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先日、俳優の樹木希林さんが亡くなりました。75歳、またひとり、名優と呼ばれる人が逝ってしまった。死を伝えるワイドショーでやっていたのだけど、結婚もしたい、でも、学校へも行きたいと悩む娘の也哉子さんに、「学校はいつでも行ける。でも、結婚は分別のつかないうちにしておいた方がいい」と答えたそうです。たぶん、分別がついてから、というのが普通のお母さん。でも樹木さんは、そうではなかったところに、彼女の非凡なものを感じます。分別というのは、頭の中で計算をして、というほどの意味かな。結婚のいわゆ
とある作家の母からの手紙には「ふたりが(作家とその妻)もしも喧嘩をしたら、私はためらわずあなたを嗜める」と記されていました。たぶんいろんな意見のあるところだと思います。作家とは血のつながった母子である、とすれば情的には作家の味方をするのが普通ではないか。あるいはふたりともに話しを聞いて、どちらかを決めるのがフェアである、といったことかな。さて、この話を紹介しようと思ったのは、果たして私は、いつも息子の妻の側に立つ、そういった気持ちでいられるかと感じたからです。そして、〈いまなら〉この手
寂しさの質が変わってくる、と前に話した記憶があります。何の寂しさかといえば、結婚していないことの寂しさ。30代、40代ではあまり感じないけれども、50代60代になって、その寂しさの質が変わってくる。それは、ふとしたときに感じることでもあります。たとえば、今日は1日、だれともしゃべってないな、と気づいたとき。仕事を辞めたときに思うのじゃないのかな、多くの人は。そういう日が毎日つづき、そしてこれから先もつづくのだと、ある日、痛烈に感じたりします。男性も、女性も、そういう状況は同じ。でも
その立場にならないと分からないことというのは、必ずあります。その立場、年齢にならないと、ほんとうには、やはり分からないことはある。もちろん、逆のこともいえて、いまの若い人たちの気持ちというのは、私たちも、分かっているようで、分かりません。その年齢を経験している分、ちょっと分かった気がしているだけなのかもしれません。いつも皆さんにいっていることだけど、いま結婚しておかないと、後へ行けば行くほど大事なことが遠ざかってしまうということ。いま、このときの大切さ。逃した魚はそして、たしかに大きく
最近の若い人たちに何が足りないのかなと思っていて、あるときふと、それは〈粘り〉なんだと気づきました。と、ここまで書いて、それは何も若い人たちにばかりいえることではない。地下鉄の車内で、我慢できずに騒いでいるのは、中年過ぎた老年というべき人が多いし、おばさんも大概(いずれも、よい人はよい、というのは当然だけど)。それに、〈粘り〉が過ぎると、相手によっては、セクシャルハラスメントといわれる恐れもある。若い人たちはそれはそれで難しい時代を生きているのでしょう。といいながら、こと結婚に関し
過日、震度6弱の揺れが大阪の北部を中心に起こりました。高槻、茨木、枚方、門真と地震の中心や近隣の町には多くの会員さんがいらっしゃるところです。どうか被害がなく、たとえあっても小さなものでありますよう願っています。この地震が起こる以前には、もう会員の皆さんには記憶がないことでしょうが、阪神淡路の大震災をはじめ東日本大震災、熊本の大震災というように大きな地震がつづきました。この地震の数日前にも、千葉や群馬で大きな揺れがあり、また鹿児島の桜島や霧島山の噴火など、どうも日本の地の底では、場所に限ら
もっとも人が変化するのはいつだろう、と考えて、それはたぶん、結婚したときだろうと思っています。もちろん、相手によって変わる。よい変化もあれば、残念なことに悪い変化も起こります。急速な変化というのは、よほどの場合を除いて、ありません。徐々に変わっていくわけだから、結婚したとき、じゃなくて、結婚してからという方が正確かもしれません。だからこそ、しっかり考えて、先々まで考えてほしいと思うのだけど、どうしても目の前の相手しか見ない、そして見えないわけだから、それはそれで仕方のないことなのかもし
男性にとって背が低いということは、ひとつのマイナスポイントです。でも、大きなマイナスじゃない。たとえば、背が高いのと低いのと、どちらを好みとしますか、というアンケートがあったとすれば、6対4、あるいは7対3で負けるかな、という程度の負け要素。全体を左右するほどの要素じゃないということです。つまり、大した問題じゃないことを、いつまでも、問題だと思っている心が、いちばんの問題だといえるでしょうか。マイナスの要素といえば〈顔〉なども、そのひとつでしょうか。これは、女性も当然、かかわりのあるこ
最近よく聞くのが、独身の、どちらかといえばやはり男性が多いかな、その訃報。火事で、事故で、そして病気で、ときには自死。普通には、若くもないのだけど、だけど50代、60代といえば、死ぬには少し若い、そういう報に接することが少なくありません。ああ、多いなあ、と思うのは、やはり近年の傾向なのでしょう。こうした報にあうたびに、仕事柄なのでしょうか、これで、生命を繋ぐものが無くなってしまったと思います。もちろん、実態は分からない。そんなことを彼らが望んでいたかさえ分からない。だから、これはただの
今年も春がやってきました。ということを書いて、もう何度目になるのだろう。この原稿が記事になる頃には、春もすっかり半ばなんだけどね。それにしても、春の訪れはほんとうによいもので、満開の桜からチューリップ、そしてもう少したつと山の道では藤がきれいかな。ツツジに、街を歩くとタンポポ。そういえば先日も歩いていると、すでに種となったタンポポが、風に乗って飛び散る姿を目の当たりにしました。桜なども、その代表だけど、満開のときはほんとうに短い。見方を変えれば、そういうふうに、生命のサイクルが循環
もう少し先々週のつづきを。実は前回の原稿を書いた後、京都でも同様のことがありました。こちらはなぜ泣くのか、理由がはっきりしている。いちどちゃんと聞いてほしかった、と彼女はいいます。人は、自分の大切な〈真実〉を聞いてほしい。話しを聞いてもらうとうれしい。そしてその最上級の相手は、と考えてみると、私などよりも、やがて知り合うパートナーということになるんじゃないのかな。この大切なことを抜きにして、顔が第一とか、背が高くなくちゃ、とか、お金をもっているのが大事だ、とかいっているのは、まだ、
出会いのチャンスは?という問いに、ある人は、たくさんある、と答えるのだけど、また別の人は、実はまったくないんだ、と答えます。これは、昔もいまも変わらないこと(笑)。いつも同じ電車で会う。図書館のあの席にいつも座っている。それを見るたびに、ちょっと胸がときめく。ただ、それを出会いのチャンスと呼ぶには、向こうからというより、こちら側の心のありようというところもあるようです。昔といまの違いとして、やはりネットをどう使うかということがあります。そこには、たくさんの出会いのチャンスが転がってい
ときおりなんだけど、カウンセリングに訪れた人がポロリと涙をこぼすことがあります。これまでも何度か、担当のカウンセラーと向かい合うのだけど、そんなことはなかったといいます。それが私と会った途端に、ふと泣いてしまう。男性にもそういう方が、こちらはごく稀だけれども、いる。それはどうしてなんだろうと考えたら、私はたぶん、話を聞く。けっして新しく、気の利いたことを言うのではなく、でも、真剣に聞いてもらっている、という気がするのではないかしら。だって、真剣に聞いているから(笑)。今日ここに来る
最近、朝の散歩でみつけた掲示板のことば。〈真剣だと知恵がでる。中途半端だと愚痴がでる。いい加減だと言い訳がでる〉。あいにくメモのたぐいをもっていなくて、細部がまちがっていたらごめんなさい。でも大意はこのとおりだと思います。ああ、そうなのか、と何度もうなずいたのは、やはり最近、相談のときに、愚痴や言い訳を、よく耳にするから。そして、それはどうしてなんだろうと考えていました。愚痴や言い訳が多くでるというのは、結婚する、結婚したい、という気持ちに、まだなりきれていないからなのかな。少なく
今年も春になって、たくさんのカップルが成婚されました。もちろん、私共にとっては、とてもありがたいことにちがいありません。でも、これってよく考えると不思議。結婚はどの季節に行ってもよいものなのに、なぜかみんなが春を目ざしているかのように、春めく頃には成婚に向けて動きはじめている。みんなまるで季節に追われるような気さえしてきます。結婚は、当たり前だけど、相手がいないとできない。そして、ふたりが〈その気〉にならないとできない。ちょうど、ふたりの気持ちを乗せるものが〈春〉。結婚は必然と言い
最近のブライズには、ちょっと言葉にするのに困るんだけど、〈キレのある人〉が増えてきた(笑)。そして、それは女性に多い、というのは、いつものこと。Aさんは、その中のひとり。最近、自分からプロポーズしてきたといいます。相手はもちろん、ブライズで知り合った男性。待っていても、始まらないから、プロポーズしてきた、と。自分は、相手の人に、結婚する上で必要なことは、ちゃんと見つけてきた。これ以上、単に付き合うという時間を過ごすことは、つまり〈不毛〉だといいます。私は、Aさんのような女性が増える
私が最近、もっとも感銘を受けたものといえば、とある雑誌に記されていた国際的バイオリニスト・川井郁子さんの言葉。生きてきて、いちばん感動したことは?の問いに、川井さんは間髪入れず〈子どもを授かったこと〉と、話されていました。ひと言にいえば、普通の人じゃない。ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、読売日本交響楽団といった国内外の交響楽団と多数共演、レコーディングを行い、テレビ・ラジオで、いくつものレギュラーをもつ、といえば、某国で某賞を得た、とか、こんなところで、あ
このほど、懸案(!)の課題であった彼の結婚が決まりました。ブライズに入会して、もう3年か、4年か、時間はかかったけれども、ようやく伴侶を見つけて退会のはこびとなりました。ところで、彼が〈懸案〉であったのは、時間というよりも、仕事に対する思いがとても強いことにありました。その仕事に懸けている自分というものを分かってほしかった。というのは、しごく一般的なことのように思うけど、彼の場合はきちんと認めてほしかったのです。結婚に時間がかかったのも、そういう女性をずっと待っていたから。でも、逆
親のために結婚する、と言ってしまえば、ちょっと大げさ。でも親の存在が重要なファクターのひとつとして、結婚を考えるようになった。そう考える人は、とくにブライズには多いのかもしれません。ところで、〈親〉とひとことでいっても、もちろん男親、女親、健康の具合も違うし、人柄もみんな違う。年齢が違います。そして〈焦り〉も違います。女性の結婚適齢期(というものがあるとして)を仮に20歳~35歳とします。約15年の女性の、肉体的な変化は、上下では大きな差があることでしょうが、これを親の15年、20年の
たとえば面接などをしていて、しゃべっていることはまっとうなんだけど、ことばが響かないというのかな、奥まで入ってこない人というのがいます。何が足りないのだろう、とよく考えてみると、〈ありがとう〉または、それに類することばが足りないと思うことがよくあります。お見合いで上手くいかないのも、このパターンかもしれない。ありがとう、は、しゃべっていることの意味内容じゃなくて、それを相手の胸に届ける役割を負うことば、といえば、少し分かりやすいかな。内容に属さなくて人柄を伝えることばなんだけ
よく分かっているようで、じつはまったく分かっていないことが、時代の〈閉塞感〉ということばなんだと思います。どこか息のつまった様子。でもどこでなにがつまっているのか分からないということでしょうか。この閉塞感が若い人たちの結婚ばなれを招いている、ということなんだけど、それは最大の理由じゃなくて、たとえば給料が安い、家族の結婚しなさいという圧迫がなくなった、まわりに結婚する人が減ってきた、そうした理由を押し上げる背景としていわれているような気がします。だからないのかといえば、やっぱりある。時
楽しいから行く。と、いいながら〈楽しい〉といいきるのは、無理がある。やらなくちゃいけないことは一杯あります。まず相手のことを知らなくちゃいけない。会ったら実際はどんな顔をしているのだろう。年収はいくらというけれども、どういう使い方をしているのだろう。それに一番恐いのは、自分がどう思われるかということ。どんな人を求めているのだろう……。分からないことが多すぎる。会うまでが一苦労。でも、慣れるのは慣れたらで、また恐い。〈楽しい〉には、やっぱり無理があります。ちょっと訳ありの〈楽
「風の風船」という歌集の存在を、とある小説本から知りました。西村美佐子さんという歌人の本。興味を惹かれて全部読んでみようと思ったんだけど、在庫がないらしい。このままがいいこのままでいいそれぞれに女はうたふいづれかなしき等々というものなんだけど、なんだか胸にずしんときました。勝手な解釈になるのだけど、時間をうたっているのだと思う。このままがいい、このままでいい、という〈いま〉は永遠にはない。といって、あまり先までみてしまうと、肝心の人生がつまらなくなってしまう。だから、〈いづ
年齢とともに変わるもの、というのがあります。分かりやすくいえば、格好がよい、とか、きれいだ、とか、そういうものに、どうしても惹かれてしまう年齢があります。でも、もう少し歳がいくと、見た目のよさよりも、仕草であったり、そして、言葉使いであったり、その人のもつ、ちょっと深いところに目が届くようになります。それは、単に年齢を経たということではなく、あなたの目が、しらない間に養われていたのかもしれません。そういう意味では結婚も、ある程度、年齢がいってからの方がよいのかもしれないけど、やはり
気がついたときには、もう遅いのかもしれない、ということがあります。結婚の周辺ではあきれかえるほど、いつも起こっているのが、このこと。どうしてか、もっとよい人がいるのじゃないかと思ってしまう。そして、衣服を替えるように、相手を替えようと思うのだけど、そう上手くはいかない。上手く替えられても、よく考えれば、前の人がよかったと思えることも。そして、いつのまにか、自分の年齢があっという間に増えていくのを、なぜか自分だけが気づかない、ということも起こります。だから結婚なんて無駄、中には、自分
私がこういう仕事をしていると聞くと、その相談所に、よい人はいるの?と必ず問われます。もう、それは、99%(笑)間違いなく。それから、その人の年格好によっては、うちの子どもは、いくつで、こういう学校を出て、こういう仕事をしているけど、まだ結婚はしていない。それでよいのだろうか、ということを聞かれます。これは、数%かな。でも、大きな数字。よいとも、拙いともいえない。というのは、いくつ、学校はどこ、会社はどこと聞いたところで、その人のほんとうのところは、まったくといってよいほど知りません。
昔は〈偏差値〉なんてあまりいわなかった。どのくらい昔かといえば、50年ほど前(笑)。とはいえその頃も、進学校や大学の格差はいうまでもなくあったけれど、目ざす人が、いまと比べれば少なかったような気がします。いまはどうなのだろう。偏差値だらけの世の中で、何につけ、かににつけ、そして結婚にさえ大手を振っているような気がします。意識さえせずに〈偏差値〉まみれ、というのがやっぱり恐い。私なんか、どうせだめ、と、肩を落としている、その相手は、偏差値がうえの学校を出ているという、それだけのことだ
〈どうすればよいのか〉と〈どうしたいのか〉は、よく似ているようで、実はまったく意味が異なります。どうしたいのか、には、その人の意志がこもります。そして〈どうすればよいのか〉は、常に考えておくべきこと。それは、会社や、職場で考えているようなこと、といってもよいでしょう。たとえばブライズのスタッフは、どうすればよいのかを、何かことが起こるたびに懸命に考えます。でも、決して〈どうしたいのか〉を考えることはない。考えることはあっても、それを口にすることはない、といってもいいでしょうか。それ
幸せの方向性というものが、いまはどんどん多様化しているような気がします。それもあって、結婚する人が最近は減っているということがあるのでしょう。そして結婚するといっても、そのタイミングが遅くなってきた。これも、問題といえば問題です。女性は何より妊娠の時期の問題があります。結婚してたって出来る出来ない、早い遅いは当然あることでしょうが、結婚が遅れると、それがいっぺんにやってきてしまう。それが嫌だと、一定の年齢になったら諦める人も出てしまうのかな。男性は、遅れた間にお金を貯めて、というふ
数値化といえば、どことなく婚活のあれこれにはふさわしくないな、という気がしますが、実はそんなことはありません。たとえばブライズへ来るのも、週に1回と〈かず〉で示されていると、ちょっと少ないからもう1回、とか、もう充分だから、もう少し少なくとか、いずれにしても、ひとつの叩き台を示すことができる。がんばっている、多く行っている、という言葉よりも、まわりに対して具体的に示すことができるのが〈数値〉です。これは、いろんな局面で有効に生かすことができます。会話がないということを、よく