。マレーシアにミシュランガイドが登場したことに驚きましたがこの店が掲載されていてさらに驚きました。この日は、朝ごはんを食べずに早めの昼ごはんとして行きましたがとても美味しくて爆食いしました!★川島和正のメルマガはコチラ↓川島のメイン媒体はメルマガであり、一番お得な情報はメルマガでのみ配信中
喪中葉書が来た。近年は90歳代の親の喪中が多い。介護などでご苦労さまでした、との気持になる。となると、もうすぐ年賀状のシーズンだ。来年は辰年、ユーモアたっぷりの龍をデザインしなければ…。賀状では失敗もある。友人の奥さんが亡くなったのに、こちらからの賀状には「おかげさまで夫婦ともに元気です」としたのを、彼にも送ってしまった。配慮がなかった。しかし、しかし、だ。誰にでも様々に幸不幸がやってくる。それに配慮して、紋切り型の「今年もよろしくお願いします」だけでは伝える情報がない。
あっという間に師走ですねぇ。マレーシアでムルガン神にまみえてからもう一年も経つのですねぇ。マレー半島の旅にご招待してくださった篤志家の方に、ムルガン神の大きな祝福が降り注いでいることを、昨日知りました。私のようなまだまだ修行の足りていない行者を、巡礼に招待した「見返りを求めない善行」に、神が喜び、感応されたのでしょうか。ニュースをお聞きして大いに驚き喜ぶとともに、やはり神の力は偉大だと感じた次第です。ムルガン神の大聖地・バトゥ洞窟(マレーシア・2022年)
【スーツ旅行】シンガポール観光に行ってみた!マレー半島縦断旅行
こんにちは讃岐青果です本日もとても暑いです皆様、週末は楽しくお過ごしでしたか週末は電子レンジが故障し、不便なひとときを過ごしましたブルーノ・マーズさんの音楽を聴いたり、川村元気さんの小説を読んでおりましたさて、本日は讃岐青果に入荷している里芋についてお届けいたします里芋は、人里で採れることから里芋と呼ばれるようになったそうです。里芋はマレー半島が原産で、マレー族の移動とともに各地に伝播したそうです。親芋に子芋がつき、子芋に孫芋がつくことから子孫繁栄の印とされ、縁起の
マレーシア半島中部に位置するタマンネガラ国立公園は熱帯雨林に覆われて世界自然遺産に指定されている。公園の一部はよく整備されているが、やはり自然遺産と言うことで最小限に留められているのは当然だろう。森に足を入れれば熱帯雨林特有の高い湿度に汗をふきふき、多様な植物のワイルドな命に直面する。所々に開けた区域に出れば熱帯雨林の命の営みに眩暈がしそうな感覚に陥る。東西南北世界中に自然遺産はあるけれど、熱帯雨林のもたらす自然の迫力は特筆するものがあるように思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【再】4月30日(日)午後2時[BS3][BS4K]スイーツ列車紀行お菓子の楽園!マレー半島世界No.1パティシエの最新アプリコットケーキから伝統の炭火焼バナナケーキまで25品のスイーツを食べ尽くす!【出演】高島礼子【語り】小田切千初回放送日:2023年3月18日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スイーツ列車紀行-NHKwww4.nhk.or.jp高島礼
🐸礼子さん💐ご出演👏🏻👏🏻👏🏻待望のスイーツ列車紀行📺の最新作❣️👀💕📺スイーツ列車紀行お菓子の楽園!マレー半島🇲🇾世界No.1👑パティシエの最新アプリコットケーキから、伝統のバナナケーキ🍌まで、魅惑のスイーツ25品を、礼子さんがご紹介💖あゝ、今すぐ🇲🇾に行きたくなります🤗🛩
実は2月22日~3月5日までマレー半島を旅行していたのですが、旅行先でも少しトレードしたり。2月22日以降、トレードが少ないのは旅行中っだったためです。
清水謙行がご紹介する絶滅危惧種ーこんにちは、清水謙行です。絶滅危惧種とは、生息している数が減っていて絶滅してしまうかもしれない生物種のことを指します。みなさんにもちょっとでも絶滅危惧種について知ってもらいたく、今日も紹介していきます!動物名:アジルテナガザル何科:テナガザル科分布:インドネシアやマレー半島など体長:40~60cm程度清水謙行
本日は黒曜石です✨✨何かの関連で伝えられたらと温めておりましたが😅佐賀県の腰岳を知ってもう1年になるし、昨日ちょうど友人と縄文時代についてやり取りをしたのでこれって良い機会かな?と。その友人とは海路・水運・輸送の事も意見交換したりしております。⛵そしてそれらは縄文時代も今も基本はそんなに変わらないんですね。とりあえず、まずは佐賀新聞の記事からです🙂腰岳(伊万里市)の黒曜石、人類の営み支える旧石器~縄文時代、九州随一の原産地3万3000年、石器の材料に|まちの話題
花調べたまごのき(卵の木)卵の木(タマゴノキ)はどんな植物?わかりやすく解説Weblio辞書卵の木とは?植物図鑑。●インドから熱帯アジアに分布しています。「タマゴノキ(S.cytherea)」に似ていて、高さは18メートルほどになります。葉は奇数羽状複葉で、暗緑色です。円錐花序をだして、緑白色の花を咲かせます。...www.weblio.jpたまごのきはどんな植物?わかりやすく解説Weblio辞書たまごのきとは?植物図鑑。●マレー半島が原産です。高さは2
ことのは学舎の国語教室、今日の知識コーナーは、「今日は何の日?」をやりました。今日、12月8日が何の日か、知っている生徒はひとりもいませんでした。今日の生徒は3年生と5年生と6年生です。学校でも全く太平洋戦争開戦の日について、先生が話すことはなかったそうです。81年前に日本が始めた戦争が、国民の記憶から風化していくことが心配です。その一方で、日本の軍事大国化が進んでいます。岸田総理は防衛費の総額を5年間で43兆円にする計画を打ち出しました。日本を敵地攻撃能力を備えた
長崎バイオパークで昔買った昆虫標本でこちら。樹脂標本のメタリフェルホソアカクワガタと一緒にいるのはルニフェルホソアカクワガタです。こういう種類になります。カラフルなホソアカクワガタの仲間なのです。元々ホソアカクワガタ類は、派手な色彩をしているイメージですが、本種もその例に漏れない種類で、頭循(頭部中央から、口先に向かって伸びる突起の事)まで伸びています。巨大な種類も良いですが、マグソほどではないですが、小形でも面白い種類がいるのがクワガタムシである事を、もう少し多くのマニアや
去年飼っていたクワガタムシの紹介。こちらになります。ボルネオ産のダールマンツヤクワガタです。亜種のインターメディアに比べてあまり大きくなく、しかも大人しいです。死んだ振りインターメディアはこういう擬死行動を採らなかったのですがこちらはメスこのメスも擬死行動をしていました・・・・。インターメディアの好戦性に比べて、拍子抜けしました。雌雄比較大型のクワガタなので、雌雄は判別しやすく、メスは黒いだけで、毛が生えていません。親しみはありました。次はインターメディアとの対比
4月10日(日)マンゴーとパッションフルーツで、朝フルーツ。今日も朝から暑そう。午前中から夫婦で寺院巡りへ🚙多民族国家マレーシア、ペナン島はマレーシアの中でも中華系マレーシア人さんらの多いところ。中国三代宗教(仏教、道教、儒教)のひとつ道教寺院、鳳山寺(TheanKongThnuahTemple)広い仏教寺院、極楽寺(KekLokSiTemple)少し歩いただけでクラクラする陽射しと暑さで、水分補給しながら、お参り散策。蝋燭をひとつ買って、そうまの名前
1990年代中頃のマレーシア旅行記。後半です。マレーシアのディープ・ノース、コタバル。街からちょっと離れたパンタイ・チンタ・べラヒのビーチで泊まったホテル。高級でしたよ。でも街歩きが好きなタイプなので、街に泊まればよかったなと後悔。コタバルの街。伝統芸能保存センターのようなところでのアトラクション。ここでの思い出なのですが、民族衣装をつけたマレー人男性が近づいてきて、話しかけられました。「ここへはいつ来たの?」と。それがなんと完璧な関西弁で!
久しぶりの20世紀写真集から。1990年代中頃のマレーシア。マレー半島東海岸のディープノース、コタバルのセントラルマーケット。以前、yahooブログ時代に一度、この写真1枚だけ載せたことが有りますが、今回はこのときの旅行記の完全版。2回に分けてお送りします。このときの旅の目的地、コタバル。シンガポールからバスで3日かけて行きました。タイ国境に近く、人口のほとんどがイスラム教徒のマレー人。マレーシアでもっとも保守的でマレー色の強い街。女性たちはみな、少なくと
WEBを見ていたら、偶然に以下が目に留まり、まさかこんなテーマの映画があるとは、と驚いた。ドキュメンタリー映画「オーストリアからオーストラリアへ~ふたりの自転車大冒険」2022年2月11日(金・祝)ヒューマントラストシネマ有楽町&アップリンク吉祥寺にて公開予定!!ドキュメンタリー映画「オーストリアからオーストラリアへ~ふたりの自転車大冒険」2022年2月11日(金・祝)ヒューマントラストシネマ有楽町&アップリンク吉祥寺にて公開予定!!www.pan-dora.co.jp最近は機内以外
海外旅行の一回目は、サイパンで一般的なツアー旅行を経験。二回目は東欧、トルコで初のバックパッカー経験。三回目はタイ、ミャンマーで価値観の多様性に目覚める。一通りの旅を経験したことにより、そろそろ一人旅をする時期が来たと思った。ただ、今までは旅慣れた友人がいたこともあり、辛いことも楽しいことも共有できたため、一人旅に不安はあったものの一歩を踏み出すことの決意をした。そして、私はまずは比較的旅がしやすいマレー半島縦断に挑戦した。travellove0825のmyPick
80年前の1941年12月8日。大東亜戦争は、真珠湾から始まった。そう思っている人が多すぎる。大東亜戦争-Wikipediaja.wikipedia.orgしかし真珠湾攻撃の1時間5分前に、マレー半島上陸作戦(コタバル上陸)がはじまっている。真珠湾攻撃の派手さにかくれてしまっているが、南方作戦が同時に始まった。>大日本帝国陸海軍の南方作戦は、1.シンガポール攻略(マレー半島上陸作戦)2.香港攻略
なかなか京都市動物園、東山動物園も進まなくて、、、どこまでのせたか??です。2021年12月20日母娘のご飯タイム、母猫はちょっと食べてすぐカリカリを放置し移動してしまう。猫缶は即たべます(^_^)カリカリは又他の場所でたべたがります。巨大な娘猫は即完食、母猫が残したカリカリも即、隠さないと食べられてしまいます。www.youtube.com風呂場探索中、母猫たまり水が飲みたい風呂の淵に乗ってる所は、撮り損ないました、昔、田舎の親戚の五右衛門風呂に猫がいました。暖かいからでしょ
嘗てマレー半島東部海岸は広い砂浜が広がり季節になれば多くのウミガメが産卵のため上陸していました。今となっては海流が変化して砂浜が失われて久しく、上陸するウミガメの数は激減して久しい。大海原を行きかうウミガメたちだが、海流の変化に適応するには時間が必要なのかもしれない。
本日、十二月八日未明、八十年前のこの時間帯に旗艦の赤城以下加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の六隻の空母から飛び立った海軍航空隊の三百六十機の雷撃機、爆撃機、戦闘機がハワイの真珠湾を奇襲したのだ、と思って起床した。なお、この空母機動部隊とともに、極秘裏に潜水艦の後甲板に搭載されて潜行してきた特殊潜航艇五隻(乗員十名)が、潜水艦から切り離されて、密かに潜行して真珠湾に向かっている。それより前に、山下奉文中将に率いられた陸軍第二十五軍二万は輸送艦十八隻に分乗し、海軍の重巡洋艦
花調べラフレシアRafflesiakeithiiの花ラフレシア(羅:Rafflesia)は東南アジア島嶼部とマレー半島に分布するラフレシア科ラフレシア属の全寄生植物で、十数種を含む。多肉質の大形の花をつけるものが多く、中でもラフレシア・アルノルディイRafflesiaarnoldii(日本語で「ラフレシア」と呼ぶ場合、たいていこの種を指す)の花は直径90cm程にも達し、「世界最大の花」としてよく知られている。この花の花粉を運んでいるのは死肉や獣糞で繁殖するクロ
アジア大陸の最南端。海に突き出たように、南北に長く延びるマレー半島。そのマレー半島の先端。赤道に最も近い場所に、蝶の楽園がある。その蝶の楽園とは、パンティー・フォレスト(パンティーの森)だ。正確には、グンヌ・パンティー・レクレーショナル・フォレスト。マレー語で"グンヌ"は"山"、"パンティー"は"住処"。"山の住処自然休養林"と訳せば、いいだろうか。このパンティー・フォレストを住処にしているのが、"幻の蝶"と呼ばれる、バンカナオオイナズマ。[バンカナオオイナズマ]"水玉の女王
タイのバンコクからマレー半島を縦断して、シンガポールまで運行するのが、アジア版オリエント急行です。もちろん本家、ベニスシンプロン系の車両をしており、エキゾチックなアジアを満喫できるのだ。上の写真はイースタン&オリエンタルエキスプレスのポスターとマレー半島を走る車両の様子。バンコク発とシンガポール発がある。北向きは2泊3日、南向きは3泊4日の二つがある。昨日のブログでシンガポール国境の街ジョホールバルを紹介しましたが、当然両国を結ぶ橋を列車は越えていく。ヨーロッパと同じサービスをアジアで味
昨日、定年退職直後にマレー半島を縦断、と書いたが、コースは以下のとおり。バンコク→フアヒン→チュムポーン→クラビー(770km)タイは10数回行っているが、チュムポーン以外は初めて。クラビーでは観光・休息がてら2~3泊し、ここまで自宅から10日間。クラビー→トラン→ハートヤイ(370km)10日間以前から懸案の、タイ南西部のベストシーズン離島三昧(ハイ島、ブロンリー島)が楽しみ。離島行きは状況次第で日程に幅を持たせることで、日程全体の調整が可能。ハ
1941年12月8日、日本陸海軍は第一段作戦計画にしたがって軍事行動を起こしました。日本が米英蘭との開戦を決意した理由は色々あると思いますが、米国の石油禁輸措置が大きいと思います。ヨーロッパは第二次世界大戦が始まっており、オランダやフランスはドイツに降伏しました。蘭印(現在のインドネシア)の石油資源を奪うことにしました。第一段作戦の目的は、南方資源地帯の占領でした。1941年12月8日、日本陸軍部隊はマレー半島に上陸し、シンガポールを目ざして進撃します。シンガポールの英軍は1942年