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ここ何日かで随分夏っぽい陽気になってきたバルセロナ。さて、大量に余ったビビンバの具。考えてみればキンパと大体同じ。ビビンバだけだと飽きるので、卵を追加してキンパに。カニカマのと肉のと2本作ったのでこれを持って郊外にウォーキングに行ってきました。最近海の方ばっかりだったので、少しだけ内陸の方へ。またノートで書こうと思います。さてルーマニア旅行記は、トランシルバニア地方のブラショフです。町並みも建物も素晴らしくってルーマニアのイメージが一気にアップしました。ルーマニアのイメージが一瞬にし
早いものでブラショフ旅行も3日目の朝です。ブラショフはブカレストから北に180km電車では3時間弱で着きます。ということは電車は時速約60kmかぁ※遅いなぁと思ってるわけではないです!念のため速ければ速いほどいいとも特に思わない。ちなみに2022年の10月にもブラショフには来ていますが、半日だけの観光でした。今回は3泊4日なのでちょっとゆっくり今日から月曜日、火曜日は彼はワーケーション!(旅行先から仕事)パソコンとネットがあれば仕事ができるの強い〜ということで1日目をサクッと振
ブナズィア🇷🇴2023年8月3日〜5日ブカレストから電車に揺られてブラショフという街に移動しました。すごく個人的なんだけど、ルーマニアって町の名前可愛くないですか?ブラショフ、シギショアラ、ティミショアラ…お菓子の名前みたい!って思いながら地図を見てた気がします。めっちゃ余談ですね🤣ブラショフに移動する話進めますねGaradeNord2(M4)ブカレスト北駅からブラショフに行く鉄道が出てるとの事で向かいました。しかし私たち相変わらず行き当たりばったりなもので
Bunăziua.ルーマニアの言葉でこんにちは。中世の街並みが楽しめる、ルーマニアのブラショフへとやってまいりました、サミーラです。ルーマニアで、絶対に食べたい!!!!と思っていたお料理が、ロールキャベツの「サルマーレ」。雰囲気が良さそうな、『LaCeaun』さんのメニューをチェックすると、ありました!ありました!↑写真に写っているのは私ではありませんが・・・店頭に、メニューが置かれているので、事前にチェックできて安心ですね。『LaCeaun』さんは
ルーマニアの旅7日目、最終日4月から書き始めたルーマニアワイナリーツアーはいよいよ今回が最後、終章となります。この紀行文を起こしている間にはウクライナの侵略戦争は終わっていることを期待していましたが、まだいくすえの見えない混乱状態でとても心配です。・・・・・・・・2019年7月8日晴れ約一週間かけてルーマニアの奥地までワイナリーを訪ねる旅も、今日でいよいよ最終日となる。昨日はシギショアラで世界遺産を見てきたが、今日はルーマニア第二の都市、ブラショフの観光とそして帰国の途に
2019.11.11(続き)シギショアラからブラシャフに戻りました。大きな通りでバスを降りると、夕方1時間ほどの「ブラショフ旧市街ウォーキングツアー」です(参加しない人はそのままバスでホテルまで送ってくれます。)まずは『黒の教会』を目指しました。評議会広場を通り抜けると『黒の教会』は目の前です。この評議会広場には、天をつくようなとても大きなモミの木が置かれてありましたNYのロックフェラーセンター前のモミの木みたいだなぁ『黒の教会』17世紀末、ハプスブルク家とオスマントルコとの
2019.11.10(続きの続き)『ペレシュ城』バスパーキングから坂を登っていくと、すぐにお城が見えてきました。山々に囲まれた小高い丘の上にあり、妖精の物語にでも出てきそうな雰囲気のお城です形の異なる、ツインタワーが印象的小ぶりながら、ルーマニアで最も壮麗なドイツ・ルネサンス様式のお城です入り口内部は、専門のガイドさんに付いて回るシステムなので、自由に動けないのはちょっと残念外観もそうですが、内部も細部に至るまで凝った造りをしていて、とても豪華ヴァザーリ作の天井
Viscrivillage,Brasovcounty,Romania.Part1-SergeyChekalinルーマニア・ブラショフ県ビスクリ村-セルゲイ・チェカリンの浪漫みゅーじっく(爽やかな朝)
ルーマニアの中世の都市の紹介の続きです。【ブラショフ】ブラショフはルーマニアで最も美しい都市の1つであり、観光客が最も訪れる都市です。ルーマニアの中心部に位置し、タンパ山の麓にあり、ポイアナブラショフが位置するポイアナブラショフ山塊の近くにあります。文献によると、ブラショフの城塞は1234年に形成されたとなっています。歴史的な街の中心部の建築は全て中世のものです。ちなみに、私の家族はブラショフに住んでいます。また、私のキッキンカーの後ろに描かれている絵はブラショフの中心にある公園の
2016年の夏に訪ねた東欧中心の旅を綴ります。スロバキア→ポーランド→モルドバ→ルーマニアまで来ました。まだまだ東欧、くまなく行きます。シギショアラを発つ日に飲んだフレッシュグレープフルーツジュースが、かなり身体に染み込んだ気がしました。疲れ果てた白血球を労い数を増やした後、体調がみるみると良くなった。自分でもびっくりするくらいの急回復だった。フレッシュなビタミンCて大事ね。シギショアラから、またあのオンボロ列車に乗っ
10年ほど前、友人のH.O.氏からのメールです。
ルーマニアの古都ブラショウで二日目の朝を迎えた私は、今回の旅の次なるメイン、ドラキュラの城を目指しました。ここはルーマニアで最も外国人に名の通った観光地…のはずですが、交通の便はとても悪いのです。ブラショウ市内の旅行代理店にバスツアーの案内が置いてありましたが、公共交通機関で行こうとすると、情報は無いに等しい💦(←そしてどこまでもツアーには乗りたくない私w)前日から市内バスの路線図をにらんで情報を収集し、まずはブラショウ町外れのバスターミナルを目指しました。バス待ち中の私に、目的地を同じ
ブラショウ(ブラショフ)の駅は、タクシーや民泊の逆引きでいっぱいでした。中には日本の某ガイドブックの切り抜きを手に「ウチに泊まりませんか?ここにほら、私が載ってるでしょう」と宣伝してくるのもいました。そんな中をすり抜けてバス停(ルーマニアのバスにして初めて、時刻表発見!感動)を探し当てて市内へ向かうバスに乗りました。ブラショウは13世紀にドイツ系の人々が入植して建てた街です。街並みがどことなく整然としているのもドイツ人気質のせいかもしれません。街並みは戦災の影響をあまり受けることなく、
ルーマニア3日目、スチャヴァを発った私は次の目的地ブラショウ(ブラショフ)へ向かいました。「5つの修道院」巡りを終えてしまうと、地方都市スチャヴァには特に見る物もなく、暇つぶしに夕方「大城塞」を観に行ったら露出狂に遭ってヒヤリとしたこともあり、長居したくなくなったのです。【大城塞】さらに旅行者にとって困ったことには、レストランやカフェの類が少なかったのです。晩ご飯に名物料理を食べたかったのですが、ホテル内のレストランは薄暗くて他の客もおらず(そもそも商売っ気が感じられず)、街に点在するカ
ルーマニアの起源は、ローマ帝国最盛期・五賢帝の時代に遡ります。トラヤヌス帝が征服した「ダキア」にローマ人たちが住み始めたのがルーツになっているため、ルーマニア語はローマ人たちが使っていたラテン語の子孫で、「イタリア語の東北弁」とも形容されています。ちなみにルーマニアの国民車はこのダキアにちなみ、「ダチア」といいます。スチャヴァのホテルにはイタリア人がたくさんいましたが、彼らはイタリア語で話してそのままルーマニア人に通じている様子でした。でもある程度イタリア語を勉強していた私には、ルーマニ
11月11日ホテルでブッフェ朝食。サラダ系がないのは残念。フルーツとクロワッサン、そして海外ホテルのブッフェでの大のお気に入り、定番(?)キノコの炒め物。日本ではあまり見ないな。さあ食べようと座った椅子が妙に低くて(食べにくいなぁ)と思ったらソファー椅子のようなのでしたwww背の低いご婦人は胸の辺りがテーブルでホント食べにくそう、、。でも他の椅子も似たり寄ったりなのでまぁ良いか、です。9:00、「シギショアラ観光」に出発です。バスで2時間、山越えをして行きました。トランシルバニア地
11月10日(続き)「ペレシュ城」ルーマニアで最も壮麗なドイツ・ルネッサンス様式のお城です。ルーマニア初代国王カロル1世によって、夏の離宮として39年もの歳月をかけて造られました。(完成数か月後に亡くなったらしい、、残念、、)現在も旧王室の所有なのだけど、博物館として公開されています。かなり小ぶりだけど久しぶりにお城らしいお城を見たなぁ。ルーマニアは、第2次大戦後ソ連軍の圧力もあり社会主義国家(今は、1989年ルーマニア革命によって民主化され、大統領を元首とする共和制国家)になっ
こんにちは。訪問頂きありがとうございます。今日は友達とパブによってから帰ってきましたが、クリスマスの集まりと思われる人達でいっぱいでした。日本の忘年会と同じような感じですね。家に帰る途中、急に焼きナスのサラダを思い出して食べたくなりナスを買って帰りました。このナスのサラダ(ペースト)、今年5月にルーマニア旅行をしたときにはまり、夏の間は友人と公園ピクニックをするのにも何度か持って行ったもの。超簡単で、焼きナスをペースト状につぶしてマヨネーズ、玉ねぎ、コショウ、塩等をまぜるだけ。
ブラショフからこんにちは(現地AM11:00)朝ロープウェイに乗ってブラショフの街を一望してきましたまずはスマホ写真↓ロープウェイは2台だけ↓ではブラショフさようなら&ありがとうこれから特急列車で5時間イッキに南下して黒海へ向かいます無事に着きますように今回はここまでそれでは皆さまも素敵な一日をお過ごしください♪KAORIのインスタグラムフォロー大歓迎ですよろしくお願いします
ブラショフからおはようございます(現地時間AM7:00)こちらの予想天気は曇り&雨最高気温14℃寒い一日になりそうですってなわけで今日は予定していたシギショアラという街への日帰り観光は中止午前中はコインランドリーへ行って洗濯と買い物(誤算:アパートに洗濯機がなかった)午後からドラキュラ城のモデルになったブラン城へ行こうと思っていますさてさて昨日のお昼旧市街の広場のレストランへ行きましたルーマニア料理を食べようとメニューを
ブカレストから特急列車で2時間45分(列車の中から)ドラキュラ城(ブラン城)への起点となる街ブラショフに到着しました(上図の「8」にいます)中世の面影が残る歴史ある街です(とりあえずスマホでパチリ)ここでどんなことが待っているんでしょうか?血を吸われないように気をつけなきゃ(ドラキュラの方が逃げていく)短い記事ですが以上到着報告でした今回はここまでKAORIのインスタグラムフォロー大歓迎ですよろしくお願い
ブラン城付近のレストラン結構立派なレストラン、CasadinBran前菜は小麦団子のスープ。メインはサルマレ、ルーマニア伝統料理です。といってもロールキャベツです。キャベツが少し発酵がかって少し酸っぱいですが。付け合わせはポレンタ。卵焼きではなく、トウモロコシをつぶしてゆでた物。イタリアで有名ですね。デザートはパパナシ。ルーマニアの揚げドーナツルーマニアとはお別れ。これからブカレストを通って、ブルガリア入国です。ガイドが時間があるからブカレストを少し観光していこうと
昨日に続いてブラン城を見ていきましょう。最上階のベランダから再び降りて行くと博物館になっています。ドラキュラのモデル、ヴラド・ツェペシュこちらは寝室当時の衣装が展示されています。こちらは鎧ですね。刀や槍もあります。1階、中庭に降りてきました。なんらかの動力機でしょうか。ブラン城は多くの部屋があり、小さい割に見どころ満載でした。衝撃!デルタアメックスカードで無条件にデルタ航空ゴールドメダリオン会員資格が得られなくなる。ご覧になった方は1票の投票をおねがいします。
ついにやってきたブラン城歴代の城主でしょうか。もともとは1377年ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに入ってくるオスマン朝軍をいち早く発見するために築いたとされる。14世紀末にはワラキア公ヴラド1世が居城とした。ドラキュラのモデル、ヴラド・ツェペシュの祖父にあたる。現在はルーマニア国王フェルディナンド1世の末裔に返還され今は博物館として開放されています。階を上がっていきます。王の執務室が開放されており図書室なんかもあたっりします。城の中庭。実際はそこまで大きな城ではあ
車でブラン城へ向かいます。途中、草原がみえてき、羊が放牧されていました。きれいな牧草地帯が広があります。ブラン城付近に到着。昼食を摂るレストランの駐車場に車を止めます。ブラン城へ行くための道を歩きます。途中、お土産売り場が並びます。城下にはたくさんの露店が並びます。露店そばの城門をくぐり、城へ向けて歩きます。結構な高台にあります。これが吸血鬼ドラキュラの居城モデルになった城、ブラン城衝撃!デルタアメックスカードで無条件にデルタ航空ゴールドメダリオン会員資格が得られなくなる。