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あと200頁足らずだ。通読すると決めたのだから頑張ろう。31巻では、ポリュビオスと親交のあった小スキピオ[実父はマケドニアの覇者アエミリウス・パウルス、養祖父はアフリカの覇者スキピオ、叔母=父の妹はその妻]のことが語られている。もしかしたら、この部分はポリュビオスが一番書きたかったことなのかもしれない。<第30巻>1〜3.[前168〜前164年、]ローマにペルガモン王の使節として王弟アッタロスが来て、戦勝の祝辞を伝えた。元老院は好意的に彼を迎えたが、腹の底ではペルガモンの不誠実を確
第三次マケドニア戦争の名高いピュドナの戦いとアエミリウス・パウルス[プルタルコスが伝記(英雄伝4)を書いている]についての記述はほとんど残っていないが、まあローマ史の重要場面ではある。<第25巻>1.ストラボンによる断片:ポリュビオスは、ティベリウス・グラックスの活躍と業績を過度に評価している、と批判している[私としては、あの有名なグラックス兄弟の生みの親というだけでも評価されるべきだと思う]。2.ポントスの王ファルナケス1世は、カッパドキア王アリアラテス4世、シリア王エウ
読みたかったハンニバル戦争もザマの戦いも終わったが、せっかくなので、最後まで読むことにする。ギリシアとアシアの状況である。<第19巻>伝わっていない。<第20巻>1〜3.[前192/1年]アイトリア人は王[アンティオコス3世]と協議するメンバー30人を選んだ。冬、カルキスに滞在していたアンティオコス王のもとにエペイロスの使節がやって来て、対ローマ戦に自分たちを真っ先に投入しないよう求める。4〜6.ボイオティアの政体は混乱していた。レウクトラの戦いの時代の名声は既に失っており
スキピオ、アフリカに進軍する。いよいよザマの戦い(第15巻)だ!!<第14巻>1-a.第144オリュンピア期(前204〜前200年)には多くの重要な出来事があった。特に、イタリアとアフリカにおける戦争が終結した。1.スキピオはアフリカで越冬しつつ、ウティカの包囲を怠らずに、カルタゴを攻める準備をした。また、嫁にしたハスドルバル・ギスコの娘のせいでカルタゴ側に寝返ったマサエシュリの王シュファクスを再び味方にする希望をもって絶えず使者を送っていた。その間、カルタゴは冬営の幕舎を
<第11巻>ポリュビオスは序文は有用であると考え、導入的要約を用いるとする。1.ハスドルバル[ハンニバルの弟]は(スキピオに敗れた後)、ガリアで冬営し、早春にアルプスを越え、ハンニバルよりも容易かつ迅速にイタリアへ入り、プランケティアからアエミリア街道を進んで行った。ローマ[前207年の執政官は、マルクス・リウィウス・サリナトルとガイウス・クラウディウス・ネロ]は不安に駆られつつも、リウィウス麾下の2個師団に追跡させ、ハスドルバルが兄に送った密使を捕らえたネロの軍団は、ハンニバルとの合
<第9巻>1〜2.ポリュビオスは読者を惹きつけ楽しませるためではなく、事実を記すこと、出来事の歴史を書くことに徹していると改めて述べている。3.前211年、ハンニバルは春になるとカンパニアへ進軍し、アッピウス・クラウディウス・プルケルの陣地を包囲する。ローマ軍は合戦に応じず、ハンニバルを困惑させる。カルタゴの勝因は騎兵組織にあると両者は観ていた。4.カプアをめぐって、ローマ軍はカルタゴの騎兵を恐れて出撃する勇気を持てず、カルタゴ軍は馬の飼料不足のためにそこに長期間留まること
このII冊目には、シュラクーサイ[ここではシラクーサの古名を記すことにした]の攻囲、ファラリスの牡牛の話、ザマの戦いなど、興味深い事項が含まれている。7〜9巻ではシュラクーサイの攻防と陥落が語られている。読書の秋を楽しもう。<第7巻>1.(ハンニバルに鞍替えした)カプアの豪奢はクロトンやシュバリスをも凌いだ。ペテリア[クロトンの北の都市]は陥落するまで勇敢に(9ヶ月の攻囲に耐え)ハンニバルに抵抗した。2.シュラクーサイでは[ヒエロン2世の没後、息子のゲロンが早世していたの
第6巻はローマの政体について、である。1.訳文が欠けている。おそらく原文が欠けているのであろう。2.イタリア語訳では、2が欠けており、2の訳文は1となっている。この段階でローマの政体について述べる理由:ほとんど全世界がわずか53年ほどでローマの単一支配下に入ることになったが、それがどのような政体で成し遂げられたかを知ることは最重要である。あらゆる事柄の成功あるいは失敗の主たる原因は政体にある。3.ギリシア人の政体については過去も未来も記述は容易であるが、ローマ人の政体に
ここでは、前218年におけるマケドニア軍とアイトリア人の戦争、前3世紀末のエジプト、シリア、エジプトにおける出来事、ロドス島での地震などが扱われている。1.前218年5月、アカイア同盟の司令官アラートスは職務を終えて辞任し、エペラトスがその任に就いた。シリアとエジプトは戦争を始めた。軍資金と糧秣が不足したマケドニア王がアカイア人をアイギオンに招集すると、アカイア人がマケドニアを助ける気がないことに気づき、会議をシュキオンに移してアラートスに接触し、マケドニア軍遠征のための資金調達を決
第3巻のカンナエの戦いを読み終えて、ハンニバルの軍帥としての頭の良さを改めて認識した。会戦というのは戦略が重要だということです。さて、第4〜5章はギリシアにおける事件の記述である。あまり興味がないから手短かにメモる。第6章はローマの政体についてとのこと。1.第2巻に記述したギリシア関連事項のまとめ:アカイア同盟とその民主的政体について、マケドニア王国とアカイア同盟の接近、スパルタの王クレオメネスの追放と自殺など。そして、マケドニア、エジプト、シリアでは支配者が他界し、次の代(フ
第3巻にたどり着いた。いよいよハンニバル戦争の巻である。1〜5.略6.ハンニバル戦争の原因として、ザカンタ(サグントゥム)の攻囲(前219年)やイベル(エブロ)川を渡ったことを挙げる人がいる[位置は下の地図で確認]が、それは戦争の始まりであって原因ではない。原因は決心および決定に先行する意図、心の状態である。マケドニアのペルシア侵冦を例として挙げる。7.シリアに対するローマの戦争の原因はアイトリア人の憤怒にある。8.ローマの歴史家ファビウスは、ハンニバル戦争の原因は
まだ1冊目の1/5も読めていない。頑張ろう。ガッリア人はガリア人と記す。〈第2巻〉1.第1巻では、ローマがシラクーサの領土を除くシケリアを獲得した過程を見た。それに続き、カルタゴは、アフリカでの傭兵戦争を終えると、ハミルカルをイベリアへと送り出した。彼は9年間この地に留まり、イベリアにおけるカルタゴ支配をもとに復すと、勇敢に戦って戦死した(前229/8年冬)。その後、娘婿のハスドゥルバルが指揮官となる。2.前229年、ローマはイリュリアに遠征した。それを決意した理由が書か
ポリュビオスの『歴史Storie』はローマやシチリアの歴史を勉強する人には必読書だ。でも日本には訳本がなかった。仕方がないのでイタリア語訳を拾い読みしていた。だが、2004年に2種類の訳本が出版されていたようだ。両方とも値段が高いのだが、タイトルを『世界史』としている竹島俊之訳の方が世田谷区の図書館にあったので借りてみた。値段が高い(税抜き15,000円)から有難い。註は巻末にまとめてではなく、各頁ごとにあるので読み易い。字も大きめだ。ここに記すメモはイタリア語の訳文も参照するので、日本語の