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太陽の道の引き寄せから、興味を持って調べました。すると、三輪で33年。次に行かれたのが天橋立の真名井神社だったんですね。ピン子も、天橋立メインで、浅い知識で行きました(元伊勢だからご利益ありそうと)すると63番の引き寄せが有りました。ホケノ山古墳の住所にも63が沢山。36でなく、両方63だと言うのも面白い。そういえば、見える方にピン子は3が過去世と繋がると言われたけど。三輪は3が沢山。6は旦那との縁らしいのですが??豊鍬入姫命の事は存じ上げす半年の間に意図せず行った所。大神神社→伊
先日書いた二上山。やっぱり何かひっかかり、詳しく調べると太陽の道という線のライン上でした。電車二上山を見た後、マップを見た時、思いました。三輪山が、日の出なら。二上山は、日の入りかも。調べるとそうでした。そして、ピン子が呼ばれて行った所。全てが繋がりました😆順に書きます。1、大神神社(不思議な検索〜)2、桧原神社(大神神社から知る)3、箸墓古墳(TVからのタイミングで行きなさい)4、ホケノ山古墳(箸墓〜桧原神社の道すがら)5、二上山(電車から気になる)詳しくは、過去ブロ
笑顔創造って、エーちゃうん!のエーちゃんです。YouTubeに挙がってきた動画『やさぐれ山口の風穴⁉︎』山口智子さん懐かしい。山口さんと言えば唐沢さん。実家の近くの商店街三ノ輪銀座現ジョイフル三ノ輪に行く途中に唐沢さんの実家があったなぁ。と余計なことを思い出します。さて山口さんの動画山口智子/やさぐれ山口の風穴!?力強い文化、美しい風景、未来を築く人々・・・見て、聞いて、感じてみたい。悩んでいる暇があったらまずは一歩踏み出して、淀んだ心に風を呼び込んで、思い切り爽
こんにちは。Googleマップさん、ありがとうございます。Googleマップさん、神です。ホケノ山古墳に、立ってました。ホタテ型の古墳です。奈良の親切さがここに↓無料の資料💞誰かが補充してくれてるのね。ありがとう。一枚いただきました。大事に見ますね。三輪山もすぐそこに。レプリカの棺がありまして、わたしも入って夫に撮影してもらったのですが。わたしの肉体がわたしが認識してる1・8倍デブだったんですよ。ちょっとぽっちゃりなわたしって普段思ってるんですが脳内補正が働いていて、
『出張の合間の神社巡り奈良編2023『箸墓古墳』~百襲姫の故郷の真実~』『出張の合間の神社巡り大阪編『磐船神社』~今なお国を照らす~』『出張の合間の神社巡り大阪編『磐船神社』~序章。白龍の滝と無限虹~』『出張の合間の神社巡り…ameblo.jp↑のつづき。さて、箸墓古墳を後にして徒歩5分。『国津神社』にやってきた。朝7時だったが、氏子さん❓️の方々が和気あいあいと草むしりをされていた。神社に赴いてこの光景は初めて。出来るだけ邪魔のないように心がける。拝殿。『国津神社』
2023年11月奈良山の辺の道エリアの古墳を巡ってきました。その①茅原大墓古墳②箸墓古墳③ホケノ山古墳です。桧原神社から西に下ってきた辺りに茅原大墓古墳があります。垂仁天皇の皇后の狭穂姫の墓と伝えられています。この辺りからは耳成山や畝傍山、向こうには葛城山・金剛山が見えます。墳丘が段々になっているのがよくわかります。向こう側には池がありますが、それは周濠の跡と言われています。茅原大墓古墳から北へ300mちょっとの所にホケノ山古墳があります。崇神天皇の
20230913(朝晩涼しくなってきましたが昼間の蒸し暑い事の水曜日),今日はバタバタしていたのであくまでも下見で走ってきました、メインは「檜原神社」と「箸墓古墳」は、「卑弥呼の墓」説もあってね・・・・「倭迹迹日百襲姫命大市墓」(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)と云う古墳でね、「倭迹迹日百襲姫命」とは・・・第7代「孝霊天皇」と妃の「倭国香媛」(やまとのくにかひめ)との間の皇女との事まァ予備知識はこんなもんとして、箸墓古墳の現地はバイクも置かれな
次は、話の流れで何故かホケノ山古墳に行きました。古墳です。道路で表示物を見た何かで、母さんが行く必要が有るとか…で行った記憶が有ります。僕に関連するお役目をしました。ここでのお役目を終えたので次の目的地に行きました。
先日の吉野ケ里遺跡の発掘に伴い当ブログを閲覧される方が増えており、内容的に薄いものだったと思いますので少し、がっかりさせたかもしれません。そこで補足的な内容をとういことで魏志倭人伝に倭人の墓、卑弥呼の墓について記載があるのでどのような内容だったか?その部分を紹介します。まず、倭人の墓の特徴ついて、棺あれど槨(かく)なし土を封じて塚を造ると書かれている。槨とは棺を覆う外箱のこと棺はあるが、外箱がない土で盛った塚を造ると書かれて
こんばんは~いつもお越しいただきありがとうございますゴールデンウィークのお天気は予報ではあまり芳しく無く後半はほぼ雨でしたきっと肌寒いので長袖も持っていこう靴も羽織物も何種類か車に積みましたところが三泊四日全て好天に恵まれました今日は雨で庭仕事ができませんが本当にお天気の神様いつもありがとうございます✨室生寺の写真の続きです✨古い石灯籠の足元に初めて見るキノコ🍄野鳥の声と水の音この静寂もまた美の世界なり太鼓橋を戻りすぐ右にあるお店で朝食にしました
こんにちは訪問コーディネーターの三澤です。マスク着用が必須ではなくなりましたが、花粉や黄砂が飛んでいてマスクを手離すことは当分できそうにないですね。先日、奈良県桜井市に行ってきました!奈良は歴史を感じることができる場所でもあります。私自身、歴史が好きということで、今回は国の史跡に指定されている「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」のひとつホケノ山古墳の上から見える古墳などを紹介したいと思います。ホケノ山古墳の北側には、5世紀後半から6世紀に築造されたと考えら
【旅行期間:2023/1/19-22】最終日の朝、ホテルをチェックアウトしてまず訪れたのは箸墓古墳宮内庁により倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定されています。伝説によると、卑弥呼の墓とも。宮内庁管理なので、中には入れません。しかし、すぐそばに道路があり、近接して民家や畑があるので古墳のぎりぎりそばまで近づくことができるのが特徴。このあたりは、纏向川が流れるのどかな土地。古墳に沿って東側に歩いていってすぐそばにあるホケノ
(檜原神社)*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)2/4【復活できるのか…】天太玉命神社天高市神社石園坐多久豆玉神社今里神社2/9【たぶん復活!?】☆箸墓古墳☆ホケノ山古墳☆慶雲寺裏古墳*…「阿蘇ピンク石」追撮国津神社(桜井市箸中)勲功神社・稲荷神社(桜井市芝)☆北口塚古墳☆茶ノ木塚古墳☆小川塚西古墳・小川塚東古墳・サシコマ古墳・平塚古墳等豊慶大神(稲荷山古墳)檜
箸墓古墳に行くと決めた時ホケノ山古墳のことは存じ上げていなかった。まして豊鍬入姫さまの陵墓だとは知る由もなかった今年に入り、稚日女さま(豊鍬入姫さま)づいているので、ホケノ山古墳こそ行くべきなんじゃないかと調べていくうちにそう思えてきた。ホケノ山古墳は、豊鍬入姫さまが埋葬されていると言われている。伊射波神社のご祭神の1柱稚日女尊さんを調べて豊鍬入姫さまと同一神だという説に繋がった。そして、さらに調べると豊鍬入姫さまは、天鈿女命さまだという説にも繋
纏向古墳群には6基の古墳があり、うち4基を「前編」で紹介しましたので、「後篇」では箸墓古墳を含む2基の古墳を墳活します。⑤[ホケノ山古墳]右=ホケノ山古墳左=三輪山⬆️墳頂より大和平野を望む。「ホケノ山古墳は、後の定型化した前方後円墳の成立につながるいくつかの要素を内包した初現的な古墳であり、、、(略)」と案内板に書かれてあります。ホケノ山古墳は、古墳時代を考える上で重要な古墳です。⑥[箸墓古墳]箸墓古墳は、纏向古墳群の盟主墳です。日本最初の前方後円墳。①〜⑤までの古墳は、この
神御前神社(大神神社末社)*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)1/11【「茅原」周辺の古墳を総浚え~】天太玉命神社☆橿原市曽我町京奈和道敷設前発掘調査天高市神社春日神社(桜井市芝)豊慶大神(稲荷山古墳)☆箸墓古墳☆茅原大墓古墳稲荷社(桜井市芝)富士神社・厳島神社(大神神社末社弁天社古墳)*神御前神社(大神神社境外摂社)*☆茅原狐塚古墳☆石神塚古墳(桜井市箸中)☆ツ
☆慶雲寺裏古墳大和国城上郡奈良県桜井市箸中1162(慶雲寺P利用、またはホケノ山古墳Pより徒歩2分足らず)慶雲寺という桜井市「箸中」集落内の仏教施設の境内にある古墳。本堂裏にあります。またホケノ山古墳のほぼ真東、50m余りの場所。墳丘は原型を留めておらず、また羨道部もほとんど破壊されているため全容は不明。径15mほどの円墳と桜井市サイトは示しています。また石室の特徴から6世紀後半~末頃とみられているようです。石棺が持ち出され石仏が刻まれてしまいました。この石棺は「阿蘇ピンク石」を
☆ツヅロ塚古墳・ツクロ塚古墳大和国城上郡奈良県桜井市箸中(ともに民有地で厳重な柵が施されているため進入不可)(ともに駐車場のあるホケノ山古墳から徒歩5分程度)「三輪山」の北西麓、桜井市「箸中」集落の南東外れの田の中にある古墳。2基が並んでいます。ツヅロ塚古墳は「箸中」集落の西側よりアクセス、ツクロ塚古墳は東側からのみ近くまで行くことが可。◎ツヅロ塚古墳ほぼ原型を留めておらず詳細不明。径30m程度の円墳とされるが、帆立貝式前方後円墳の可能性も。そうすると三輪氏のものの可能性があ
☆堂ノ後古墳大和国城上郡奈良県桜井市箸中(箸中の国津神社の北側すぐ、境内20~30m東より参道ありません)(箸中の国津神社またはホケノ山古墳P利用)箸墓古墳のほぼ真東に鎮座する国津神社(箸中)の後方(北側)にある古墳。「三輪山」の西側麓、「纏向古墳群」の一。墳名は国津神社(箸中)境内の神宮寺の後ろにあるという意味からかと思います。案内板(下部に写真あり)にもあるように、調査も行われていないため、おそらく35m程度の円墳であろうとされていました。ところが近年の調査により前方後円墳と
ホケノ山古墳は、纒向古墳群の一つとして国の史跡に指定され復元整備された、3世紀中頃に築造されたと考えらる日本でも最も古い纒向型の前方後円古墳であるとされている。纒向遺跡(まきむくいせき)には、箸墓古墳など古墳時代初めの頃に築造された前方後円墳が点在しており、前方後円墳の発祥の地と考えられている。ホケノ山古墳は、短い前方部を南東へ向けている、全長約80m、後円部約55m、前方部長約25mの前方後円墳で、周囲は周濠状の溝により区画されていた。全長:後円部経:前方部長の比率が、3:2:1であり、高い
今日はホケノ山古墳に登ります。そこに一本の大きな銀杏の樹がありました。手前の丘が「ホケノ山古墳」で、その奥の、半分見えている森は、「箸墓古墳」です。何回か訪れたことのあるホケノ山古墳ですが、ここにこんな立派な銀杏があるとはまったくもって気付きませんでした。もしこの銀杏が、こんなに鮮やかな黄金色を放っていなければ、今日も通り過ぎたかも知れません。そういう意味では、「目立たぬようにはしゃがぬように、、、無理をせず」(「時代おくれ」河島英五)という美徳は、所詮自
奈良盆地の東部に元伊勢がある。檜原(ひばら)神社だ。YouTubehttps://youtu.be/9JHLcGd6ewM元伊勢から観る夕日元伊勢から夕日を観ていた。いにしえから変わらない夕日だ。初代斎王の豊鋤入姫が葬られた古墳だ。注連縄越しに、二上山に落ちる夕日だ。二上山の鞍に落ちた夕日だ。感動する夕日を観ていた。昇竜が観えた。素晴らしい奇瑞を感じた。おわり
3月22日から2泊3日での奈良県墳活一人旅、最終日の24日に訪れた桜井市の纒向古墳群巡り、続きです↑国土地理院の航空写真より(赤い文字はふっき~が加筆)地理院地図/GSIMaps|国土地理院今日アップするのは古墳マニア(コフニスト?)には有名のホケノ山古墳です場所はこちら:34.539940,135.844984↑ホケノ山古墳、南東側にある駐車場から左側が「後円」部、右側が「前方」部の前方後円墳。ちなみに「ホケノ」という名称の由来は不明です。「ホッ
全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。奈良県の風景になります。纒向(まきむく)勝山古墳奈良県桜井市太田(2020年10月撮影)奈良県桜井市の纒向古墳群に属する古墳の一つ。纒向勝山古墳周囲には幅約25mの濠がめぐることが確認されており、勝山池がその痕跡を残している。纒向勝山古墳全長約115mの前方後円墳。後円部径約65m・高さ約7m、内部構造は未調査のため葺石・埴輪などは確認されていない。箸墓(はしはか)古墳奈良県桜井市箸中
23.04/30sat.12:55-19:40近鉄桜井駅から北へ粟原川右岸を左折、四つ辻を右折桜井中央児童公園から車道を北へ初瀬川を渡り、大神神社大鳥居を過ぎ左に、桜井市立埋蔵文化財センター珠城山1号墳、エンドウ山古墳のご教授をいただき常設展示、縄文時代の出土品弥生時代の出土品展示品とその解説パネル1/19に訪れた、桜井茶臼山古墳の空撮メスリ山古墳の空撮周囲、墳丘上を歩いて前方後円墳と理解…空撮を見ると、この辺りを上ってとか記憶がよみがえる雑木林に覆われ、戦後
何時も思うのですが、もし80歳の人が赤ちゃんにバトンを渡し、またその赤ちゃんが80歳になったときに赤ちゃんにバトンを渡す・・・こうやってバトンを渡していくと、たった20人ちょっとのランナーで古墳時代に辿りついてしまいます。信長さんの頃なんてたった6人で到達。こう考えてみると歴史なんていかにあやふやなものか・・・。もうひとつ。自分の先祖をたどるとき、祖父母は2人ずつですが、曾祖父母は4人。後は倍々で5代遡れば32人。10代で1024人!20代遡れば105万人!!!!これは
☆巻野内石塚古墳大和国城上郡奈良県桜井市巻野内(P無し、Pの有るホケノ山古墳から北へ300mほど)ホケノ山古墳から北へ300mほどに築かれた古墳。原形を留めておらず、また民有地のためか調査もなされておらず、詳細は不明。案内板には「二十数基の中・小規模な古墳が散在している。数基の方墳があるものの、多くは古墳時代後期の円墳と見られ、中には前方後円形を呈するものもあるようだ」と。桜井市観光協会のサイトによると、「測量調査や研究成果で纒向型の前方後円墳の可能性が高い事が判明しています。こ
22.03/06sun.13:20-17:15近鉄桜井駅から北へ突き当たりも、右の細道を北突き当たり右折県道に出て左折、北へ初瀬川を渡って今西酒造本店で左に、筋違いを北三輪坐恵比須神社に参拝拝殿・本殿左に、琴比羅神社(大国社)大神神社一の鳥居大鳥居へと西に振れ、北へ桜井市立埋蔵文化財センターを過ぎ芝北交差点を右折して伊勢参宮本街道を北へ箸中集落の家並みが少し疎らになって大物主と活玉依姫(いくたまよりひめ)の赤糸伝説ゆかり、苧環塚(おだまきづか)過ぎて、箸墓古
王寺町観光協会プレミアムツアーの続き。ホケノ山古墳巨大前方後円墳箸墓古墳の次はホケノ山古墳(史跡指定)です。纒向遺跡ってどんな遺跡?|桜井市纒向学研究センター桜井市纒向学研究センターwww.makimukugaku.jpホケノ山古墳からみた箸墓古墳。ホケノ山古墳は全長80メートル。発掘調査後、復元展示されていて、墳丘に登ることができます。三世紀中頃に造営と推定されるホタテ貝形(前方部が短い)で、纒向型前方後円墳と呼ばれます。周濠状の掘割もありますが、ぐるっと一周し
☆ホケノ山古墳大和国城上郡奈良県桜井市大字箸中字ホケノ山(P有)■形状前方後円墳■全長約80m■築造時期3世紀中頃■埋葬施設石囲い木槨・横穴式石室(追葬)■出土品画文帯神獣鏡、鏡片(画文帯神獣鏡2片分と内行花紋鏡)、素環頭大刀、鉄製刀剣類、大型・中型の壺、壺型土器など■周辺の状況纏向古墳群の一つ■被葬者不明(豊鋤入姫命の墓とする説あり)纏向古墳群の中でもっとも有名なのは箸墓古墳。古墳時代初頭の築造とされるのに、その圧倒的なスケール。しかも「三輪山」の前にド