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エルサレムを後にした私たちは、パレスチナ自治区🇵🇸のヘブロンという町にやって来ました。(アラビア語ではアル=ハリール)ここには、三つの宗教✡️✝️☪️にとって重要な人物、アブラハム(☪️ではイブラーヒーム)のお墓があります。旧約聖書には、アブラハムが妻サラを埋葬するために購入した「マクラペの洞穴」として言及され、二人のほか、息子のイサクと妻リベカ、孫のヤコブと妻レアも埋葬されています。洞穴の上にはヘロデ大王時代(=イエス様と同時代)に建物が建てられ、今で
<サレプタ聖書メッセージシリーズ>ヨシュア記2023No.21「ヘブロンを求める」14章:6〜21節in2023/08/03THU.atキリスト教東京鵜の木教会Messagedby清野隆二===今回の講解メッセージでは、ヨシュア記の14章で言及されている「ヘブロンを求める」というテーマについて考えていきたいと思います。ヘブロンは、アブラハムがカナンの地で最初に定住した場所であり、その後も彼の子孫が居住を続けた重要な場所でした。ヘブロンは、アブラハムの信仰
今日の箇所(第二サムエル2:1-11)には、順調な時でも高慢にならず、へりくだって神様に聞き従う真の霊的リーダーシップについて記されています。サウルの死後、ダビデは一刻も早く故郷であるイスラエルに帰りたかったでしょう。しかし、ダビデは、自分の動向について、まず主に伺います。以前の失敗から学んだのです。そして、主の示されたヘブロンへと上って行きます。ヘブロンはカレブに与えられた地で、ユダ部族に属し、イスラエルで最も高い地にある町です。ダビデの妻アビガイルの故郷カルメルは、ヘブ
23:1サラの生涯、サラが生きた年数は百二十七年であった。23:2サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは来て、サラのために悼み悲しみ、泣いた。23:3アブラハムは、その亡き人のそばから立ち上がり、ヒッタイト人たちに話した。23:4「私は、あなたがたのところに在住している寄留者ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば、死んだ者を私のところから移して、葬ることができます。」23:5ヒッタイト人たちはアブラハムに答
【掲示の言葉】その後、アブラハムは妻のサラを、カナンの地にあるアムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑地の洞窟に葬った。(創世記二三章一九節)アブラハム・サラ・カナン・アムレヘブロン・マクペラ…なんのことやら、さっぱり分かりません。では
<ahref="http://www.nicovideo.jp/watch/sm33398739">【イスラエル軍歌】שירהפלמ"ח/パルマッハの歌【イスラエル軍歌】צה"לצועד/イスラエル国防軍行進曲【再燃するガザ紛争と、ハマースは3〜7年の間隔を置けば息を吹き返す】前回、前々回に引き続き、ハング・パーラメントに陥ったイスラエル総選挙🇮🇱の余波と同国の安全保障政策について記して参ります。今回が4回目のエントリーになります。政局の流れが不透明な中、イスラエルと、パレス
<ahref="http://www.nicovideo.jp/watch/sm23207027">イスラエル国歌日本語翻訳前回、前々回に引き続き、2021年3月に行われたイスラエル総選挙の余波について書いていきます。今回が3度目のエントリーになります。今回のエントリーでは、今から28年前の1993年9月にイスラエル🇮🇱とパレスチナ🇵🇸(正確にはPLO・パレスチナ解放機構、創設者:ヤーセル・アラファト)両当事者によるパレスチナ暫定自治合意、世に言う「オスロ合意」、その中身について申し述べ
イスラエル国歌日本語翻訳前回のエントリーに引き続き、2021年のイスラエル総選挙🇮🇱と今後の政局について記して参ります。今回のエントリーが2度目になります。今選挙における最大の焦点は、同国を12年に渡って統治してきたベンジャミン・ネタニヤフ首相(リクード党首、愛称はBibi.以下Bibi)の続投の是非です。だが、先のエントリーで調整は困難と申し上げたように、今月4日組閣は断念に追い込まれている。Bibiは同日の内にレウヴェン・リヴリン大統領に組閣断念の旨を申し伝え了承された。この様子だと年
去る本年3月、中東のイスラエル🇮🇱で総選挙が行われた。正確にいうと総選挙が行われたのはこの2年間で何と4回目になる。選挙戦の争点は大きく2つ、一つは、この12年間同国を統治してきたベンジャミン・ネタニヤフ首相(愛称はBibi、以下Bibi)の続投、もう一つは、氏の安全保障政策の是非についてだ。そしてこの2つの争点は4回の選挙において完全に信任されている。それが何れも安定政権に直結しないのは、イスラエルの選挙制度にやはり起因する。同国では日本とは異なり全国完全比例が採用されている為、どの党も過
1見つけました!日本語訳付き!(「父さん」は「天の父=神様」のことでしょうね。)ジョセフプリンス(JosephPrince)–祝福と勝利への鍵(イスラエルにて)ーパート1|NewCreationTVJapanese
シャローム🌱ヘブロンサービスが行われました🍎風邪でお休みのお友達もいましたが半袖のお友達もいますね!!みんな元気に、チャーチに集まりました😆✨ゲームをしたりお菓子を食べたりダンスの練習もしました('ω'و(و"♪吉田先生のメッセージはヨセフについてのお話しでした🐥これからヘブロンサービスではヨセフについて学んでいきます🌱次回のヘブロンサービスも楽しみです⭐️
NHKNEWSWEB2020年1月30日6時24分アメリカのトランプ政権がイスラエル寄りの姿勢を鮮明にした中東和平案を発表したことを受けて、パレスチナでは各地で抗議デモが相次ぎ、イスラエル軍が実弾を発砲するなどして、3人がけがをしました。アメリカのトランプ政権は28日、イスラエルとパレスチナの長年の紛争を解決するためとして独自の中東和平案を発表しましたが、国際法に違反して建設されたユダヤ人入植地のほとんどをイスラエルの領土とするなど、イスラエル寄りの姿勢を鮮明にした内容になっています
シャローム🌱2020年一回目のヘブロンサービスがはじまりました!!🙌😉土曜日に集まって賛美をして、ダンスをしてメッセージを聞いて礼拝をする子どもたち✨京都グローリーチャーチの宝ですね!しっかりとお勉強もしました😉【⠀主を恐れることは知識の初めである。】箴言1章7節
7月最初の土曜日はヘブロンサービス🐥イエス様のお話しを聞いてダンスの練習をしました🎶
アブラハムは、そこからネゲブの地に移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です。」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、津k氏をやって、サラを召し入れた。ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた」女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」アビメレクはまだ、彼女に彼女に近づいてなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるので
それでアブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトも一緒であった。彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、以前天幕を張ったところまで来た。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間
20章11新世界1その時エホバはヨシュアに話してこう言われた。2新共同1そこで主はヨシュアに言われた、3新改訳1主はヨシュアに告げて仰せられた。4NWT1ThenJehovahsaidtoJoshua:5NKJV1TheLORDalsospoketoJoshua,saying,6NASB1ThentheLORDspoketoJoshua,saying,7NIV1ThentheLORDs
14章11新世界1さて、イスラエルの子らがカナンの地で相続物として得たところは以下のとおりである。祭司エレアザルとヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの子らの各部族の父たちの頭が彼らにこれを受け継がせた。2新共同1イスラエルの人々が、カナンの地で受けた嗣業の地は、次のとおりである。すなわち、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの人々の部族の首長たちが、これを彼らに分かち、3新改訳1イスラエル人がカナンの地で相続地の割り当てをした地は次のとおりである。その地を祭
マクペラ洞穴、イブラヒーム・モスクの「イサクの広間」にある「エデンの園への入口」大理石盤の真中にある銅製のフタで閉じられた直径28センチの穴が、地下のマクペラ洞穴に通じる唯一の入口である(参考)。マクペラの洞穴、イブラヒム・モスクマクペラ洞窟は、預言者アブラハムを始めとする3代の族長とその妻を埋葬した「ユダヤ教第2の聖地」である。洞窟の上には、約2000年前に建造物が建立され、以後、十字軍とイスラーム王朝によって2度大増改築が行われた(参考)。マクペラの洞穴、イブラヒム・モスク
オテニエルが走り続けていると、茂みの中から声がした。足を止め、茂みに耳を凝らす。「おのれ!逃げ出しやがって!」「勘弁してください……もう、耐えられません……」「じゃあ、ここで楽にしてやろう」オテニエルが茂みに分け入ると、大柄な兵が剣を振り上げ、地に座り込んで頭を抱えて怯えている小柄な男を、今にも斬り倒そうとしているところだった。兵はクシャン・リシュアタイム王の者で、怯えているのはイスラエルの者だった。「待てぃ!」オテニエルは怒鳴りながら飛び出した。「お前の相手は、このオレだ
こんにちは!まりこです!今日は死海に行ってきましたー!!本当にプカプカ浮いて面白かったです🎵その様子はまた次回。今回はベツレヘムとヘブロン観光についてですヘブロンとベツレヘムで感じたパレスチナ問題については別の記事に書いてますのでそちらをどうぞ!是非どうぞ!!パレスチナ自治区に行ってきました。そして考えたこと。エルサレムからバスを乗り継いでヘブロンに。まずはアブラハム・モスクへ向かいます。アブラハムさんとはユダヤ教の預言者です。キリスト教にとってもイスラム教にとっても大事な
今回の記事は少々長くなります。いつもふざけた記事しか書いていませんが、久しぶりに真面目に書いた記事、良ければお付き合い頂きたいと思います。この日エルサレムから少し足を伸ばしたところにある、ベツレヘムとヘブロンという街を訪れました。どちらもパレスチナ自治区になります。ベツレヘムはキリストの生まれた場所ということで興味があり、ヘブロンは正直何も知らなくて、マーボーが行きたいっていうんで行きました。パレスチナ、イスラエル、エルサレム、これらの単語は嫌でもニュースで耳に入ってくる言葉。私もそんな
こんにちは!まりこです!イスラエル3日目の10/6はエルサレムから少し離れたベツレヘムとヘブロンという街に行ってきました!ベツレヘムはキリストが産まれた街です。生誕教会という教会があります。でも今回の記事は主にヘブロンのことを書こうと思います。イスラエルは現在の国として建国してまだ70年しか経っていません。その前はパレスチナと呼ばれてアラブ人が住む地域でした。しかしさらに3000年前にはユダヤ人が住むイスラエルという地域だったのです。地域柄色々な国に侵略されたイスラエルを逃れて
先日、イスラエル、パレスチナに行った時、ベツレヘムというところでホームステイをしました。ベツレヘムはパレスチナ自治区でキリストの生誕教会があるところです。昨日ニュースでベツレヘムでもデモが起こり、火があがり、物々しい状況の映像を見ました。とてもびっくりしたし悲しくなりました。実際に行って、その場所を知り、人々と言葉を交わし、一緒に食事をするとその場所は自分にとってとても身近な場所になります。パレスチナの人達はもう私にとってとても身近な存在になったのです。その人たち
パレスチナと聞いて、思い浮かぶのは”パレスチナ難民”、治安の悪い場所。でも、メディアの情報だけでなく、実際に体験してみないと分からない!今回のイスラエル、最後の数日は、パレスチナで過ごしました。カナダから数年前にイスラエルに帰化したユダヤ人の女性と出会った時、ユダヤ人にとって一番、聖なる場所はヘブロンと聞き、是非、訪れて見たいと思っていました。でも、治安の関係で個人で訪れるのは難しそう。宿泊先の人に話すと、突然、案内してもらえることに、思いもかけないミラクル!!!ヘブロンの旧市街、ユダヤ
第二サムエル記『ダビデ王の活動』⑴ユダの王となったダビデ。⑵ダビデの町エルサレム。⑶ダビデ王の失敗。⑷家族トラブル。⑸エルサレムに戻ったダビデ王。⑴ユダの王となったダビデ。1:その後ダビデは、主に伺いを立て、家来と家族全員で、ユダの町のヘブロンに移り、ユダの指導者たちが集まって来て、ダビデをユダの家の王とし、サウルの将軍であったアブネルは、サウルの子イシュボシュテを王位につかせようと、マハナに移り住み、その支配はギルアデ、アシュル、イズレエルを始め、エフライムやベニヤミンの部
ギリシャ北部には今も多くの新約聖書の舞台が残っていますが、ヴェリアもその一つです先ず一般のギリシャツアーでは訪れない小さな田舎町ですが、弊社は「テマサトラベルならではの」ツアーというのが売りですので、ここもそのこだわりを出した場所ですパウロが訪れた場所が、現在は町のちょっと憩いの場ともなっていて、パウロ記念公園と呼ばれています壁画の真ん中にパウロが描かれていますパウロの姿が何枚も描かれて飾られていますが、みな同じように特徴を捉えていますねパウロ記念公園から徒歩数分の場所に1943年頃ま