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お気に入りのくつ教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようイタリアのディアドラというメーカーのテニスシューズがお気に入りです。ボルグモデルです。皮製です。テニスのときではなく、普段スニーカーとして履くのに愛用しています。ディアドラのテニスシューズは好きなのですが、日本では輸入の業者さんが無くなりましたので、入手できなくなりました。また輸入が復活してほしいものです。
見入ってしまった名勝負といえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう見入ってしまった名勝負といえば、テニスの1980年ウインブルドン決勝戦のボルグVSマッケンロー戦です。この勝負はボルグの5連覇達成という結末を迎えるのですが、内容が実に素晴らしく、深夜に生中継でずっと観ていました。当時は、テニスラケットもウッドのレギュラーサイズということで、競技の性質も現在とは全く異なっており、技術力の高さというのを強く反映するものであったように思います。試合内容は5セッ
今日は夕方アマゾンのプライムビデオをチェックしたら、丁度、内島選手の試合をライブ中継していたので見てみた。彼女の試合はそれまで2回ほど見たことがあって、最初はダブルスの試合で、次は最近のソウルでのラドカヌ戦。どちらの試合も負けたけど、なんというか、大坂選手ほどのパワーはないかもだけど、日本選手にしては体格やパワーで負けてないというか、軸のある強さを感じさせる選手で、注目していた。ラドカヌ戦もストレート負けだったけど、あれは同じアジア系ということで、ラドカヌもリラックスして戦
テニス競技には全然詳しくないけれど、ナダルやジョコビッチくらいの有名プレイヤーの名前は知っていますスウェーデンの男子テニス界でも、私より少し若い世代だと、マッツ・ビランデルとかステファン・エドベリが活躍した黄金期がありました。でも、何と言っても80年代に活躍したビョルン・ボルグの名前が最初に浮かんできますで、たまたま今日、ボルグというのはスウェーデン語読みじゃないという話が出てきて、スウェーデン語だとボリ(ヨーテボリのBorg)かボーリだということになったんだけど、その場に
表題の映画を昨日見ました。2年以上前に、以前は年に数7〜8回ほど海外に行く事があったので、飛行機の中で軽く見てはいたのですが、マジマジと見返してみました。先ず、演じている俳優さんがボルグもマッケンローもそっくり。ボルグの、いつも何か晴れない心、憂いている感じがとてもよく伝わってきました。70年代後半から80年代の前半に死闘を繰り広げた二人。対戦成績はなんと、7勝7敗の五分だったんですって。そして、準決勝以上での顔合わせが14戦中13戦!実際には3年ほどで
2022年2月6日スキーフリースタイル男子モーグルで堀島行真選手が銅メダルを獲得した。まずはおめでとう、お疲れ様ですと労いたい。で、話はそこではなく、優勝選手の名前である。テレビはウォルター・ウォールバーグと言っていた。スウェーデンの選手でウォールバーグというのに違和感があったからネットで調べてみると、新聞はすべてバルベリという表記だった。ついでに言うと名前もウォルターではなく、日経、朝日、読売、産経すべてがバルテルとの表記である。なんでこんなことが気になったかというと、テニスで40
ディアドラ(Diadora)は1948年に登山靴メーカーとして創業したイタリアを代表するスポーツ用品メーカーイタリアで初めてトップアスリートとスポンサー契約を結ぶスポーツマーケティングを行った事でも有名テニスにおいてはトップスピンを主体に活躍し”現代テニスの父”と言われるビョルン・ボルグ氏サッカーにおいては”イタリアの至宝”と称されるロベルト・バッジオ氏などと契約しているディアドラを愛用するロベルト・
「自分で見つけないと。誰も君のために見つけてはくれない。」〜ボルグ選手の代名詞である「トップスピン」は自己流で編み出しました。バックハンドの両手打ちもラケットが重かったので、アイスホッケーのスラップショットの打ち方でした。コーチたちは変えさせようとしたのですが、頑固に拒み続けました。自分に合うと思ったなら、貫く信念も大切です。・ビョルン・ボルグマッケンロー選手との1980年の死闘を制してウインブルドン5連覇を達成、翌年は同じくマッケンロー選手と決勝で対戦し、6連覇を阻まれましたが、スト
スウェーデンと聞いて連想することは、今だったら何なんでしょう勿論、個人個人でその答えは異なるだろうけれど、ノーベル賞の国だったり、IKEAだったり、あるいはH&Mちなみに、スウェーデンでは、H&Mは「ホー・エム」と呼ばれています私は、ず~と昔スウェーデンに関わるようになる前は、スウェーデンと聞くと、テニスのボルグやABBAしか知らなかったですそして、そのABBAの「ダンシング・クイーン」がリリースされたのがちょうど45年前の1976年8月16日。
今日からお休み♪通販でオーダーしていた物が届きました。ウェストバッグです。FILAですよ~昔々、テニス選手のビヨン・ボルグの着用ウエアがFILAで、当時は彼の着ている縦縞のウエアが嫌で、FILAにあまり良い印象がなかったのですが、今は好きですボルグといえば、息子のレオくんがテニスで頭角を現しているんですってね。蛙の子は蛙どんなプレースタイルなのでしょうか?父親がベースライン型だっただけに、サーブ&ボレー型だったら、笑っちゃうかも今日は、木村拓哉様にお金を振り込んで来
作品についてhttps://cinema.pia.co.jp/title/175779/↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。1980年.ボルグが、ウインブルドン5連覇を賭けた決勝戦に照準を合わせつつ対戦したボルグとマッケンローの“これまで“の道のりを見せる――(コレ、劇場で観たかったのを、やっと鑑賞☆)▼~▼内容にふれて.雑談です。(ネタバレ!)▼▼▼この決勝戦は、すごく時間がかかったーというだけでも、語り継がれそうですが死闘の末の☆ボ
大学時代、授業でテニス選択し授業の合間に、コートの隣にある壁打ち専用コートで、よく練習してました。全英オープンで連覇したレジェンドボルグ選手も、壁打ちでうまくなったと読んだ本に書いてありました。テニスのフォアハンドストロークはゴルフのスイングに似ています。以前、ジャンボ尾崎選手の出場するトーナメント初日18ホール尾崎選手について行きました。見てましたら、ショットの合間さかんに右手でバックスインクからインパクト、フォロースルー繰り返ししていました。リズム、右脇の形テ
ジョン・マッケンロー選手描いてみました前回のボルグ選手を描いたらこの人は外せないタッキーニのウェアとウッドのラケットとにかく試合中怒ってばっかりのイメージが強かった1999年に殿堂入り(テニスの歴史に名前を刻んだ選手として、永遠に記憶されるべき人たちとして位置づけられる)現在はNYマンハッタンの高級住宅街に住んでいる・・とかすごいわーランキングに参加してますポチっとリックお願いします!!にほんブログ村
ビョルン・ボルグ選手描いてみましたなんとも懐かしい世界が今こんな状況だからテレビ番組も形を変えつつあり新しい作品の撮影ができないこともありむかーしの名試合など放送されてますねBSでもあの往年のテニス選手の名試合がやってましたちょっと描いてみましたコートはもちろん芝カラーウィンブルドン風に・・・名前のカタカナ書きウィキペディアではビョルンになってたけどたしか昔はビヨン・ボルグでよかったはず時は流れてるんだなぁランキングに参加
ボルグvsマッケンロー先日BSで1980年ウィンブルドン決勝を描いた「氷の男と炎の男」が放送されたテニス史上に残る伝説のタイブレイクが演じられた試合だ当時より前からマッケンローを応援していた私は一言言わずにはいられない(一言ちゃうやろ)マッケンローは「悪童」と呼ばれていたが、ナイーブだったに違いないマッケンロー目線で観ていたら彼の気持ちは良く判る(そもそもマッケンロー目線になれるはずないんだが)動体視力が並外れてたのでミスジャッジが悲しくなるのだボルグも実は激情少年だったがク
お昼は食パンに玉子サラダを乗っけました。デザートは牛乳寒天♪↓晩ごはんは名古屋?で買ったデミグラスソースの素を使った煮込みハンバーグにしました。↓ハンバーグ2コは多かったです。お腹がイタイ...。先日NHKBS2で放送していた映画ボルグとマッケンローの物語を観ました。↓どんなスポーツもプロの世界はメンタルって大事なんだ。と、あらためて感じる内容でした。
ジョンマッケンロービヨンボルグの映画1980年ウィンブルドン決勝俳優さん似てるょテニスってやはり特別なスポーツだょね華やかで過酷な競技ボルグが勝ったけど翌年マッケンローが勝ってボルグは26才で引退した
プロレスがにわかに人気。オカダ・カズチカ。レイン・メーカー。1人の天才が現れている。しかし、それ以前がある。平成のプロレスは、武藤敬司VS高田延彦(伝説の足四の字固め)或いは橋本真也VS高田延彦(垂直落下式ブレーンバスターからの三角絞め)がベストバウトではないかと思いますが、やはり、アントニオ猪木と言う存在が、当時はちらついていました。長州力にかけた卍固め、或いはリキラリアットを交わしてのグランドコブラ。藤波辰巳に対しての卍固め。が、脳裏にある。抜けない。平成には、殆ど試合をして
これも、某テニスコーチのブログに紹介されていて読み始めたもの、『ザ・チャンピオン・テニス』。最初の3人の天才プレーヤーの解説を読むと、目からウロコ、日本のテニスコーチの言うことは、この3種類に分類できる。マツケーロー型、ボルグ型、コナーズ型。なーんだ、そんなことか。だから、3人のコーチについていて、それぞれが、マッケンローが好き、ボルグが好き、コナーズが好きなコーチだと、言うことは真逆になる。生徒は、コーチの言うことでいちいち悩む事なんかない、だって天才は自分のテニスで良いのだから。
日曜日は雨の予報だったのに、曇りだったので、光が丘公園の壁打ちに行きました。すいている~~。そして、みんな、マスクをしていない・・・・。2m以上離れているので、ソーシャルディスタンスだから、いいのかな?マスクないと、快適~~。これが普通なんだよね。自撮り。当然、素振りです。バックハンド軽く汗を流し、あとはウオーキング。3kmくらい。ちなみに、着ているのは、ユニクロのテニスウエア、錦織圭選手モデルです!(何年の大会なのかは忘れた)。な
休みですが、外出自粛するに値する試合を観戦。1980年ウィンブルドン決勝ボルグVSマッケンローです。はせがわさん、テニスはしません、バスケットボール以外はルールも詳しく知りませんが、観戦は大好き。マッケンローといえば、あのラケットを折るシーン。癇癪持ちで、たまらないですね。💥🔥錦織、ジョコビッチもラケットを折る事には、マッケンローには、かなわないですよね。しかし、この試合は、静か。相手が冷静沈着なボルグ。最近のテニスは、ナダルとか大きな声をあげならサーブやショットを打ちます
子育てしていると色んな問題、悩みに直面しますよね赤ちゃんなら赤ちゃんなりの友達と遊ぶようになったらそれなりの幼稚園、学校に行きはじめたらそれなりの今の悩みがずっと続くわけではありませんが、成長したらしたなりの悩みはあります網戸の開け閉めブーム…そんな時この言葉を思い出してみてください深刻になるな、真剣になれビヨン・ボルグ(BjornRuneBorg/1956年6月6日)スウェーデン・セデーテイェ出身の元プロテニス選手テニス選手の言葉とは知りませんでした問題、悩み
今回は、久しぶりに読むとテニスが強くなる本、「プレイ・ザ・ボルグ」を紹介したいと思います。この本は、昭和56年(左の黄色)と昭和57年(右の赤)に、講談社から発行されたご存知レジェンド中のレジェンド、「ビヨン・ボルグ」執筆の2冊組の本です。少し前に、同じくボルグ執筆の「ビヨン・ボルグ我がテニス」を紹介しましたね。実は、この「プレイ・ザ・ボルグ」は発行されてからかなりの月日が経過しているため陳腐化している、又、令和の現在ビヨン・ボルグと言っても知っている人はかなり少ないと思わ
私はテニスの試合で勝った経験があまり無いので、テニスに対する自信が無い。でも、コーチたちやジュニアの子からもらった言葉で少し自信はつく。すると、脱力するし落ち着くし、ボールがよく見えるようになり、思い切りもよくなる。でも、やっぱりポイントを数え出すと縮こまって力んで臆病になる。ダブルスはペア練習する時間が無いからやらないし、シングルスはフィジカルが勝敗の鍵を握るから勝機は少ないし、試合に勝つことで自信をつけるっていうのは期待できない。『キング夫人のテニスの技術』の中で出会った次の
『ビヨンボルグ我がテニス』の後半は、痛烈なレッスン批判である。「テニスってやつは、画一的に「グリップはこうして」とか「そんな打ち方ではダメだ」と他人が決めつけるものでは、絶対に無いと思う」(177ページ)「自分自身に焦点を合わせて、他人の言葉やレッスンに心を奪われるのは、やめるべきだ。そして自分が発見した「自分のやり方」が一般論に当てはまらなくても、恐れてはいけない。そのままやり通してみよう。それが、あらゆるレベルのプレーヤーに対する私のアドバイスだ。テニスに、神話が存在し
これも追っかけブログで知って、アマゾンで購入したもの。(ちなみにボルグは私とほぼ同年代です、彼のテニスは映画の中でしか知りません)『ビヨンボルグ我がテニス』この中に、ボルグの練習について書かれているところがある。現コーチといっしょだ!!!「45分ぐらいラリーをやるが、フォアハンドの練習とかバックハンドの練習といった部分練習は全くやらない。すべてはラリーの中でやり終える。また腕立て伏せだの、筋力つくりといったドリルは絶対にやらない」(148ページ)週末に家人と練習を
いよいよ来週から、スクール再開に向けて通常勤務に戻ります。確定はしていませんが、今の流れだと6月初旬から再スタートになりそうです。4月10日から約2ヶ月弱、自粛生活でテニスが出来ず、自宅近くの河原で壁打ちテニスをした毎日、スクール再開準備のため、すっかり落ちた体力、スキルを取り戻そうと、基本練習の中で、ボール出しのボールをたくさん打ったこと。もしコロナ騒ぎがなく、通常に勤務していたら、どちらの練習もやらなかったと思います。壁打ちと、ボール出し練習はフォアバックのフォーム固め、欠点の修正
お初のブログです。ボルグ時代のテニスを近代テニスに置き換えるにはどうしたら良いか?これが今の自分にとってテニスをギアアップする起点でした。ラケット、シューズ、そして、ウェア(^O^)今は映像の時代です。テニスのYouTube動画を毎日1時間観ることを日課としました。プロの動画はフォーム、プレイと全てが新鮮です。マネから始めるのが近道です。一番理想的なフォームを探してみるとフェデラーにたどり着きました。華麗で常に脱力感を感じて、これぞ理想です。いざ真似してみると。。。観るのと
内容がとてもポジティブで、こんな時に読むには良い本です。今回は、ビヨン・ボルグの自伝「ビヨン・ボルグ我がテニス」を紹介したいと思います。この本は昭和55年、日刊スポーツ出版社から発行された少し古い本ですが、テニス上達のヒントが散りばめられている、素晴らしい本だと思います。以前にブログで「ボルグの息子」に関することを書いた時に、ビヨン・ボルグの紹介をしましたがもう1度。この人は、ウィンブルドンでフェデラーと同じく5連覇を達成した、凄い記録を持っていますが、全仏も6回の優勝があり