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古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(写真=大理石製胸像)は、2400年以上前に、遊牧騎馬民族のスキタイ人は、人間の皮を使って矢筒を作ると書き残した。これまでまさかと疑問視されることが多かった記述だが、このたび、事実だったことが確認された。イタリア、パドヴァ大学の考古学者マルガリータ・グレバ教授らの研究成果だ。紀元前5世紀の墳丘墓から出土した革製品を分析2023年12月13日付けで電子学術誌『PLOSONE』に発表された論文には、「この調査結果によって、ヘロドトスの恐ろしい主張が
歴史や宗教は時の為政者の都合のよいものになるように常に操作されて来た。その結果、歴史事実とはまったく異なる事柄が通説としてまか罷り通って来たのであった。「歴史の父」といわれるヘロドトスは『歴史』(Historiai)を書いたが、そのHistoriai(ヒストリアイ)の原義は「探究」だったのだが...。
🐱「ナイルの土」を意味し、カフと読むヒエログリフ。古代エジプトの土とは。「エジプトの土壌は泥と、ナイルがエチオピアから運んできた沖積土とから成り立っているので、黒色で脆いのであるが、リビアの土はむしろ赤味を帯びて砂質であり、シリアでは土が粘土質で石が多い事実をわれわれは知っているのである。」(ヘロドトス著、松平千秋訳『歴史』上巻、岩波書店、1978年、168頁(2巻12))リビアはエジプトの西側にあり、シリアは東地中海沿岸にあります。ナイル河の増水は恵みの増水でした。なぜなら、エ
🐱「医者」を意味するヒエログリフ。例えば医者が矢で怪我した人を壺に入った薬で治したことから、これらのヒエログリフを使ったのかな?と思った😲「エジプトでは医術が次のように専門別に分化している。それぞれの医者は一種類の病気のみを扱い、いくつもの病気を扱うことはない。従って至るところ医者だらけという有様で、眼の医者、頭の医者、歯の医者、腹部の医者、患部不明の医者、等々がある。」(ヘロドトス著、松平千秋訳『歴史』上巻、岩波書店、1978年、211頁(2巻84))古代エジプトの医術は、ギリシ
🐱「祭り」を意味し、ハブと読むヒエログリフ。左の文字は、アラバスター製の容器の上に乗ったテントを表す。右の文字は太陽。「エジプト人は国民的大祭を年に一度だけ開くというわけではなく、大祭は頻繁に行われる。」(ヘロドトス著、松平千秋訳『歴史』上巻、岩波書店、1978年、199頁(2巻59))古代エジプトの祭りは各地で盛んに行われていたようです。どれだけ多いかというと、例えば新王国時代のテーベでは年間約60もの祭祀が行われていました!基本的に古代エジプトの祭りは、暦にあらかじめ定められ
🐱子どものホルス神に授乳するイシス女神。今日は古代エジプトの神々とギリシアの神々の関係について😃「ディオニュソスのみならず、ほとんどすべての神の名はエジプトからギリシアへ入ったものである。ギリシアの神々がギリシア外の国から招来されたものであることは、私が自ら調査して確かめたことである。それも大部分はエジプトからの伝来であると私は考えている。例外としては前にも述べたポセイドンとディオスクロイのほか、ヘラ、ヘスティア、テミス、カリテス、ネレイデスなどが挙げられるが、それ以外の神の名は昔からず
ヘロドトスは、ピラミッドについても言及しています👀❗️すでにピラミッドはヘロドトスが生きていた頃よりずっと昔に建造されていました😲そのため彼の見解は、言い伝えられてきたことがベースになっています。その内容のポイントをまとめてみました💡🐱クフ王のピラミッド①クフ王とピラミッドについて・クフ王は、自身の葬室(地下室)をピラミッドの立つ丘の中腹に作らせた。この地下室は、ナイル川から掘割(ほりわり)をして水をひき、島のように孤立させられている。この中に、クフ王の遺体が横たわってい
🐱ヘロドトス今回は、歴史家ヘロドトスにとって古代エジプトはどんな世界だったのか?をテーマに取り上げたいと思います😃世界史の教科書にも出てくる人です。ヘロドトスは紀元前480年頃にハリカルナッソスで生まれたギリシア人の歴史家です。ハリカルナッソスは、現在のトルコの南西の都市ボドルムの場所です。話がちょっとずれますが、古代の沈没船が発見されている場所でもあって、いつか行ってみたい😍🌟と思っている場所です😊❣️有名な沈没船としてウルブルンの沈没船が挙げられ、なんとその船にはたくさんの財宝
SALVATOREMONETTIによるPixabayからの画像※こちらの記事は、平成19年8月1日に書かれたものです。先々月末くらいに見てきました。宣伝を散々やっていたので皆さんご存知だと思います。古代スパルタの300人vs1,000,000人の対決を映画化した『300(スリーハンドレッド)』。古代ヨーロッパ関連の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:トロイ関連記事:ペルシャ文明展関連記事:スパルタ教育とゆったり教育は果たしてどちらの方が有効なのか?ストーリ
(『新・人間革命』第6巻より編集)35〈遠路〉12伸一は言葉をついだ。「確かにギリシャの歴史家ヘロドトスも、有名な史書『歴史』のなかで、このクフ王の大ピラミッドの建造について、祭司の話として、エジプト全国民を強制的に自分のために働かせた、と記してはいる」このヘロドトスの記述によって、長い間、ピラミッドは、国民を奴隷のように酷使して建設されたという見方が”常識”となっていたのである。伸一は言った。「なぜ、私
幸福論を抹殺(まっさつ)した倫理(りんり)は、一見いかに論理的であるにしても、その内実(ないじつ)において虚無主義(きょむしゅぎ)にほかならぬ。(語注:・倫理=対人関係のことを考える道徳のこと。・虚無主義=価値を見出せず、虚(むな)しいさま。)[三木清(哲学者)]幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙(ねら)いである。[アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)]人はいつも真面目(まじめ)くさってばかりいて、少しの楽しみもくつろぎも味わわずにいると、知らず知らずのう
弓は使う時にはひきしぼるが、使わぬ時にはゆるめておくもの。[ヘロドトス(古代ギリシャの歴史家)の『歴史』より。]琴の弦(げん)は、張り過ぎると切れてしまう。しかし、緩過(ゆるす)ぎては綺麗(きれい)な音は出ない。適度な状態が一番良いのだよ。[釈尊(仏教の開祖)]集中力っていうのは、天才のものじゃないんだ。訓練だ。[小澤征爾(指揮者)]結局のところ、集中力を最も左右するのは、健康状態と体力。生活習慣が乱れていたら集中力どころではありません。[西多昌規(精神科医)]※上で言うように
健康になるためには、まず幸せになることである。[パッチ・アダムス(アメリカの医師・社会活動家)]あんまりひとりぼっちの人間は、しまいには病気になるもんだ。[スタインベック(アメリカの作家)]人はいつも真面目(まじめ)くさってばかりいて、少しの楽しみもくつろぎも味わわずにいると、知らず知らずのうちに心を病(や)んでしまう。[ヘロドトス(古代ギリシャの歴史家)]命をかけるというほどの熱意を持って仕事に打ち込んでいる人は、少々忙しくても疲れもせず、病気もしないものです。[松下幸之助(実業
🐱誰でしょう。ヒントは有名はギリシャ人。(答えは文中)みなさんは、ミイラ作りのプロセスはどの書物に記載されていたと思いますか?なんと歴史家ヘロドトスの『歴史』なのです!古代エジプトにヘロドトス?!と思う方もいらっしゃると思います。実は古代エジプトの歴史の研究で、ヘロドトスなど古代ギリシャ人の記述を参考にすることがあります。やはり古代なので、文献資料が近現代史などに比べると少ないのも関係があります。その時代に起きた出来事を記述として残しておくことは本当に大事なことだなと感じます。ヘロ
図書館の本を読んで。『歴史(上)』(ヘロドトス著松平千秋訳岩波文庫)リュディアのカンダウレス王はギュゲスに、おれの妃は美しいから裸をみてみろといった。ギュゲスは固辞したが断りきれず、寝室に忍んで裸をみた。妃はギュゲスに気づいて翌日呼び出した。お前はここで死ぬかわたしと共謀して王を殺すかせよという。ギュゲスは王を殺す方を選び寝室に忍んで殺害、王位についた。
ある近代日本美術の研究者の方(学芸員、博士)に大学受験で世界史を取られたかお聞きしたところ、「高校の授業で世界史は受けなかった。世界史といっても西洋史に偏っていたのでは?」とのことであった。今は大分改善されてきているが、これに加え、東洋史は中国史に偏っていたと思う。そもそも中国(特に漢人から観て)という概念が成立したのは近年、嘗ての中国の範囲はもっと狭かった。今の中華人民共和国は概ね清朝の領土を継承していて、そのイメージで中国の歴史を語ると誤解を生む。このため「中央ユーラシア」というカテゴリーで
「休めない」という人は、どこかで休息や睡眠を無駄な時間だと思っているところがあります。しかし、健康でなければ仕事はできません。「仕事のひとつとして、健康に投資する」という意識を持っていただきたい。「休むのも寝るのも仕事のうち」ということです。[西多昌規(精神科医)]仕事はともかく、プライベートにおいては、「無駄な時間」こそが重要なのです。毎日毎日、仕事や家事、プライベートにまであくせくと体を動かしていたら、心が満たされたとしても、体は休息する時間がありません。それでは、疲れが溜(た)まって免
WaldaWorldShowmeyourhonestreactionsdownbellow.Anddon'tforgettofollowuson:👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻👇🏻t.me/WaldaWorld1t.me/Walda…t.me2つのピラミッドの上に巨人が乗っている、非常に珍しい1851年以前のエングレーヴィングです。
『多次元開運』~4・5・6次元世界開運術~Amazon(アマゾン)1,694〜3,388円『ヘロドトス』古代ギリシャの歴史家。歴史という概念の成立過程に大きな影響を残しました。「歴史の父」と呼ばれます。ヘロドトスが記した歴史書「ヒストリアイ」、これが言わば、西洋史の原点となります。ヒストリアイのストーリー構成は、西洋史のお決まりのパターンとなります。ヒストリアイ以降の全ての西洋の歴史書は、ヒストリアイと全部同じストーリーパタ
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ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。史上二番目の世界帝国アケメネス朝ペルシアを築いたキュロス2世(紀元前600年ころ~紀元前529年)。現在のイラン南西部ペルシャ湾に面した小国アンシャンの王として生まれながら、宗主国メディアを倒し、現在のトルコにあったリディア、オリエントの中心だった新バビロニアを次々と滅ぼし大帝国を作り上げます。その後アケ
古代ギリシャにヘロドトスという歴史家がいました。歴史は悪意に満ち満ちているという立場を採り、歴史上の事実に対する評価に「狂信的」とか「無謀」などという表現を多用し、当面の論点とは無関係な話題を強引に押し込み、叙述の本筋を脇道へそらしたりと、まあやりたい放題の批判と言うより文句や因縁ばかりの著述をしたのだそうです。後世のギリシャでこのヘロドトスを批判したのが著述家のプルタルコスでした。ヘロドトスの悪意には8つの内容があり、その第3は「立派なこと、賞賛に値することを省略すること」だそうです。
ZONA🛸XThehistoryofancientEgyptisbasedonthedynasticlistsofthepharaohsfromthetempleatAbydos,builtbyPharaohSeti1in14-13cBC.Allofthepharaohslistedtheirpredec…t.me古代エジプトの歴史は、紀元前14〜13世紀にファラオ・セティ1世が建てたアビドス
アンケートで質問のあった司馬遼太郎さんについて書いてみます司馬遼太郎さんは小説家で歴史ものをよく書かれた方です代表作としては『梟の城』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがあります司馬さんは単に小説家というだけでなく、その歴史観によって日本人に大きな影響を与えた方だとおもいます明治維新の意義や、日露戦争など、その真実や意義が広く知れ渡ったのは彼の功績によるところが大きいのではないかと思います彼の前世として、アンケートで司馬遷ではないかと書いていましたが、おそらくそ
にほんブログ村何が起こるかわからないのだから、、、。こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。何が起こるかわからないのだから心配したってしょうがない。なるようにしかならない。もしも、、、。もしもなんて考えていたら一歩も前に進めない。壁があるなら登るかぶち壊すかどちらかだ。壁が壊れるまで待っていられない。何が起こるか恐れてビクビクしながら何もしないでいるよりは、半分
ヘロドトスヘロドトス!前に、ふとそんな名前が頭にわいてきていや誰?知らんネットで調べてみたら、昔の歴史家...昔すぎて、石膏の像しかないですやん...dareyanen!!!!!!!!でも、結構ふとたまに湧いてくるので不思議だわ〜と思ってたら私の行きたいエジプト文明博物館に何やらヘロドトスとかいってインスタに写真載せてあってうわー!!!!!繋がってたァァァ!!!!!受信しとんねんななにかを何かしらのカタツムリのツノみたいなアンテナでも自分の頭にたっとんのかピピ
歴史家として古代の王の道を歩いて、歴史の確かな記述を残したのは、ヘロドトスでした。王の道とは、古代ペルシャの王が紀元前6世紀に完成させた道の事です。下の地図の黒く太い線が、現在王の道として認識されています。ヘロドトス(ヘーロドトス、紀元前484年頃-紀元前425年頃)は、古代ギリシアの歴史家である。歴史という概念の成立過程に大きな影響を残していることから、歴史学および史学史において非常に重要な人物の1人とされ、しばしば「歴史の父」とも呼ばれる。この地図を見て、思ったことがありあります
【エジプトの歴史-5】エジプト初期王朝時代の初代王についての問題エジプトの「最初の王」が誰なのかについて、現在でも定説があるわけではないです。文献史料に登場する初代王メニ/メネスを考古学的に確認できる人物と同定しようとする試みがエジプト学の黎明期から続けられてきました。メニ/メネス王文献史料としては主にギリシア語で記述された古典古代の記録と、古代エジプト語あるいは図像表現によって作成された王名表の記録が存在します。前者を代表するのがマネトが記述
ヘロドトスを投入すれば良かったのに、ケチってネブカドネザルで対応したため、すぐ降伏に追い込まれた。