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2013年7月山口県周防大島町@日本ハワイ移民資料館館長さんありがとうございました💓(祐輔さんのスタイルが異次元🤣)移民資料館で想いに耽る中野えみこ先生この写真すてき。裏庭にステージが出来ていました💓当時を偲ばせる衣装でホレホレ節を踊って下さった中野先生👏TIKIの口の中に見えるのは...日本人移民第一世代である一世の人々を運んだ最初の船、シティ・オブ・トウキョウ号...周防大島町の皆様有難うございました‼️‼️(中野先生の前に立つウェスタンハットの男性がTIKIの製
「フラガールズ甲子園」エキシビジョン会場であるハワイアンズからの帰り、前日の宿泊ホテルに続き、湯本駅でも山口県周防大島の方々とお会いしてびっくり!!フラガールズ甲子園に出場された山口県立周防大島高等学校の皆さんです‼️(投稿OK頂きました)山口県から遥々いわき市まで大変お疲れ様でした💓周防大島とは何て縁があるんでしょう。日本とハワイ王朝で交わされた条約により、官約移民としてハワイへ渡った日系1世が残した労働歌『ホレホレ節』をライフワークにしている私は
移住するなら暑い国?寒い国?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようハワイ移民について調べてみました。「ホレホレ節」ハワイ、ハワイと夢見てきたが流す涙は甘庶(きび)の中行こかメリケン帰ろか日本ここが思案のハワイ国ハワイに響くニッポンの歌ホレホレ節から懐メロ・ブームまで[中原ゆかり]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}希望を胸に出発して…もう少しちゃんと調べないといけないですね。ハワイ移民について考えるきっ
今年もフラガールズ甲子園がやってきました✨いわき市ではこの"フラ甲“に合わせて、プレイベント、エキシビジョン、を含む3日間を「いわきフラの日」と正式に決めました。今年は✨8月19(土)20(日)21(月)✨今年からプレイベント(前日祭)ということで、アリオス横の公園では朝から凄いことになりそうです‼️100人ウクレレ‼️わおっそして、私ですが、なんと、ゲストとして「ホレホレ節」のリクエストを頂戴しました。ありがたいことです🩷🙇♀️🙇♀️翌日20日の「フラガール
2022-5-28(土)おはようございます。こんな時間でも、もう外は明るい。夜明けが本当に早くなりました。あと3日で6月。。早い。今日は暑くなりそう。。京阪神は29度~32度の最高気温の予想です。公園の花壇はナデシコさんも綺麗に咲いていました。色々な色合い。一昨日のラジオ深夜便。。偶然つけるとハワイのさとうきび畑の話。聴き入ってしまいました。知らなかったことが一杯。農場には沖縄など日本からも多くの移民が。過酷な暮ら
ホレホレ節<歌詞の解説>行こかメリケン帰ろか日本ここが思案のハワイ国(アメリカ本土に行こうか、日本へ帰ろうか。ハワイ国にいる私は思案にくれている)<官約移民は3年の契約期間が終わると、日本へ帰るか、アメリカ本土へ渡って働くかを迫られる>条約切れたらキナウに乗って行こかマウイのスペクルへ(契約が終了したらキナウ号に乗船し、マウイ島の労働条件の良いスペクル製糖会社に行こうか)今日のホレホレ辛くはないよ夕べ届いた里だより(
さて、今日は本業です。いえ、ポイボールも本業です。明日もポイ頑張ります!!コロナ禍になり、YouTubeを見る時間が増え、「ホレホレ節」の様々な投稿があることを知りました。27年前の録音ですが、大輪好男バンドで歌わせていただいたこの歌をYouTubeにアップロードすることにしました!!ホレホレ節アグネスキムラ1995年#ホレホレ節,#アグネスキムラ「ホレホレ節」は、19世紀末に日本からハワイを夢見て移民として渡った日系一世たちが仕事の折に歌った民謡である
Halloweenの準備で忙しくしている間にBassの川上さんから写真が送られてきました✨ちょうど裏方のお仕事で偶然にも周防大島に行っていたのです。うわ〜い、司会のトミーさんだあ‼️サタフラなどの名物司会者、トミーさんはハワイアンミュージシャンであり元気村の村長さん。そして、島にある5体のTIKIの製作者でもあります。10年前に「日本ハワイ移民資料館」で「ホレホレ節」をご披露させて頂いた時の写真を川上さんに見せて下さっています!感激✨✨✨
そして、もう御一方、ホレホレ節を踊って下さっているフラの先生がいらっしゃいました!!2018年3月20日に投稿してましたので、リブログしてみます。ハラウでグループで踊って下さっていて、とても感激しました。踊って下さっている皆さんからいつも元気を頂いてた訳ですね!!Youtube投稿まで今しばらくお待ち下さい。
今までホレホレ節を「HoleHoleBushi」と表記していましたが、大変失礼致しました。正しくは「Hole-holeBushi」でした。過去の投稿での間違いを訂正しました。というのも、自分のCDからホレホレ節をYouTubeに上げようと思いまして、今また、ホレホレ節研究家でもあるE大学の中原ゆかり教授に色々とアドバイスを頂いているところなのでした。それで判明しました。恥ずかしいことに、何十年も間違えて綴っていたのです....反省..
そうよね、昭和の時代は写真に日付がプリントされてましたね!というわけで、データにしていた写真ではわからなかったのですが、他の写真を探してみることにしました、、、あった‼️KiyohikoOzakiAgnesKimura’991024ArleneHau'oliこれも年度が出るように調整してみましょう日付入り写真のおかげで昔の写真を投稿する時はとても助かっています。ホレホレ節のフラはChi
移民として、ハワイを夢見て渡った日本人達、待ち受けていたのはサトウキビ畑での過酷な労働でした。サトウキビを刈るのは男性、刈り取られ、枯れた葉っぱを手作業でむしるのは、主に女性の仕事でした。「ホレホレ」とは、ハワイ語の「holehole」....皮を剥ぐ、むく....の「ホレホレ」が語源で、その作業自体を表す言葉となりました。日本人一世の女性達から生まれた労働歌「ホレホレ節」は、その歌詞もたくさんあって、各地のサトウキビ耕地(ハワイの島々に合計30あった)によっても
「ホレホレ節」の話をしている間に日本の首相が変わっていた!!!20年くらい前はまだミュージシャンが主体で、フラダンサーが花を添える...と言う感じでしたかねえ...でも、お客様の動員数はミュージシャンよりフラダンサーの方が多い...丁度そんな頃ですねそれから先は、フラを踊る人がメインとなり、ハワイアンバンドの仕事はフラの伴奏することの方が多くなっていきました。この写真のように、ステージに楽器を3本も持ち込んでいる私、、今じゃあり得ません(笑)ミニギターは
「アグネスさん、あの、ホロホロ節とかいう歌!!」....(ホレホレです)笑「日本からハワイへ渡った移民の歌だって?」....(説明しました)笑そんな風に時々聞かれるようになったり、ステージでリクエストが来たりするようになったのは、NHK連続テレビ小説「さくら」(2002年)の放送があった年からでした。タイトルの「さくら」は、自分のルーツを探すためにハワイから来日した日系4世のヒロインの名前。調べたら、AllisonArakawaさんも同じ日系4世なんですね!
1998年、ハワイで制作発売されたCD"AgnesKimuraintheHawaiianStyle"は日本へ逆輸入という形になりました。ブックレットも英語の為、CDを聴いた人は突然流れて来る日本語の「ヘン」な曲に、少々戸惑われたことと思います。「なんでこんな曲入れたの?」とファンの方からお叱りも受けたりしました。その度に日本人移民の労働歌「ホレホレ節」の説明をしてみましたが、何しろ自分自身が話しべたで、その後に歌っても「会場に合わない」「この1曲だけ違い過ぎ」「暗い」「内容が
歌うことより、弾くことより、曲の説明や進行を英語で頭に入れる方が大変だった日々....まあね、コンサートのテレビ放映と言っても、果たして何分あったでしょうか...あっという間に終わっていたでしょうね。たとえホレホレ節のシーンが流れたとしても、そんなに注目を浴びることはなかったと思います。ハワイで制作、発売、プロモーション活動をしたとは言え、日本からやって来たその時だけの歌手です。そう、そんなところです。ですが、10年後にハワイでもう1枚、過去のCDのオムニバス盤がで
ハワイでのチャリティコンサート、フラダンサー達が花を添えてくれました!!プロデューサー、KeithHaugen氏がコンサートの為にダンサーを呼んでくれていました。日本で親交のある兄弟、Michael&JamesDelaCruzのお二人です。前日に知らされたのか、当日のサプライズだったのか、記憶が定かではないのですが、何本にも束ねられたピカケのレイを持って現れた時には本当に感激しました。なんと、私のオリジナル曲まで踊ってくれたのです!私の胸に掛けられたずっ
新聞や雑誌などに載った記事を拡大して読み返していたら、98年12月7日にカハラモールのBarnes&NobleBooksellersに出演する宣伝もあって、その記事の中で、「MsKimuraは、8月には4つのテレビ局、7つのラジオ局、たくさんのお店やホテルに登場した」とありました。あら?2日がコンサートで4日に帰国してますから、8月1日だけでこんなに回れないwwコンサート前、約1週間の「体力勝負話し」でしたね笑時系列がはっきりしてなかったのですが、「Hawaii
「AgnesKimuraintheHawaiianStyle」の現地でのプロモーション活動は、滞在期間が少ないこともあって、普段ガッツのある私でも根を上げたくなるほどハードなものでした。それ以前にもSlackKeyGuiterFestivalは2年出場していましたので、ハワイで初めてperformanceをするわけではなかったのですが、ライブ中の慣れない英語でのトークに緊張を強いられる毎日でした。TheHonoluluAdvertiser
明日書くと言って書いてない、書く書く詐欺ですみません😅ホレホレ節の話はちょっと長いです。ご容赦願います🙏ハワイアン歌手としてデビューしたのが1977年。それから18年近く経った頃、初めて「Hole-holeBushi」を知りました。当時、歌わせて貰っていたバンドのリーダー、大輪好男さんが「アグネス、ハワイへ渡った移民の唄、ホレホレ節って言うんだけど、CDに入れるのどうかな?」それが全ての始まりでした。それから、この歌を後世に残そうと奔走したハワイの「ハリー・ウラ
一昨日から「ヤーレンソーランソーラン」頭の中でループしてるAKです。声にこそ出せませんが、たぶん、頭は振れていると思います。何だろう、こぶしを入れるときはアタマというか首が自然と振れるのです笑あれ?私だけ?だけど、人の「ソーラン節」を歌っている場合じゃないのよ。自分の「ホレホレ節」、それもハワイで制作発売したCDからの〜「Hole-holeBushi」があるんじゃないの。日本からハワイへ移民として渡り、さとうきび畑で過酷な労働に耐えながら、歌い継がれて
はい〜〜っ失ったと思っていた2008年〜20013年のブログが復活しまして、ご報告の前に嬉しくて投稿してしまいました!!2004年からダイアリーを初めまして、2008年〜2013年が写真付きのブログになりました。アメブロは2014年からです。当時の管理人の盛ちゃんがデータを残してくれていたのです。コメントもらった時はもう神と思ったね(笑)しかも写真もちゃんと見られる!!だって、最初携帯で見ていたら写真がないの...で、PCで見たらちゃんとある...もう一度携帯戻って、
ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。前回からの続きです。ハワイは、西洋にとって当時重要な産業だった捕鯨基地としても重要な役割を担いました。また、需要の増えたサトウキビ産業も重要な産業でした。目まぐるしく変わる時代の中で、多くの人々が行き交いました。そして、ハワイは翻弄されていきました。そんな激動の時代の中で、アメリカに併合されていきました。そのことが、良いことかどうかの答えは出ないかもしれません。時代の流れだったのかもしれません。そんな、ハワイでサトウキビ
ピクチャーブライド。写真花嫁。ハワイが大好きになってから、ずっとずっとこのテーマが私の心の中で熱を持ってる。野心を抱き、海を渡った人たち。約一ヶ月という、今では考えられないほどの長い船旅に心身を弱らせた者も多かった。豪華な作りであるわけもなく、波に翻弄され続ける船に耐えられず海に飛び込んだ人もいるらしい。やっとの思いでハワイの地に降り立ち、写真で見た未来の夫を探すも、見る影もないほど写真と違う容姿だっ
(今日のBlogは長いです)8年前のダイアリー投稿より「中国新聞」山口版に9月21日~24日までホレホレ節関連を連載して下さった記者の大村さんから帰京後、今回の周防大島でのライブを終えての感想を聞かれました。ライブの宣伝からホレホレ節の解説、中原教授へのインタビュー、泊清寺で墓前にホレホレ節を捧げる様子など、毎回素晴しい記事にして下さいました。大村さんへ感謝の気持ちと共にその答えをメールで送りました。不思議な事に周防大島ではどのライブも肩のチカラが抜けていたように思うんです。何なんで
中野先生から、ホレホレ節を歌う私にとって大切な資料となるハワイ土産を頂きました。日系移民150周年を迎えるにあたり、ビショップ博物館で日系移民(ハワイに最初に来た日本人移民は明治初年の「元年者」と知られています)の展示が来春まで開催されています。ブックレットには平川氏のお名前も..そして、このラウハラのケースの中にも...素晴らしいお土産が...それは25日(土)Halenohea出演までお楽しみに〜〜
ホレホレ節と言えば、23年前に大輪さんのCDでヒューチャーされて以来、長い道のりでした周防大島にある移民資料館で歌ったり、お寺でパフォーマンスしたり、、
昨日の鎌倉セミナールは浴衣姿で歌って来ました✨終了後は中野先生ご夫妻行きつけのお寿司屋さんへご招待頂きました。大変美味しく頂きました。ご馳走さまでした✨✨✨✨ありがとうございました💖💖💖
明日は平川氏のレクチャーに歌でゲスト出演させて頂きます✨13:30からはこちらの講座もありますよ〜
何故かよく口ずさむ歌です。歌うと何故か涙が出ます。ホレホレ節昔、日本からハワイへ移住した人たちが歌っていた歌だそうです。ハワイハワイとよ夢見て来たが流す涙はきびの中苛酷なサトウキビ畑の労働に耐えた日系移民の人たち私たち日本人が今日ハワイを気軽に楽しめるのは彼らの苦労のお陰様なのかもしれません。今年はハワイ日系移民150年節目の年です。よりによって今年ハワイ行けないのはとても残念ですがまたいつか訪れたいです。【ホレホレ節】https://youtu