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マルゼンストアは福岡県北九州市八幡西区にある市場です。鹿児島本線黒崎駅の南西、直線距離で2キロあまりのところにあります。「マルゼンストア(丸善ストアー)」が位置しているところは「鉄竜」と呼ばれるところで隣地区の「鉄王」とあわせて、新日鉄の社宅が建っていたところだそうです。今は社宅もなくなり、北九州のベッドタウンみたいな感じになっていて、比較的新しい家が多いような印象でした。ただ、平地が少ない北九州市なので、市場の近くは平地なのですが少し行くと急坂になっているのでお年寄りにはちょっとキツそ
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2022.1に作成したものです。コメントなどを受けて適宜追記・訂正させて頂いてます
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2020.3に書いたオリジナルを、2021.6に一部更新したものです。今も続く北
この記事の続きです。▼1980八幡西区相生町①-南エリア/鉄王側https://ameblo.jp/sugieda1971/entry-12793886061.html北九州市八幡西区にある相生町は、1950年代に八幡製鉄穴生社宅建設に伴う一帯の開発によって生まれた、商店が集まる街です。▼現在の相生町周辺南北に隣接する鉄竜/鉄王には、かつて穴生社宅が広がっており、私は小学五年まで鉄竜の68棟で暮らしてました。当時相生町は社宅や近隣の方々で大変賑わっていたのを覚えてます。以下では1
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。かつての鉄竜/鉄王新日鉄社宅群の中間に位置する相生町/商店街の記録です。ここには当時からス
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。今も続く北九州市八幡西区相生町のマルゼンストア。鉄竜と鉄王にかつて存在していた新日鉄の巨大社宅
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。社会人になってから、2004年(今から17年前)に帰省時に故郷鉄竜近くに立ち寄る機会があった
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2020.8に書いたオリジナルを一部更新したものです。当時社宅群に住んでいた人な
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2021.4に書いたオリジナルを一部更新したものです。当時ご近所に住んでらした方
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2020.6に書いたオリジナルを一部更新したものです。社宅群のそばには大きな独身
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。鉄竜の社宅群の中には、山の神池という緑地帯が設けられており(現在の山の神公園)、私が住んでいた
北九州市八幡西区鉄竜。私は一歳手前から小学5年まで約十年、ここで育ちました。約45-35年前、1971-1982年のことです。当時鉄竜には新日鉄社宅群があり、今も残る穴生ドーム横の山の神池のすぐ隣にあった68棟に住んでました。そんな環境で育つ中で、昆虫や水生生物が好きになり、春から秋までは暇さえあれば、外で遊ぶか山の神池で虫捕りをしてました。僕たちが使っていた山の神池へのアクセスルートは自宅68棟の目の前、粘土質のような土が踏み固められた坂です。そこをのぼって遊歩道に入ります。▼左手奥です
福岡県北九州市八幡西区鉄竜。私は一歳手前から小学5年まで約十年、ここで育ちました。約40-50年前、1971-1982年のことです。当時鉄竜には新日鉄社宅群があり、今も残る穴生ドーム横の山の神池のすぐ隣にあった68棟に住んでました。そのころの思い出ばなしです。社宅は二棟が対となって、入口が向かい合わせになってます。うちは68棟、向かいが69棟。当時の社宅の雰囲気ですが、とにかくわいわい賑やかで、活気に溢れてました。同じ会社に勤める社員家族ですし、必然的に親同士の付き合いも多く深くなります。前
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。以下では当時暮らしていた一丁目68棟とその周辺の様子について記録します。よろしければどうぞ自