ブログ記事533件
ブログ目次へ『Bangkok孤児院コーラス“RajavithiHome”の想い出』ブログ目次へ次回はRajavithiHome孤児院コーラスの実際の歌声を紹介していきます!僕がバンコク日本人学校に赴任したのは、弱冠26歳のとき。赴…ameblo.jp前回↑の続き。今回はタイの故プミポン国王作曲のたくさんの歌の中から3曲と、国王讃歌などを、Rajの子どもたちの合唱で聴いていただきます。タイでは当時、朝夕に国王讃歌が流れると道行く人は立ち止まって直立不動の姿勢で、歌が
昨日昼過ぎ、私はいつものようにパソコンをいじっていると、スマホを見ていたミヤさんが突然、「ピーノ大変、クイーンが死んだって。」ミヤさんが言うクイーンってシリキット王太后だと察しはついたが「ここのところ話は聞かなかったが、いつ亡くなったの?幾つだった?」と聞き返すと、「昨夜の2時ころ、病院(チュラロンコン病院)で亡くなったみたい。93歳だって。」と帰ってきた。故プミポン国王{ラマ9世}が崩御されたのが2016年10月18日で、既に9年も経つ。あの
「鉄腕アトム」放送開始から約半年経っています。手塚先生もいい顔されています。眞栄田郷敦さんに負けてないですよね。そしてまだお若い故・プミポン前タイ国王とシリキット前王妃。やはりタイの顔は現国王ではなくこの方です。#手塚治虫http://phoenix.to/yomiuri/63/06-16.html
おはようございます⛅10%22℃/13℃昨日は以前3日間継続で行った朝霞市の移転した新築の某病院の補修工事、お任せ操作で車内待機も2時間で終わり帰路に着くもナビの反応がおかしい…会社まで残り5km程の外環高速の下道をずっと20km程走って来たのにその残り5kmに到着時間が40分に成ってる…そしてナビは正しくバンコクの様に段々と動かなくなる。途中給油もしないといけないので道を逸れて会社近くのスタンドを目指すがスタンドの手前を左折すると渋滞してた外環に向かう方向なので結構離れていたのに渋滞連休
しくじり英語チャンネル✅米国、中国での生活を経てタイバンコク13年目の私ことKOJI-SANが、海外旅行、海外移住、航空券、異文化、英会話、話し方を語ります。実体験に基づいたラジオ形式の動画です。気軽にご視聴ください。チャンネル登録もお待ちしております。【プロフィール】株式会社学習研究社(学研)第三編集局勤務後、1991年退社、英語雑誌GlobePress創刊を手掛ける。…www.youtube.comかつて日本では深刻なコメ不足に見舞われ、タイ米を緊急輸入したことがありました。
翌朝、いつものように早朝のシャトルサービスを利用して空港へ向かいます。スワンナプーム国際空港のチェックインフロアーにも大きなクリスマスツリーが飾られていました。そして、タイでは12月5日が父の日になります。今でも敬愛されているプミポン前国王の生誕した日になります。偉大な方だったんですよね。チェックインカウンターに行ってGHさんに聞いてみると、すでに搭乗便のチェックインも受け付けているとのことでした。今日もターミナルの一番奥にあるこちらのFASTTRACKから出
あなたは「国王」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?厳かな儀式に出席する威厳ある姿でしょうか。それとも、政治とは距離を置き、象徴的な存在としての役割を担う姿でしょうか。タイ王国のラマ9世、正式名プミポン・アドゥンラヤデートは、そんな一般的なイメージを超えた特別な存在でした。彼は単に「国の象徴」ではなく、国民一人ひとりの生活に寄り添い、困難を乗り越えるために力を尽くした「国民の父」だったのです。兄の急逝と突然の王位継承ラマ9世は1927年にアメリカで生まれ、幼少期をスイスで過ご
ゑびすです古希を過ぎたら、居心地の悪い場所に飛び出そう日々おもしろいことがないかあちこち飛び回っている日常生活を発信しています飛び出しました、飛び出しました。1人旅は、久しぶりです。昔は、結構1人旅をしたものですが、近頃は、ツアーの方が安いし簡単だし、それに重いトランクも運んでもらえるし…で、つい、楽な方に甘えていました。でも、小泉氏の講演会を機に、持ち前の好奇心が頭をもたげました。GoGo私の友だちもそうですが、結構ヨーロッ
ホテルのシャトルサービスでスワンナプーム国際空港へ。南国のバンコクでもクリスマスツリーが飾られていました。これまた巨大です。このあたりはタイって感じですね。そして、プミポン国王。敬愛されています。出発案内を確認。チェックインカウンターはオープンになっていますね。今日はと云うと、マレーシア航空でクアラルンプールに向かいます。
帰国の日。空港まではホテルのシャトルサービスを利用しました。JL032便。すでにチェックインカウンターはオープンしていますね。チェックイン階中央のモニュメントが変わっていました。これも、いかにもタイって感じです。そして、2016年10月に逝去されたプミポン国王の祭壇がありました。今でも愛され続けているんですね。さて、いつものこちらでチェックイン。今日はセキュリティチェックもイミグレーションも空いていたので、アッと云う間に出国完了です。さっそく、こ
ラマ9世「ラーマ9世(タイ語:รัชกาลที่๙、1927年12月5日-2016年10月13日[1][2])は、チャクリー王朝第9代のタイ王国の国王(在位:1946年6月9日-2016年10月13日)。通称はプーミポン・アドゥンヤデート(タイ語:ภูมิพลอดุลยเดช,ラテン文字転写:BhumibolAdulyadej、「大地の力・並ぶ事なき権威」の意)。」Wikipedia僕はその人に何の感情も無かった。某国に最初に行った時、その国の王様の名前も知
元記事・関連記事NouvellesphotosdelareineSirikitaffaiblieà91ans:leroietlareinedeThaïlandeluirendentvisitepoursonanniversaireNouvellesphotosdelareineSirikitaffaiblieà91ans.EllereçoitlavisiteduroietdelareinedeThaïla
まずはコンビニに買出しですが、ホテル前にあったセブンイレブンがローカルのコンビニに変わっていました。店内を見てみると、ドリンク類はセブンイレブンと変わりませんが、その他の品数はかなり少ないです。と云うことで、ちょっと離れたセブンイレブンに買出しです。交通量の多い片側3車線の道路を渡ります。一般車両は100kmで走っている幹線道路です。横断歩道はあるんですが、信号も無く、車が途切れた瞬間をねらってわたる感じです。(基本的に車は止まってくれません。)セブンイレブンで買出
私の轍080(部長職019)タイ出張7部長職シリーズです。といっても、肩書と出張は直接関係ないです。この時代に出張しただけです。タイ出張林住期さんは、10年ぐらい前、3回タイへ出張しました。いずれも、3泊4日程度の行程でした。その頃は、過敏性大腸真っ只中で、ブルーもブルーでした。神の薬に出会いましたが、まだ完全に安心とまでは言えませんでした。兎に角仕事はやり遂げましたが、駐在員のおもてなしには、心底楽しめませんでした。今となってはとても残念です。~~~~~3
ホテルのレセプションでタクシーを手配して、スワンナプーム国際空港に向かいます。タクシー代は、100TBでした。空港到着は6時25分ころ。まだ、CHECK-INOPENになっていませんね。JALのカウンターにいってみると、JL032のチェックインは6時55分からみたいです。ちょっと時間があるので、チェックインフロアーを散策。いつも綺麗に飾り付けられています。未だに敬愛されているプミポン国王。この時は12月でしたから、プミポン国王が生誕されたお祝いだ
今日も晴天は長くは続かず午前中に町内会の年末行事の餅つきに行ってつきたてのお餅を頂いて来た行列が凄くて並ぶのが大変だと気合いを入れて何時ものヘルプマークを付けたデイバッグを背負い行ったが大丈夫で良かったきな粉とこし餡の二種類のお餅、美味しく頂いた町内会のボランティア活動の方々もお手伝いにいらしていた私にはやはり声が掛からず片付け程度なら出来そうだがな…………ついでに神社と菩提寺に行くきっかけに成ったお寺にお参りにお寺の住職が偶然出て来て挨拶され「本堂の希望が有れば開けますよ」と
昨日(10月13日)は、タイ国民に敬愛されていたプミポン国王陛下の祥月命日でした。同国王は2016年に崩御されましたから、それから6年が経ったことになります。早いものです。昨晩、現国王が主催しての記念式典が催されました。バンコク都ドゥシット区にあった王立競馬場跡地を再開発することによってつくられた「ラーマ9世大王記念公園(正式にはChalermPhrakiatPark)」に、前国王の銅像が設置され、その除幕式が式典のメインでした。動員された公務員や自主的に集まった一般市民など、数
タイでは公休日になっています。ラマ9国王のお亡くなられた日として制定されています。喪にふくすために黒い生地がなくなるほどでした。シリラート病院からエメラルド寺院のある宮廷へ
昭和天皇・プミポン国王・エリザベス女王...世界大戦を経験し、誰よりも平和を懇願していた国家元首が居なくなっていく。イデオロギーのプロパガンダに洗脳され、分断を続ける世界。時代は繰り返されると言うが、やはり過ちも繰り返されるのか。周りの人間を見ていても『失敗の本質日本軍の組織論的研究』に出てくる旧日本軍の上層部が陥った失敗の本質からの学習は出来ていそうにない。人類は欲望を満たすために文明を発展させることができたが、悲劇を回避するための文化は発展させることが出来なかったのか
HerMajestyQueenエリザベスⅡ女王95歳記念のティーセットでティータイムにしました。お茶はもちろんプラチナジュビリー記念紅茶です。バッキンガム宮殿のロイヤルコレクションから取り寄せました。サクサクのシャムロッククッキーで紅茶が進む2022/6月の最初の週末(6/2-6/5)には在位70年のプラチナジュビリー公式祝賀会が開催されました。最終日には鮮やかなグリーンの御召し物でロイヤルバルコニーに立たれました。英国王室史上第1位の在位期間と
5/2(水)バンコク4日目つづきです。アソークのタイセラドンでワイ猫を買った後、昨年出来たばかりのターミナル21を見てみます。面白そうな店がありますが、そろそろ昼時なので気もそぞろです。早々に切り上げてチットロムへ。そこからプラトゥーナムまで歩きます。ピンクのカオマンガイは昨日食べたので、少し東側にある食堂に入りました。私はカニ焼きメシを頼んだのですが・・ミックスベジタブルが入っててピラフに近いものでした。失敗した・・かみさんのバミーヘン(汁なし麺)は悪くあ
本日は、10月13日。今から5年前の2016年、タイ王国の前国王、プミポンアドゥンヤデート陛下が崩御されました。その時、タイ政府は1カ月間、国民に喪に服すよう要請。タイ国民の多くが、黒の喪服を着用していた記憶があります。低所得者層には、タイ国軍が無償で黒に染め直す作業を行っていました。私も家内と喪服を買いに行きましたが、黒色のTシャツ、黒色のポロシャツなど、背広、ジャケット、Yシャツのみならず日常生活で着用しやすい衣類まで黒一色。さらに、何らかの理由で黒服を着用できない場合に身に
掃除してたら、やっと見つけた~引越の時に、どっかに入れたんだよね・・・って。ずっと、気になってたんだけどありました昔からの習慣でその国ごとにお札を纏めて取っておいてますチップの支払いとかカードが使えない場所に行った時の為に、現金必要だし現金払いの方が、無駄遣いしなくて済むので余ったら、また次回使えばいいや・・・と大体、日本円で3,000~10,000円位ずつ。最近は現金のやり取りが減っているかもしれないけど、やっぱりお金って。形で見える方が良いな~
5/2(火)バンコク2日目です。6時起床。外の景色です。シャワーを浴びて朝食に向かいます。高級ホテルだけあって(あくまでも我々にとってはですが)お洒落な朝食会場です。(朝食会場と言ってる時点でお洒落ではない気もしますが)料理も充実しています。スモークサーモンとかもあるし、その場でパンを焼いてたりします。しかし暴飲暴食により体重が増えてたので、やや控えめにしました。歯を磨いて出掛けます。まずはシャングリラホテルの内部を見学。流石本物の高級ホテルは違います。(済みません。
こういうことをするから、王室擁護派は国民の大きな支持が得られない…。特に若い人には。多くのタイ人が、テコンドー女子49キロ級で金メダルを獲得した愛称「テニス(本名:パニパック・ウォンパタナキット)」さんを讃えています。コロナ禍で全体的に暗いニュースが続く中、彼女の活躍がタイ人の心に元気を与えたのです。しかし、極めて一部ながら、王室擁護派の人たちからは冷たい言葉が。どうやら、テニスさんはこれまでのメダリストたちと「ちょっと違う」からのよう。プミポン・アドゥンヤデート前国王が在位
前回のお話はこちら『【服嶋物語1】90年代タイバンコク思い出日記』ameblo.jp第2話
やはり私は茶色の指プミラのほうがダメになるかと思ったけどプミポン国王強いあとはなんなら新たな葉っぱが!お前ら強い!アイビー植え替えたら少しは元気になるやろか…お店で鉢とセットになってるやつなら楽なのかしらとにもかくにもプミポン強い↓
翌朝、オンさん夫妻から謝りたいことがあると言われた。何事かと思い事情を聞いてみるとワーンちゃんが襖を破いてしまったので弁償したいとの申し出だった。寝返りを打った拍子に襖を破いたのではないかと言うのだ。確認してみると小さな破れでそれ程目立たない。もちろん弁償してもらうつもりはないので気にしないでくれと伝えた。ワーンちゃんも謝ってはくれたが納得いかない様子だったのが気がかりだった。後からよくよく考えてみると襖は最初から破けていた可能性もあることに気が付いた。中古マンションを購入した
ミャンマーで、クーデターが起きた。民主化指導者アウン・サン・スーチー女史が拘束されている。国軍による独裁政治から、民主化がなされ、日本からも多くの企業が進出するようになった。これからの経済成長が期待されていた国だけに残念だ。オヤジは、ミャンマーに行ったことは無いが、タイ出張の折、ミャンマーとの国境、映画「戦場にかける橋」で有名なクワイ川鉄橋まで行ったことがある。鉄橋の上を歩きながら、この先には「ビルマの竪琴」の舞台であるミャンマーがあるんだ、などと想った。悲惨なインパール作戦で亡くなった