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一番好きな風景写真ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようなんとなんと、ずっと会いたいと思っていた小学校から文通をしていた友といよいよ会いましょうということになりお江戸へお約束の富士山学生時代は文通最近はさすがにラインになりましたがそれでも写真といえば結婚式のときのを送ったくらい私は20代彼女はなんと50代でご結婚どうしようかと思ったけど、一応現在の姿をラインで送り無事駅の改札で会うことができました
おはようございます✨✨このCM凄いよく出来てるなあーって思うんですよ。^^凄い遠い昔なんだけど、ある友達から暫く誰とも話をしたくないし、今はそっとしておいて欲しいって手紙📩を頂いたことがありました。よく、男性でも女性でもいませんか❓➡️➡️相手が当然居なくなる急に勿体無いような気になり、さらに束縛する。♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎だけどそれって、愛でも何でもないんじゃないかなぁ、、、、ちなみに友達は、散々振り
お気に入り曲「大きな玉ねぎの下で」爆風スランプの曲タイトルの「大きな玉ねぎ」は、武道館の屋根の上にある擬宝珠(ぎぼし)のことです。もう一つ、この歌が果たした大きな役割は、「文通」という昭和の手紙文化を今に残したこと。歌詞の冒頭に出てくる「ペンフレンド」…💓大きな玉ねぎの下で/沢田知可子youtu.be沢田知可子さんの澄んだ歌声、曲の素晴しさこちらは、ピアノ弾き語りcover優しい声でgood【泣けるバラード】大きな玉ねぎの下で爆風スランプさんの名曲をカバーし
ペンフレンドとかペンパルって今では死語ですね。ひさびさに読んでみるか!
最近活発に(一人で)動き回っている私。流石に疲れてきました。しかも、疲れているのに、眠れないのです。今日も夜中の3時に起きてしまい、朝までペンフレンドにお手紙書いてました。朝食後二度寝して、シャワーを浴びて、11時からはホンダのディーラーに行きました。車内Wi-Fiについて、お聞きしたいことがあったのです。帰宅後疲れていましたが、昼寝できず、仕方なく洗車しました。本当はその後ユニクロに行きたかったのですが、疲れ果て、競馬中継観ながら休みました。風呂
覚えていない。大昔ペンフレンドがいたな~おませな人だった。今考えると私とは話が合わなかったペンフレンドがいた事実と遠く離れた誰かとつながっている感じがよかったんだと思う
初めてもらった手紙は誰から?初の手紙のやり取りは、小1か2の低学年時に、大学生だった叔父(母の弟)とでした宛先とかはもちろん母が書いてくれ、汚い字で多分とりとめもないことを書いたと思う返信は当時は珍しいと思われる101匹わんちゃんの便せんで・・・とても嬉しかったのを覚えているあれから50年以上経って、二人の関係は氷のような冷たい関係コロナ前だから5年ぐらい前時々は叔父の家を訪れていた私ある日(私の)実家に関することで、自分が調べたことを「調べてやったぞ、ありがたがれ」と
今朝は7時半に起きて。二度寝して。10時に起きて。コーヒーを飲みながらモーニングページを書いて。午後は14時までたっぷり昼寝して。デイケアでお世話になっているクリニックに行って、前回忘れた書類をお渡しして。夕方は本を読んだり、シャワーを浴びたりしました。今日届いたペンフレンドからのお手紙。封筒だけでなく、便箋にも沢山シールが貼ってありました。シールのキャラクターが分かりません(笑)。今日の夕食。大変美味しかったです。
ペンフレンドからお菓子が届いたんです。地震のお見舞いらしくLINEでお礼を伝えたのですがその時に、地震の時にはLINEしてないことがわかりました。お菓子がいっぱい入ってて13個夫と息子たちに2つずつあげて残りの7個はわたしが食べました。めっちゃ美味しかったです。その前にもお菓子を送ってくれた友達がいてその時にも書いたけどうちは何も被害がないので申し訳ないです。ただ、夫の実家はまだまだ大変です。今回お返しをどうするか?考えてググッたら地震のお見舞いのお返しはし
13日、長年の付き合いのペンフレンドのtommyに会うため、難波まで行ってきました。前回会ったのは4年前。『再会はやっぱりなんばパークスで(笑)&初荷と初大当たり☆』日曜日もお出かけしてきました長年のペンフレンド、tommyに会いに。tommyは私が中学生時代からのペンフレンドです。当時「アニメディア」と言うアニメ雑誌のペ…ameblo.jpランチをするお店の前で待ち合わせにしたのですが、せっかくなんばまで行くんだったらその前にアニメイトにも行きたいと思い、日本橋のアニメイトに寄りました。
先月、自分の狭い世界を広げようとペンフレンド募集をしていた方に手紙を送ったのだけど。。。お返事が届きました自己紹介や近況などが綴ってありました忙しい中にも、毎日充実してささやかな楽しみを見出しながら過ごされている暮らしぶりが伝わってきて、ほほえましくおもいながら読みました半世紀生きてきたなかで山口県にお住まいの方と知り合えたのは初めてでとてもうれしいとも綴ってありわたしもうれしくなった今度は、わたしが綴った想いを届けよう春風にのせて。。。
今年になってから、このトマトの銘柄に出会う。美味しいし日によっては他のトマトより安い。五島と言えば、サ-パンのペンフレンドが五島列島に居た。ペンフレンドの事を“オコ”と呼んでいた。ネ-ミングセンスが異次元だわ。。。。仲が良さそうで羨ましかったものだ。私にも沢山のペンフレンドが居たのにね。私って、特に若い頃は、そんな子だったような気がする。婆さんになってみると、全然人の事は羨ましくないし不思議神になってしまったかにほん
”あれ”以来、筆不精になった健一。大阪の文化にも少しずつ慣れてきたし、当初陰湿なイジメも社内ではすっかりなくなっていた。それは大阪の人たちの温かさの中で今までの明るい健一がよみがえってきたのだ。「ただいま。」帰宅した健一を待っていたのは母の怪訝そうな顔だった。「お帰り・・・。」母の表情を見て健一は「どうしたの?」母は健一宛てに届いた手紙を差し出した。東京の住所が書かれていたが郵便局へ転居届を出していたため転送されたものだった。そしてそこに書かれていた差出人の名はあの
「佐久間さん、佐久間由梨さん、3番へお越しください。」大阪市役所で転入の手続きを終えた。「別に母さんも絶対に来てって言ってないのに・・・。」健一はそう言いながらも内心ホッとしていた。マザコンと言われるかもしれない。でもあの出来事から立ち直るには母の存在無しではありえなかった。「だってぇ、健一と別れ別れになるなんてイヤだもん。」「ちょ、ちょっと・・・母さん、声が大きいよ。」ただでさえ恋人に見えるくらい若い母。健一は恥ずかしくて耳が赤くなった。大阪へきて一週間。健一
「佐久間ぁ、オレ、おなかすいちゃったぁ。」「え?あ、はぁ・・・。」今まで優しかった先輩が何やら不穏な空気。「佐久間さん、部長がお呼びですよ。」経理の金子さんに呼ばれ、部長のデスクへ。「佐久間。体調はどうだ?」部長からの問いに「はい、もう大丈夫です。」「おなかが痛かったのか?でももう”ふ・と・こ・ろ”はあったまってるんだよな。よかったなぁ。」もしかしたら仮病がバレたのか?すぐに謝罪するべきだったと思う。でも”あのこと”があって自分の心が多少荒れていた。「では、
「具合、もういいの?」心配そうな母に後ろめたい気持ちはあったけど、自分の感情を制御するには難しい健一であった。「行ってくるよ!」といういつもの挨拶は無しに健一はフラッと駅前のパチンコ屋にいた。滅多に来ないパチンコ屋。その日は次々に出玉。わずか1,000円がドル箱の山を築く。うず高く積まれたドル箱に他の客の様々な視線。80,000発を超えた玉のレシートを持って景品交換所へ。お金に代えることなど想像もしていない健一はずっとどんな景品に代えようかと物色した。しばらくしていると
アンコールは3曲で終わり、ついにCCBともお別れ。泣いているファン、その場から動けないファン・・・違う意味で自分も動けなかった。それは誰もいなくなった武道館。「もしもし、お客さん!!!」警備員の声だった。恐らく何度も言っていたんだろう。その声にはイラ立ちが多分に含まれていた。健一はようやく気付いた。警備員に誘導され、会場を後にした。手に落ちてきた水滴。「雨か?」それは自分の涙のしずく。オレってこんなに泣き虫だったっけ?九段下駅までってこんなに遠か
「本当に来るのか?」>>いや、迷ってるだけ。「僕はここだよ。」>>あんまり立ってると他の人に迷惑だろ。「チケット失くしちゃったのかな。」>>それはありえるよな。「もし遅れてきたらどんな顔しよう。」>>その前にホントに来るのか?「待ったぁ?」女の子の明るい声。>>ついに来た!慌てて立った。それは4つも後ろの席の声だった。>>え?違った。「楽しみにしてます。ちょっと恥ずかしいけど。」>>手紙には確かにそう書いていた。不思議なくらい何度も同じ行を読み返してい
いよいよ”その日”はやってきた。高鳴る胸、やっと会える。「行ってくるよ、母さん!」夢と希望に満ち溢れていた息子の輝いた瞳。母は嬉しかった。「あ~ん、母さんも行きたい!」「ダーーーメ!」こんなに嬉しそうな健一の顔、しばらく見てなかったな。母は息子の姿が見えなくなるまで立っていた。地下鉄の九段下を降りて2番出口。そこには恐らく行き先が同じであろう若者がたくさんいた。「へぇ、すごい人気なんだな。オレ全然CCBって1曲くらいしか知らないんだけど・・・。」「この中に自分
CCBの解散コンサートは10月9日(月)。ついに念願の彼女と会える。どんな声をしてるんだろう。どんなしゃべり方をするんだろう。背はどのくらいかな。でも月曜日だぞ・・・仕事休めるのかなぁ。いやいや、送ったんだから来ないはずないよね。けど、一人でくるのかな。親と一緒だったらどうしよう。あいさつするべきかな。「優希さんとお付き合いさせていただいております佐久間と申します・・・カタイかな。」”運命の日”まであと3日。健一は金曜日の夜、仕事を終え表参道にいた。大した収入もな
「ねぇ、一生のお願い!武田さぁん!」電通の知り合いである武田に健一は10月のCCB解散コンサートのチケットを懇願した。「そんなにかわいい子なのか?」「うん、見るぅ?」優希の写真を見せると武田は絶句した。「・・・・マジかよ。なんでお前なんかと。」「かわいいっしょ。」「なんかイヤになってきたぁ」「えぇ?そんなこと言わないでよ!」たった一度の解散コンサートのチケットを2枚ゲット。「今回は優希ちゃんのために素敵なプレゼントがあります。」そう書いた手紙に武道館のチケッ
その手紙を開けると1枚の写真が入っていた。え?「がんばって健一くんのために撮りました。これが私です。」そこに映っていたのは今すぐにでも芸能事務所からスカウトされるくらいの超かわいい女の子の写真。足元にいたゴールデンレトリーバーもかわいかった。>>>すげぇ、こんなかわいい子だったのか。ウソみたい・・・・・・やったーーーーーー!!!「電話はまだ勇気が出ないの。もう少し待ってください。」>>>うんうん、待つ!待つよぉ!文通を深めていく二人。気づけばもう30通を超えて
優希と健一が文通を初めてから3か月が経った。健一は迷ったがやはり優希の顔が見たくなった。どんな顔をしてるんだろう。文通3回目のときに自分の写真を同封したが、相手は一向に写真を送ってくれない。もしかしたら自分だけが盛り上がってるだけでやはり興味がないのか?いや、だとしたらこれほど文通が続くわけがないじゃないか。悶々としながらもとうとう自分の欲求を抑えきれなくなった。「優希ちゃんの顔が見たい。写真はないの?」勇気を出してそう書いた。「ごめんなさい。私、写真が嫌いなの。」
何気なく帰宅した健一に母は怪訝そうな顔で問いかける。「大阪の財部さんって人から手紙が来てるわよ。」「え?タカラベさん・・・誰だろう。」自分の部屋でその封を開けた。「健一さん、はじめまして。・・・」一行目を見て健一は「なんじゃ?こりゃ。冷やかしかよ。」当時にもいきなりダイレクトメールで投函された詐欺ものはたくさんあった。疑うのも不思議ではない。「お手紙拝見しました。とても嬉しかったです。すぐに返事を書こうと思っていたのですが父の仕事の関係で先日までアメリカに行っていました。
「母さん、行ってくるね。」今日も元気な健一。母ひとり子ひとりの母子家庭である佐久間家。交通事故で亡くなった父親の保険金で暮らしてはいるが贅沢はできない。そして父親の実家からは「早く孫の顔が見たい」と言われていた。そうなれば母の願いは一つ。この恋を成就させて結婚できればどんなにいいか。女の子には極端に奥手で、これまでデートの経験すらない。どんな風にすれば女の子のハートをつかめるか・・・いやいやそれは余計なことか。愛する息子には結局遠くから見守ることしかできなかった。きっかけ
1989年の年が明けた。しかし毎年の祝賀ムードは吹っ飛び、昭和天皇の崩御による自粛ムードが東京を支配していた。テレビは面白いものは一切なく、レンタルビデオ店もほとんど閉まっていた。「なんでこんなにつまらん正月なんだろう。」レンタルビデオ店にビデオを卸す会社で働く23歳・佐久間健一は高校を出て職を転々とする日々だったがどういうわけか今の会社は居心地がよかった。「佐久間くん、そっちはどや。」関西支社の宮崎からの電話は上機嫌だった。「え?こっちは自粛自粛で冷え切ってますよ。そっち
80年代のJPOPは名曲ぞろい。その中で”名曲中の名曲”と言えるのは?と訊かれたら私はいつも「大きな玉ねぎの下で」と答える。しかし私の娘にこの歌の良さを語っても「何それ?」と言う。田舎育ちなもので「大きな玉ねぎ」の意味がわからず、ちんぷんかんぷんなのだ。歌詞はこちら。私はこの歌を令和のZ世代にぜひ聴いてもらいたいのだが、何せ時代背景がスマホがなく文通っていうことで理解しづらいかもしれない。そこで私が自分なりの解釈と”妄想”を交えて小説を書いてみました。暇なら読
皆様お疲れ様ですm(__)m今度はmiffyちゃん切手~カワユス♥️って、もう何年も手紙なんて書いてない!誰に送ろうか~普通の郵便や仕事では使いたくないそう、こーゆー可愛い切手を貼って手紙を書きたいのはペンフレンドよ~え?死語!!??!(。-∀-)ヽ(;▽;)ノその昔~私には全国にペンフレンドがいたなぁ毎日毎日手紙と漫画を書いて送ってたわ~りぼんの付録のレターセットで!懐かしや…今はハガキは書いても、手紙は書かないねこの際うさ友さん!ペンフレンド募集
先月12月30日にフランスの友だちから届いた、クリスマスカードの封筒に貼ってあった切手シート。エッフェル塔を設計したといわれるギュスターヴ・エッフェル。年が明けて4日に届いたクリスマスプレゼントにも、同じものと他にも2種類の切手の計5枚が貼られていました。お互い中学生の頃からウン十年、1度も欠かすことなく、誕生日とクリスマスのプレゼントを送り合っていますが、今回わたしは初めてプレゼントは送りませんでした。カードはク
私は昔からモノを書くことが好きだった。子供の頃は日記を書いたり、若い頃は今みたいに携帯電話なんてなかった時代だから、手紙を書くことも多かった。結婚して子育てや義理の両親との同居で悩んでいた時に、多分?雑誌で知り合った石川県に住む女性と手紙のやり取りをしていた。字もきれいで年齢もそんなに変わらない。内容は本当に何気ない日常と時々、ちょっとした自分の悩みだったり子どもの話しだったり…。でも、その文字や文面からは彼女のしっかりした性格が感じ取れて、そんなに頻繁ではなかったけど、