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みなさま、お久しぶりです年度がわりでバタバタしてる方も多いのでは3月はSHIもバタつきつつも、ベリーダンス活動もなんとかさせていただいておりましたが、まずは記憶に新しい、YURIAさんご主催の"CafeBohemiaShow"のことから書こうと思いますボヘミアは何度かショー鑑賞にはうかがっております『2022年3月31日CafeBohemiaShow』3月31日カフェボヘミア行ってきました当日は11月の発表会でご一緒させていただいたマキさんと共に渋谷上陸
画像引用元:eiga.com■原題:MarketaLazarova■原作:ブラジスラフ・バンチュラ「マルケータ・ラザロヴァー」■監督:フランチシェク・ブラーチル■出演:マグダ・バーシャーリオバー■1967年🇨🇿(チェコスロバキア)166分チェコ・ヌーベルバーグの巨匠フランチシェク・ブラーチルが、ブラジスラフ・バンチュラの同名小説を映画化。13世紀のボヘミア王国を舞台に、宗教と部族間の抗争に翻弄される少女の数奇な運命を壮大なスケールで描く。修道
ティルマン・リーメンシュナイダーの《聖血祭壇》/薩摩雅登著より。同時代の最後の晩餐の例。今まで見てきたものは、おもにプレデッラだったが、フランケン地方に隣接するチェコ・ボヘミア地方には「15世紀の祭壇厨子内に『最後の晩餐』図像が配された例が少なからず認められる。」(p345)。その一つがプラハ近郊のクトゥナ・ホラ(鉱山の意味)という町の聖バルバラ聖堂にある。:InterioroftheChurchofSaintBarbara(KutnáHora)photoby
アントニーン・ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の交響曲探訪を続けてきましたが、今日がいよいよ最終回になります。ここで、もう一度ドヴォジャークの交響曲の作曲年代等の一覧をおさらいしておきましょう。<交響曲第1番ハ短調作品3/B.9「ズロニツェの鐘」>1865年作曲/1936年初演@ブルノ<交響曲第2番変ロ長調作品4/B.12>1865年作曲/1887年改訂/1888年初演@プラハ<交響曲第3番変ホ長調作品10/B.34>1873年作曲
ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の交響曲の探訪もいよいよ終盤になってきました。今日は、名曲として広く知られる「交響曲第8番」です。イギリスの出版社から楽譜が刊行されたために、一時期は「イギリス」等という作品の本質とは全く無関係な副題が付されていたこともありました。しかし、音楽的にはむしろ最もボヘミア的な、ドヴォジャークならではの魅力の宝箱のような交響曲です。この曲の初演の直前の1888年に「交響曲第5番」がジムロック社から出版された事にも関連性があると推察されるのですが、この
ドヴォジャークの交響曲の探訪を続けています。今日は「第7番」の紹介です。「第6番」からシンフォニストとしての地位を確固たるものしていく道程を登り始めた頃、その「第6番」が大好評を博していたロンドンに招かれ、歓待を受けたイギリス旅行の後に、フィルハーモニー協会から名誉会員に推挙され、同時に交響曲の委嘱も受けました。折りから耳にしたブラームスの「交響曲第3番」の初演にも刺激されていたドヴォジャークは、その委嘱を受けてただちに作曲に取りかかったそうです。初演はロンドンで行われ、作
ドヴォジャークの交響曲の探訪を続けています。今日は、この作曲家の交響曲の中で最初に出版された作品であったための、当初は「交響曲第1番」と呼ばれていた、現「交響曲第6番」を取り上げます。ドヴォジャークの交響曲については、特に第1番から第6番辺りまでは、自身が尊敬していたブラームスや、その他ワーグナー等、やや先輩にあたる大作曲家の作品からの影響が大きいと言われることが多々あります。しかし、そのような指摘は、他の作曲家にも大なり小なり当てはまることなのではないでしょうか。この「第
アントニーン・ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)の交響曲探訪を先週から続けています。ここで、もう一度ドヴォジャークの交響曲の作曲年代等の一覧をおさらいしておきましょう。<交響曲第1番ハ短調作品3/B.9「ズロニツェの鐘」>1865年作曲/1936年初演@ブルノ<交響曲第2番変ロ長調作品4/B.12>1865年作曲/1887年改訂/1888年初演@プラハ<交響曲第3番変ホ長調作品10/B.34>1873年作曲/1874年初演@プラハ
「交響曲第3番」を書き上げた直後の1873年11月に結婚をしたドヴォジャークは、その歓びと勢いを駆って、翌年の1~3月に「交響曲第4番」を一気に書きました。この「第4番」は、第3楽章のみは1874年内に初演されたものの、全曲の初演は、1892年に自身の指揮で行うまで待たなくてはなりませんでした。楽譜の出版も1912年になってようやく実現したため、長らく現在の「第8番」が「第4番」として出版されてきたという経緯もあります。この作品は、3楽章構成を採用した「第3番」から、再びオ
#おたからやイズミヤ高野店です♬(京都市左京区高野イズミヤ高野店の3階)オープンしてから色々なお品物をお買取させて頂いております😊ボヘミアの器をお買取させて頂きました✨たくさんお持ち頂きありがとうございます♪身の回りにあるもので、使わなくなった物やデザインの古くなった物など、処分されようとしていた物が、本当は価値のある物だったりします。ねむっているお宝がありませんか?『これ売れるかな?』と思ったら是非当店へお問い合わせ下さい!査定は(ご来店・ご訪問・ご郵送時の送料)全て無料で
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク(チェコ語:AntonínLeopoldDvořák)は、1841年9月8日生まれで1904年5月1日没の、チェコを代表する作曲家です。このところ、その交響曲の探訪を続けています。チェコ語の発音に近いカタカナ表記にすると、アントニーン・レオポルト・ドヴォジャークとなるので、私個人としては、ドヴォジャークと記すことにします。「第1番」と「第2番」を1865年に一気に書いた若き日のドヴォジャークでしたが、交響曲の初演の機会には、長い間恵ま
若き日のドヴォジャークは、1865年の早春に「交響曲第1番」を書いた後、直ちに「第2番」の作曲に取りかかり、1865年秋に完成させました。しかし、初演はなかなか実現せず、1888年になってやっと初演されました。つまり、「第6番」(当時は「第1番」)や「第7番」(当時は「第2番」)の成功の後に、漸く初演の機会に恵まれたという訳です。初演の前年の1887年に、主に冗長さを克服するための改訂を施したとは言え、全曲を演奏すると50分にもなる若き日の大作と呼ぶべき交響曲になっています
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク(チェコ語:AntonínLeopoldDvořák)は、1841年9月8日生まれで1904年5月1日没の、チェコを代表する作曲家です。チェコ国民楽派を代表する作曲家として、また後期ロマン派を代表する作曲家として、現在でもクラシック音楽の人気作曲家の一人として、極めて著名な存在です。なお、チェコ語の発音に近いカタカナ表記にすると、アントニーン・レオポルト・ドヴォジャークとなるので、私個人としては、ドヴォジャークと記すことにします。国
知り合いの知り合い?、或いは知り合いの知り合いの知り合い?の、神戸は灘のマダム。平成初頭頃まで毎年の樣に歐洲に渡っては、ボヘミアングラス、ヴェネツィアングラス、マイセン磁器、等々のお氣に入りを蒐集して持ち歸ったはったとの事。日本での或る日、買物の折に何かの景品で貰ぅたアニメキャラクターが描かれたプラスチックの器。棄てるのも何やしその内に孫か近所の子にでもあげよう、とお思いやったそーで。そして起きた1995.1.17
こんばんは☆いつもたくさんのいいねありがとうございます先週末、ボヘミア心斎橋5周年イベントでしたおめでとうございます思い返せば2018年1月、私もご招待をいただいた・・・のだったと思います・・・オープニングパーティのご招待をいただいて、とっても興味がありながら、ちょっと行くの不安・・・(人見知り)だったので確か生徒さん数名にお声がけしてついてきてもらい、おそるおそる伺ったのだったかと・・
WaldaWorldDoorsandwindowsTheDwarf’sDoorinČeskýRáj,Bohemia,CzechRepublicShowmeyourhonestreactionsdownbellow.Anddon'tforgettofollowuson:👇🏻👇🏻👇�…t.meドアと窓チェスキーラージ、ボヘミア、チェコ共和国のドワーフの扉
こんにちは!Scoti-manです。ここは、クルセイダーキングス3(CrusaderKings3通称「CK3」)の実績解除チャレンジのコーナーです。CK3の実績は、セーブしてやり直すことができない「鉄人モード」でやらなければ、獲得できません。MODを入れるのもダメなので、バニラで進めていきます。(日本語化MODくらいは認めてくれてもいいのに・・)今回、挑戦した実績がこちら↓「1066年のボヘミア公ヴラチスラフ・プレミセルで始めて、ボヘミア王と神聖ローマ皇帝
1月の誕生石ガーネットガーネットは種類の多い宝石です今回はパイロープガーネットのネックレスの紹介です50年程前に宝石商を営んでいたから譲っていただいたチェコ/ボヘミア産のパイロープガーネットのネックレスですパイロープガーネットはアルマンディンガーネットと並び比較的産出量が多いガーネットになります中でもボヘミア産のガーネットは質も良くトップクラスの品質として知られています以前は『ボヘミアンガーネット』と呼ばれ販売されていましたパイロープ
スポードのマグカップ買ったけど違うのまた買ったボヘミアなんちゃらのローズ柄このメーカー、デパートでよくセールになってワゴンに入ってるでも、めちゃくちゃ安いというわけではないこの丸いフォルムが気に入って、年末にも見てたんやけど、1個売りじゃなくて2個セット売りやねん1個しかいらんのにそれで買うの迷ってたけどま、いっかで、結局買った丸いフォルムもいいけど、持ち手に指が二本入って持ちやすいのも良しこれ、いいなと、思っても実際持ってみると指が1本しか入らへん何やこのカップは、貴婦
色んな歌を歌うけど自分の歌いたい歌声質に合う歌ちゃんと歌える歌は違っていてどんな歌を歌っても歌い声の変わらない人はすごいなぁと思うボイトレの先生にロックだからってロックの声をださなきゃと思わなくていいからまずは声を作らずにロックを歌う練習をしなさいと言われたけどなかなか先入観のある歌い癖を直すのは難しい。ボヘミア〜ンのハスキーボイスが憧れだけどソウルフルな声量ウォーっ!も憧れだけどまだ自分の声に辿り着けていないそんなわたしの山本リンダ/どうにも
Redbull企画64bars更新されました、これは過去一番だと思います、というのはbeatを担当してるボヘミアがヤバ過ぎる、かなり話題です、最近特に頭角を表し、まずusのGriseldaとのディールとかスゴ過ぎで日本人初デス、しかもusアーティストに提供してる方が多い、要するにアングラsoundなのだが芸術性がかなり高くtheartists.久しぶりにヤバイ国産hiphop聴きました、rap担当のkojoeも過去nyはqueensに住んでた事もあり今回の曲以外もいい曲出してます、
わたしのアルバム夢の中欧紀行5カ国ドイツ・チェコ・オーストリア・スロバキア・ハンガリー(3)2016年6月1日~6月10日チェコプラハ聖ヴィート教会プラハ城の内側にあり、多くのボヘミア王の墓がありますゴシック建築の代表作でチェコで最も大きな教会です正面に82mの二本の塔中程に99mの鐘楼が立っています幅60m奥行124mの大空間です黄金の小路錬金術師たちが住んだ場所ヴルタヴァ川プラハ旧市街地プラハ旧市庁舎つづく※名前に間違いがあればご容赦の程を
おはようございます。いつもたくさんのいいねありがとうございます久しぶりのイベント告知です!2023年1月20日(金)ボヘミア5周年パーティに出演させていただきます!スペシャルゲストは、なんと東京からタカダアキコさんminoriさんも踊られるとのことでアキコさん、minoriさんとともに実は私もアルカマラーニ(アフィルマティファ)出身ですので、、昔の先輩方とご一緒させていただきます緊張します・・・
南モラビア大草原🌲美しい地球を旅するあなたへ🌍ドヴォルザークがアメリカ赴任前に作曲したピアノ三重奏曲『ドゥムキー』チャイコフスキーに招かれてロシアやウクライナの文化に触れ生まれた曲で、ドヴォルザーク自身のピアノで初演されています。ドゥムキーとはウクライナ生まれの民謡ドゥムカの複数形でボヘミアに伝わった叙事的な曲、今日は第2楽章をお楽しみ下さい。ブラームスが羨ましがったという名メロディメーカーのドヴォルザークくつろいだメロディにボヘミアの自然空気感まで伝わってくる様な
今日は、皆既月食に加えて、月が天王星を隠す「天王星食」も観測できる大チャンス。皆既食中に惑星食が起こるのは非常に珍しくて、日本ではなんと442年ぶりなんだそうですね。…と言っても天文学などそんなに詳しくもないのですが、お店閉めて歩いていたらスマホで写真撮る人がたくさん空を眺めていました。せっかくなのでパルコ前のベンチで1時間くらい天文ショー楽しみました。7時20分頃には月が完全に隠れてしまいました。なかなか神秘的な時間でした。11月に入って吉祥寺のクリスマスイリュミネーシ
1899年生まれの、これまた、チェコ人のパヴェル・ハースの作品です。ブルノ音楽院を卒業後、ヤナーチェクの私塾で2年間学んだそうです。その後は、家業(製靴業)を手伝いながら、作曲を続けたんですが、ユダヤ人だったため、収容所送りとなり、最後はアウシュヴィッツで、亡くなりました。作曲スタイルとしては、これを聴くかぎり、調性は崩さず、新古典的に思えます。50曲以上は、作曲したそうですが、作品番号を与えられたのは18曲に過ぎないそうです。長生きしていたら、どこかで、日の目を見たかもしれませ
吉久保酒造サバデシュSABAdeSHU720ml楽天市場1,495円❤︎今日の一曲❤︎アイリー“アイリー”サバシスターfromEP“鯖ノ壱”❤︎京急蒲田へ向かったのはこちら麺場Voyage⚓️TBS「THETIME’」で厳選した霜降りサバを冷凍せずに空輸した「サバヌーヴォー」を使用したラーメンを放送したのをたまたま視聴しての訪問です店頭POP券売機限定ラーメンの数々BohemiaPILSNER(サービスビール300円)メキシコビールにして
プラハガイド佐藤・チェコの伝説と歴史プラハガイド佐藤・チェコの伝説と歴史チャンネル登録者数133人前編[プラハガイドの4K散策]クーデンホーフ光子~記念館までチェコ西ボヘミア電車の旅
アラゴンの王様の亡霊紹介、5人目はアラゴンとは直接血の繋がりはないボヘミア王のヴェンツェルです。ヴェンツェル(1361年ー1419年)は神聖ローマ皇帝カール4世の嫡男として生まれ父の期待も大きく、1376年にはローマ王に選ばれ、父が亡くなった後の1379年からはローマ王として親政を開始しますが都市同盟との対立で不安定な状態が続いていました。教会大分裂の中でローマ教皇庁のウルバヌス6世を支持し、異母妹アンナとイングランド王リチャード2世の結婚させ、イングランドの援