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2022年8月。子供たちの夏休み、私は子供たちと、子供の友達グループを連れて、博物館へ。しかし子供たちは博物館にすぐに飽きてしまい、博物館の近くのお台場へ子供たちを連れていきました。そこで大人数の子供たちとワイワイ過ごしていたら、一本の電話が鳴りました。電話の相手は…アメリカと日本のハーフの、別のダルクの責任者の立場の方からでした。(個人が特定されないように、こちらでは肩書きは書かず、「責任者の立場の方」と表現します。以下、仮名でBさんとします。)Bさんは、どうやら山の上の
ワンネスの次に、依存症回復支援施設ダルクへ電話をしました。インターネットで検索し、山の上にあるダルクを見つけました。山の上なら、近くにドラッグストアがないからです。昔、何度もテレビのニュースやドキュメンタリーで観たダルク、覚醒剤で刑務所を出所したヤクザが、行き場がなくダルクへたどり着くようなイメージを持っていた私ですが、電話応対してくださった、ダルクのAさん(仮名)は、とても優しく、親身に私の話を聞いてくださりました。「このダルクは、海外留学経験などで英語を話せるスタッフや入所者も多
依存症回復支援施設のワンネスより、「もしご主人が施設に入所になった場合、半年…、場合によっては1年間は、ご主人宛に手紙を書かないようにお願いします。」「わかりました。私は書かなくて大丈夫ですが、子供たちは書いても大丈夫でしょうか?」「いえ、特にお子様がダメなんです。子供がいる入所者は、子供がいない入所者よりも、子供に会えない辛さで、ホームシックがものすごいんですよ。そんな中、もしお子様が手紙で、『パパ、学校でいじめられた』なんて書こうものなら、『子供が大変だ、今すぐ
とにかく夫を依存症回復支援施設へ入所させたい。費用面が心配でしたが、依存症回復支援施設のワンネスとダルクへ連絡しました。まずは第一希望のワンネス。心配していた費用面ですが、夫をワンネスへ入所する場合、ワンネスが、ワンネスの施設のある自治体の福祉事務所へ夫を連れていってくださり、そちらの自治体で、夫が生活保護の申請をし、生活保護費が入所費用となるそうです。そんなことができるとは知らなかったです。私が毎月15万円〜ほどの入所費用を支払うのは不可能だと途方に暮れていたので、安心
私は、夫を依存症回復支援施設に入れたいと思い、ワンネスとダルクへ電話をしました。電話受付はだいたい平日の日中なので、私は仕事のお昼休みに電話をかけました。午前中、会社では笑顔でバリバリ仕事をして、休憩時間、外に出た瞬間に電話。スーツ姿の方が行き交う東京のオフィス街で、「夫が薬物依存症です、助けてください。」会社では何事もない平気なフリ、平和な家族がいる設定で会話、これを何年も続けるのはキツかったです。心の中で、「もういやだ、何事もない平気なフリをすることがキツすぎる!」と
更に極めつけは…2022年8月、子供の通帳からお金を下ろされたこと。2015年、アメリカから日本に帰る際に、日本の通帳には、第1子名義と、第2子名義で、合わせて100万円ありました。夫がアメリカで懲戒免職になり、アメリカから日本への航空券代と新しくアパートを借りる為に、その100万円はなくなってしまいました。子供たちの将来の進学費用などを見据えた貯金だったので、あの貯金がなくなったことは、とても悔しかったです。2015年、全てを失い、日本に帰国してからはずっと生活が苦しく、2
2022年8月。子供たちの夏休み。子供たち3人は、ディズニーシーへ。第1子は友達が多く、毎日、男女混同のお友達が沢山うちに遊びにきました。みんな保育園からの幼なじみです。一旦、小学校がバラバラになっても一緒に遊び続け、そして中学校はみんな同じ学校に進学したので、更に友情が深まりました。ついでに第2子と第3子もそのグループに混じって遊んでいたので、第1子の友達グループに、第2子と第3子もいつもカウントされていました。友達みんなでディズニーシーに行き、その日は、友達のひとりMち
2022年4月。当時、第1子中学1年生第2子小学6年生第3子小学4年生その頃から、いきなり…私の財布の中からお金がなくなるようになりました。本当にいきなり始まりました。一度に2000円程度、時には5000円…。それまでは、財布からお金がなくなるということはありませんでした。私は財布を持って寝るようになり、入浴もシャワーもドアを開けっぱなしで、財布を浴室の前に置くようにしました。それでもふとした瞬間にお金がなくなりました。お金を盗まれることは、尊厳を踏みにじら
2023年3月、第1子の小学校卒業式。卒業証書授与の際、生徒は名前を呼ばれたら、右の場所で、「はい!私は中学生になったら…」と皆一言、中学校での抱負を語っていました。すると…第1子はなんと、規定通りの「私は中学生になったら…」で始まらずに、「はい!私を大切に育ててくれたお父さん、お母さん、今まで本当にありがとうございました!私は中学生になったら、沢山勉強して将来に向かいます!」(原文ママ。日本語がおかしいですが、そのまま、第1子の思いです。)ビックリしました。親
2020年の9月にスリップした夫は、NAミーティングに通い、それから1年間、また優しい夫に戻ってくれましたが、しかしちょうど1年後の2021年のまたまた9月、今度はお酒ででっかいスリップをしました。どこかに相談をしたら、「ご主人は、アルコール依存症では、山型飲酒といわれているものです。毎日飲む連続飲酒ではなく、山型飲酒は、もう末期、大変危険な状態です。」毎日飲む連続飲酒より、例えば1年間はクリーンだけど、突然スリップする山型飲酒の方が、危険な状態だと言われました。大変危険
「助けてください」シリーズ、本当はもっともっと沢山の場所に助けを求めましたが、だいたい答えは同じ。みんな、「警察官か精神病院を頼れ。」警察官「母子シェルターに行かないなら、もう電話してくるな。」精神病院「通院するなら向精神薬を飲め。」そんな中で、ダントツ夫を助けてくださったのは…同じ薬物依存症である方々の自助ミーティングNAミーティングでした。週に2回、夫はNAミーティングへ出かけていきました。2012年に薬物依存症を発症した夫は、2015年から、5年半クリーンになり
夫がアメリカで大好きだったNAミーティングに問い合わせをしました。夫が日本語が話せないことが、日本での回復のネックになっていましたが、ありがたいことに、東京の表参道で、外国人専用のNAミーティングがありました。私はボロボロの状態で、問い合わせをすると、すぐに優しい返信をくださり、夫にも優しくご対応くださりました。NAミーティングの方々は、みな薬物依存症と闘う方々です。「助けてください」シリーズ、長くなりましたし、正直、もっともっと色々なところに助けを求めました。しかし警察官よりも
病院に入院ができないのであれば、夫を依存症の回復支援施設へ入れようと、ダルクへ連絡しました。夫が薬物依存症になる前、時折りTVニュースやドキュメンタリーで観たことがあるダルク。私が若い頃、テレビで観ていたダルクのイメージは、刺青のあるヤクザあがりの男性が、覚醒剤などで刑務所から出所後、行き場所がなく、そこで無気力に生きているイメージでした。テレビの放映方法の問題かもしれませんが、元犯罪者の末路のような感じで、「死ぬまで『今日一日だけは』とクスリをやらない日を積み重ねていくだけ。」と
ワンネスは、沖縄や奈良に依存症の回復支援施設を所有し、また家族に向けたオンラインの勉強会も行っています。依存症の回復支援施設といえば有名なのはダルクでしょう。TVニュースやドキュメンタリーで、ダルクは観たことがありますが、ワンネスは聞いたことがありませんでした。家族に向けたオンラインの勉強会は、ポジティヴ心理学という、またまたアメリカの心理学者が開発したプログラムを元に行われました。まずは電話で問い合わせをしました。個人が特定されないように、詳細は避けますが、受付の女性が、「あなた
ナラノンとは、薬物依存症の家族を持つ方の自助グループです。アメリカに住んでいた頃、私はナラノンに通っていたした。大好きな場所でした。そして日本でも、ナラノンにつながることができました。ナラノンのきまりで、ナラノンのことは外で話すことはできません。その為、ここでは詳細は控えます。これを書いていいかわからないのですが、日本のナラノンで、だいたい2〜3割の方が、ご家族の市販薬ブロンの依存症で苦しまれていました。市販薬ブロンの依存症は悲惨です。覚醒剤などの違法薬物であれば、警察が逮捕し
私は夫の精神障害者手帳を取得する為、夫を連れて、「白衣を着た売人」のメンタルクリニックへ行きました。そう、私を双極性障害と診断しやがった、あのアホ精神科医です。『「助けてください」④町のメンタルクリニック前編』町のメンタルクリニック。2000年以前までは、精神科といえば、町はずれにある大きな病院のイメージでしたが、2000年代、製薬会社が「鬱は心の風邪」というテレビ…ameblo.jp一応、問診票にもきちんと夫の症状を書きましたが、診察室へ呼ばれると、あのアホ精神科医に、まあまあ流暢
「夫婦間の問題は、男女共同参画推進センターに相談してください。」なんだ、その名称。「子ども家庭支援センター」がパワーアップして、「児童相談所」になり、「女性センター」がパワーアップして、「男女共同参画推進センター」になったそうですが、誰だ、この名称を考えた奴は。この名称を見て、「そうだ、男女共同参画推進センターに、夫婦間の問題を相談しよう!」と思いつく人はいるのでしょうか。私は機関の名称すら、何度ここに書いても覚えられません。「児童相談所」のようにシンプルに、「夫婦相
アメリカに住んでいた頃、とてもお世話になった、いや、命を救っていただいた児童相談所。今でも児童相談所のキャリッサのことを忘れる日はありません。日本に帰国してすぐは、子ども家庭支援センターという場所に、とてもお世話になっていました。2015年から2019年まで継続してずっとお世話になっていましたが、子ども家庭支援センターがなくなり、2020年に児童相談所になりました。その直前の2019年、子ども家庭支援センターのCさんから「日本に帰ってきて4年、ご主人も落ち着かれたし…。」ということ
私は子供が産まれてから、特に保育士さんと、保健師さんを大変尊敬するようになりました。ただ夫の薬物依存症の件で、色々な機関から「保健師さんと繋がってください」と言われましたが、薬物依存症は、保健師さんの範疇ではないと思います。2020年に保健師さんに助けを求めた時は、「英語対応できる精神科医」を検索してくださり、電話で教えていただいただけ。2回目に電話をした時は、「前回、病院名を教えましたよね。それ以上、できる対応はありません。」と、あっさり拒否をされました。とても冷たか
東京都立の精神保健福祉センターは、まるでコンサートのチケットセンターのように電話がつながらない為、千葉県立の精神保健福祉センターに電話をすることにしました。私は東京都民の為、おそらく管轄が違うので、「東京都立へかけ直してください。」と拒否をされることは想像がつきましたが、東京都立が全く電話がつながらず、またとにかく何でもいいからアドバイスや突破口がほしい、という思いから、千葉県立に電話をかけることにしました。仕事の1時間休を取り、朝9時になった瞬間、千葉県立の精神保健福祉セン
東京都立精神保健福祉センター電話受付平日のみ9時〜17時私の勤務時間とかぶる中、何度かけてもひたすら通話中、全然つながらず…。昔のコンサートのチケットセンターのようです。2020年は一向につながらず、詳細はまた時系列を追って後述しますが、2022年も一向につながらかった為、痺れを切らして公開されている電話相談の電話番号ではなく、総務課のような場所へ電話をかけました。応対してくれた方には、「こちらではなく電話相談窓口の電話番号にかけ直してください。」と突っぱねられましまが、
2020年5月に新型コロナウイルスで無職になってしまった夫は、夏が終わる頃の2020年9月、少し落ち込み始めました。実は2015年9月に夫の父親が亡くなって以来、夫は毎年9月は比較的、落ち込みやすくなりました。(あとで気づいたのは、9月はアメリカでは新学期シーズン。不安定になりやすい時期なのかもしれません。)コロナ禍でしたが子供たちは小学校が6月から再開し、夫は家で1人になりました。私は夫に、信頼できる精神科のS先生の元へ、話しに行ってはどうかと提案しました。『夫と毎週通った薬物
2020年、新型コロナウイルスのパンデミックが始まりました。2020年5月のある日。その時、夫は子供たちと一緒に4コマ漫画を書いていました。夫は絵が上手でした。私のスマホに、夫の会社から日本語でメッセージが届きました。そこには…夫に対して、推奨退職のメッセージが…。言い方を変えれば、クビ。何も気づかず、子供たちと楽しそうに絵を描いている夫…。私は今でも夫が楽しそうに描いていたあの4コマ漫画を覚えていて、悲しくなります。夫は失業しました。あの時期、再就職は確かに厳しかったで
夫の話に戻します。夫は日本に帰ってきて、2015年5月〜おそらく2020年秋まで、5年以上、クリーンだったと思います。2016年1月に第2子と第3子が保育園に入園してすぐ、夫はフルタイムの仕事に就職し、頑張っていました。子供の小学校では、第1子の時は、夫はしばらく大人気でした。背の高い外国人なので、授業参観に行けば沢山の子供たちが喜んで飛びかかっていました。ママさんたちにも大人気で、スーツを着ていけば、「○○のパパ、かっこいいー!」とママさんたちに言われていました。父親のボ
ラン活とは…なんだそれ。2016年1月。第1子が保育園の年長の1月。春になったら小学校1年生。あと3ヶ月で小学校1年生。ランドセルを買わなきゃ。「あと3ヶ月で小学校1年生になります。おすすめのランドセルがあったら教えてください。」と会社のランチ休憩中に、同じく、小学生〜保育園のお子様を持つ同僚たちに言ったら…ドン引きされました。「え…まだ買ってないの?」「ランドセル商戦はね、年々早くなり、最近は小学校入学の一年前の4月から予約するのが主流だよ。」「ランドセルといえば、やは
子供の習い事2つ。子供たちがアメリカで始めたピアノとスイミングは、日本に戻っても続けました。ピアノは、いずれ大人になり、人生の問題が起こった時、酒や薬に溺れず、何か楽器を弾いてほしいから。私がそうしたように。音楽、楽器は救ってくれる。日本では馴染みがありませんが、欧米の精神科には「音楽療法士」という国家資格もあり、音楽は人を救うと考えられています。このMVは、アメリカで有名なバンド。↓家族の死、拒食症、アルコール依存症の父親の元で過ごす子供、戦争で戦う軍人、苦しい時を過ご
夫の父が亡くなり数年が経った頃、夫との会話で…。私が「お義父さんは天国にいるから、」と話すと、夫「いや、父が天国にいるわけない。父は今、地獄にいるよ。」私「いや、お義父さんは今、天国にいるよ。お義父さんは、死ぬ前のクリスマス・イブに会った時、必死で聖書を読んでいた。『もう全ての本は捨てて、最後の数年間は、ずっと聖書しか読んでない』と言っていた。きっと何か、苦しい後悔があったんだと思う。」夫「それは、まさにアメリカの刑務所ドキュメンタリーと一緒だね。犯罪者は、ドラッグ
夫の父の死について…ひたすら何か手がかりを見つけようと、インターネットを検索していたら、おそらく町の新聞の訃報欄のようなものがインターネットに載っていました。そこには、「私たちは、〇〇(夫の父の名前)を失いました。彼は、2人の息子ルーク(私の夫)と、ジョー(夫の弟)そして3人の孫〇〇、〇〇、〇〇を残して逝きました。」遠いアメリカの訃報欄に載っていた私の子供3人の名前を見て、本当に、孫3人(私の子供)を残して、お義父さんは逝ってしまったんだ…。おじいちゃん、(夫の
夫の父親の死。私が何よりも驚いたのは、夫は、父親の死をたった一言のメッセージで知りました。弟からのたった一言のメッセージ。「お父さんが死んだ。」なんと…夫はそれに返信をしていません。実の親の死、弟からたった一言のメッセージで知らされ、それに返信できなかった夫。よほどショックなのでしょう。しかしショックでも何でも、返信をしなかった(できなかった)為、父親が何故死んだのか、夫は死因がわからないままなのです。信じられないことに、夫の父親の死は2015年9月。約10年
夫は、自身の父親が死ぬ前、いつもこう言っていました。「多分、僕の父は早死にするだろう。長年のアルコール依存症がたたり、父が長生きできるはずがない。いつか父が死んでも、僕は悲しまないね。おそらく腹が立つ。『ふざけんな、よくも僕と、僕の弟の人生をアルコールやら薬物で、めちゃくちゃにしやがって。』おそらく僕は3日間、腹が立つ。そして4日後の朝、目が覚めた時には、僕はもう父親のことはすっかり忘れて、普通の日常に戻るだろう。」夫は、父親が死ぬ前は、いつもいつも、