ブログ記事14件
「神戸ニニンガ日誌」(第2,960号)○ラジオ深夜便に野球記録員の山本勉さん。昨日の楽天戦が行われた盛岡の「きたぎんボールパーク」で、プロ野球で使われた球場は291カ所。○山本さんは、今野球場として使われていない114カ所の「球跡」を巡る。校庭、会社の球場、陸上競技場、河川敷。様々な所でプロ野球が行われてきた。山本さんは、スコアのコピーを持って現地に行き、関係者に話を聞く。後楽園のように7千試合以上の球跡もあれば、一日だけしか使われなかった球跡が21カ所ある。○最初に訪れたのは広島
水島新司の漫画「#ドカベン」の主人公・山田太郎は5月5日生まれ。鷹丘中学編・明訓高校編初期では1974年で16歳なので原辰徳と同じ1958年生まれになり、令和4年の時点で64歳。プロ野球編の山田太郎は平成6年の時点で18歳なので、城島健司と同じ1976年生まれになり、令和4年の時点で45歳になる。/午前11:36·2022年5月5日/敢えて昭和を西暦で表し、平成・令和を和暦で表してみた。今の日本では慶応以前と平成・令和を西暦で表し、明治・大正・昭和を和暦で表す傾向がある。「昭
〇福本和也の原作、一峰大二の作画による『黒い秘密兵器』では、中日所属の那智というライバルが登場、魔の秘球を打ったが、かすみの秘球に敗れたようだ。描かれた時代は1963年から1965年まで。〇梶原一騎の原作による2つの野球漫画『巨人の星』(作画:川崎のぼる)と『侍ジャイアンツ』(作画:井上コオ)における中日ドラゴンズの経営について考えてみる。1969年に水原茂が中日の監督に就任、4位(1969)→5位(1970)→2位(1971)という結果で、与那嶺監督の時代になってから、1974年に中日
________江川卓________│__原辰徳________│__│1958_昭和33年_03歳_00歳_香川伸行1959_昭和34年_04歳_01歳_│__清原和博1960_昭和35年_05歳_02歳_│__│__桑田真澄、野茂英雄1961_昭和36年_06歳_03歳_00歳_│__│_鈴木一朗1962_昭和37年_07歳_04歳_01歳_│__│__│__小林幹英、松井秀喜1963_昭和38年_08歳_05歳_02歳_│__│__│__│__城島健司1964_昭和
原ゆうや@11.5~10中洲トレイン@harayuya_yaxさんのツイート『ドカベン』の凄い所は40年近く前に既に真夏の炎天下の試合でメンバーほぼ全員が熱中症で倒れ棄権するチーム(高校)を描いてる所だ。しかもそのチームの監督は「水はひかえろ」と誤った指示を出していて、勝者の南海権佐(※野球初心者)が日傘を差しながら悠然と「正解」を語るという皮肉も効いている19:21-2018年7月22日原ゆうや@11.5~10中洲トレイン@harayuya_yaxさんのツイート返信先:
劇画王梶原一騎BOTさんのツイート「仮にどんな理由があろうと負けは負けだ!星は花形に負けたっ完全に!負傷などするというのは、その選手にどこか欠けている点があるのだっ。あの勝負の鬼金田の跡継ぎだと…金田が怒るわい!」【川上哲治『巨人の星』】〔12:29-2012年11月8日〕劇画王梶原一騎BOTさんのツイート「人間は年月では年を取らない。年を取ったと自分が思い込んだ時初めて年を取る…マッカーサー元帥の言葉やが…そしてこれも元帥の言葉やが…老兵は死なずただ消え行くのみ…さよならや
<teacupcopy済み>『ドカベンドリームトーナメント編』最終巻(第34巻)、9月7日發賣「ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓」が収録されている水島新司の短編集「ILoveBaseball」には#ラッキーゾーンという作品も収録されている。主人公・緒方国介は新潟市・吉田義塾高校の野球部員。国介の父・長介は元阪神の投手で、打たれた本塁打が全てラッキーゾーンに入ったもの。(続く)7:16-2018年9月11日(続き)水島新司の漫画「ラッキーゾーン」平成4年(199
1990年(平成2年)『ドカベンプロ野球編』』の山田太郎14歳、中2。野球の試合で小林真司を負傷させ、鷹丘中学に移る。岩鬼と出会う。柔道を始める。千葉マリンスタジアム開場。1991年(平成3年)『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』の山田太郎18歳、高3(1973年度生まれ)。7月7日、神奈川明訓ナインが新潟を訪れ、新潟明訓と練習試合。小林幹英(1974年早生まれ)と里中智が投げ合う。7月13日、新潟明訓が夏の新潟大会で優勝、甲子園大会(第73回大会)に初出場。『ドカベンプ
『ドカベン』の時代設定(1980年代)…『大甲子園』と『ドカベンプロ野球編』における山田太郎の学年、現実の野球界と対照Y!Blog>虚実ヒストリー~ものがたりの歴史II(Yahoo!Blog版)~『ドカベン』の時代設定(1980年代)…『大甲子園』と「プロ野球編』における山田太郎の学年、現実の野球界2018/7/15(日)午前4:17『ドカベンプロ野球編』の山田世代が小学生だった1980年代半ば、『大甲子園』の山田世代は高校3年で、高校生活最後の夏の予選と甲子園大会に
1972年(昭和47年)『ドカベン』連載開始。山田太郎が中2、鷹丘中学に轉校。岩鬼の葉っぱが木枯し紋次郎の楊枝から来ていることがわかる。1973年(昭和43年)山田太郎が中3。映画館で『網走番外地』と『最後の特攻隊』同時上映。劇中の山田、岩鬼らの台詞から当時の巨人の監督は川上、長嶋と王と堀内と森が現役だったとわかる。岩鬼と夏子が観戦したプロ野球の試合では、巨人の監督は川上で、背番号3の長嶋、背番号1の王貞治もいた。『野球狂の詩』では阪急が江川をドラフトで指名し拒否された。東
連載・放送時期または劇中の描写による年表1972年山田太郎中2(推定1958年5/5生まれ→現実社会では1977年3月に高校卒業)1973年山田太郎中31973~74年山田が柔道部から野球部へ1974年山田太郎明訓高校入学、徳川監督1974年高1夏の予選(vs白新、東海など)1974~75年夏の甲子園(vs通天閣、土佐丸、いわき東など)1976年高1秋、神奈川県大会(vs白新、東海、横浜学院)1976~77年高1秋、関東大会(vs甲府、クリーン、赤城山)、土井垣監
『ドカベン』の劇中時代設定(推定を含む)による年表(1956年?)7月、土井垣将誕生(1974年度で高3)1958年原辰徳誕生(『ドカベン』無印、高1夏の山田太郎と同学年)(1958年?)5/5、山田太郎誕生(1974年5/5で16歳の場合、基準は高校入学時、ドカベン無印)(1959年?)4/1、岩鬼正美誕生(1975年4/1で16歳の場合、基準は高校入学時、ドカベン無印)1962年5/5山田太郎誕生(1979年5/5で17歳の場合、基準は弁慶高校戦)1963年4/1
9回表で終わった。王貞治が監督を辞め、あぶさんも引退したホークスが、秋山監督の指揮のもと、日本一。相手は王監督時代のホークスと日本シリーズでの対決を約束していた落合中日であった。ゲスト解説は元南海ホークス監督の野村克也であった。1991年(推定)に落合博満が番場蛮の甥と対戦して20年が経過した。中日の落合博満は有終の美を飾れなかったが、もしここで日本一になってしまったら次の高木守道監督に負担がかかるだろう。落合監督は今季での解任について「契約書どおり。この世界はそういう世
「星一徹“33歳”説」を検証(第1話で30代の場合)↓長嶋の入団会見は1957年秋から1958年新春までのオフ期間と思われる。原作第1話(サブタイトルなし)では1958年、アニメ第1話「めざせ栄光の星」では「昭和33年暮れ」、つまり1957年秋~年末のようである。「史実」ではこの記事によると昭和32年(1957年)12月7日だったらしい。↓あの日あの時:新おとな総研:YOMIURIONLINE(読売新聞)12月07日長嶋茂雄が巨人軍に入団した。‐1957年(昭和32年)長嶋茂