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西郷が東京から去った……。これと同時に、明治新政府は求心力を失う。木戸孝允は、「だから西郷はやりにくかったのだ」と苦虫をかみつぶした顔を終始崩さなかった。だが、ここで旧奇兵隊がらみの事件が彼らの足元でおこる。小野組事件といわれている。これは大阪城と二条城からあずかった年貢米を東京に輸送することをなりわいとしていた、ここで長州系の「年貢米」使い込みが発覚した。それまでは、西郷が間に立って、なんとかこういった不祥事