ブログ記事4件
前回の連載『日本とイングランドのパラレルワールド(1~22)』では、紀元1世紀から16世紀までの1,600年間、イングランドで市民革命が成り、日本では日本の市民革命であると私が主張する加賀国の一向一揆が1世紀近くその成果である「百姓ノ持タル国」が織田信長によってつぶされるまで維持されたというその歴史が、例えばヤマタノオロチ(八岐大蛇)神話といったディテールに至るまで、イングランドの歴史とほぼそっくりであったという話をしました。今回は、日本とイングランドの二つの国の17世紀に入ってからの分岐
蓮如は、近江の堅田〈かたた:現在の大津市の北部〉から浄土真宗の布教を急拡大し、日本海の海岸線に沿って教線〈きょうせん;布教を終えた地域を結んだ線〉を東北地方に向かって拡大していきました。まず第1に、線上にある流通拠点都市の有力商家の既存権力への反発の動きを援けることによって、それらを門徒とし、そしてその都市の市場を小規模商家にも開放することによってそれらも門徒としました。このことは、蓮如が進出した都市では、市場が外の権力者の管理から解放され、そして内においても誰にもオープンな自由市場が生れ
イングランドでの、そしてそれは大陸ヨーロッパとちがっていたわけではありませんが、大規模な商人の始まりは、冒険商人(merchantadventurer;マーチャント・アドベンチャラー)です。冒険商人は、古代から中世にかけて遠隔地間の交通がまだ安全ではなかった頃、遠く離れた2地点間の商品価格が大きく違っていることに着目して、価格の安い生産地から価格の高い消費地に物資を運搬して、その大きな差額を素に高い利益率を得る商業者でした。その出自は、封建領主に使える下級貴族であったと推測されています。